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2010/01/17

1995年の二つの事件

 15年前の1月17日という今日、阪神・淡路大震災が発生した。
 この未曾有の震災と、同年に発覚したオウム事件とが小生のその後の生き方に大きく影響した。
 影響したというより、自覚を促した、というべきかもしれない。
 その大よそのことは、数年前、本ブログにて書いている

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← 過日、所用があって、ネコちゃんたちの居る家へ。久しぶり!

 要点は、以下に尽きる:

 小生は、実はタクシードライバーになるかどうか、94年の後半から考え出していたが、迷いもあった。
 が、迷いを断ち切ったのが阪神・淡路大震災であり、さらに止めを刺したというか追い討ちを掛けられたというか、背中を押されたような気分にさせられたのがオウム事件だった。
 世の中には何でも起こりえる。人間の想像力など圧倒する出来事がありえる。
 決めた! オレは書くことに生活の焦点を置く。生活費はタクシードライバーという仕事で得る。
 人生は一度限りなのだ。何がどうなろうと構わない。好きなことに徹底するのだ。

 タクシードライバー稼業も辞めざるをえなかったし、必ずしも思い通りにはなっていないけれど、決心という意味ではいささかも変わっていない。
 自民党によるあまりにも長い一党支配の歴史も昨年、終焉した。
 世界も激変しつつある。
 世界も日本も漂流している。その行方は未だ誰にも見えていない。

                          (以上、10/01/16 記)

1月17日のことより抜粋

 午前5時46分52秒の発生。当時、小生は前年の2月末、一ヶ月の入院から会社に戻った直後に首切りを宣告され、94年3月に13年勤めた会社を退社、次の仕事、つまりは今のタクシー稼業に携わることができたのは95年の9月だった(内定は数ヶ月前に得ていたが、健康問題で保留状態が続いていた)。
 要するに小生は当時、失業保険で食いつないでいたが、それも、既に95年の1月頃には切れる寸前だった。
 日に10枚の執筆作業を続け、週に二度プールへ通って壊れていた体をリハビリし、89年頃から書き溜めていた原稿の一部を纏め退職金を全額使って出版し、本など買える筈もないので、方々の図書館へ運動を兼ねて歩いて通い(一年半で300冊弱を借り出して、ほぼ全ての本を読了した)、とにかく長年のサラリーマン生活で心身に蓄積していた垢を流しストレスを懸命に発散させようとしていた。

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→ 小生のことを覚えていないようで、やや警戒気味。でも、撫でてやったら、なついてくれた。

 地震のあった朝、小生は明け方になって、ようやく寝入ろうとしていた。その矢先、揺れを感じた。あ! 地震だ。結構、揺れたから震度は2か3か。震源地は関東の何処の辺りだろうと、テレビのスイッチを入れた。
 すると驚くべき報道が。
 地震が発生したのは阪神地方というではないか!

 小生は寝るのも忘れテレビに食い入るように見入っていた。
 95年の3月にはオウム(真理教)事件が発生(発覚)する。

 小生は、実はタクシードライバーになるかどうか、94年の後半から考え出していたが、迷いもあった。
 が、迷いを断ち切ったのが阪神・淡路大震災であり、さらに止めを刺したというか追い討ちを掛けられたというか、背中を押されたような気分にさせられたのがオウム事件だった。
 世の中には何でも起こりえる。人間の想像力など圧倒する出来事がありえる。
 決めた! オレは書くことに生活の焦点を置く。生活費はタクシードライバーという仕事で得る。
 人生は一度限りなのだ。何がどうなろうと構わない。好きなことに徹底するのだ。

 連日の震災報道、さらにオウム報道。日本の社会がバブル崩壊後、一変してしまったという直感があった。根拠を示せと言われても困っただろうから、まさに直感に過ぎなかった。戦後50年。戦争を直接は知らない世代の子どもたちが大人になりつつある時代。戦争を知らない人口が経験した人口に勝ってしまった時代。日本がアメリカと戦争したことも知らない世代が街中を闊歩する時代。日本が中国や朝鮮や東南アジアに侵略し住民を蹂躙したことを嘘だと思っている若者が増えてしまった時代。アメリカが日本に原爆を投下したことを夢物語と思っている連中がいる時代。
 日本が日本でありつつ社会や文化の根底から変質しつつあることが露見し始めた時代。
 自分に何が出来るものではないけれど、書くということで自分の生を表現することだけは断固、続けるのだと決心した。

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← 過日、テレビを見てたら、富山湾(日本海)越しに立山連峰を望む画面が映った。思わず手元のデジカメでテレビ画像を撮影。(雨晴の)海岸線から「海の上に3,000m級の山々を望むことができるのは、世界でも3か所だけだ」とか。「雨晴海岸」参照。

 そして95年の3月末にはタクシードライバーになることを決断し、某タクシー会社に出向いたのだった。
 一年以上もリハビリに励んだのに、失業保険が切れて、プール通いも出来ず、食べるものも節約していたら、体がまた若干の異常を来たし、会社での健康チェックで入社が保留になったのは想定外だった。
 上記したように、実際に会社に正式採用になったのは4月に動き始めてから約半年後の9月となったのだった。
                      (2006/01/17 作

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コメント

こんばんは、医者の帰り、ネットカフェに立ち寄っています。
震災、オウムー大変な年でしたね。
国松長官狙撃事件はまだ解決していませんし、世田谷にもオウムの施設があって問題をおこしています。
世界はよくなるのか悪くなるのかよくわかりませんが、なんでもマヤ暦では2012年までしか記載されていないとして、その年に人類滅亡するという説がはやっていますね。
新しくはノストラダムス、古くは聖書の黙示緑から終末論というのは盛んですね。
ニーチェ的に「これが人生か、よしもう一度」といえる人はどれだけいるのでしょうか?
自分なんていなくても世の中は動いていくーこれが大方の人の感想ではないでしょうかね。
寒さ厳しいと思います、お互い自愛しましょう。

投稿: oki | 2010/01/21 20:40

okiさん

いろんな問題が未解決のまま、今も引きずられている。
地震についても、発生した当初は騒いでも、最近は各家庭での地震対策が忘れられがちだとか。
エコでの住宅(改装)のポイントもいいけど、耐震補強での改築(改装)についても、ポイントを付して、国民の生活が第一という謳い文句を実践してもらいたいものです。

自分は居なくても世の中が動いていく…というのは大概の大人の実感でしょうね。
ただ、同時に生きている限りは、自分がやるっきゃないことが山積みで、呻きながら頑張るしかないってのも現実でもある。
世の中を憂しと悲しと思へども身過ぎ世過ぎは容赦なく
ですね。

投稿: やいっち | 2010/01/22 10:23

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