« 真冬の満月に武者震い? | トップページ | 普天間のことあれこれ »

2009/12/04

中島敦と中村晃子と

 今日は、小生の好きな作家の一人である中島敦の命日(1942年)である。
山月記』や『李陵』、『名人伝』などの作品で有名である。

1256097339091021

→ チェリッシュ『ひまわりの小径』(作詞:林春生  作曲:筒美京平) (画像は、「EP チェリッシュ ひまわりの小径 ① 送料三枚迄80円! - Yahoo!オークション」より)

山月記』の冒頭の一節などは、名調子で、記憶に刻まれている方も少なからずいるだろうと思われる:

 隴西(ろうさい)の李徴(りちょう)は博学才穎(さいえい)、天宝の末年、若くして名を虎榜(こぼう)に連ね、ついで江南尉(こうなんい)に補せられたが、性、狷介(けんかい)、自(みずか)ら恃(たの)むところ頗(すこぶ)る厚く、賤吏(せんり)に甘んずるを潔(いさぎよ)しとしなかった。いくばくもなく官を退いた後は、故山(こざん)、略(かくりゃく)に帰臥(きが)し、人と交(まじわり)を絶って、ひたすら詩作に耽(ふけ)った。

 読書家ではなかった小生、中島敦なる作家を知ったのは、現代国語の教科書に作品が載っていたからだった。
 なぜか漢文が好きな小生でもあったし、怜悧な表層の下の熱い魂を感じて、中島敦関連の文庫文を次々と読むようになった。
 


 中島敦については、「中島敦著『南洋通信』」や「中島敦の命日…遥かなる島より子恋う敦かも」などで大よそのことを書いてしまっているので、今日は彼の世界へは深入りしない。

 ちょっと話が飛ぶようだが、一昨日だったか、精米のため車で出かけた際、ラジオから、小生にとってはあまりに懐かしい曲が流れてきた。
 というより、ラジオをオンにしたら、その曲の途中だった。
 最初から聞きたいと切に願われ、惜しくてたまらなかった。

 その曲というのは、 中村晃子の『砂の十字架』(作詞:横井弘 作曲:小川寛興)である:

北の渚は 涯なく青く
波はよせても 帰らないあなた
砂をあつめて 思いをこめて
ひとり作ろう 愛の十字架

 中村晃子というと、何と言っても『虹色の湖』が最大のヒット曲だろうし、この曲で彼女を銘記されている方が多いのかもしれない。
 小生にしても、そう思っていた。
 というか、そう思い込んでいた。
 実際、学生時代(の、特に前半)などは、小生の口ずさむ曲のレパートリーの中の代表的な曲だった(他には布施明の『霧の摩周湖』などなどがあるが、稿を改めて書いてみたい)。
(中村晃子が、『S・Hは恋のイニシャル(1969年、TBS)』なるテレビドラマにも出演していたことに、今、知らされた。このドラマの主題歌も、初恋の相手に絡むエピソードに関わっている。)


B0021211_2473853

← 中村晃子『虹色の湖』(作詞:横井弘 作曲:小川寛興 編曲:森岡賢一郎) (画像は、「スワンの涙 中村晃子 「虹色の湖」」より)

 しかし、一昨日、ラジオでこの曲を聞きかじって、自分には、『虹色の湖』もだが、実は『砂の十字架』こそが一番、我が青春の曲なのではないか、と気付かされたのである。
 詳しい経緯は略すが、高校時代の初恋の相手が、(小生が振られた翌年だったか)文化祭である曲を歌った。
 その歌は、小生はずっと、
チェリッシュの『ひまわりの小径』作詞:林春生  作曲:筒美京平)だと思い込んでいた:

あなたにとっては 突然でしょう
ひまわりの咲いてる径で 出逢ったことが
私の夢は終わりででしょうか
もう一度愛の行くえを 確かめたくて
恋は風船みたい だからはなさないでね
風に吹かれ 飛んでゆくわ

 しかし、『砂の十字架』を聞いたことで、初恋の人が文化祭で歌ったのがチェリッシュの『ひまわりの小径』だったという記憶が覚束ないものに思えてきてしまった。
 ステージで歌う初恋の人も、上がっているような、何処か涙声のようなところがあり、自分にしても、勝手に自分に向けたメッセージソングだと思った(思いたかった)こともあって、サビの部分の切なさだけが印象に残ったのだった。

 初恋の経緯については、くだくだ書いても仕方ないだろう。
 ただ、小生はと言うと、自分の融通の利かない頑なさに自分でうんざりだったとだけ書いておく。
(高校を卒業し、彼女に最後に会ったときのエピソードを弱冠、織り込んだ作品に「川の流れに」がある。彼女との最大のエピソードの一つを素材にした作品に「有峰慕情」がある。初恋の相手を思い浮かべて作ったわけではないが、我輩の頑なさがテーマとなっている(?)作品「雨音はショパンの」は、自分のあまりの不器用さを髣髴とさせるだろう。)
 
 ここでやっと中島敦とつながるのだが(正確には、イメージの上での繋がりに過ぎないのだが)、小生は身の程知らずにも、しかしさすがに博学才穎(さいえい)は別にして、「性、狷介(けんかい)、自(みずか)ら恃(たの)むところ頗(すこぶ)る厚く」といった点について、勝手に作品に思い入れしていた。
 高校三年の夏、哲学を志すなんてヒロイックに熱くなっていて、彼女との最後の日も、本心を正直に表にすることもできず、形の上では小生が彼女を振ったことになってしまった。
 自分の頑なさ、狷介(けんかい)なる性の故に!
 自分は、何処まで行っても、己の性分に悩まされ苦しめられ続けるのだろう、なんて、思われてならなかった。ある種の恐怖感さえ覚えていた(今、振り返ってみると、少なくとも結果的には、相当程度に…全面的に正しかった)!

Img10032761239

→ 中村晃子『砂の十字架』(作詞:横井弘 作曲:小川寛興) (画像は、「【楽天市場】【 レコード・EP盤 】(中古) 中村晃子/砂の十字架:ディスク・オーツカ」より)

 で、彼女の居る我が郷里を離れ、仙台の地で、布施明の『霧の摩周湖』やら中村晃子の『虹色の湖』、チェリッシュの『ひまわりの小径』などなどをセンチメンタルな気分になって口ずさんでいた、というわけである。
 しかし、一昨日、ラジオで懐かしい曲を聞いて、ずっと思い込んでいたように、チェリッシュの『ひまわりの小径』ではなく、実は、初恋の彼女が文化祭で歌ったのは、中村晃子の『砂の十字架』ではなかったかと、今更ながら、疑われてきたのだった。
 まあ、中島敦文学の透徹した境ではなく、表層を上滑りした次元で、うろうろしていた小生らしい、ちょっとしたお話であった。

                               (09/12/03 作)

|

« 真冬の満月に武者震い? | トップページ | 普天間のことあれこれ »

ラジオ」カテゴリの記事

思い出話」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

音楽」カテゴリの記事

音楽エッセイ」カテゴリの記事

コメント

中島敦は良いですね。僕もたまに読み返したくなります。

それはそうと、「S・Hは恋のイニシャル」は懐かしいですねぇ。調べてみたら、1969年の放送とのこと。主題歌や、ハンカチの刺繍が大写しになるシーン、それに布施明の初初しい髪型を想い出します。

投稿: 石清水ゲイリー | 2009/12/04 10:02

石清水ゲイリーさん

中島敦の作品は好きです。
南洋通信では、子煩悩な一面も知れて、人間味も豊かですね。


「S・Hは恋のイニシャル」が懐かしい!
同好の士、ですな。

「S・H」は、どういう意味かで、当時、彼女とお話。
彼女に聞かれて、答えをあげる前に振られましたっけ。

答え、遅ればせながら、今、書いておくと、「シークレット ハート」です…って、今更、だね!

投稿: やいっち | 2009/12/04 21:10

「S・Hは恋のイニシャル」という曲、知りませんでしたぁ。
中村晃子で知ってるのは「虹色の湖」だけです。
「虹色の湖」は大好きで、今でも2番までソラで歌えます。

この頃流行ってていつも歌ってた歌は歌詞を見なくても歌えるからいいですよね。
雨が降れば「雨のバラード」(湯原昌幸)、
バスを待ってる時は「バスストップ」(平浩二←佐世保出身です^^)
虹を見つけたら「虹の向こうに」(天地真理)
夜、車窓から街灯りが見えたら「街の灯り」(堺正章)
駅で大きな時計が目に入れば「逃避行」(麻生ようこ)
夜、飛行機が飛んでるのを見つけたら「夜間飛行」(ちあきなおみ)などなど…
気づいたら歌ってたりします。

すみません、つい調子に乗ってダラダラ並べちゃいましたが、
昔の歌の歌詞はすっごい短いから覚えやすくもあったんでしょうねぇ。

S.Hは‘シークレット・ハート’ですか、
何でもないこともアルファベットにすると
「何か深い意味がかくされてるんじゃないか」と気になりますが、
今は‘卵かけご飯’を‘TKG’なんて言うご時勢ですからネ。
「朝はやっぱりTKG!」「みんな大好きTKG!」「日本人ならTKG!」/
普通に言いましょうよね、日本人なら。

やいっちさんは、タクシーではAM、FMどちらをよく聴いていましたか?

投稿: ひらりんこ | 2009/12/15 22:54

ひらりんこさん

「S・Hは恋のイニシャル」という曲は、上のコメントにあるように、布施明さんの曲(歌)で、同タイトルのテレビドラマの主題歌でした(ヒットはしなかったようで、知らない人のほうが多いでしょう)。

ひらりんこさん!
挙げてくれた歌、どれも好きです。定番ですね。
昔の歌は、歌詞がよくて曲もいいので、今も愛唱歌になってます。

そういえば、ちあきなおみさんの「夜間飛行」もいい曲でしたね。
というか、ちあきなおみさんは不世出の歌手だったと思います。
最近はどうしているのかな…。


>やいっちさんは、タクシーではAM、FMどちらをよく聴いていましたか?

時間帯で、番組内容で切り替えていました。
民放は特に夜になると若者向きになり、架かる曲もロートル世代には無縁なものが多かったので、夜はFM、AMを問わず、NHKを選局したかな。
ただ、J-WAVEは好きでしたね。

投稿: やいっち | 2009/12/16 21:09

ああっ、布施明さんの歌!
読み間違えていました(^_^;)
布施明さんも中村晃子さんも好きだったのに、
彼の歌も彼女がドラマに出演していたことも知りませんでした。

ちあきなおみさんと言えば、針すなおさんの描いてた似顔絵を思い出しますが、
美空ひばりさんは、演歌も歌謡曲もジャズも歌いこなす彼女のことを
とても気にしていたそうですネ。
ちあきさんの姿や歌声をTVで見聞きできないのは寂しいですが、
ご主人を亡くした時にあいた心の空洞があまりにも大き過ぎたのかも知れません。

TVで時々『あの人は今!』みたいな番組をやっていますが、
横森良造さんは今でもアコ-ディオンを弾いているのか、
「耳をすましてごらん」の本田路津子さんは相変わらず透明感のある声をしているのか、
ベッツィ&クリスは今でも『白い色は恋人の色』や『チェルシー』のCMの曲を歌えるのか、
気になる人はいろいろいます。

J-WAVE~~~(?_?)
何かなーと思ったら、東京のFM局なんですね。
NHK-FMほど堅苦しくなく、民放ほどくだけてない、ちょうどいい感じなんでしょうね。
東京だと名古屋や横浜、大阪や広島などから来た人も多く、
ナイター中継を聞きたがったりもするのでしょうネ^^。

もう終わった番組ですが、私は「吉田照美のヤル気MANMAN」が好きで
特に小俣雅子さんの「うーん、オマタ、まーたまた一つ賢くなっちゃったぁ」の
やる気大学がお気に入りでした。
おもしろくてふざけた感じの印象しかないですが、
この番組で‘消えかけていた命(気持ち)を救われた’と言う盲目のイラストレーターもいます。
http://www.emunamae.com/emu_kando/mainichi/36yaruman.htm
照美さんも雅子さんもマシンガントークは全然衰えていませんからね、
また二人の掛け合いを聴いてみたいです。

投稿: ひらりんこ | 2009/12/20 20:01

ひらりんこさん

偶然なのでしょうが、一昨日だったか、明け方、NHKラジオ第一で布施明特集がありました。
久々、彼の歌を堪能。
…でも、やはり「S・Hは恋のイニシャル」という曲は架かりませんでしたが。
ま、この40年で、ラジオで聴いたのは一度あるかどうかだから、当然なのでしょうね。


「吉田照美のヤル気MANMAN」は、一時期、結構、聞いていました。
小俣雅子さんの「うーん、オマタ、まーたまた一つ賢くなっちゃったぁ」は、懐かしい。

小島慶子さんのTBSラジオ番組『BATTLE TALK RADIO アクセス』の初代ナビゲーターだった頃は、この番組のファンだった(彼女のファンだから聞いていたのか)。

>この番組で‘消えかけていた命(気持ち)を救われた’と言う盲目のイラストレーターもいます。

感動的な話でしたね。

読書好きな小生ですが、度し難い淋しさの募る日は、空っぽな部屋をラジオなどの音で満たしてやり過ごしていたものです。

若い頃などは、ずっと一人暮らしのどうにも寂しい夜は、ラジオがないと乗り切れなかったような。
入院生活の長い夜も。

ラジオ番組が終わると、頼りにするものがなくなって困ったものでした。

今も、特にNHKラジオの深夜番組では、一人暮らしのお年寄りが便りを寄越して、ああ、そんな孤独を抱えている人が世の中に随分といるんだなって実感させられてます。

投稿: やいっち | 2009/12/21 20:55

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/52847/46927841

この記事へのトラックバック一覧です: 中島敦と中村晃子と:

« 真冬の満月に武者震い? | トップページ | 普天間のことあれこれ »