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2010/01/29

日野草城……病臥なればこそ知る肉の身か

1月29日 今日は何の日~毎日が記念日~」によると、今日29日は日野草城の忌日だという。
 今日は「草城忌」なのである。
 拙稿「草城の句境を知らず人は過ぎ」にて、大よそのことをメモしてみたことがある。

 以下、拙稿から当該部分を転記して示す。

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→ 室生幸太郎編集『日野草城句集』(角川書店2006年1月29日再版)。「生誕100年にあわせて編纂された日野草城句集がこのほど没後50年ということもあり再版されました」とのこと。

 日野草城については、拙稿を除くと、本ブログで採り上げたことがない。
 僅かに、「初鏡…化粧とは鏡の心を持つこと?」にて「初鏡娘のあとに妻坐る」を、「冬ざれ」にて「冬ざれのくちびるを吸ふ別れかな」を挙げているだけである。

 日野草城(ひの そうじょう、1901年(明治34年)7月18日 - 1956年(昭和31年)1月29日)は高名な俳人だから、小生が今更、説明を試みる必要もないだろう。
「高浜虚子の『ホトトギス』に学び、21歳で巻頭となり注目を集める。1929年(昭和4年)には28歳で『ホトトギス』同人となる」ものの、「ミヤコホテル論争」を端緒にやがて虚子により『ホトトギス』から除籍され、虚子と袂を分かった。
「無季俳句、連作俳向を率先し、モダンな作風で新興俳匂の一翼を担った」というのが一般的な理解なのだろうか。

  浴後裸婦らんまんとしてけむらへり   日野草城

 日野草城の風貌やプロフィールなどは、「特別展「日野草城生誕100年」」を覗かれるといいかも。

日野草城 - Wikipedia」には幾つかの句が掲げられている:

春暁やひとこそ知らね木々の雨
松風に誘はれて鳴く蟬一つ
秋の道日かげに入りて日に出でて
荒草の今は枯れつつ安らかに
見えぬ眼の方の眼鏡の玉も拭く

200505000124

← 著者:復本一郎『日野草城 俳句を変えた男』(角川学芸出版)

「俳句グループ「船団の会」(代表:坪内稔典)のホームページ」である、 「e船団」 の表紙や、昨年の今頃の「日刊:この一句 バックナンバー 2006年1月30日」などには、下記の句が載っている:

草枯れて断礎に鬼の哭く夜かな
一つ寝のはじめての夜の粉雪かな
思ふこと多ければ咳しげく出づ

(「断礎(だんそ)」とは、文字通り、「こわれた礎石」の意である)

  菖蒲湯を出てかんばしき女かな   日野草城

 ブログ「ふるさとおはれてはないちもんめ草城忌」では、下記の句を載せてくれている:

誰が妻とならむとすらむ春着の子
春灯や女は持たぬ喉佛
白々と女沈める柚子湯かな
重ね着の中に女のはだかあり
菖蒲湯を出てかんばしき女かな
行水の女に灯す簾越し
ちちろ虫女体の記憶よみがへる
えりあしのましろき妻と初詣
手袋をぬぐ手ながむる逢瀬かな

インターネット俳句協会」の中の、「日野草城の俳句」なる頁を覗くと、さらに幾つかの句が詠めるし、鑑賞が施されている句もある。

日国.NET:俳人目安帖 モダニスト草城」なる頁を覗くと、草城の代表的な句と共に、(上でも書いたが)「草城が全俳壇的に注目される存在になったのは、昭和9年、創刊されてまだ2号目の「俳句研究」(改造社)に、「ミヤコ ホテル」と題する連作を発表し、これが毀誉褒貶の的になったからだった」という一連の句(の一部)を詠むことができる。

Hi04


→ 「病床の日野草城 (「終戦前後の激務から風邪をこじらせ肺炎となり、さらに悪いことに肋膜炎、肺浸潤症を併発してしまいました。ここに長い病床での生活が始まることになったのです」 画像も含め、「特別展「日野草城生誕100年」」より)

 季節感の狂いがちな昨今だが、だからこそ写生句なのであり、そしてこんな時節だからこそ季語は大切にしたいと思いつつも……。
 その実、生活感を大事にし、短詩だからこそ実感の篭った句境でありたいと思うとき、子規に惹かれつつも、子規と袂を分かった松瀬青々日野草城の生き方や句境にも惹かれてしまう、どっちつかずの小生である。
 季語も大事、だけれど、いずれにしても、挨拶、即興、滑稽が妙味の俳句(や川柳)なのだと思う。そう小生に教えてくれたのは、山本健吉だった。
 その彼は日野草城(の句)を小器用で軽いと非難している。

 草城の句が軽い?
 俳句って芭蕉のように荘厳なる軽快さとは違う、ある種の卑俗な軽薄さがあってもいいのでは。
 大切なのは、感じたことを詠い切る勇気だと思う。

                            (10/01/28 一部手直し)

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コメント

 読みました。草城関連のサイトがそんなにあるとは知りませんでした。私の場合はせいぜいWikipediaぐらいで。草城ワールドを堪能しました。

投稿: のそう | 2012/01/02 00:11

のそうさん

ほぼ2年前に書いた拙文を読んでいただいたうえ、コメントまで頂き、ありがとうございます。

日野草城の世界は、汲めども尽きせぬ魅力がありますね。

投稿: やいっち | 2012/01/03 03:27

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