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2009/11/27

風雨の中のバイク感覚

 数年前のこと、不況の直撃を受け、生活費も侭ならなくなり、その一方でやや自堕落な生活が祟ったのか、マッチョというより太っちょの体になってしまって、多少なりとも運動をしないといけないと思い始め、かといって、忙しい中でジョギングを含め運動のための時間を作ることも出来ず、苦肉の策として、通勤にバイクではなく、自転車を使うことにした。

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← 五月の連休の頃に作っていた梅酒。飲める状態に熟したようで、一昨日からちびちび飲み始めている。初めてのことなので、危険性がないかどうか、自分で試飲。人体実験? 今の所、体に異常なし。美味い!

 東京での延長というわけではないが、帰郷しても買物など大概の用事は歩きか自転車(ママチャリ)で済ませるようにしている(大きな買物や、父母を伴う場合は車を使う)。
 なので、バイクなど乗る機会などあるとは到底、思えなかった。
 それが、皮肉なもので、やはり生活(費)の逼迫もあり、バイトをせざるをえなくなって、数年ぶりにバイクに乗ることになった。

 東京生活の最後頃、不況でバイクを諦め、帰郷して生活苦境でバイクに再会するという皮肉。

 さて、バイクでの仕事。当然ながら、アウトドアでの真夜中過ぎの仕事。
 富山という雨の日の多い土地柄で、雨の中は勿論、風に煽られ苦しめられてのバイク走行もしばしばである。
 乗っているのはスーパーカブだが、アクセル全開での走行なので、風雨の中で乗っている感覚としては、3年前まで乗ってきた大型オートバイやスクーターと同じで、まさに風雨が我が身を叩きつける、自然に真っ向から挑む、あるいは(気弱なときは)自然に苛められている、といったもので、こうした感覚はバイクの大小には関係がないのだと気付かされる。

 今回、ここに再掲するのは、虚構(小説)作品の中の一節。
 風雨の中、バイク走行している際に覚える痛烈な、時にセンチな感覚をほんの一端でも紹介したいのである。

                           (以上、09/11/26 記)

誰がために走るのかより抜粋

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→ 一昨日、掲げた花は、山茶花だと教えてもらった。ってことは、ここは山茶花の道ってこと?

(前略)台風がやってくるのもお構いなしで、俺はオートバイに跨って、一路、東京を目指した。台風との競争だった。台風より早く東名を走り切ること。無事に生還するには、風雨など無視して突っ走ることだ。
 風が吹く。オートバイが揺れる。比喩ではなく、木の葉のように揺れまくる。狭いシールドの端の風景が飛び去っていく。真昼間なのに、宵闇の暗さだ。
 雨がヘルメットのシールドを叩く。雨滴がシールドに礫のようにぶつかってくる。バシッバシッという雨滴の、容赦なく砕け散る音が耳を劈く。
 ガーゴーという風の鳴る音も、タイヤの磨り減る音も、台風の風雨の中では、ただの伴奏だ。
 痛切な孤独が俺を癒す。この世から逃げ去るような、それとも風雨の断崖に頭から突撃していくような。
 タイヤが滑る。タイヤが鳴る。路面と、僅か名刺大ほどの接地で、かろうじてバイクは大地と繋がっている。悲鳴を上げるタイヤのゴムは、究極の命の絆なのだ。
 ほんの些細な気まぐれが俺を、名実ともにあの世へ送ってくれる。ちょっと気を緩めればそれで済むこと。誰も見ていないのだ。誰に遠慮が要るわけじゃなし。
 瀬戸際の孤独の中で、俺はアインシュタインの夢を見る。オートバイを無茶苦茶に加速させて、やがて速度は光速に達する。その瞬間、俺は身も心も解き放たれて、この世と和解することができるのだ。俺がこの世に触れることができるのは、その刹那にしかありえない。
 黒い革のジャンパーを着て、あの胸にもう一度! と呟きながら、いや、ヘルメットの中で思いっきりあの人の名を叫びながら、俺は台風を尻目に走る。この世を睥睨する。俺の顔を見て顔を背けたあの人のもとへと突っ走る。ハンドルを握る手が緩む…。
 しかし、本当の俺は臆病者なのだ。ハンドルにしがみついているのだ。この世にしがみついて、ブルブル震えているのだ。ションベンだってちびりそうなのだ。
 何故にこうまでして、死線と見紛う白い線を辿るのか。アスファルトの路面に蜿蜒と繋がる骸骨の連鎖を踏みしだき続けるのか。

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← 「スーパーカブ50・50周年スペシャル (画像は、「Honda 「スーパーカブ50・50周年スペシャル」と「リトルカブ・50周年スペシャル」を限定発売」より。昨年は、「リトルカブ・50周年」だったとか。記念すべき、その翌年にホンダのバイクに乗るってのも、何かの縁なのだろう。最初に乗ったバイクもホンダだったっけ。)

 誰一人居ない世界。透明なパイプ。手を差し出せば触れられそうなのに、接触は禁忌されている。何処までいっても交わることのない、捩れの位置のマリオネット。出番を失ったピエロ。
 平行線だって、交わることがありえるというのに。あの日、俺はあの人に接しえるはずのギリギリの位置に居たのだ。けれど、捻れた根性の故に、俺はあの人を思いながら、あの人から遠ざかっていく。あの人の居る世界が見えなくなる。砕け散る雨滴に掻き消されていく。
 なのに、東京は遥か彼方だ。

関連拙稿:
バイクとて風が友とは限らない!(前篇)
バイクとて風が友とは限らない!(後篇)
梅酒ができたかも…「天使の分け前」のこと

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コメント

お久しぶりです。
お母様のこと大変ですね。
私も短い期間ですが母の介護経験がありますが、くれぐれも腰を痛めないように。
介護の専門の方にベットから車椅子へ移乗する際の腰を痛めない抱き方など詳しく教えてもらうことです。
さて、梅酒ですが、写真を拝見するとまだわかいように思いますが、お味はいかがですか。
もっと、もっと梅がしわくちゃになるぐらい梅のエキスがたっぷりと焼酎にしみ出すぐらいが飲みごろ?
氷砂糖が足りない?
バイク気をつけて。

投稿: さと | 2009/11/27 19:52

さとさん

介護の経験者だけに、苦労が実感で分かるのですね。
小生は、ヘルパーさんらに助けられながら、無理しないように頑張っています。


梅酒、氷砂糖をたっぷり入れました:
http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2009/06/post.html

多分、まだまだ漬けておいたほうがいいのでしょう。
今年は、実験の意味もあるので、少しずつ飲んで、様子を確かめてみます。
それなりに出来ているようであれば、来年は、しっかり挑戦です。

投稿: やいっち | 2009/11/28 21:10

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