我がヌードは見せられません!
今日、三日ぶりに銭湯へ。
日曜日なので、幾分、週日より混むかと思ったが、ガラガラだった。
やはり、冷たい雨が降っているからなのか。
あと、二三度、気温が低ければ雪になっていたような、寒い寒い日曜日。
こんな日に自転車を駆り、傘を差して銭湯へ行くのも、普通なら躊躇われるところだが、空いている時間があったら、多少、無理をしてでも出かけないと、風呂にも入れない。
仮眠を取るか銭湯か、で悩むなんてちょっと惨め?
週日の日中、早い時間帯だと、お年寄りの方の姿が目立つ。
昼間の銭湯では、小生など、若い部類になる。
現役バリバリの者が、昼日中から銭湯とは、何者か、という視線を感じてしまう。
夜中はバイトだし、日中は介護だけど、午後、多少は自由になる時間が生まれなくもない。
但し、大概は、町内会の雑用(多くは集金やらゴミ当番やら)とか落葉掃除、掃除・洗濯・買物などなどに費やすことになる。
昨日など、突然、父がお寺さんが来るから、仏壇のお供えやら果物などを買い揃えないといけない、なんて言い出し、父を連れて車で外出。
大騒ぎした挙句、父は、お寺さんが来る日を勘違いしていて、空振りに終わった。
御陰で、午前中は我輩の貴重な仮眠の時なのに、潰れてしまった。
銭湯へも夜中のガテン系の仕事をやっているから(昨夜だって、雨の中の仕事だった。なのに、雨具の重ね着の下は、動き回っているので汗が滲んでいる)、毎日でもシャワーか風呂に入りたいが、そんな時間がなかなか取れないのである。
風呂に入るくらいだったら、日頃の寝不足を少しでも解消すべく、仮眠を取ったほうが体にいいはず、と思ってしまう(そもそも睡眠障害があることは今更、改めて書かない)。
さて、銭湯では体重を測ることを忘れない。
今日、測ったら、68キロを切っていた。
つまり、ギリギリだが67キロ台に突入していた、ということ。
午後の三時過ぎなので、瞬間値に過ぎないかもしれないが、曲がりなりにもであっても、67キロを記録するなんて、恐らく94年(か97年も、かもしれない)以来のこと。
ちょっと嬉しくて、お風呂から上がったら、鏡に我が体を映してみるだけじゃなく、脱衣場には誰もいなかったこともあり、つい、持参のデジカメで我がヌードを撮ってみた。
気分はTokyo Nudeする篠山紀信?
まあ、自分がモデルでは、脱力系で、撮れた写真は自分でも見られたものじゃない。
我が体重。その変遷の歴史を少し、メモっておく。
高校三年の体重測定(身体検査)の時、身長が171センチで体重が62キロだったのを覚えている。
学生時代は、それほど体重を測る機会があったとは思えないが、風呂というと、銭湯通いだったので、コーヒー牛乳を腰に手をやって一気飲みするのと、体重を測るのは、お約束。
で、結論から言うと、サラリーマン時代の一時期を除いて、35歳になった頃までは、ほぼ一貫して62キロだった。
ちょっとお腹が出て来たなと感じて(当時は部屋にバスルームがあったのに)わざわざ銭湯へ行って測ってみたら、63キロで、慌ててジョギングを始めたりした。
その体重が激変したのは、35歳の途中から。
同じ会社でのサラリーマンだったが、倉庫での現場仕事だったのが、急に事務所での書類仕事になり、且つ、自分には適任とは思えないのに、課長職となり、形の上では部下もできて、毎日、一人で残業し(部下や同僚を使いこなせない人間だったのである)、友人の仕事をボランティアで手伝っていたこともあり、日々、睡眠時間が3時間を切るという惨状で、気がつくと、あっという間に体重は60キロ台の後半へ。
毎年、計ったように2キロから3キロずつ体重が増える現実に見舞われた。
何処までも太っていくばかりで、止め処がないという恐怖。
40歳になる頃には、あっさり70キロを超えていた。
穿いていたズボンもドンドン、押入れ行き。
次々と買い換えるしかない。ベルトも穴を一つ、また一つと空けていったが、それでも対応できず、近所の店では売っていないような、長めのベルトを探す始末。
幸か不幸か、94年の3月に会社を首になり(二度の入院が災いしたらしい)、心機一転のつもりで、四月から規則正しい生活。
毎日、十枚の執筆。朝・昼・晩の食事。午後には区営のプールへ。
(この年のプール通いで生まれて初めて泳げるようになったことは、以前、書いた。)
御陰で、体重は67キロまで戻って、以前のベルトが使えるようになった。
精神的な不調も癒され、体調もまずまずとなって、翌95年にはタクシードライバーに。
が、これが凄まじかった。
とにかく、忙しい。
しかも、その繁忙の数年、友人の仕事の手伝いをやっていて、休みの日も(無償で)働く羽目に。
また、体重の増加現象が始まって、今度は70キロなんて、はるか下方で、ほんの数年で一気に80キロ台へ!
それでも、体重の増加に歯止めが掛からないのだった。
自分で自分の体が怖くなった。
当然、病院通い。
黄疸で死に損なったことも。
それも、97年後半からの(タクシー業界の)不況で、仕事が暇になって、友人とも疎遠になり、仕事の休みの日は、休みらしい休みを取れるようになった。
といっても、ただ食っちゃ寝を繰り返すだけで、健康的とは到底、言いかねるものだったが。
その代わり、体重は82キロ前後を数年、キープするようになって、08年の2月末に帰郷するまで、その辺りの体重に変化はあまりなかった。
体重や体調に危機感を抱き、タクシードライバー時代の最後の数年、バイクライフを止めて、自転車通勤へ切り替えるなど、悪足掻きをしたから、体重も83キロほどでなんとか留まったのだろうと思う(← 推測)。
激変がまた始まっていたことに気付いたのは、08年の夏前だった。
当時は、体重計は家にはなかったので、自分では気付かなかったのだが、08年の4月、知人の結婚式があり、礼服を新調した際、ウエストサイズが一回り小さくなっていることを店の係員に指摘された。
「痩せられたんではないですか」だって(← おべんちゃら)。
しかし、体重の激減を知ったのは、7月だった。
帰郷して初めて銭湯へ。
風呂に入ることも目的だけど、それ以上に体重を測るのが真の狙いだったような気がする。
体重計に乗る。
一瞬、我が目を疑った。
なんと、体重が70キロそこそこ!
帰郷して4ヶ月余り、五ヶ月にもならないうちに、体重が十キロ以上も減っていたのだ。
体重激減の理由は分からない。
父母の世話で、食事時間や起床時間も一定になり、といった規則正しい生活もあろうが、3月から携わった運転代行業が小生の肌にまるで合わなかった。
神経が磨り減る思いの日々だった。家でも磨り減り、仕事で磨り減り、で、一気に十キロも減ったのだと思う。
(少なくとも今の所、病気のせいではなかったようだ。)
実際、今年09年の前半は運転代行の仕事を離れたのだが、案の定、体重が増加傾向を示し、夏前の一時期、少なくとも74キロを超えたのは分かっている。
その体重も、八月からの新聞配達業で、また徐々に減りだし、今や瞬間風速ではあろうが、68キロを切るところに来た、というわけである。
略すと、62キロ(高校三年以降35歳なりたてまで) → 70数キロ → 67キロ → 81から83キロ(これが十年前後) → 70キロ → 74キロ → 68キロ(現段階) となる。
体重だけでも、なかなかドラマチックな人生を物語っている ? !
まだまだドラマは続くのだろうか?
(09/12/06 作)
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