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2009/11/18

我がタクシードライバー時代の事件簿(3)

営業の初日、白バイに捕まる」の巻

 小生がタクシードライバーの免許を取得したのは、1995年8月。
 真夏の真っ盛り、七月頃から二種免許取得のため、大田区から足立区の自動車学校までせっせと通った。
 大田区(城南方面)に住んでいるものにとっては、足立区は東京の外れに感じてしまう(逆もまた真かもしれない)。

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← ドラマ 『東京タクシー』 (画像は、「ドラマ 『東京タクシー』 第14回釜山国際映画祭への特別招待が決定しました! [株式会社ミュージック・オン・ティーヴィ] - ニュースリリース:サービス業 - Qlep熊本」より)


 馴染みのない地域だったことや、タクシー稼業でやっていけるか心配だったこともあり、心細く、何となく島流しというか、一人だけとんでもない次元に吸い込まれていくような感覚を抱いていた。
 仲間が誰も居らず、相談相手もなく、書くこと(読むこと)を優先しての、それなりに考え抜き選び抜いた職業だった。
 タクシーに乗ってしまえば、あとは(実車中はともかく)自分だけの天下、自分ひとりの世界に居ることができる…。

 客商売という仕事への適性の有無について、心配もあったが、当面は杞憂に終わった(当面というのは、流しで仕事が成り立っていた間は、という意味。無線などを使わないと商売が成り立たなくなると、接客業が苦手という意識に苦しむようになり、この仕事を選んだことを後悔し始める)。
 この辺りのことは、機会を改めて書くこともあるだろう。

 とにかく、苦労しつつも、95年8月に府中にある運転免許試験場にて実地も含め合格し、四月の会社での面接で健康診断で引っ掛かったトラブルも、近所の医院での治療(基本的に投薬と食生活の改善)の成果もあって、クリアーし、9月、晴れて、タクシードライバーとなった。
 免許を取得しても、会社の研修所での研修がある。
 その研修所がまた、まさに大田区とは対面(といめん)となる地区。足立区よりさらに遠い。
 電車(地下鉄)などを乗り継いで、はるか遠くへ通ったものである。

 さて、研修も終わり、タクシードライバーの資格を証明する写真入のネームプレートも東京タクシーセンターで取得し、講師が助手席に付いての実地講習もわずか2時間で終了し(実地講習がこんなにあっさり終わっていいものか ? !)、いよいよ本当の本番である。
(当初、四月に面接を受けて、二三ヶ月でドライバーになれると思っていたのが、九月にずれ込み、この半年の生活費が嵩(かさ)んで、借金生活に舞い戻ってしまった!)

 その日は、晴れていた。
 営業所で訓示を受け、いよいよ会社の車庫を出る。
 ドキドキである。
 一人きりでの旅立ち。
 書くこと(読むこと)のみを生活の焦点にする。そのための仕事と割り切ってはいたものの(車やバイクを運転するのが好きってこともある)、やはり、決して器用な人間ではないし、まして、タクシー稼業は、なんといっても客商売である!
 この期に及んで、自分に出来るだろうかという不安の念が胸にむくむく沸き立つ。

 実際、初日は、上がりっ放しだった。
 とにかく、お客様が大事。言われるがままの営業だった。
 失敗しないことだけを考えていた。
 交通法規に則(のっと)り、タクシー営業の基本ルールを遵守し、ガチガチになって仕事していた。
 細かなことは後日、書くかもしれないが、実際の走行において、タクシーを運転すに際し(一般の車とは違うような)注意する点は多々ある。

 さて、最初のお客さんをなんとか拾い(乗ってもらい)、無事それなりに大過なく降りてもらって、ホッと一安心。
 何人目のお客さんだったろうか、お昼頃、東京では有名な(地理的にポイントの一つである)大きな陸橋、高円寺陸橋手前でお客さんを乗せた。
 熟年の立派なスーツを着用された男性の方。
 小生は、片側二車線ある左側の走行車線を走っていた。
 陸橋の半ばに差しかかろうかという頃、お客さんが、「陸橋を渡ったら、右折してもらいますから」と親切にも事前に指示してくれた。
 早めに指示をしてくれるのは、運転手として楽だし、助かる。
 無理な走行をしなくて済むからだ。

 ところが!

 小生はあがっていた。ガチガチだった。
 陸橋の上の車線は黄色いラインで車線変更を禁止されている。
 黄色のラインは目にしていたはずである。
 なのに、よせばいいのに、早めに変更しておこうと、陸橋のど真ん中辺りで車線変更してしまった。
 途端に、後でウーウーというサイレンの音。
 一瞬、目の前が真暗になった。
 やっちゃった!
「はい、そこのタクシー、陸橋を越えたら、車を道路の左の端に寄せてください!」
 内心、「あーあ」である。

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→ マ-ク・ロナン 著『シンメトリーとモンスター―数学の美を求めて』(宮本 雅彦 宮本 恭子【訳】 岩波書店 (2008/03/19 出版)) 「古代より多くの人を魅了してきた対称性は、ガロアやリーによって美しい数学の理論に発展した。そして、2世紀に及ぶ研究を経てついに究極の大きさを持つ対称性“モンスター”の発見に至る。怪物のような摩訶不思議な群や、想像することもできないほど巨大な数を通して、未解決問題に取り組む数学者たちの情熱と数学のもつ豊かさ、美しさを描き出す」といった本だが、小生にはやや(かなり!)難解な本だった。現代の物理(宇宙論、素粒子論、量子論)を理解する上でも、「群論」の重要さは増すばかり。過日、読了したブルース・シューム著『「標準模型」の宇宙』(森 弘之訳 日経BP社)は、物理学の立場から弦理論を(も)解き明かしているが、本書は、生粋の数学から弦理論の数学的な妥当性を裏打ちしていることを教えられた。(本書は決して弦理論を解き明かす目的で書かれたわけではないのだが)純粋な数学の理論の探求の果てに、物理学の弦理論と遭遇し、物理学と数学との深遠な関係が見い出されるに至る。この辺りはドラマチックですらある。

 白バイの警官に導かれるままに、陸橋を超えて、車を道路の左端に停め、お客さんには、そこまでの料金は戴かないで、他のタクシーに乗り換えてもらい、あとは、白バイのお巡りさんの為すがまま。
 お客さんは、「運賃はいいの?」と親切にも言ってくれたが、迷惑をかけたのに、もらえるはずもない。
 ただただ、早くその場を(自分のほうこそが)立ち去りたい、消え去りたい気分だったのだ。

 というわけで、タクシードライバーとしての営業の初日に、交通法規の違反を犯し、白バイに捕まったというお粗末だった。
 まあ、考えようによっては、初日に事故を起こさなかっただけでもよしとすべきなのだろう。
 あの初日の白バイによる摘発は、自分の営業姿勢を律する上で、とても教訓になった。
 以後、翌年の96年に納得の行かない形での摘発を受けて、再度、青色切符を切られはしたものに、以後、2007年12月にタクシーを降りるまで、交通違反の類いは(否、営業上のマナーも含めて)一切、犯さずに乗り切ることが出来た(だからこそ、個人タクシーの資格も取得寸前まで行ったのである)。
 それもこれも、自分の頑張りもあったと、自分で褒めておきたいが、初日のお巡りさんの指導があったればこそと、心底、感謝しているのである。

                             (09/11/17 作)
 

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