おかゆの作り方から始めます
最後の入院になるかも、などと医者に言われつつの母の入院だったが、治療のための病院(入院)から、療養のための病院に転院し、今日、二ヶ月余りぶりに退院となった。
→ 『新装版 図説 宮沢賢治』(上田 哲 /関山 房兵/大矢 邦宣 /池野 正樹編 河出書房新社) 図書館の新刊コーナーでこの本を見つける。宮沢賢治とあっては、手にとるしかない。新装版というが、前に読んだ(眺めた)気がするが、忙しくてまともに本を読めない今、せめて宮沢賢治の世界の一端にでも触れたい。今朝未明のアルバイトは、氷雨といったような冷たい雨の降る中での辛い作業だった。風も吹いて、一層、バイクの運転が難しくなったりする。ふと、今頃の岩手はもっと寒さが厳しいだろう、なんて思ったり。そういえば、学生時代は仙台で過ごしたが、十月末の木枯しの酷いほどの冷たさは、今も記憶に鮮明である。岩手はそれ以上の寒さのはずなのだ。「雨ニモマケズ」を思い出す。賢治の場合、「雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ…」などと続くのだが、小生はただただ、「雨ニモマケズ風ニモマケズ」を繰り返すのみだった。
快方に向かっての退院ではなかった。
基本的に病院ではもう現状を維持する以上の治療の手だてはない、だから、療養(医療)病院で、あるいは介護施設(病院)で長く入院を続けるか、それとも、敢えて退院し自宅での療養に専念するか、のどちらかしか選択肢はなかった。
九月上旬に入院する際には、手すりに掴まりながらだけれど、何とか、寝室から茶の間へ、あるいはトイレに自分の足で向かえたものが、老人には長すぎる入院生活で、歩くのは絶望的に無理、ベッドで起き上がるのも、ベッドの電動機能で背中(上半身)を起こすことで、やっと可能という状態になった。
無論、病院ではリハビリはやってくれていたのだけれど、病状がそこまで進行しているという要因が大きく、要は、全体的な衰弱という状態であっては、入院以前の状態に戻るのは期待薄だったわけである。
本人が当然ながら、退院を希望する。
我が家には父と母と小生の三人暮らし。
父は、この度の入院を契機に、もう、基本的にトイレ(の後始末)などの介助(介護)は、できないと吐露していた。
実際、父自身がもう、自分のことで精一杯である。
つまりは、母が退院し自宅療養するということは、小生が介護するかどうかの決断に委ねられるわけである。
ダメ、というわけにはいかない。
ヘルパーさんや、看護師さん、親戚筋の者たちに大いに(!)助けてもらいながら、母(と父)の介護生活、療養生活が始まることになる。
いや、もう、本日の午後に退院し、自宅に戻った段階から始まっているわけである。
母は、三十年ほどの糖尿病との戦いに疲れ果てている。気力は未だあるのだが、体が言うことを利かない。
九月の入院までは、父(や小生)に見守られ手助けされつつ、母自身が朝、夕と、インシュリンの注射を打っていた。
昼などに血糖値の数値を測る必要もあるが、これは父が、最近は(入院前までは)小生がやっていた。
小生は、だから、インシュリンの注射を母に打ったことがない。
療養のための病院で、退院の日取りが決まった段階で、インシュリン注射の実地講習を受けた。
週に一度(か二度)は、看護師さんが来てくれるが、昼間だから、血糖値の数値を計る役目(これも注射器を使う)は担ってもらえても、どう考えても、インシュリンの注射は小生がやるしかない。
なので、真剣に講習を受ける。
やり方さえ分かれば、なんということはないのだが、朝・夕と毎日、食前に必ずというのがプレッシャーとなる。
昼間には(少なくとも日中のうちには)、血糖値の測定も食餌前には欠かせない。
つまりは、朝・昼・晩と、やるべきことをきっちりやらないといけないわけである。
食事の準備(その間に朝・夕やインシュリン注射、昼間は血糖値の測定(注射))、食事(食膳)を父母の寝室に運ぶ。お茶を煎れたり、あれこれ身の回りの片付け、食後の片付け、洗い物、母は基本的に寝たきりで、食事やお茶を飲む際には、電動ベッドのリモコンを父が操作して、上半身を起き上がらせる。
それはいいのだが、起き上がったりすると、次に寝かせると、ベッドの上での位置が多少、ずれる。
父には、母の位置を直すことはできないし、母も自分では位置をずることができない。
やはり、小生の出番となる。
母の両脇を抱きかかえて、位置を修正し、枕を宛がう。
三度の食事(や洗濯、掃除その他の雑用も含め)は小生が作る。
無論、買物も小生である。
食事の用意は、帰郷した昨年二月末以来、何を買うか、頭をずっと悩ませてきた。
自分のためなら、外食でもいいし、面倒ならカップ麺でも全然、構わない。
しかし、父母には、たまには即席麺で気分転換を計るのはいいとして、普段はやはり、一応は家庭の食事らしいものを準備するのが筋だろう。
九月の入院前までは、父母と小生は同じメニューだった。
ただ、父母と小生とは、量は違うだけである。
それと、アルバイトや家事など肉体労働をするから、小生は間食もする(父も煎餅を食べたり、晩酌をやる)。
それが、今回の退院に当たって、病院側から(お医者さんから)、オカズはともかく、母のご飯は、お粥にしたほうがいいと言われた。
お粥!
雑炊なら作ったことがあるが、実は(多分)、小生はお粥を作ったことがない!
親戚筋の者に尋ねて、今夕、初めてのお粥作りに挑戦してみた。
…なんて、大袈裟だが、まあ、なんのことはない、ご飯を二人分、電気炊飯器からよそい、鍋に移し、お湯を注いで、数分、煮て、あとは、茶碗に移して、父母が好きな梅干を加えるだけ。
尤も、お粥の煮る加減などは、あくまで勘である。
鍋の中を覗きながら、こんなものかな、というところで、火を止めるだけ。
父母は、まあまあの出来だと言ってくれたが、本音はどうなのだろう。
本日のオカズは、味噌汁は当然として、(退院祝いもあって)牛肉(小生、数ヶ月ぶりの牛肉…焼肉である!)と、茹でたアスパラガスと、サンマのミリン焼き、あとは漬物である(デザートにお菓子を出したが、母は食べない)。
さて、ここまで書いてきて、触れることを避けている点のあることに気付く人もいるかもしれない。
そう、下(しも)の世話である。
母は入院前までは要介護度3だったが、多分、この十一月の診断で、(結果が分かるのは来月なのだが)要介護度が少なくとも4、場合によっては5の可能性がある。
となると、介護制度を使ってのサービスのメニューや回数(要は、点数が)も増える。
ヘルパーさんに日に三度(あるいは、四度)は家に来てもらって、下(しも)の世話などをお願いするが、現実には、それでは足りない。
下(しも)は、定期的にあるものではないし、追々は小生がオムツの交換をやるしかないと覚悟を決めている。
ブログでも書いたけれど、実際、既に父が入院していた間は小生が母の世話をしていた。
母は息子の小生に下(しも)の世話をされるのを随分と嫌がっていた。
そう、母は、体は弱っているが、頭はハッキリしている。
口も達者である。
そのこと自体は、ありがたいことだが、いざ、下(しも)の世話となると、なかなか厄介な事態が待ち受ける。
どうしても、お互いに不快な思いをしながらの世話になる。
しかし、自宅療養という在り方を選んだ以上は、乗り越えないといけないことなのだろう。
(09/11/18 作)
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コメント
こんにちは。誰もが通る道とはいえ、やいっちさんもお母様も大変ですね。でも私の立場から言わせていただけば、全くの私の感じ方ですが、申し訳ないですが、私なら息子に下の世話をして貰うくらいなら入院していた方がましです。お母様はどのように感じていらっしゃるのでしょう。それでも自宅が良いとおっしゃっているのでしょうけど。
また、いらぬお節介ですが、やいっちさんはその上働いていらっしゃるのですね。心身ともに疲れ切ってしまえば、親への愛情も薄れてきてしまいます。また母親は息子の健康について気を揉むことでしょう。難しいところですね。あまり、無理はなさいませんように。
投稿: さなえ | 2009/11/19 12:09
さなえさん
「私なら息子に下の世話をして貰うくらいなら入院していた方がましです」というのは、小生なりに分かります。
母は頭がしっかりしています。
なので、父が不在で、母と二人暮らしの間、下の世話をする際は、母も嫌がっていました。
小生も、辛かったけど。
頼める限りは、ヘルパーさんらに頼むつもりです。
そう、「心身ともに疲れ切ってしまえば、親への愛情も薄れてきてしまいます」という点も不承不承ながら納得せざるを得ない状態です。
三度の食事や洗濯などの家事・雑用は小生がやり、可能な限りは、ヘルパーさんや訪問看護の方に頼む…、世間や親戚筋の者に、息子として冷たいと思われようと、お互いが心身ともに潰れずに長続きするには、一線は守りたい。
少なくとも今はそう思っています。
投稿: やいっち | 2009/11/19 21:04