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2009/09/19

身も細る思いも甲斐がなく

 体重70キロ、ウエスト94センチが限界なのかな。
 バイクを使ってのバイトだけど、かなりの運動になっているはずなのに、体重計に登っても、メモリは70キロで頑固に留まっている。

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→ 今朝のヘチマの花!

 35歳まではウエストが78センチ、体重は60キロをキープしていたのに(身長は172センチ。ヒップとバストは秘密)。

 一時は、喰っちゃ寝の生活で(タクシードライバー時代は特に)、体重が82キロにまで行ってしまったが、今は、日々、慌しく、体も動かしている…つもりなのだが。

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2009/09/18

秋爽の感極まれり地球照

 折々覗かせてもらっているサイト(「ひとりごとの夕べ.句日記」)で、「秋爽(しゅうそう)」という言葉を知った。
 句日記とあるように、この言葉も季語である。

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← 我が家の庭も、ミカンやカキはもとより、いろんな樹木も果実が生っていて、賑やかである。

秋爽(しゅうそう)」とは、「季語集・秋」によると、「秋の澄んだ空気がもたらす心身ともの爽快感をいう」という意味の秋の季語であって、「爽気 さやか さやけし 爽か 爽涼」などの類語があるようだ。

 そのブログには、下記の句が掲げられている:

秋爽を破る音無き畔を行く

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2009/09/17

星影と月影とのジレンマ?

 未明…というより真夜中過ぎの時間帯に仕事をしている。
 旧い表現をすると、丑三つ時過ぎから夜明け前(五時半頃)までの、真暗な、一番闇の深い時から、やや光明の見え始める時間帯ということになろうか。
 闇が深ければ、それだけ光が恋しかったり頼もしく感じられたりする。

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→ 仕事を終え、事務所を後にして、帰宅の途に付くころ、ようやく朝日が登り始める。

 やや郊外の住宅街や工場の建ち並ぶ地域をバイクで駆け巡る。
 バイクのヘッドライトが闇を照らし、道を浮かび上がらせる。
 スーパーカブという、生活に密着したバイクが我が愛車である(事務所の所有だが)。

 エンジンをスタートさせても、ヘッドライトの照射する光は弱々しい。

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2009/09/16

野球大会の思い出

 米大リーグ、マリナーズのイチロー外野手が9年連続200本安打の新記録を達成したことは、小生のようなスポーツに縁が遠くなった人間にも、とても誇らしいし、凄いし、嬉しい!
 野球の門外漢には想像も付かない精進と苦悩と試行錯誤の果ての偉業、孤独な戦いの結果なのだろう。

 小生如きがイチロー論を綴っても、仕方がないので、ここでは、野球に絡む、小生にとって忘れられない苦い思い出を載せておく。
 作ったのは8年以上も前のことで、ネット活動を始めて二年にもならない頃に書いた懐かしい草稿でもある。

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← 今朝(15日)の「クレオメ(西洋風蝶草)」。余談だが、今日、昼前、蛇を見た。体長は二十センチほどの、ほんの子どもの蛇。我が家の門前、路上のど真ん中で、横たわったまま、動かない。死んでいる? 突っ突いても動かない。でも、息があるようでもある。道の真ん中では、車の通りもあるし、踏み潰されてしまう。可哀想なので、路肩に寄せた。何故、可哀想に感じたかというと、一昨日も、この蛇(恐らく、同じ蛇だと思われる)を、我が家の庭の片隅で見かけたからである。我が家の庭で蛇を見たのは、中学か高校以来だろうから、40年以上ぶりに家の周囲で蛇を見かけたことになる。何処から来たのだろうか。何故に姿を現したのだろうか。何処へ行こうというのだろうか。土のある庭を離れ、コンクリートの車道に出たのは、道を間違ってしまったからなのか。蛇は嫌いである。爬虫類は虫が好かない。それはそれとして、あの幼い蛇の行く末が気になってならないのである。

 こんな(?)小生だが、運動が嫌いだったわけじゃないし、草野球は熱心にやっていた。高校生になっても、昼休みには、天気さえよければ、必ず校庭に出てソフトボールで野球である。
 大体、似たようなメンバーが十数人、校庭に集まる。
 特に小生は運動部には所属していなかったので、体育の授業を除けば、運動というと、学校での昼食後のソフトボールでの野球が全てだったこともあり、下手糞なのを押して、参加していたものである。
(その他、卓球、ゴルフ、バイク、スキー、テニスなどをやった。サッカーも少々。)

 野球については、小生にも幾つか、思い出がある。
 大概が苦い思い出だってのが、情けないが、記憶に刻まれる体験というと、辛かったものが多いのだから、仕方がない。
 特に鮮烈なのは、社会人になって間もない頃、二十歳台半ば頃の、恋に絡む野球大会の思い出なのだが、それはまた後日、書いてみたい。
 小学生の多分、六年生の頃、町内での(というより、いろんな町の野球チーム同士の大会…だから、子供にとっても、町内の大人たちにとっても、結構、大きな関心事だった)野球大会の、悔しい思い出なのである。


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2009/09/15

『オブローモフ』にはまった頃のこと

 文学として断固、最高峰にあると感じさせたのが、例えばドストエフスキーの諸作品だったとすると、自分のある種の嗜好…希求する何かという、そのツボにドンピシャな小説というものはあるものだと感心させられたのが、イワン・ゴンチャロフ作の『オブローモフ』だった。

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→ 今朝(14日)の「クレオメ(西洋風蝶草)」。

 確か、学生時代のある頃、恐らくは教養課程を終え、学部生になったある時期だったとおもうのだが、この小説を読んで嵌まった。
 手にしたのは、米川正夫の訳で、岩波文庫だった。

 ネット検索して驚いたのだが、「イヴァン・ゴンチャロフ『オブローモフ』全3巻 - 読書その他の悪癖について」によると、こんなに面白い、無類の小説が、一昨年に復刊していたという。
 こんな<痛快な>小説が、一時たりとはいえ、絶版になり、書店の書棚から消えていたなんて、信じられない。

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2009/09/14

「水面」について

 昔、そう、若い頃、好きだった言葉の一つに「水面」がある。
 これは、「みなも」と読ませたい。決して「すいめん」ではない。
 読み方が正しいかどうかの事柄ではない、小生のただの我が侭である。

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← ゴーヤも凄いが、ヘチマが今、元気。窓は既に覆い尽くしていて、庇をも乗り越えつつある!

 水面という字面なのか、「みなも」という読み、あるいは語感なのか、それともそれらのいずれもを含めて好きだったのか。
 他にも例えば、「微睡」という言葉が好きだったりした。
「びすい」と読んでもいいのだろうが、小生は「まどろみ」と読ませたかった。
 実際、この「微睡」という言葉を使いたいばかりに、『微睡』と題した短編を書いたこともある。
 あるいは「細波(さざなみ)」とか、鏡面とか、「消尽」や「蕩尽」とか、妙にこだわってみたくなる言葉があった。

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2009/09/13

世の中ピンク色!

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→ 夕食前のひと時、茶の間からちょっと外の様子をうかがったら、なんだか世の中、ピンク色。淡い紫色。小生が昨日の日記で、「我が家の庭に咲く花は、今の時期だけなのか、それとも偶然なのか、ほとんどみんな淡い紫か、紫色気味である。ヤブランにしてもナスの花にしても、「クレオメ(西洋風蝶草)」にしても、夏萩(今や秋萩?)にしても、紫露草にしても」なんてことを書いたから、空の神様ったら、気を利かせてくれて、世の中を淡い紫色に染めてくれたのだろうか。

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