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2009/02/21

車の汚れは黄砂のせい?

 昨日もだが、今朝も、新聞を取りに玄関に出てビックリ。
 車がやらたと汚れている。
 昨日の朝は、主に後部ドア付近が泥んこ汚れ状態。
 玄関脇にある雑巾で拭って、ひとまず大丈夫ということで、外出。

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→ 金曜日の朝。朝露に濡れる梅の木、そして梅の花。

 今日の汚れは車全体が汚れている。
 頭から泥水でも被ったような、悲惨な状態。
 夜半にトイレに立った時に、小窓を開けたら、昨日の雨が雪に変わっていた。
 幸い、予報ほどには平野部は降らず、積雪は数センチもあったかどうか。
 その雪も朝方には上がり、小雪がちらほら降りつつも、空には青空も垣間見える。
 早朝には車もうっすら雪化粧だったが、その雪もあっさりと溶けてしまう。

 溶けたはいいが、その下からは、車のボディ全体が薄汚れていたというわけである。

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2009/02/20

鈴なりのスズメたち

 本日は、「岩佐又兵衛…浮世絵の源流? 劇画の開祖?」をアップしました。

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← 昨日(19日)、精米に行ったら、小屋の外でスズメたちが作業する小生の様子を窺っていた。お零れ、頂戴って言ってそうな表情。こうして見ると、スズメも可愛い!

 さて、以下の一文は、小生の旧著からの抜粋です:

 私はきっと自分だけの楽しみを求めているに違いない。だがそれが何なのか自分でも分からないでいるのだろう。今、目の前に獲物がある。それをひたすらに追う自分の姿を突き放したような冷ややかさで見ているのだ。その気持ちの正体が何かは言葉では表現できるようなものではないと思われた。私は肉の海で溺れてみたかった。溺れ込み、沈み込んで、圧倒する濃密な汗とよだれの滴る歓喜の修羅場の只中で、自分の身のうちにしつこく潜み根付いてしまった、決して何者とも和することのない眠らぬ虫を殺してしまいたくてならないのだった。女の肉が私の肉と区別し難いほどに交わって、私は白いふくらはぎ、それとも柔らかな和毛(にこげ)に覆われた深くて細い小川の魚をつっつく水鳥、あるいは金剛像に纏わり付く蛇だった。薄明かりの部屋の中で石ころが転がって、ありとあらゆるところにぶつかり、積年のうちに堆積した垢や苔を嘗め回し削り取ろうとしていた。燃え上がる欲情の洪水が浜辺の砂山を押し流すのだった。できれば同時に私を食い尽くす虫をも窒息させてほしいと思った。
 気怠い淀んだ空気が漂っていた。私から女に注がれた精力も彼女の肉体の精気と一緒に浮遊し、中空で性懲りのない戯れを演じていた。女は隣で軽い鼾(いびき)を立てている。裸のまま体を折り曲げて、無邪気な顔を枕に埋めるようにして寝ているのだ。私はその幼さの残る寝顔を見ながら、いつもの性癖を果たしたいという欲動がむくむくと湧いてくるのを憂鬱さと、そして少しばかり待ち遠しいという念で待っていた。こうなったら私にはもう制する力は残っていないのだ。私の中の遥か奥の院の何者かが勝手にやっている、そうとしか私には言えない。
             「ラヴェンダー・ミスト」p.31-2(『化石の夢』所収)

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↑ スズメたち、虎視眈々と、お零れを狙っている。小生、意地悪なので、多分、一粒も落とさなかった。ゴメンね!

 89年に作ったもの。ジャクソン・ポロックの「ラヴェンダー・ミスト」を横目に真夜中過ぎに創作していた。丁度、20年前の作品である。文章が若い!

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2009/02/19

村上春樹氏のエルサレム賞受賞スピーチ

村上春樹氏のエルサレム賞受賞スピーチの日本語訳が読めます:
はんどー隊ブログ 村上春樹氏のエルサレム賞受賞スピーチ

小説家としての、さすがのメッセージでした。

個人的なメッセージとして、「私はこれを心の壁に刻んでいるだけ」として、以下の意味深な言葉を伝えてくれた:
高くて硬い壁と一つの卵との間で衝突が起こったら、私はいつでも卵の味方をするだろう

このメッセージに籠めた意味合いは、上記のブログにてどうぞ。

以下は、「YouTube」での動画(ニュース画像)。堂々たる演説ぶり:
村上春樹 「エルサレム賞」受賞スピーチ
(何処かの首相や辞めた大臣に見せたい、なんて野暮なことは言いっこなし!)


村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチ:カイエ」が非常に充実している。


無関連拙稿:
村上春樹著『神の子どもたちはみな踊る』
寒波の中の帰郷

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物質的恍惚の世界を描く!

 今日2月19日は、埴谷雄高の命日である。
 小生は彼の本を片っ端から読み、読み浸ってきたわりには彼(の本)に付いての感想文はあまり書いたことがない。

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 せっかくなので、今日こそは何かをと思ったのだが、どういった思考回路なのか、埴谷からカントへ、そしてちょっと飛躍して<物質>へ関心の焦点が移っていってしまった。

 そうだ、埴谷(やドストエフスキーやチェーホフやガルシンやカフカなどなど)を読み浸っていた頃、決して耽溺というわけではないのだが、一方では全く違う世界として、ル・クレジオの『物質的恍惚』に惹かれてならない自分がいたのも確かだった。
 …というより、小説の世界とはほとんど切り離されて、あくまで<物質的恍惚>という言葉に自分の迷妄の世界を歩んでいく上での糸口のようなもの、手掛りのようなものを嗅ぎ取っていた、というべきか。
 まあ、端的に言って、<物質的恍惚>という言葉に感電したわけである。

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2009/02/18

犬とコロッケ




コネタマ参加中: ペットの困った体験談、教えて!

  あれはいつもと同じように一人で学校から帰る途中での出来事だった。僕は、みんながそれぞれ友達と帰るのが羨ましかった。いつかは僕だってと思っても、結局は一人ぼっちで帰る羽目になってしまう。
 みんな連れ立って一体、何処へ行くんだろうか。単に帰る方向が一緒だから、すぐそこまで一緒になるだけなのだろうか。
 それとも、何処かに秘密の面白い場所があって、ワクワクする思いでそこへ向かうのだろうか。だから顔があんなにもにこやかなのだろうか。

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← 対岸の向こうの小高い連山に夕日が落ち始めると、川面が赤く照り映えて泣きたいくらいに美しいのだった。

 僕には何も分からなかった。
 落ち零れの僕は、成績のいい、先生に目を掛けられている連中の仲間には到底入るわけには行かなかった。そうした奴らは、何だかもう人生の行方が明確になっているようで、とてもじゃないけれど足が追いつかない。
 といって赤点付近でうろうろしている連中にも、どうにも馴染めない。そうした奴らには奴らなりの目に見えないけれど濃密な空間があるようで、どうしても僕ははじき出されてしまうのだ。

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2009/02/17

猫と扇風機の思い出




コネタマ参加中: ペットの困った体験談、教えて!

 もう二十年近く以前のこと、東京は高輪にあるマンションに住んでいたことがある。

 部屋は、八階建ての八階で、頭の上は炎天下のコンクリートということで、夏場はひたすら暑い。熱気が私の部屋までまともに伝わってくるのだろうか、エアコンなど効いているのか分からないほどだ。

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→ 真夜中の散歩…? ( by なずな

 ただ、部屋が八階と高いところにあることで助かることがある。
 八階という高い場所にあるため、ベランダ側の窓を開け、廊下側(玄関側)のドアを少し開けておくと、風が小気味いいように吹き抜けていく。
 だから、夏場でも夕方を過ぎると、クーラーを使ったためしがない。
 最上階でもあるし、玄関のドアにはチェーンはしてあるし、ベランダのドアを開放しておいても、不審者が忍び込む怖れもないだろう…。

 そんなある日、ベランダに何か生き物の気配を感じた。まさか、こんな八階のベランダに動物が? 我が部屋のベランダは洗濯機も置けないほどに狭いのだ。しかも両隣りのベランダからも、それぞれに分離している。

 気のせい? しかし、間違いなく、居る!

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2009/02/16

雪の夜に「真冬の満月と霄壤の差と」を想う

 今日16日、先月27日以来の雪が降った。ほぼ三週間ぶりの雪であり雪景色となった。
 今冬最後の寒波の襲来となるのかどうか。
 昨冬だって積雪が五十センチを超えたかどうかで、大雪とは到底、言えない。
 まして今年は最大でも二十センチを越えたかどうか。
 暖冬も行き着くところまで来た。
 もっとも、まだ今冬の寒さが峠を過ぎたと、油断するわけには行かない。

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← 今日(16日)の夕方。庭先の松も梅の木もすっかり雪化粧。

 今も外は、チラホラ雪が降っている。
 星屑も月影も望めるはずもない。
 となると、逆にそんな星月夜が恋しくなる。

 タクシー稼業をしていたころは、夜通しの仕事だったし、空車の折など、月影を追って走ったり、星影や月影を愛でるため仕事の合間に、どこぞの公園の脇に車を止めたものである。
 車のエアコンで暖めたペットボトルのお茶を喫しつつ、用意した茶菓子など食みながら、公園の樹木の枝越しに天頂の月を眺めやったものである。

 そういえば、そんな真冬の月影を眺めての感懐を綴った随筆があったなと探したら、以下の一文が見出された。
 この小文を書いてから早、六年。
 家に篭りきりなので息が詰まっているのかもしれないが、特に一昨年の末から神経衰弱気味で、今ではとても天頂に対峙するような文言など綴れない。
 
 それだけに、なんだか懐かしくもある。
 ほんの数年前の自分が若々しいと感じてしまうとは、いやはや。

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2009/02/15

我が家の庭の仲間たち

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→ 季節はずれの暖かさも今日までだと知っているのか、白猫殿は我が家の庭で日向ぼっこ。眼がウットリ! 我輩も、最近、貴殿のお姿を拝見できて、嬉しいよ! 東京は大田区に在住していたある時期、家の近所で見かけた老いた白猫殿のことを思い出す。「小生が仕事で朝帰りすると、近所で出迎えてくれる(?)猫。体毛は白。もう、老いていて、ほとんど身じろぎ一つ、しない。先日、道路をのそりのそり渡る姿を見て、感激したものだった」…。

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