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2009/04/04

4月4日は「あんぱんの日」

 今日、4月4日は「あんぱんの日」だという。
 今日は、ほかに「トランスジェンダーの日」とか「沖縄県誕生の日」「交通反戦デー」「ピアノ調律の日」「ヨーヨーの日」「獅子の日」「おかまの日」と、いろいろある:
4月4日 今日は何の日~毎日が記念日~

Beanjambun

← 「あんパン」 (画像は、「あんパン - Wikipedia」より)

 それぞれに謂れがあるのだろうし、意義も多少は想像が付かなくもないが、「獅子の日」なんて、どういう意味のある日なのか、見当が付かない。
「「し(4)し(4)」の語呂合せ」という理屈は分かるのだが、ライオンを愛でる日なのだろうか。
 それとも、日本にライオンが初めてやってきた日?

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2009/04/03

古井由吉の論考は難しい

 古井由吉(ふるい よしきち)著の『ロベルト・ムージル』(岩波書店)を読み始めている。
 理解しづらい。というより、読んでいて、まるで理解できない。
 こんなとき、自分ってホントに頭が悪いんだなってつくづく感じてしまう。

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→ 家の表通りに面する花壇(?)に咲くパンジー。一冬を乗り切り、相変わらず元気だ。夕日を浴びて、気持ち良さそう。夕焼け浴してるのかな? なんとかこの生命力に肖(あやかり)りたいものだ。

 同氏の思考法に、あるいは彼の表現方法に馴染めないからだろうか。
 …思えば、(意外なことに?)同氏の本は一冊も読んだことがなかった(はずである)。
 少なくとも印象には何も残っていない。
 代表作(の一つ)の「杳子」くらいは読んでみようと思いつつ、とうとう今日に至るも手にすることはなかった。

 何か同氏の文学への偏見があるのだろうか。

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2009/04/02

今日はエイプリル・フールです!

だから、今日は日記などは書かないほうがいい。

何を書いても、きっとエイプリル・フールで、どんでん返しがあるに違いないとか、眉唾で読まれるに決まっている。
(…読んでもらえるだけ、嬉しいが)

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← 4月1日、氷雨の降る寒い一日となった。夜になって一層、寒さが募る。梅の木が凍えてる。

「エイプリル・フール」は、決して、四月は雨が降るって意味でもないし、「エイプリル」をフルに使いましょうという意味じゃない。

でも、新学期が始まるし、今年度こそフールに生きて、心機一転は期したい……が、今更、無理はしない。

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綱渡り師とオースターとクレーと(後篇その2)

 相変わらず、ポール・オースター著の『空腹の技法』(柴田元幸/畔柳和代訳 新潮社)からの転記である。自分(の創作活動のため)の覚書で、興味のない人には全く、どうでもいい作業だろう。
 でも、小生にはとても刺激になった、励ましに近いものを受けたとさえ言える。
 とは言っても、メモしたくなる箇所は随所にある。もう、本稿で打ち止めにしておく。

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→ 今年度は、父が町内に幾つかあるうちの一つの班の班長になり、小生が父の代わりに町内の雑事を請け負う。今月は、資源ゴミの当番。4月1日の朝は(飲食用)缶類や不燃物の回収のため、スチールの資源小屋の開閉をした。立派な錠前が付いていて、未明に鍵を開け、お昼近くに鍵を締める。問題はゴミ回収当日の早朝に鍵を開けるか、前夜の夜半過ぎに開けるか、である。小生は丑三つ時頃に開けた。普段、その時間帯に就寝するので、どうせなら、床に就く前にと思ったのだ。…尤も、早朝に起きる自信がなかった、というのが正直なところかもしれない。

 前稿「綱渡り師とオースターとクレーと(後篇その1)」にて引用した中で、小生の手によりイタリック表記 に変えている部分がある:
では、なぜやったのか? ただひとつ、自分にできることによって世界を驚嘆させようという理由以外にはないと思う

 この記述の含まれる節は転記を略したのだが、略した文中で、欠かせない件(くだり)がある。

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2009/04/01

綱渡り師とオースターとクレーと(後篇その1)

[本稿は、「綱渡り師とオースターとクレーと」の後篇。が、長くなりすぎたので、後篇も2つに分割してアップする。]

 今日は、「今日4月1日はエイプリルフールの日。「四月馬鹿」とか時に「万愚節」とも言う」…のだが、この話題に付いては、「万愚節(ばんぐせつ)」で大よそのことを書いたので、敢えて小生如きが一石を投ずる愚はやめておく。
 それより、四月をフルに活かしたいものである。

 さて、本題へ。

綱渡り師とオースターとクレーと(後篇その1)

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← 前篇で、「小生はパウル・クレーを纏まった形で見たのは1989年に新宿の伊勢丹美術館で没後50年記念ということで開催されたパウル・クレー展が初めてでした」と書いた旧稿を載せている。この画像は、その時の展覧会会場で買った「綱渡師」のプリントをデジカメ撮影したもの。今も我が部屋の壁面に健在。

 ポール・オースターは、71年にフィリップ・プティという大道芸人を初めて見た。その時は一輪車や投げ物、手品などの芸を披露していた。
 「舗道にはチョークで輪が描かれ、その内側に見物人を一人も入らせぬよう、説得力あるパントマイムで徹底させながら、獰猛なまでの烈しさと鋭い知性をこめてパフォーマンスを行なった。それは目の離しようがない芸だった」。「ほかの大道芸人と違って、彼は人に向かって演じなかった」などといった前段が縷々記された上で:

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2009/03/31

綱渡り師とオースターとクレーと(前篇)

 小さなニュースを二つ。
 二口のガスコンロ。が、片方のスイッチが故障していて、一つのガスコンロしか使えなかった。
 それが、昨日(月曜日)、味噌汁の煮えるのを待つ間、何の気なしに壊れている(はずの)コンロのスイッチを押しおろしてみたら、なんと動く。動くだけじゃなく、ちゃんとガスに点火されるではないか。
 帰郷して間もない頃に不調になって、料理の献立も、味噌汁に限らず、煮物にしろ揚げ物にしろ、一つしか熱い(温かい)オカズを提供できなかったのが、これからは二品、出すことができる!

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→ 日の光を一杯に浴びて気持ち良さそうな姿は見ていて嬉しくなっちゃう。

 もう一つの小さなニュースは、富山で桜の開花宣言が出されたこと。
 残念ながら買物以外は外出できず、桜見物もできなかったが、気分的に軽くなったような気がする。

 桜の画像(写真)は載せられないが、代わりに我が家の庭の花の、日の光を一杯に浴びて気持ち良さそうな姿を見てもらう。

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2009/03/30

地中の鉱石だったとき

 数日前の日記「風雲急を告げるも波穏やか?」に書いたように、昨日からポール・オースター著の『空腹の技法』(柴田元幸/畔柳和代訳 新潮社)を読み始めている。

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← メルロ = ポンティは、「植物界がこの世に生まれ出た日のように」というけれど…(本稿末尾を参照)

 内容の説明によると、「カフカ、ベケット、ジャベス、マラルメ、アメリカとフランスの現代詩…エッセイでも評論でも小説でもない、あたかも書きながら、新しいジャンルが生み出されていくかのような独特な文章で綴られた文学遍歴、書くこと読むことについての真摯な技法。そしてデビュー後、その半生をめぐるインタビュー4本が伝える小説家オースター誕生の軌跡」といった本で、なかなか刺激的。

 それはいいが、ちょっとショックなことも。

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2009/03/29

歌うネアンデルタール

 スティーヴン・ミズン著の『歌うネアンデルタール』(熊谷 淳子(訳) 早川書房)を読了した。
 副題が、「音楽と言語から見るヒトの進化」で、「人間はいつから、なんのために歌い始めたのか? 人類の進化と音楽の思いもよらぬ深い繋がりを解き明かす」といった本。
 人類の歴史(進化)を辿るのに、言語がキーになるのは素人なりに分からないでもない。

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→ スティーヴン・ミズン著『歌うネアンデルタール』(熊谷 淳子(訳) 早川書房)

 人類を特徴付ける大きな要素として直立歩行とか道具の使用とか体毛とかあれこれあっても、その中に言語を遡上に載せないわけにいかない。
 が、言語の誕生の歴史(進化)を辿ろうとすると、その起源や原点がどういう発声(吼え声とか鳴き声)だったのかがどうしても気になる。

 が、言語が人間を特徴付けるとしたら、その前に、もっと人間の根底を、それこそ感情のレベルから揺さぶる文化的要素として音楽を持ち出さないのは、考えてみたら不思議なことであろう。

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