「卑弥呼の居館跡」発見 ? !
「奈良・纒向遺跡 卑弥呼の大型居館か 3世紀前半の建物跡出土」(産経新聞)といったニュースが、新聞やテレビなど、マスコミを賑わせた。
これまで中小の建物跡は見つかっていて、今回、「大型建物跡1棟」(2棟というサイトもある…)が新たに発見されたのである。
下記するが、この大型建物跡1棟の齎す情報が貴重であり、意味深いという。
← 我が家の紅葉も大分、色づいてきた。我輩も一緒に色気づいちゃおうか。
やはり、邪馬台国の話題となると、世間の注目度も高いようで、一般のニュース(例の逃亡生活を続けていた、死体遺棄の容疑者の逮捕や事業仕分けが始まった、など)の間にも割り込んでくる。
小生も、こういった話題には目がない。
念のため、上掲の記事の一部を転記しておく:
邪馬台国の最有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、3世紀前半の国内最大規模の大型建物跡など2棟が見つかり、市教育委員会が10日、発表した。倭国の女王、卑弥呼が活躍した時代(2世紀末~3世紀前半)とほぼ一致。中国の歴史書、魏志倭人伝には「卑弥呼の宮室(宮殿)は楼観や城柵(じょうさく)を厳かに設け」と記され、卑弥呼の居館の可能性が浮上した。邪馬台国畿内説をさらに有力にする一級の資料になりそうだ。
引用した記事にあるように、今回の3世紀前半の建物跡出土は、「卑弥呼の居館の可能性が浮上し」、「邪馬台国畿内説をさらに有力にする一級の資料になりそうだ」という意見が大勢を占めているようである。
建物跡には四つの建物があったと想定され、NHKテレビのニュースによると(ある学者(黒田龍二・神戸大准教授)下に掲げる画像など参照)の意見として)、4つある建物のうち、2つの建物がそれぞれ出雲大社と伊勢神宮の社の作りと似ているとか。
その類似点から、出雲大社と伊勢神宮の建築様式のルーツが見つかったとも考えられる、という。
この建築様式のルーツの話など、もっと詳しい情報は、下記にて:
「asahi.com(朝日新聞社):3世紀前半の大型建物跡、邪馬台国の中枢施設か 奈良 - 文化」
纒向遺跡の大型建物跡を卑弥呼の宮殿とする説には、今も無視し得ない反論がある。
そもそも、この大型建物跡は、卑弥呼の活躍した3世紀ではなく、4世紀とするのが無難だ、といった有力な反論などがある。
つまり、「纒向遺跡は崇神、垂仁、景行天皇の時代に近づく4世紀ごろのものだろう。大和朝廷の王族・大臣級の邸宅(居館)の可能性があ」(11日付朝日新聞朝刊)ると考えられるというのだ。
そういった真っ当な反論は別にして、小生には邪馬台国のあった場所については、ちょっと疑問というか、畿内説・九州説を含めて、物足りないものを感じてきた。
→ 大型建物跡など発掘現場のようす。(画像は、NHKテレビのニュースより)
以前から考えていることだが、「箸墓古墳が卑弥呼の墓」であったとしても、さらに、今回の「3世紀前半の建物跡出土」が卑弥呼の居館であったとしても、それがただちに卑弥呼の邪馬台国が奈良県の当該の地にあったことを意味するとは思えない。
中国の歴史書「魏志倭人伝」を読んでも、邪馬台国が、一年を通じて温暖な気候だったりするわけで、奈良の山間の盆地が、そんな気候だとは到底、思えない。
邪馬台国の九州説を唱えるかどうかは、やや躊躇われる。
「倭の地は温暖にして、冬・夏生菜を食す。皆徒跣なり」など、『魏志倭人伝』の記述からして、邪馬台国は、日本でも相当に南のほうに位置していたものと思われるからだ。
つまり、「『三国志』(さんごくし)の『魏志』倭人伝(ぎしわじんでん)によると、2世紀後半から倭国では大きな争乱が続いたため、邪馬台国の女王卑弥呼(ひみこ)が諸国の同意によって立つと、ようやく争乱は治まり、30国ほどを従えた邪馬台国を中心とする連合政権が生まれました」(「黒田裕樹の歴史講座 邪馬台国の時代と大和朝廷の誕生 その1」など参照)とあるとして、連合政権の女王として君臨する段階で、畿内へ向かったのだろうとも考えられる。
今回発見された3世紀前半の建物跡も、その際の統治(祭祀)の場だった、「邪馬台国が実質的には九州にあって、卑弥呼が長年の大乱を治める象徴的地位についた時、東の倭の地へ遷った」、という可能性は未だ残っているのではなかろうか。
← 「発掘された大型建物(左)など4棟の復元模型=黒田龍二・神戸大准教授制作」 今回は、この4棟のうちの一番大きい建物跡1棟が発見された。 (画像などは、「asahi.com(朝日新聞社):3世紀前半の大型建物跡、邪馬台国の中枢施設か 奈良 - 文化」より)
それどころか、小生は、卑弥呼が長年の大乱を治める象徴的地位に付く以前、彼女の邪馬台国が何処にあったかを考えるに際し、「邪馬台国も、何も無理して日本列島の中にその地を求める必要(必然性)など必ずしもないのではなかろうか」とさえ、考えている。
つまり、小生は(小生だけではないが)、以下のように結構、壮大なスケールで考えている:
邪馬台国にしても、その所在が近畿説、九州説がメインのようだけれど、(縄文時代に比べ寒冷化したと言われれる)弥生時代にあって、倭の地は温暖で、みな裸足だということから、近畿説は論外のように思える。九州もどうだろう。やはり、本文を素直に読む限りは、せめて九州南部、やはり沖縄か奄美諸島、あるいはスマトラなどが候補なのか…。
いずれにしても、先入見を排し、日本列島に拘らず、視野を大きく持って邪馬台国その他の国々の構図を考えるべきだと思う。
いずれにしても、殺伐なニュースが多い中、ロマン溢れる話題で、ホッと一息といったところである。
関連拙稿:
「鯨面文身(いれずみ)は人間の証?」
「持衰(じさい)のこと」
「神無月…神々の集いし月や喧(かまびす)し」
「海部陽介著『人類がたどってきた道』」
「天皇陵・古墳の学術的研究・保存を早急に求める」
「世界を見る「めがね」」
(09/11/11 作)
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コメント
「沖縄か奄美諸島、あるいはスマトラ」 ― そのような南方説もあるのですか知りませんでした。
まあ、私には卑弥呼の居所よりも色気ついたやいっちさんの寝所の方が気になる訳です。なにか特別なベットをお買いになったようで。睡眠障害の話題は何度も出てましたが、今度の新しい機能ベットも真っ直ぐ背を伸ばしてというよりも、ロッキングチェアーのようになにか体勢が違いそうですね。
投稿: pfaelzerwein | 2009/11/12 02:54
pfaelzerwein さん
邪馬台国の奄美説などは、今の所、トンでも、説の域を出ていないと思います。
ただ、魏志倭人伝に出てくる多くのクニについて、日本列島の中で考えるのではなく、南太平洋の島々などを候補に考えるべきではと思っています。
古代(有史以前)の人々の移動する能力やパワーを過小評価すべきではないと考える余地は十分にあるものと思います。
そもそも人類が旧人類や新人類も含め、アフリカを何度も出て、世界へ、南米大陸の南の果てまで広まっていったわけですから。
ベッドを新規に買ったからといって、小生の睡眠障害が直るわけじゃないですね。
ただ、現状の悲惨な寝場所の状態が改善されるというだけです。
読書する場所が確保できたと言ったほうがいいかもしれない。
ベッドはともかく、近々、寝たきり状態の母の自宅療養(介護)が始まる、そのための受け入れ態勢の準備で大わらわで、気分的にはちょっと緊張していて、色気づいた…なんてのは、まあ、ただの(願望混じりの)冗談ですな。
投稿: やいっち | 2009/11/12 19:38
トラックバックありがとうございます。
◇ 倭地温暖冬夏食生菜皆徒跣
この「温暖」というのは、どこの土地を基準にして暖かいと言っているのか、考える必要があるかと思います。
> せめて九州南部、やはり沖縄か奄美諸島
九州の南部、あるいはそれより南というのは、行路記事を無視するか、もしくは、 帯方郡の位置を北方に比定しなおさないと難しいのではありませんか?
※ 近畿説も同じく。 (もちろん伊豆や八幡平も)
◇ 從郡 (中略) 到其北岸狗邪韓國七千餘里
[帯方郡より、(中略) 狗邪韓国に至る、7千余里]
◇ 自郡至女王國萬二千餘里
[帯方郡から女王国に至る、1万2千余里]
◇ 參問倭地 (中略) 可五千餘里
[倭地を参問するに、 (中略) 5千余里ばかり]
韓半島東南端付近とされる狗邪韓国を基点にすると、帯方郡まで 7千里、邪馬壹国まで 5千里。 (合わせて 1万2千里) (以上、「余里」を省略)
ソウル付近 (帯方郡) から韓半島東南端付近までの道程 (実距離) を A、 韓半島東南端付近から邪馬壹国までの道程を B とすると、
A : B = 7 : 5
だというのです。
A, B は、 行路に沿った実距離ですから、 直線距離ではありません。 しかし、 A の区間も B の区間も、 実距離と直線距離の比率はそれほど違わないでしょう。
すると、 A, B に該当する直線距離 A', B' の比率も、
A' : B' ≒ 7 : 5
だということになります。
地図の上で A' (ソウル付近から韓半島東南端付近までの直線距離) を測ってみてください。 そして、その 7分の 5 の半径 ( B' )で韓半島東南端付近から円を描いてみてください。 その円周上に邪馬壹国があるはずですね?
※ 参考図: http://bluewatersoft.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2007/10/29/map_koyakankoku01c.png
もちろん誤差はあるでしょう。 でも、A' > B' という関係がひっくり返るような誤差 (A', B' で、誤差の出かたが逆向きになるようなこと) は、考えにくいのではありませんか。
この A' : B' = 7 : 5 の距離関係を認めるならば、九州南方に邪馬壹国を比定するためには、それに比例して、 帯方郡の位置はより北のほうにあったと言わねばなりませんね。
※ あるいは、 「行路記事はデタラメだ」 と言うか。 でもそれなら、 「デタラメな行路記事によって辿り着く邪馬台国という国名も、 卑弥呼という女王の存在も、 きっとデタラメに違いない」 と言うべきでしょう。
> 魏志倭人伝に出てくる多くのクニについて、日本列島の中で考えるのではなく、南太平洋の島々などを候補に考えるべきではと思っています。
この考え方には賛成します。 (実際に南太平洋の島々に該当するクニがあるかどうは別として。)
◇ 裸國黒齒國復在其東南船行一年可至
[裸国・黒歯国、 またその東南にあり。 船行 1年で至るべし。]
多くのクニの最後に出てくるこの裸国・黒歯国なんて、 船で 1年掛かるというのですから、 日本列島の中に収まるとはとても思えませんよね。
投稿: biac | 2009/11/13 01:34
100万アクセス、ホントにおめでとうございますヽ(^o^)丿v(^▽^)v
11月1日に100万、いい感じに1が並んでいかにもめでたいですね。
情報量が多くて内容も深いのにまめに更新されているのには驚かされます。
大変でしょうが、やいっちファンの人たちは
ここでたくさんの引き出しや扉を開けてみるのを楽しみにしていると思います。
月並みですが、これからもガンバってください。
「卑弥呼の居館跡発見か!」のニュースはビッグですねぇ!
頬を引っ叩かれたような衝撃を受けた学者や考古学ファンも少なくなかったと思います。
早速見学会が予定されたようですがどうだったんでしょうネ!
http://www.asahi.com/national/update/1113/OSK200911130114.html?ref=rss
奇しくもちょーーーど1年前の11月1日、ここ長崎では去年、「邪馬台国九州説」を唱え続けた宮崎康平をモデルにした映画「まぼろしの邪馬台国」が封切られました。
http://www.mabotai.com/
康平役に竹中直人、その妻吉永小百合というキャスティングで、
今も健在である宮崎康平の奥さんは「吉永小百合さんが私の役をするなんて」と
照れることしきりでしたが、
上映が今年の11月でなくてよかったぁ、と思ってる長崎県民(特に映画に関わった人)は多いと思います。
果たして卑弥呼の時代、近畿の冬がどのくらいの気温だったのかわかりませんが、
今度の発見は空振りではないような気がします。
今まで「決め手となり得る巨大な建造物の発見がない」ことが
邪馬台国の場所を決定できない原因の一つとなっていましたが、
この居館跡は誰が見ても「大きい」ですよネ。
歴史ロマンとして謎のままがいいのか、はっきりさせて霧が晴れるようにスッキりするのがいいのか、
こういう選択はA型の人ならビシッと「こっち!」決められるのでしょうが、
私はダメです、B型ですから(^_^;)
投稿: ひらりんこ | 2009/11/14 21:22
biacさん
TBだけして失礼しました。
参考にさせてもらっています。
まず、「倭地温暖冬夏食生菜皆徒跣」は、「倭の地は温暖で冬夏とも生菜を食し皆徒跣(裸足)である」ということですね。
古代の人は、今の人間より丈夫だろうし(あくまで推測、病気がちということも大いに考えられる、栄養状態も疑問がないわけではない)、薄着だったろうとは考えられます。
しかし、少なくとも冬の奈良(盆地)で裸足ってのは、ありえないと考えるのが真っ当と思われます。
邪馬台国への距離や方位(位置)については、中国の独特の世界観があり(中国を世界の中心とする)、属国などについては、しばしば至る距離を「1万2千余里」とする記述が歴史書に見られます。
方位についても、歴史家たちは便宜上でしょうか、それぞれに都合のいいように変更して自分たちの説につなげようとしますね。
邪馬台国畿内説に持っていくについては、かなり強引な随意解釈を施しています。
かといって、方位を鵜呑みすると、海の中になって不合理。
歴史書の記述の解釈の方法(論)はいまだに定まっていないようですね。
小生には、方位などが参考にならない以上、風俗(食べ物や、潜水して魚などを採る、など)から最低限の候補地(少なくとも、冬に寒い土地は論外)を考えるしかないと思っています。
無論、この風俗の記述も信頼に足らず、という可能性もありますが。
小生は、邪馬台国の場所もさることながら、裸国・黒歯国など当時のいろんなクニの在り場所のほうに、関心が向いています。
旧人類はもとより、新人類も数万年をかけて世界へ広がっていった。
アジアから南北アメリカ大陸へは、もっと短い年月で踏破している。
そんな人類の移動の記憶は、先祖の言い伝えとして、次の世代へと熱く語られ伝えられていったものでしょうし、その伝説を信じて、あるいは可能性を求めて、何波もの移動の旅があったに違いないと思われます。
インドネシアで新たに身長の短い人類の痕跡が見つかったように、近い将来、東南アジアや南太平洋の島々で発掘調査が進めば、どんな発見が待っているか、想像を超えています。
そうした予想外の結果は、楽しみでもある!
投稿: やいっち | 2009/11/15 10:20
ひらりんこさん
メッセージ、ありがとう。
100万ヒットは、こうした地味なサイトだけに、よくぞここまでと思っています。
どこまで続けられるか分かりませんが、来訪し、コメントしてくれる方がいる限り、続けたいですね。
「邪馬台国九州説」を唱え続けた宮崎康平をモデルにした映画「まぼろしの邪馬台国」のことは、小生も関心があって、見たいと思っていたのですが、ダメでした。
確かに、一時的には、邪馬台国畿内説に勢いが増しますが、すぐに九州説側などからの反論が沸き立つと思います。
一番の問題点は、四つの建物群の建設の時期が定かではないことです。
卑弥呼の時代よりあと、四世紀になってからの居館跡なのではないかという可能性が少なからずあるわけです。
なので、せめていつの時代に作られたのか、ある程度、絞られる必要があるものと思います。
それこそ、三世紀の半ばから後半にかけての設営という研究成果が出てこないと、今の段階では何とも言えないのでは、と思われるのです。
小生は、邪馬台国の位置にも関心があるけれど、魏志倭人伝などに記載される多くのクニの在り場所にも関心があります。
もっともっと広い地域で発掘調査が行なわれ、広い視野に立っての、さらなる研究が求められるように思ってます。
ひらりんこさんは、長崎の方なんですね。
九州には、天孫降臨もですが、朝鮮半島や沖縄などに近いこともあるし、未だ発見発掘されていない、古代以前からの多くの遺跡が埋もれているのではと思われます。
ところで、広島・長崎でオリンピック開催を目指すという首長らの突然の表明でしたが、地元の市民の皆さんは、どうお考えなのでしょう。
投稿: やいっち | 2009/11/15 10:31
「まぼろしの邪馬台国」…私も見てません(^_^;)。
内容的に大きなスクリーンで見なくてもいいし、いずれTVであるんじゃないかな、と思って…。
長崎ではもちろん知られている宮崎康平ですが、
全国的に知名度はどうなのかなと思っていた私にとってあの堤監督があのキャスティングで映画化というのは驚きでした。
盲目で、郷土史家であった彼が、専門家をもうならせる説を説いたのはすばらしいですが、
彼のために魏志倭人伝や古事記などを読んでやり、口述筆記をし、立体地図を作ってあげた奥さんの努力は彼を超えていたかも知れません。
一般人、しかも女性で古文書を読んだり立体地図を作ったり、スゴイです。
信念とはこれほどまでに人をアツくし、力を引き出させるのですね。
まわりに映画を観た人がいないので興行として成功したのかどうかわかりませんが、
とんでもない駄作、との評価する人の理由を見ると「なるほど」と思わせるところがあり、
興行的には結構厳しかったのかもしれません。http://blog.goo.ne.jp/kimion20002000/e/2b80c6e3272abbf254b8a5cd32bb0e78
木下工務店は「ゼロの焦点」でも出資してますねぇ。
余談ですが、韓国の実弾射撃場の爆発事故で日本人が犠牲になりましたが、
このツアーを主催した旅行会社の親会社は島原鉄道です。
余談ついでに…「燃えよ!ドラゴンズ」や「ヤッターマン」の山本正之が「魏志倭人伝」という歌を歌っています。
http://www.uta-net.com/user/phplib/J-Word.php?ID=33549
オリンピックの共同招致、両市長はヤル気満々ですが、
貧乏県の長崎には現実は厳しすぎるようです。
国体以上の規模のイベントをしたことがないので既存の施設は当然使えず、
坂が多くて今でさえインフラ面で構造的、財政的にかなり無理しているので新設も難しいです。
JRも唯一の‘行き止まり’が長崎駅なんですヨ。
東京オリンピックの際、多くの家が立ち退きを余儀なくされましたが、
たった数日の祭典のために思い出の地から追い出すのはヒドイです。
サッカーのWC日本大会で会場の一つとなった大分は作った競技場の維持が県の大きな負担となってのしかかっているし…。
それに、サミットならともかく、オリンピックで被爆国の主張をするというのも違和感があります。
北京オリンピックの前年は南京事件からちょうど70年ということで、
中国では集会や映画を作ったりしていましたが、
戦争を引き合いに出すと必ず‘加害国’が存在するので参加国の中にはおもしろくないと思う国もあるでしょう。
ちーっちゃい話、私の住んでいる佐世保市は75才以上だとバスが無料ですが、
長崎市は市営バスがないので普通に有料です。
長崎は離島が多く、ガソリン単価の高さは日本一、
坂が多いので下水道の普及率が低く、水道の基本料金は高いようです。
オリンピックより生活に直結することにお金を使って欲しいという人が多勢を占めているようですよ。
あ、土曜日の「世界ふしぎ発見」は卑弥呼ですね!
投稿: ひらりんこ | 2009/11/18 16:36
ひらりんこさん
土曜日の「世界ふしぎ発見」は卑弥呼だとのこと、必見ですね。
そういえば、「卑弥呼の居館跡」発見か、といったニュースが流れて間もない日、NHKが特集を組んでいましたね。
小生、録画してあります。
忙しくて、三十分の番組なのに見ていないけど、見るのを楽しみにしています。
映画のモデルとなった方、「彼のために魏志倭人伝や古事記などを読んでやり、口述筆記をし、立体地図を作ってあげた奥さんの努力は彼を超えていたかも知れません」というのは凄いですね。
やはり、大きな仕事は、きちんと支える方があったればこそ、なのでしょう。
そういえば、講談社の『まぼろしの邪馬台国』は、第1回吉川英治文化賞し、しかも、「書籍が妻・和子の口述筆記によるものであったことから同賞は夫妻に対して贈られている」とか。
ちゃんと内助の功もフォローされていて、ホッとするものがあります。
そうそう、滝沢馬琴は「八犬伝」完結を目前にして盲目となり、終結部は息子の妻・路の口述筆記によって完成された、というのも、有名な話ですね。
江戸のことですから、「教える方は盲目、習う方は読むことも書くこともできない」わけで、夫婦共々、想像を絶する意志や努力を感じさせます。
長崎や広島での平和を希求するオリンピック、賛同の声より、異論の声のほうが大きいようですね。
まあ、東京で開催するより、よほど、ましですが。
もっと知恵を絞ってもらいたいものです。
勿論、地元の生活がまず先決ですし!
投稿: やいっち | 2009/11/19 20:45
『まぼろしの邪馬台国』の吉川栄治賞が夫婦に贈られていたのは知りませんでした!
言ったことをただ書き留めるだけでなく
立体地図を作ったり、広い土地の測量をしたり、古代日本の地名の変遷を調べたり、
奥さんの労力はたいへんなものだったと思いますが、
授賞式で奥さんの功績を紹介し、拍手で称えるだけでなく、
夫と同じ賞を与えるというのは、それを提案した選定者もすばらしい。
選定者にも拍手を送りたい気分です。
「八犬伝」も口述筆記だったのですか!
しかもそれは有名な話!知りませんでしたぁ!
盲目の人が読み書きのできない人に文章を書かせ作品を完成させるなんて!
私の母は50代半ばでの失明で、当然字は知っていたので
見えないなりに勘を頼りによくメモをしたり手紙(の下書き)を書いていました。
ラジオに投稿やリクエストをして
それが読まれるのを聴くのが好きだったので
よくハガキの清書をさせられました。
特にお気に入りだったのが早朝に放送されていた『榎さんのおはようさーん』です。
ハガキが読まれて送ってきた記念品の腕時計がお宝でした。
私は放送を聴いたことはなかった(爆睡中の時間ですので)のですが
You Tubeでほんのちょこっとだけ聴けました。
http://minkara.carview.co.jp/userid/301612/blog/14701569/
大好きな榎さんのおしゃべりを聞き逃すまいと
全神経を耳に集中させて聴いていたであろう母の様子を想像して
涙が止まらなくなりました。
あ、また話がそれてしまいました。
馬琴はどう口述筆記させていたのでしょうね。
調べてみると鏑木清方にその様子を描いた「曲亭馬琴」という絵があります。
http://ladybeetle.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_650/ladybug_the_concierge/E98F91E69CA8E6B885E696B902.jpg
馬琴は左の手のひらに指で字を書いてみせていたようです。
でも馬琴が「ちょいと今写し取ったところを読んでみてちょ」と言っても路さんにはできなかったでしょうから
馬琴がいかに彼女に全幅の信頼を寄せ、
彼女もその信頼に応えるためにどれほど必死になったか。
この口述筆記のところまで教科書は教えるべきですよね。
でも、なぜ馬琴が文字の書ける人に口述筆記を頼まず
路さんにさせることにしたのか、そこのところを知りたいです。
ちなみに赤塚不二夫さんは「目の見えない子にもギャグ漫画で笑ってほしい」と
絵が立体になってる点字の絵本を作りました。
http://kyomame.blog24.fc2.com/blog-entry-302.html
実際、子供たちがどんな反応を示しているのかを自分の目で確かめたいと
闘病中の体をおして盲学校に見学に行ったのをNHKで放送してました。
ウナギと犬の合体動物「ウナギイヌ」がイマイチよくわからない様子の子供たちに
赤塚さんは「やっぱりネ」と苦笑いでした(^_^;)
投稿: ひらりんこ | 2010/01/08 21:32
ひらりんこさん
滝沢馬琴の話より、ひらりんこさんとお母さんとの逸話のほうが感動的です。
母の気持ちがあとになって気付く…なんてことはありますね。
当事者の気持ちの切なさ、懸命さにはなかなか気付けないもののようです。
小生にしても、後になって後悔しそう。
馬琴の小説を口述筆記したのは、息子の嫁ですから、今の時代では考えられない…ことかもしれない。
ドラマか何かで見たことがあったような気がするのですが、今の時代には修身の話のようで、敬遠されるのかもしれない。
赤塚さんの執念も凄いなー。
彼らしい逸話のような気がします。
それにしても、邪馬台国畿内説を傍証しそうな研究成果がまた公表されましたね:
「桜井茶臼山古墳:国内最多の銅鏡確認 被葬者論争活発に」
http://mainichi.jp/area/nara/news/20100108ddlk29040433000c.html
投稿: やいっち | 2010/01/09 20:58
母との逸話で感動的なのはあまりないですYO^^
「母のためにどれほど時間を制限され、
やりたいことを我慢したり諦めたり…
取り返しのできないロスの穴埋めをどうしてくれるんだ」
というイライラ感に襲われることもしばしば。
母が手探りで何か探してるようでも声を掛けなかったり
呼ばれてもいないふりを装ったり…。
でも諦めたことは私より母の方が断然多かったはず。
もしケガや病気で体が動かないのが私で、親に介護されていたら
相当当たり散らしていたでしょう。
それを考えると母はよく我慢してくれていました。
母は一人では外出できなかったので
ケンカしてもフテ寝するかハンガーストライキをするのが関の山。
誰の手も借りずに着替えたり出かけたり食べたりできて、
介護を‘している’方がずっといいのです。
そもそも丈夫な体に生んでくれたことを当たり前だと思ってはいけないのでしょうね。
それはそうと、馬琴が嫁の路に口述していた理由がわかりましたよっ!
版元などから読み書きの得意な者を紹介され、書き取らせようとしたのですが、
「そこはこう表現したほうがいい」と意見をする者、
馬琴の口述の通りに書かず勝手に文章を作る者、
馬琴の目の見えないのをいいことに
文鎮や香炉、古書を盗み出して質屋に売る者など、馬琴はほとほと疲れていました。
妻のお百は、養子である馬琴が家業(草履屋)も苗字も継がなかったことを腹立たしく思っているので
協力などするはずもありません。
口述筆記を申し出たのは路の方でした。
「八犬伝」が完結していないことを気に病む舅を放っておけなかったのでしょう。
無愛想で無口ですが真面目でやさしく、頑丈な体の路は
馬琴の言葉と手のひらに書かれる文字に集中、
家事と育児、薬作りの内職の合間に書道をし、必死に頑張ります。
しかし、先にかな書きをして、それを漢字にしていくために読ませると
言葉の区切りがまるでなっておらず抑揚もない、
「まるで異国人の寝言を聞いているよう」だったそうです。
当然、馬琴の方の頑張りも凄まじいものがありました。
気の短い馬琴がイライラを抑え、路を励まします。
「路への励ましは自分への励ましでもあった」と言っています。
路は次第に字を覚え、著作だけでなく、書簡や日記も忠実に書き留めていきます。
馬琴はその労をねぎらい、路に雅号を与えます。
まるで「馬琴の子供のようだ」の意味で『琴童』。
印鑑を彫ってもらうよう、印材を路に手渡す時、
馬琴は路の手に触れます。
「とても荒れた手で軽石のようで驚いた」とあります。
一番印象に残った部分です。
私なら「こんな手が荒れるほど頑張ってるんだからねっ」と
恩着せがましく馬琴に触らせていたでしょう。
路さんの真似事などとてもとてもできませんが、
もっと早くに路さんのことを知りたかったです。
投稿: ひらりんこ | 2010/01/25 18:16
ひらりんこさん
ひらりんこさんも介護などでは苦労されたんですね。
介護するほうもされるほうもお互い生身の人間。
口にし難い感情的な軋轢もあるのは当然だろうと思います。
この直近に戴いた馬琴と路との話を紹介するコメントにはレスの言葉もないですね。
ただただひらりんこさんの話を皆さんに読んでもらいたい。
今の時代に馬琴と路との話は、舞台ならともかく、テレビではちょっと孝行話めいて、ドラマ化は難しいかな。
でも、ある意味、目の不自由な方にも絵や色の世界を感じて貰いたくて砂絵を描いておられる方とか、そういう方々が扱えるPC(のソフト)を作られた方の話とか、最近、立て続けにテレビで目にしていたりするので、時代性もあるし、作り方によっては、テレビでも一般向けのドラマになりうるような気がします。
投稿: やいっち | 2010/01/27 21:08
なるほど~、作り方によっては、ですね。
苦労しているのに明るく笑顔を絶やさない、というのであれば
‘できた嫁’ぶりがうっとうしく思えたりするかもしれませんが、
厳格で神経質な舅、気が強くてストレートな物言いをする姑、
病弱で潔癖症、キレると別人格になる癇症持ちの夫、
その夫のDNAをそのまま受け継いだ長男…。
元総理の麻生流に言うと正に‘キャラが立ち過ぎ’た一家の中で
無口で表情が乏しく、無愛想、言われたことだけは黙々とこなしていく姿は
ある意味ドラマ向きかもしれませんネ。
元々は‘てつ’という名前だったのに、
結婚した翌日、「親戚に‘てつ’という者がいるからまぎらわしい」との理由で
‘みち’と改名させられたそうですが
その時も「そうでございますか」としか言わなかったそうです。
個人的には国生さゆりさんとかにこの役をしていただきたいですネェ^^。
馬琴役に寺田農さん、その妻に野際陽子さん(富山出身ですよネッ)、
夫役に吹越満さんとか…、ハハッ。
馬琴は喘息で胸痛を訴え亡くなりますが、
お路はその経過を自分の考えた文章でしっかりと書き留めています。
嘉永元年十一月五日、
竹瀝(ちくれき)を用ふべきむね仰せられ候につき、
中島玄伯に問ひ合せ候ところ至極よろしきよし。
渇はなはだしく葛湯片栗そのほか益気散などを用ゆ。
御雑談、平日の如し。
その夜に至り御遺言仰せらる。
その後、御胸痛煩悶はなはだしきこと両三度。
それより少々納まり候やう存じ候て、
六日暁、寅の刻に端然として御臨終あそばされ候。
年八十二。
事実のみで、思いや感想は書いてありませんが
書き終えて筆を置いたときの万感の思いは言葉にはできなかったでしょう。
馬琴は唄や踊り、音楽が大っ嫌いな人で、
お路の嫁入り道具の中に琴や三味線があったのを見つけた時、
「私は歌舞音曲が嫌いでな。そのつもりで」
と釘を刺し、お路は嫁いだその日から琴と三味線を封印しました。
馬琴の死後、蔵の整理をしていて埃をかぶった三味線箱を発見、
皮が破れていなかったので糸を買い替え20年振りに弾いてみたそうです。
弾き出すと昔習った唄や踊りの所作まで甦ってきて
思わず熱が入りそうになりましたが
病床にある息子を思うと「自分だけ享楽的な楽しみを持ってはいけない」と
自分を戒め、また封印しました。
結局、息子は馬琴の死から1年後に亡くなります。
息子亡き後、再び歌舞音曲を楽しんだのかどうかはわかりませんが、
日記は自身が亡くなる4日前まで続けていたそうです。
投稿: ひらりんこ | 2010/02/22 18:29
ひらりんこさん
このコメントは、コメントというより、ちょっとした物語ですね。
介護や福祉が関心を持たれる時代だし、女性のある筋道を通した生き方として、二時間ドラマとか、大河には難しいとしても、数回程度のドラマとして描いてみると、いいものになりそうですね。
>息子亡き後、再び歌舞音曲を楽しんだのかどうかはわかりませんが、
日記は自身が亡くなる4日前まで続けていたそうです。
小生としては、ドラマのためというより、一人の筋を通した女性として、最後に、せめて死ぬ間際にでも、歌舞音曲を楽しんで貰いたいです。
その中で死んでいく、とか。
投稿: やいっち | 2010/02/24 16:32