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2009/09/26

曼珠沙華の赤は命の赤

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→ 自転車を駆って市街地へ。途中、彼岸花(曼珠沙華)の群生を見かけた。「彼岸花…闇に浮ぶ赤い花」参照。「彼岸花の頃」なんて、ミステリアスな短編を書いたこともある。曼珠沙華は、小生には、実に想像力を刺激する植物なのである。
 

 持て余す魂。漂白する魂。壁にこすり付けられ傷ついた心。心とは壁の傷。磨り減り光沢も塗装も剥げ落ちた壁の染みにこそ親近感を抱く魂。紫外線に琴線を打ち砕かれて目は街中を泳いでいる。何処にも焦点が合わないのだ。
(「佐伯祐三…ユトリロのパリを愛してパリに果つ」より)

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2009/09/25

久々のハープの音色

 読書も音楽に聴き入ることも侭ならない日々が続いている。
 それでも、週に一枚の割で、CDを借りてきて、束の間の時であれ、曲を流しておく。

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← 『花一輪~彩愛玲ハープの世界』(キングレコード)

 空疎で殺風景な部屋を満たすために…ではなく、多くは、こうしてブログ(日記)を綴る際に、流したままにしておく。
 ロッキングチェアーに腰を沈めて、ゆっくり聴き入りたいところだが、まあ、現状では、ながらの形で曲を楽しむのも、やむをえないだろう。

 今、借りて聴いているのは、図書館のCDコーナーを物色していて、たまたま目に飛び込んできた彩愛玲さんのCDである。
 かねてより、ハープの曲を聴きたくて、視聴覚コーナーを訪れるたび、物色するのだが、ハープのCDはなかなか見つからない。
 それが、その日、誰か知らない方のCDであれ、ラックに並ぶCDの背の列にハープという活字が躍っている(ように見えた)ではないか。

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2009/09/24

ゴーヤからヘチマへ政権交代!

 小泉八雲著の『神々の国の首都』(編者: 平川祐弘 講談社学術文庫)を読了した。
 小泉八雲は、高校時代からの好きな書き手。
 彼の著作集は、二度も揃えようとしたものだ(途中で息切れしたが)。

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→ あれほどに元気の良かったゴーヤも、最近は少し、疲れ気味。段々、涸れた葉っぱが目立ってきた。実の育ち方も遅々としている。今朝、ほぼ最後となるだろう、ゴーヤの実を収穫。親戚筋のものに強制的に(?)提供。一方、ヘチマの葉っぱは、元気そのもの。いよいよヘチマの天下か。

 出版社側の説明によると、「「人も物もみな、神秘をたたえた、小さな妖精の国」と日本を初めて訪れた八雲は、感嘆の声をあげた。出雲の松江という「神々の国の首都」での彼の見聞記は、人々の日常生活の中に分け入って、深くその心を汲みとろうという姿勢で貫かれ、みずみずしい感動と相まって、見事な文学作品にまで昇華されている。旧(ふる)い日本と新しい日本が交錯する明治20年代の風物や風習、人々の姿を鮮やかに描いた名著」といったもの。

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2009/09/23

ショパンの調べについ…

 今日9月23日は、何の日か
 いろいろあるが、小生にとっては、「国見(弥一)」の日、である。
 なんたって、小生の「国見」は9月23日、つまり、923に由来しているのだ(「弥一」は、8月1日、つまり、81に由来している)。
 このことは、「国見弥一という名前について」にて、余談と雑談を含めて、縷々、説明してあるので、興味の湧いた方は、覗いてみてほしい(覗いても、何の役にも立たないこと、請け合いだが)。

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←  小林麻美雨音はショパンの調べ/Lolita go Home」(EP)

 さて、今日は何をテーマに書こうかと迷っていたら(何のアイデアも浮かばないでいたら)、ふと、夕べというか今朝未明、仕事先へ向かう車中、ラジオから流れてきたピアノの曲に聴き入っていたことを思い出した。
 バイト先への僅か数分のドライブで、好きなラジオ深夜便も、1曲か2曲、聴けるかどうか、である。
 それでも、楽しみなのである。

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2009/09/22

始まりは水の話から

 ガストン・バシュラール/著『水と夢 物質的想像力試論』(及川馥/訳 叢書・ウニベルシタス 898  法政大学出版局)を昨日、読了した。

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→ ジョン・エヴァレット・ミレー 『オフィーリア』 (1851-52 テート・ギャラリー(ロンドン)蔵) (画像は、「ジョン・エヴァレット・ミレー - Wikipedia」より) 拙稿「ハムレットとスミレとオフィーリアと」参照。

 以前、読んだことがあるはずなのだが、印象が薄れている。
 昨年末、刊行されて間もない本書を図書館の新刊本コーナーで見つけ、慌てて手に取り、借り出したものだった。

 その前には、ずっと昔、三十年ほども過去のこと、学生時代か、卒業して間もないアルバイト生活時代だったか、『水と夢  副題 物質の想像力についての試論』(著者 ガストン・バシュラール  訳者 小浜俊郎、桜木泰行 国文社)版にて、読んだというより、眺めたかすかな記憶がある。
 読んでも、さっぱり理解が及ばなかった、情けない記憶だけは残っている。


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2009/09/21

闇の河とりどりの灯の夢に似て

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← 台所脇の裏道に雑草だろうか、青い小花の花を発見。風に吹かれて気持ちよさそう!(この小花については、コメント欄をご覧ください。)

 自然の明媚さとは裏腹に、母の今度の入院は、期待に反して(…と言いつつ、場合によっては、自宅に帰ることは、今度は難しいかもと、お医者さんには告げられてもいた)、長引きそう。

 母の気力が萎えている。自宅へ帰りたいと、本人が言わなくなっている。
 お医者さんに、直ったら、家に帰りたいでしょって問い掛けられても、こんな体じゃ、帰られんちゃと言い張っている…。
 真意は?

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2009/09/20

今日は鈴鹿サーキットが完成した日

今日は何の日~毎日が記念日~」によると、1962年の今日(9月20日)、鈴鹿サーキットが完成したのだという。
 鈴鹿サーキットという名を目に、あるいは耳にすると懐かしい記憶が蘇ってくる。

 二十歳前後から三十代の半ば頃まではオートバイに夢中で、通学や通勤に毎日のようにバイクを駆っていた。
 土日などの休みの際には、時に朝早く起きて、オートバイに跨り、郊外へと向かう。
 読書が趣味なので、バッグにはお気に入りの本を忍ばせて。
 何処か眺めのいい、休憩するに相応しい場所を見つけると、バイクを止め、木陰などに腰掛けて、読書を楽しみ、読み疲れたら風景を愛で、あるいは風光明媚の残像を追いつつ、目を閉じ、居眠り…。

 読書とバイクを両立させる、苦肉の策のツーリングだった。

 温暖な時期になって陽光に恵まれたら、上半身裸になって、日光浴も楽しむ。
 若かったこともあり、体が日に焼けて黒くないと、ひ弱に見えるようだし、とにかく、天気がいいのに、家の中に居るなんて我慢がならなかったのだ。
 雨でもツーリング欲は鎮まらない。何処かの木立か、作業小屋の庇の下で雨宿りする…ただそれだけが、到着地ですることだった。
 要は、ただひたすら淡々と走れたら、それでよかったのだ。
 ランナーズハイの感覚を追い求めていた…というと、気どりすぎか。

 ツーリングだけじゃ飽き足らず、バイクブームの真っ最中から余熱が燻っていた時期でもあり、テレビでもバイクのF1レースが放映されることも珍しくなかった。
 読書のメニューにも、オートバイ(ツーリング)関係の本の割合が多くなっていたりする。
 サーキットで実際にレースを観たい、そんな欲求が高まるのも自然な成り行きだった。
 仙台の菅生サーキットを皮切りに、筑波サーキット、富士スピードウエー、やがて、東京からはかなり遠い、三重県は鈴鹿サーキットへ。
 さすがに、鈴鹿へは日帰では、無理なので、夏の八時間耐久レースの日程に合わせて、有給を取って、向かうことが多かった。

 以下は、そんなバイク熱が昂まっていた頃の思い出話である。
 バイク熱の昂進の時期と入れ替わるように、小生は創作熱の高まりを迎えるのだ。

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