我がタクシードライバー時代の事件簿(4)
ある年のお彼岸の日に、とんでもない忘れ物があった。
その日は、祭日で、天気は晴れていたのだが、通常は営業的には暇なはず。
が、お彼岸は、お墓参りの方が多く、日中に限っては忙しい。
← 「月はどっちに出ている」(監督:崔洋一 出演者:岸谷五朗/ルビー・モレノ/絵沢萠子)
昼過ぎだったか、とある駅でお乗せした年輩の方と若い方との二人連れのお婦人方を、基本料金で行ける場所にあるお寺へ。
二人をそのお寺で下す。無論、忘れ物はございませんか、と声を掛けた。
そして、小生は次の営業へと車を走らせた。
すると、すぐに別のお客さんが乗ってくれた。
嬉しい。
お客さんが連続するなど、近頃ないことなので、嬉しい。どうやら、そのお客さんもお墓参りの方のようだ。
が、その喜びは束の間のものだった。お客さんの一言で、一気に暗転したのである。
「あの、忘れ物、ありますよ」だって。
お客さんがその品物を料金を乗せるトレーに載せた。
走行中なので、ちらっと見ると、それは、仏事用包装された箱と、その表の包み紙の合わせ目に御供物料でも入っているのだろうか、熨斗袋が挟まっている。
なんてこった! よりによって、こんなものを忘れるなんて、でも、オレは、お客さんが降りた時に声を掛けなかったっけ? 降りた際に後部座席は見たよな?! ああ、でも、忘れ物があるのは厳然たる事実。小生の頭の中は、真っ白。
…ああ、でも、あとに続いた方が正直なお客さんでよかった、など、いろんな思いが交錯する。
とにかく、今、お乗せしているお客さんを目的地までお届けすることに、頭の中を集中させる。余計なことを考えると事故の元だ。
目的地で無事、降りていただくと、車を回送にする。
大急ぎで、先ほどのお寺に戻る。きっと、今すぐだったら、まだお寺に二人はいるはずだろうから。
幸い、お寺に戻るまでに十数分だったろうし。
非常灯を点滅させて車を路肩に止め、お寺の境内へ。
墓地には墓石をきれいに洗っていたり、周りも掃除したりしている方が、ポツポツと散見される。花や線香をお供えしている方もいる。手桶から水をすくい、墓石の上からかけて合掌礼拝するわけである。
中には、水ではなく、お酒を墓石の上から掛ける人もいるというが、その日は、お酒の匂いはしなかったような。
さて、小生、お寺の本堂というか、受付に足を向ける。先ほどの二人がいないかと探しながら。受付の女性に、二人連れの御婦人の方、見受けませんでしたかと訊く。
墓地の方へいらっしゃいましたよ、との返事。
小生、仏事用包装された箱(熨斗袋付き)を小脇に抱え、墓地の方へ。受け付けに行く前に眺め渡した限りは、二人の姿を見受けなかったのだが、もう一度、墓地の中を歩き回って探すことに。
二人の姿は見えない。尤も、数人の墓参の方々の中に二人が紛れ込んでしまった可能性もある。さっきの二人連れの姿格好は、どうだったっけ。
小生、お客さんのプライバシーということで、原則、運転中もそうだが、降りる際にも、あまりジロジロ、お客さんを見たりはしない。鞄など持物には忘れ物防止対策上、注意するが。
なので、二人の顔や、まして服装など、はっきりしない。
そもそも、無骨な小生のこと、女性のファッションなど眼中にない。一日、一緒にいても、さて、その日の相手の服装の色は、スーツだったかラフな格好だったか、イヤリングは、髪型は、顔は、化粧は、靴は…、と思い返しても、そのどれにも自信を持っては即答できない。これは、自信を持って断言できる。
小生、段々、不安になってきた。
目当ての二人は、あの集団の中の婦人達ではないのか…。
そういう目で見ると、そのようにも思えてくる。声を掛けて、訊いてみようか。でも、なんとなく違う気がするし。先方も、冴えない中年男に関心など持っていないようだ。忘れ物のことには、さすがにもう気付いているはずだから、小生が小脇に抱えている箱を見れば、ああ、あれ! という表情に変わるはずだし。
墓地では、それらしい二人連れが見当たらないので、もう一度、受け付けに戻って、中を覗いて回ったり、それでもダメなので、仕方なくタクシーの方へ戻ろうとした。車の中で待っていたら、そのうち、寺の門から二人が出てくるはずだ、それを待っていよう、と思ったわけである。
で、受付から門へ向かって歩いていったら、ちょうど、門から入って来る御婦人の二人連れに遭遇。どうやら、二人は、タクシーの方からお寺に戻ってきたようなのである。
二人は、あ! という顔をした。表情がパッと明るくなった。
小生、あの、先ほどのお客さんですよね、と声を掛ける。二人も、頷いて、そうですと答え、忘れ物しちゃって…。
で、小生、念のためもあり、箱の上の熨斗袋に記入してある名前を御婦人に尋ねた。帰って来た名前は、ちゃんと合っている。
当然だが。
万が一にも、別の人に忘れ物を渡しては、恥の上塗り以上の失態である。
携帯電話も、渡す際には、電話の色を訊いたり、電話にもう一度、架けてもらったりして、相手の確認をする。当然のプロセスだろう。
箱を渡すと、年輩の方のご婦人は、そこは年の功というのだろうか、熨斗袋の中身をさりげなく確認している。こちらとしては幾分、不愉快だが、それも、当然のプロセスだから、理解できる。
中身は、推して知るベシだろう。箱の中身は、軽かったので、煎餅か海苔か、なんて、余計な詮索はしなくてもいいだろう。
小生、仕事も続けたいし、急ごうとしたら、ご婦人は「待っていただけますか」と訊く。「ええ、いいですけど」と答えると、「用事はすぐに済みますので、そしたら駅まで戻りますので、また、乗せてってください」と言う。
こちらは、何も異存があるはずもない。タクシーを回送から空車にして待機。待つこと数分だったろうか、戻ってこられた。で、また、駅へ。駅までは基本料金で済む距離である。降車の際の支払いの時、お釣りを渡そうとすると、「お釣りは、取っておいてください」という。
小生は、忘れ物を届けた際、一切、<謝礼>は貰わないことにしている。何故なら、プロのドライバーとして、忘れ物をさせたこちらに不手際があったわけだから、相手が感謝しているのだとしても、貰うのは筋ではないと思うからである。
でも、お寺から駅までの短い走行の際、「今日は、忘れ物、しちゃって、運が悪い、今日は日が悪い、とんだお彼岸になっちゃったと思ってたけど、届けてもらって、よかった。いい日になりました」などと御婦人は語っていた。その気持ちの現れなのだろうと、その時は受け取ることにした。
額が大きいと、躊躇うが、あくまで気持ちの範囲に収まるのだし。
ところで、この話(事実談)には、とんだオチがある。
間抜けな小生のこと、二人が降車される際に、つい、「お忘れ物、ございませんか」と声を掛けてしまったのだ!
別に皮肉で言ったわけじゃなく、習慣として言ったに過ぎないのだが、先方様は、どう思われたろうか。
顔が笑っていたから、そう、きっと結果として微笑ましいエピソードになりました、という気持ちだったに違いないと思いたいのだけど。
(2004/11/19 作 09/11/19 一部編集)
関連拙稿:
「我がタクシードライバー時代の事件簿(序)」
「我がタクシードライバー時代の事件簿(1)」
「我がタクシードライバー時代の事件簿(2)」
「我がタクシードライバー時代の事件簿(3)」
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