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2009/12/14

老いた白猫を思いつつ、読書など

 読書する時間がなくて辛い。
 音楽もだが、日に3回か4回ある仮眠の際に、睡眠導入剤代わりに見聞きしている。
 慌しい中を縫って、やっと仮眠が取れると、安堵しつつベッドへ。
 やっと音楽だ、やっと本だ…。

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← 冬の北陸には貴重な青空。今週には雪の便りも。


 が、同じCDの冒頭付近を聞く暇もなく寝入ってしまっていて、ふと目覚めると終了のサインがCDプレーヤーなどの液晶画面に空しく表示されている。
 本も、十頁も読み進めないうちに、頭がトロンとしてきて、読解するのが面倒になり、いつしか、老眼鏡を掛けたまま、毛布を被って寝入ってしまっている。

 それでも、二週間を要してだが、ジョージ・G・スピーロ/著『ケプラー予想  四百年の難問が解けるまで』(青木薫/訳 新潮社)を読了した。
 実に面白かった。

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→ 近所の白猫。東京在住時代の我が守り神(?)だった、今は亡き白猫殿を思い出す


 数学界では、近年、フェルマー予想(最終定理)を含め、大きな話題があった。

 このケプラー予想も、いろいろな意味で話題になった。

 四百年の難問がついに解かれたという意味で…よりも、コンピューターを使った力技の解決ということで、従前のスマートな解き方を良しとする向きには、随分と不評でもあった。

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← 今週には雪が降るという予報も。でも、雪吊りも雪囲いもしていない。もう、なるようになれ、だ。


 かの「イギリスの数学者イアン・スチュアートは、「ワイルズによるフェルマー予想の証明がトルストイの『戦争と平和』なら、ヘールズによるケプラー予想の証明は電話帳のようなもの」だと喩えていたとか。

 まずは、ケプラー予想とはどんなものかから説明しておくべきだろう(関心のある方には常識に属するのだろうが)。

[続きは、「スピーロ著『ケプラー予想  四百年の難問が解けるまで』を読む」にて]

                              (09/12/13 作)

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