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2009/12/31

矢でも雪でも持って来い!

 道端には過日の寒波で降り積もった雪の名残りの山が方々に残っている。
 道を空けるため、どかされ避けられた雪が堆積した山である。
 その表面は、ススなのか埃なのか、薄汚れていて、雪とは呼びたくない、無残なだけの冷たい塊である。

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→ 裏庭に育つミカンの木。積もっていた雪がかなり溶けたので、ようやく近づくことが出来た。多くを鳥たちに啄ばまれてしまって、収穫は僅かに籠一つ分だけ。まあ、枝付きのミカンの実を玄関に飾れるだけでも良しとしよう(但し、正月にはちゃんと食べる。奥のチューリップは、母への見舞いに近所の方にもらったもの)

 一旦、こういった雪の山(塊)ができてしまうと、ただただ厄介である。なかなか溶けない。
 表面は、上記したように、僅かながらも黒っぽいのだから、日中、束の間の晴れ間に少しは溶けそうなのだが、気温の低さもあるのだろうか、頑固なまでに形を死守する。

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2009/12/30

走れないメロス

 今日はちょっとだけ感傷的な、少し虚構も交えたモノローグを書きおろしてみる。
 小生の作品の中では、妄想エッセイのジャンルに当たるかもしれない。

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← 真暗な中、街灯が並ぶ道に出ると、ホッとする。多くは、僅かに軒明かりだけが頼りだったりするから。ちょっとだけ、「窓辺の影」など、覗いてみる?

 闇の中を夜毎、這い回っている。
 日によっては同業の者と擦れ違うことも間々あるのだが、逆に全くといっていいほど、人の影と遭遇しないこともある。
 そんな夜は、不思議なもので、ネコの姿さえ、滅多に見かけない。
 まさに孤独な所業である。

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2009/12/29

南天の実も微笑ます日差しかな

 過日、自転車で銭湯へ向かっていたら、お巡りさんに職質された。
 というか、直前の踏み切りを止まらずに通過したので、「おいおい」というわけで、停止を求められたわけである。
 
 うむ! この巡査には悪い予感が。
 なんたって、<前科>がある。

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→ 寒そう。束の間の日差しを浴びても凍えそうな南天。まだまだ冬は本番がこれから。

 南天の実も微笑ます日差しかな

 数ヶ月前、雨降りの日、ビニール傘を差して自転車を駆っていた。
 目的地は生憎、道路を挟んで反対側だが、交番の前を通過するしかない。
 交番の前に立っていた巡査は、我輩を見咎めて、道路越しに、「こら、傘、差して自転車、運転したら、ダメだろう」と、今にも掴まえそうな勢いで言う。

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2009/12/28

自分の居場所

 自分の居場所を考える。
 求める、と書きたいのだけど、現実には求めようもありえなさそうなので、とにかく今は考えるだけ。
 …考える余裕すらないけど、でも、無理にも考えないと自分が溺れ死んじゃいそうなのだ。

 なんて、ちょっと大袈裟?

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← 「マタ・ハリ」 「ベリーダンサーさんサイト情報(続篇)」をアップしました。 (画像は、「マタ・ハリ - Wikipedia」より) 

 まあ、日記だし、呟きに過ぎないのだから、少々の仰々しさも大目に見てもらえるだろう。
 寒い部屋の連なり。
 奥の離れには父母の部屋。
 二人のヒソヒソ話やら咳(つわぶ)く声、息子への愚痴と非難、溜息。
 そして多くは沈黙と闇が襖の向こうに充満している。
 不器用な自分だから、何をやっても寸足らずというか、中途半端に終わってしまう。

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2009/12/27

ちっぽけな胡蝶の夢

 H・P・ラヴクラフト著の『文学における超自然の恐怖』(大瀧 啓裕【訳】 学習研究社)を読んだ。

 怪奇なる世界が、超自然現象などありえるのかどうか。
 せめて、人間の想像力で表現できるのか。

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→ H・P・ラヴクラフト著『文学における超自然の恐怖』(原書名:Supernatural Horror in Literature 大瀧 啓裕【訳】 学習研究社 (2009/09/18 出版))

 …でも、その前に、人の心だって、際限がないと感じる。
 畏怖すべき宇宙。

 以下は、数年前に書いた胡蝶の夢と呼ぶにはちょっと僭越な、ある心の状態のモノクロ印画紙的モノローグ。
 心の貧しさと、貧しさの豊饒さと。

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2009/12/26

過去記事一覧

壺中庵記事一覧(目次)」!
(但し、08年以降分。「過去記事一覧」の更新版)

ツイッター(Twitter) 」、始めました。
 アカウントは「yaicchi」です。
 ここで検索してね。

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次の寒波が来る前に根雪よ溶けて!

 H・P・ラヴクラフト著の『文学における超自然の恐怖』(大瀧 啓裕【訳】 学習研究社 (2009/09/18 出版))を読んでいる。
 間もなく読了できると思うが、期待していただけに、ちょっとガッカリの本。

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← 今日は、ほぼ終日、晴れ。車で、自転車で外出三昧の一日。内庭も木の根元の土が見えてきた。次の寒波が来る前に、根雪は溶け去ってくれるのだろうか。

 本の謳い文句には、「人類の最も古く最も強烈な感情は恐怖である!怪奇幻想文学の系譜を解析した代表的論考」とあるし、「「宇宙的恐怖(コズミック・ホラー)」などと呼ばれるSF的なホラー小説で有名」な作家とあって、それなりの論考なのだろうと期待して読んだのだが、論考もだが、本人の創作も、文章の緊密度が低いように感じられて、読むのが苦痛だったりした。

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2009/12/25

年末は師ならずとも駆け巡る

 今日は、用事が重なって、仮眠が取れず、夕方になってようやく一時間ほど、仮眠。訪問看護の看護師さん、介護する小生の体のことを気遣ってくれた(小生の体を気遣ってくれるのは、さすが看護師さんだけ)。

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→ 所用があって、外出。ちょっと待ち時間があったので、どうせならと久しぶりに親水公園へ。駐車場から広い公園を眺めるだけだったけど、まあ、少しは眼福になった…と思いたい。

 昨年は10キロ以上、今年も6キロ以上、痩せた(途中、リバウンドが4キロ)。とにかく体重の増減が凄い。
 まあ、標準体重まであと3キロほど、余裕がある…はず!

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2009/12/24

雪解けや日の光とて窓辺まで

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← 裏庭に続くツツジの植え込みの奥にひっそりと育っているミカンの木。積雪や屋根からの雪で姿が見えなかったのが、昨日からの雪解けで、ようやく姿を現してきた。久しぶりに我が家のミカンを食べられるかも。

 ツイッター(Twitter)なるものを使いこなせるかどうか、小生が使う意味があるかどうか分からないけど、好奇心でとりあえず登録してみた。
 さて。

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2009/12/23

ツイッター(Twitter)、使っている人、いる?

 ツイッター(Twitter)、使っている人、いる? 

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積雪の富山点景

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→ 庭先の電線に小鳥が止まっていた。餌、見つかるの?

 久世光彦・著の『ベスト・オブ・マイ・ラスト・ソング』(文春文庫)を読んだ。
 読んだ、というより、口ずさんだ、と言ったほうがいいかもしれない。

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2009/12/22

祈りの果てにあるものは…

 殺伐たる、ガラーンとした、骸でさえもない心を持て余している。

 孤立。
 何故か、脈絡もなく、「万葉集」では「恋」を「孤悲」と表記していたことを思い出してみたり。

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← 昨日までは山もだが平野部にもしっかり降って、まさに里雪の状態だった。雪掻きを日に4度も。でも、本格的に降ったら、それだけでは済まない。

 ふと、何年か前に書いた悲鳴にも似た祈りのエッセイを書いた時の思いが脳裏に浮かんできた。

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2009/12/21

久々に本格派の生物の本を読んだ

 高校時代、生物の授業で、細胞(など)について勉強した。
 何処まで理解したかはちょっとあやしいものだが、ただ肉眼では見極められない微細な世界で生きる細胞という存在、生き物への畏敬の念だけは抱かされた。

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→ 真核生物の構造。 (画像は、「ミトコンドリア - Wikipedia」より)

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2009/12/20

「スキー靴の思い出」は何処へ?

 今日は、ピアニスト・アルトゥール・ルービンシュタインの命日だという。
 なので、ルービンシュタインを巡って弱冠のメモを綴ろうと思ったが、昨日今日と続いた雪掻きに体は芯から疲れていて、何も書く気になれない。
 まあ、ちょっとしたエピソード話は昨年、書いたので、今日はやめておく。

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→ これは茶の間から窓越しに裏庭を眺め撮った昨日(18日)の光景。今日はこの上さらに雪がどっさり降った。もうこちら側は雪掻きを放棄。


 それより、雪掻きで大変だ、という悲鳴めいた日記を昨日、書いたら、ある人から私はスキーが出来るので(申し訳なくも)とても嬉しい、なんてコメントを戴いた

 なるほど、それもまた、実感だし、正直な話だろう。
 実際、今日夕方のテレビでスキー場のオープンの日にまとまった雪が降って、タイミングを合わせてくれたようで、大変、嬉しい、助かる、なんて話題も見聞きした。
 雪掻きにうんざりしている小生には、ちょっと小憎らしく妬ましいが、羨ましくもある。

 しかーし、スキーへ行った思い出が自分にだってないわけじゃない。

 まずは、それこそただの平地(田畑)でのスキーと呼ぶのも気恥ずかしい、ガキの頃の思い出話:
真冬の明け初めの小さな旅

 しかし、スキー場でのスキーを巡っての思い出話となると、何と言っても「スキー靴の思い出」だ。
 なんたって、小生が初めて本格的なスキー場(越後湯沢か塩尻・石打だったか忘れた)でスキーに挑戦したドキュメントタッチの話なのだ。
 が、悲しいかな、続篇(の一部)が見つかったが、前篇が見当たらない。
 しかも、続篇にしても、中途半端で終わっている。続篇の続篇というか完結篇が見つからないのだ。
 あるいは、書かないままに放置してしまったのか。

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2009/12/19

雪掻きの一日

 今日は、雪掻きの一日になった。
 朝、父母がデイサービスにお世話になる、その迎えの車や人たちのため、庭の雪掻き。
 汗ビッショリ。

 午後、夕食などの材料を買うため、車で外出。
 午前中は、そこそこの雪だったのが、午後にはさらに激しい雪に。
 車も雪に埋もれている。
 車の上の雪も含めて雪掻き。 
 吹雪くような降雪と積雪の中、買物を終え、やれやれと思う間もなく、父母らの帰宅の時間が近づいている。

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← 午後3時過ぎ、雪掻きを終えての光景。

 午後の3時から一時間弱、雪掻き。
 それまでの雪掻きなど、雪の中にあっさり埋もれて見えない。
 また、汗ビッショリ。
 母を出迎え、父を迎え、二人にコーヒーを出してもてなす。

 夕方、食事の世話や片付けが済んでから、テレビで束の間の休憩と行きたかったが、夜にはヘルパーさんが来てくれるので、車が止められるよう、庭の雪掻き。
 そう、3時から4時までの雪掻きの甲斐もなく、既に庭の車止めスペースは雪に埋もれているのだ。
 またまた意地になって雪掻き。
 汗ビッショリ。
 今季初の本気の雪掻きで、鈍った体はもうヘトヘト。
 これでも、木々や屋根に降り積もった雪の雪下ろし作業は省いている。
 松も杉も何もかもが雪にうなだれている。
 無論、小生が一番、うなだれている。
 情けないけど、疲れきって何もできないし書けない。

 昨日も紹介したけど、ふと、昔、帰省して雪の正月を迎え、雪掻きしつつあれこれ思ったことを綴った小文を思い出したので、それを再掲しておく。
 ちょっとした感懐、感傷。

                          (以上、09/12/18 作)

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2009/12/18

浜辺に打ち上げられた<わたし>

 今日は、小生の一番好きな画家パウル・クレーの誕生日(1879年-1940年)だという。
 彼についてはブログを含め、何度か触れたので、ここでは略す。
 旧稿を久しぶりに読み返して、改めてパウル・クレーの世界の豊かさを感じさせてもらった:
クレーさん創造の神の贈り物
綱渡り師とオースターとクレーと(前篇)

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→ 富山の市街地でも例年よりは遅めだが、初冠雪となった。真夜中、真っ白な世界へ。積雪が数センチなので、真っ黒な足あとが点々と。雪が降り頻っていて、そんな中での配達の仕事は大変だった。子供の頃、雪の降るのが、積もるのがやたらと嬉しかったのが、信じられない思いである。そう、「雪は美しい。遠くで眺めている限りは」! 日中は、目まぐるしく移り変わる天気。それでも束の間の晴れ間も。小鳥は我が家の風呂場の煙突に止まって何思う?

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2009/12/17

「クリスマス小風景」をアップ

 目の前をどちらかといえば地味な若い女性が横断歩道を足早に渡っていったのだった。その人を一瞬見て、ふと悲しいような、いじらしいような光景が想像されてしまったのである。
 このやや感傷的な、あやうく妄想に陥りそうな小文を書いたのは、八年前の12月23日。
 その二年後、ホームページに収録している

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← 東京在住時代、近所で見かけた光景。サンタさんも大変だね。

 今年もはや師走半ば。来週にはクリスマスを迎えようとしている。クリスチャンでもない多くの日本人なのだが、もうすっかり馴染みとなったクリスマス。
 イルミネーションの目立ち始めた師走の町角。
 賑やかでいいけれど、ただ、光があれば翳もある…とは思うのである。

 今回、ブログにアップしたエッセイは、東京在住時代、ある場所で信号待ちをしていた時に見かけた光景を元に書いたもの:
クリスマス小風景

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2009/12/16

中国大使館のある麻布界隈を走り回ったっけ

 皇居や中国大使館界隈などが厳戒態勢だという。

 まあ、その理由は、天皇陛下と中国の習近平国家副主席との会見が行われたが、その設定に当たっての民主党政権の対応に、「皇室の政治利用」ではないかと、一部のものが騒いでいるからのようだ:
皇居周辺、中国大使館など都心厳戒 - 速報:@niftyニュース

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→ 東京の…、日本の…シンボル、「東京タワー」 「東京タワー…沸騰都市東京のシンボル(前篇)」参照。

 まあ、ここでは、政治利用に当たるのかどうかといった論議には立ち入らない。

 ただ、上掲の記事に載る「日中両国の国旗がはためく中、警備が強化された外務省前」といった写真を見て、東京在住時代、しばしばそんな光景に際会したことなどが思い出されたのである。

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2009/12/15

数学と彫刻とを自在に越境する芸術家

 三次元空間までなら、初歩的なものなら、小生でも脳裏に思い浮かべられるし、拙いながらも描くことだってできなくもない。
 しかし、四次元などもっと高等な次元となると、手も足も出ない。
 ところが、世の中には、数学の最高の概念を理解できるだけじゃなく、それを形に表現できる才能の持主がいる!

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← Helaman Ferguson「Figureight Knot Complement」 (画像は、「helaman ferguson sculpture」より。以下、同様)

 問いが立てられてから解決まで四百年を要した、ケプラー予想が1998年、ミシガン大学の数学者トマス・ヘールズによって、コンピューターを大々的に利用する方法でだが、証明が成し遂げられた。

 そのトマス・ヘールズの偉業を助けた数学者にサミュエル・リーハイ・ファーガソンなる人物が居る。
 その人物も優れた方なのだが、ここでは、彼の父親であるヒラマン・P・ファーガソンを紹介する
 彼こそが、本稿での主人公である


ヒラマン・P・ファーガソン 数学を彫刻するへ!

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2009/12/14

老いた白猫を思いつつ、読書など

 読書する時間がなくて辛い。
 音楽もだが、日に3回か4回ある仮眠の際に、睡眠導入剤代わりに見聞きしている。
 慌しい中を縫って、やっと仮眠が取れると、安堵しつつベッドへ。
 やっと音楽だ、やっと本だ…。

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← 冬の北陸には貴重な青空。今週には雪の便りも。


 が、同じCDの冒頭付近を聞く暇もなく寝入ってしまっていて、ふと目覚めると終了のサインがCDプレーヤーなどの液晶画面に空しく表示されている。
 本も、十頁も読み進めないうちに、頭がトロンとしてきて、読解するのが面倒になり、いつしか、老眼鏡を掛けたまま、毛布を被って寝入ってしまっている。

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2009/12/13

ススキの穂のような

 今日は、声優(ナレーター)で、ラジオの深夜番組「JET STREAM(ジェットストリーム)」でのナレーションで有名な城達也さんの誕生日(1931年生まれ、1995年2月25日歿)だという。

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→ 富山ライトレール会社の愛称「ポートラム」と接近遭遇。人気の路線で、延伸計画も決まっている。

 城達也さんについては、特にブログで採り上げたことがないけど、ただ、フライトアテンダントである彼の名調子で有名なナレーションだけは、さすがに、(コメント欄にてだが)転記させてもらったことがある。
 学生時代など、夜更かしが当たり前で、随分とお世話になったものだ。

 たまには違う朗読も、と思ったりもするが、でも、下手に内容を変えたら、ファンが逃げていくのかもしれない。
 今も、朗読する方は変わりつつも、変わらない内容でナレーションは沈黙の海に流れている。

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← 相談事があって、知り合いの店へ。中に入ろうとしたら、近くの空き地にススキが。地味な植物だけど、妙に気になる存在。ススキの穂のような我が人生? ススキについては、拙稿に「すすきの穂にホッ」などがある。

 JALさんがスポンサー。まあ、JALさんのことは小生如きが触れるのは野暮だろう。
 海外旅行が夢だった時代の、ロマチックな音楽と語り。

 せっかくなので、朗読文を紹介させてもらう:

遠い地平線が消えて、深々とした夜の闇に心を休めるとき、
遥か雲海の上を音も無く流れ去る気流は、
たゆみない宇宙の営みを告げています。
満天の星をいただく果てしない光の海を
豊かに流れゆく風に心を開けば、
きらめく星座の物語も聞こえてくる、
夜のしじまの何と饒舌なことでしょうか。
光と影の境に消えていった遥かな地平線も瞼に浮かんで参ります…
夜間飛行の、ジェット機の翼に点滅するランプも
遠ざかるにつれて次第に星の瞬きと
区別がつかなくなって参りました。
お送りしておりますこの音楽が、
美しく貴方の夢に溶け込んでゆきますように…

 数年前、「夜間飛行を堪能する」なる記事を書いた際、かの有名な小説(家)のことは勿論だが、同時に城達也さんのナレーションを思い浮かべつつだったものである。

 城達也さんのナレーションや我がタクシードライバー時代のことがちょっと懐かしくなったりしたので、読み返す意味合いもあって、一部抜粋しておきたい。
                          (以上、09/12/12 記)

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2009/12/12

田河水泡「のらくろ」をめぐって

 今日は、「レイモン・ラディゲ」の忌日である。
 彼については既に採り上げたことがあるので、今日は同じく今日が誕生日の、違う人物を扱いたい。

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→ 「田河水泡・のらくろ館

 実は、同じ小文で採り上げているのだが、その人物とは田河水泡である。
 彼の代表作である『のらくろ』に夢中になった、というわけではないのだが(世代が違いすぎる)、いろいろ思い出深いので、触れておきたいのである。

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2009/12/11

「斎藤真一」へ!

 もう、5年と半年余り前、「古川通泰のこと」なる記事を書いたことがある(昨年、「「古川通泰のこと」再掲」としてブログにアップした)。
 この小文に関連して、ほぼ同じ頃、「斎藤真一のこと」と題した一文をも書いた。

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← 斎藤真一「紅い陽の山脈」(油彩) (画像は、「斎藤真一(斉藤真一) 作品一覧 | 銀座画廊おいだ美術 絵画販売・絵画買取」より)

 その冒頭に、「古川通泰の油彩を見て、ある画家の絵をふと思い浮かべたのだが、すぐには名前を思い出せなかった。昨日一日、仕事をしながら、誰だったろうと、折に触れて脳裏を巡らしていた。やっと分かった。そうだ、斎藤真一だ(以下、略)」と書いている。


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2009/12/10

マルケス著『生きて、語り伝える』を読んだ

 G・ガルシア=マルケス/著『生きて、語り伝える』(旦敬介/訳 新潮社)を読んだ。

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→ 昨日は、日中は穏やかな日よりだった。けれど、朝は最低気温が1度。とうとう市内で氷が張ったという情報も。そんな中、バイクで仕事して、冷たい風が喉を直撃し、とうとう風邪を引いてしまった。気を張って、堪えてきたのだけどね。

 ガルシア=マルケスでこれまで読んだものというと、G・ガルシア=マルケス著『百年の孤独』(鼓 直訳、新潮社)と『わが悲しき娼婦たちの思い出』(木村榮一訳、新潮社)との二冊だけ。
 但し、『百年の孤独』は二度も読んだ。

 一度目は随分と以前に若さに任せて読み倒したもの。
 が、密林の深みに迷い込んでしまって味読も何も、ただ中央突破したという印象しか残っていない。 
 それこそ、メルヴィルの『白鯨』ムージルの『特性のない男』など、力任せに読んで、ただ、読了したという征服感もどきだけしか読後感にないような本は何冊もある。

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2009/12/09

今日の漱石忌に思う

 今日九日は、漱石忌慶応3年1月5日(1867年2月9日) - 大正5年(1916年)12月9日))だという。
 高校時代から大学にかけては、ご他聞に漏れず(?)太宰文学にいかれていたが(あまりの耽溺に未だに改めて読み返す気になれない…というより、気力が湧かない…あるいは、ホントはのめりこむのが怖い?)、やや遅れて、学生時代から漱石文学に親しむようになっていった。

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← 知り合いが家に居てくれたので、ママチャリを駆って、ちょっと外出。いつもの川の土手を眺めおろす。

 島崎藤村作品を読み漁るようになるのは、ずっと後年だが、漱石や藤村文学に親しむこともあったが、明治の気風や、それ以上に曽祖父の世代の人たちの息遣いに触れたい思いで読んでいるという側面もあったように思う。

 我が家は、父の祖父が本家から田畑などを与えられて分家した。
 それが明治の半ば頃のことだった。なので漱石や藤村作品を通じて、その(ほぼ)同世代の気質や気骨の一端にでも触れたかったような気がする。

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2009/12/08

我が追っ駆け時代のこと

2010年リベルダージ New Year Party のお知らせ!」なる記事を書いた。

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→ 昨日(六日)、雨模様の一日だったが、不意に明るくなったなと思って、外を眺めたら虹! 慌てて窓を開けて撮影。

 かつては、サンバエスコーラ(チーム)リベルダージ(G.R.E.S.LIBERDADE)のメンバーであり、今は一人のファンとなった小生が勝手に宣伝するもの。

 東京在住時代、我がチームや贔屓の方のサンバパレードを追っ駆けしていたものだった。遅れた…遅すぎる青春?

 以下、05年の新年会での我が観劇(感激)記を一部割愛の上、転記して示す:


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2009/12/07

我がヌードは見せられません!

 今日、三日ぶりに銭湯へ。
 日曜日なので、幾分、週日より混むかと思ったが、ガラガラだった。
 やはり、冷たい雨が降っているからなのか。
 あと、二三度、気温が低ければ雪になっていたような、寒い寒い日曜日。

 こんな日に自転車を駆り、傘を差して銭湯へ行くのも、普通なら躊躇われるところだが、空いている時間があったら、多少、無理をしてでも出かけないと、風呂にも入れない。

 仮眠を取るか銭湯か、で悩むなんてちょっと惨め?
 
 週日の日中、早い時間帯だと、お年寄りの方の姿が目立つ。
 昼間の銭湯では、小生など、若い部類になる。
 現役バリバリの者が、昼日中から銭湯とは、何者か、という視線を感じてしまう。

 夜中はバイトだし、日中は介護だけど、午後、多少は自由になる時間が生まれなくもない。
 但し、大概は、町内会の雑用(多くは集金やらゴミ当番やら)とか落葉掃除、掃除・洗濯・買物などなどに費やすことになる。

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2009/12/06

ビートルズと息することと

中島敦と中村晃子と」にて、高校時代での音楽にまつわる話をちょっとした。
 だからというわけではないが、音楽関連の話を引き続き。

 好きな音楽、好きなアーティストというと、小生の場合、やはりビートルズ以外にない。

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→ the Beatles ザ・ビートルズ (画像は、「ビートルレコード -Beatle Record- 壁紙(wallpaper)」より)

 無論、邦楽や洋楽を問わず、好きなミュージシャンは少なからずいる。
 演歌など歌謡曲も好きだし、民族音楽やクラシック、ジャズも好き。
 でも、一番、好きな音楽家というと、ビートルズになってしまう。
 別に小生に、ビートルズについて語る何物も持っていないが、まあ、素人の思い入れとして少しだけメモっておきたい。

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2009/12/05

普天間のことあれこれ

普天間の移設先は関西空港?」といった話が急(?)浮上してきた。
 小生は、前々から沖縄の米軍基地問題について、本州などの都道府県当局や住民が、対岸の火事というか、沖縄の問題…遠い話扱いしているように感じられ、不満だったり、情けなく感じたりしてきた。

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← 我が家の前庭、キウイ畑の一角に今年、突然、育ってきたこの植物。秋も深まって、真っ赤に紅葉していて、みすぼらしい我が家の庭に彩りを添えてくれている。が、今日、訪ねてきた方が曰く、これはウルシ科の木の一種なのだとか。触れると、かぶれるかも、だって! 我輩、もう、何度、触れたか分からん!

 何故、沖縄以外の何処かの県(や道や府、都)が基地の移設(受け入れ)先として名乗りを上げないのか、解せない…というより、歯痒い思いがあった。

 無論、騒音問題や基地周辺の治安のこと、その外、課題は多岐に渡るだろうが、名乗りを上げないことには、検討の余地すらない。
 確かに、我が富山県に来たら、どうだろうか…。やはり、反対の声が高まるに違いない。

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2009/12/04

中島敦と中村晃子と

 今日は、小生の好きな作家の一人である中島敦の命日(1942年)である。
山月記』や『李陵』、『名人伝』などの作品で有名である。

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→ チェリッシュ『ひまわりの小径』(作詞:林春生  作曲:筒美京平) (画像は、「EP チェリッシュ ひまわりの小径 ① 送料三枚迄80円! - Yahoo!オークション」より)

山月記』の冒頭の一節などは、名調子で、記憶に刻まれている方も少なからずいるだろうと思われる:

 隴西(ろうさい)の李徴(りちょう)は博学才穎(さいえい)、天宝の末年、若くして名を虎榜(こぼう)に連ね、ついで江南尉(こうなんい)に補せられたが、性、狷介(けんかい)、自(みずか)ら恃(たの)むところ頗(すこぶ)る厚く、賤吏(せんり)に甘んずるを潔(いさぎよ)しとしなかった。いくばくもなく官を退いた後は、故山(こざん)、略(かくりゃく)に帰臥(きが)し、人と交(まじわり)を絶って、ひたすら詩作に耽(ふけ)った。

 読書家ではなかった小生、中島敦なる作家を知ったのは、現代国語の教科書に作品が載っていたからだった。
 なぜか漢文が好きな小生でもあったし、怜悧な表層の下の熱い魂を感じて、中島敦関連の文庫文を次々と読むようになった。
 


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2009/12/03

真冬の満月に武者震い?

 今朝未明は月齢では15前後と、まさしく満月の夜だった。
 丑三つ時過ぎに勝手口の戸を開けると、思わず、おおっ!と感動してしまうような明るさ。
 過日も書いたが、月光に照らし出されるところと、そうでない陰のところとの輪郭が線を引いたようにはっきりしている。

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← 今朝未明、あまりの月影の見事さに、たまらずバイクを止め、撮影に挑戦。やはり、小生の腕前ではちゃんと撮れない。

 上り框(かまち)で、長靴を履きながら、しばし晩秋の真夜中の千金の光景を鑑賞。
 目の前に広がる畑も田圃も、遠くの大きな公園も、普段なら、僅かながらも街灯の光に照らされているのだが、こんな満月の夜ばかりは、町の灯りなど月影に圧倒されてしまう。
 屋根の瓦も光を反射して、光の波を演出している。

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2009/12/02

我がタクシードライバー時代の事件簿(7)

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→ 『タクシー・サンバ (「緒形拳主演、タクシー運転手の目を通して、現代社会の断面を描く」というもの。画像は、「NHKドラマ名作シリーズ タクシー・サンバ ~全集~ 全2枚セット」より)

 今回の話も、実話を元にしていますが、生々しいので、敢えて虚構の形で書いてみたもの。
 あってはならない、でも、ありがちな(?)事件。誰しも、似たような経験があるのでは?

 読まれるに際しては、予め、別ページの注意書き をどうぞ、よーく、お読みください!(← いえ、読まなくて結構です。)

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2009/12/01

雨の闇夜にタヌキと出遭ったよ

 真夜中過ぎに、暗闇の中、バイクでのアルバイトをしている。
 北陸は富山という土地柄もあり、多寡はあっても、ほぼ毎日、天には雲が居座っている。
 快晴の、それも満月にでも恵まれるか、街灯や軒灯などがない限り、とにかく暗い。
 それが雨でも降ろうものなら、気分まで真暗、憂鬱である。

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← 我が家のミカンが収穫の時期を迎えつつある。昨日、早速、一枝分、収穫してみた。除草剤もだが肥料も何も与えていない。だからか、甘くはない…しかし、酸っぱくもなく、結構、美味しかった。ザルにたっぷりの収穫が期待できそう。

 バイクで丑三時過ぎの郊外の町を走っていると、いろんなものを見かけるし、いろんなものに出会う。
 車や他のバイク、自転車などは別にして、生き物というと、ネコが遭遇する動物の最たるものだろう。
 闇の中、道端や軒先の陰や側溝や電信柱の陰など、あるいは想像を超える場所からひょっこり姿を現す。

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