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2009/11/30

木版画家・鈴木敦子展へ

 日曜日だった今日、午後、五月の中旬だったか、咲き終えたチューリップの球根を前の庭に植えた。
 昨年はここだけではなく、他に二箇所にもチューリップ畑を造成したのだが、来年は、今の所、この一箇所だけ。
 ちょっと畑や庭仕事の余裕がありそうにない。
 でも、せめてあるだけの球根は活かしたくて、慌しく植えたのである。

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→ 初めて足を運んだ「Gallery NOW」のエントランス付近の佇まい。

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2009/11/29

やたらとナンセンスな…

 やたらとナンセンスなことが書きたいという発作が昂じて、こんなものを書いてしまった

 それにしても、雨の中のバイク仕事は大変。
 何がって、仕事もだけど、合羽類などを洗ったり乾かすのが面倒。
 ヘルメットの内装までビッショリ。

 なかなか渇かなくて、今日は一日中、雨具にからかわれていたような気がする。

 クソッ!

 明日は、仕事の間だけでも、晴れてくれ。

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2009/11/28

踏切では一旦停車のこと!

 日々、あくせくするだけの生活。

 今日などは、父母ともにそれぞれデイサービスへ。
 なので、二人が帰ってくる四時頃までは、幾分はゆったりできる…はず。
 が、さにあらず、連日のように送られてくる督促状の支払いに銀行その外へ奔走。
 その前に、父母の分やら自分の分の洗濯に案外と時間が取られる。

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→ 下手糞な画像だが、これは山茶花。奥に見えるは我が家の縁側。隙間風が凄い。

 二人がいない間に、父母の寝室を掃除。
 寝室だけじゃなく、廊下や玄関も、いつも以上に。

 さぼっていたわけではないが、この数日、表の通りの落葉掃除をやっていなかったので、落葉掃き、今日は燃えるゴミ出しの日なので、数日分のゴミを掻き集めて出す、などなど。

 そんな慌しい中、数日ぶりに銭湯へ行く途中、とんでもないオマケまでついた。

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2009/11/27

風雨の中のバイク感覚

 数年前のこと、不況の直撃を受け、生活費も侭ならなくなり、その一方でやや自堕落な生活が祟ったのか、マッチョというより太っちょの体になってしまって、多少なりとも運動をしないといけないと思い始め、かといって、忙しい中でジョギングを含め運動のための時間を作ることも出来ず、苦肉の策として、通勤にバイクではなく、自転車を使うことにした。

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← 五月の連休の頃に作っていた梅酒。飲める状態に熟したようで、一昨日からちびちび飲み始めている。初めてのことなので、危険性がないかどうか、自分で試飲。人体実験? 今の所、体に異常なし。美味い!

 東京での延長というわけではないが、帰郷しても買物など大概の用事は歩きか自転車(ママチャリ)で済ませるようにしている(大きな買物や、父母を伴う場合は車を使う)。
 なので、バイクなど乗る機会などあるとは到底、思えなかった。
 それが、皮肉なもので、やはり生活(費)の逼迫もあり、バイトをせざるをえなくなって、数年ぶりにバイクに乗ることになった。

 東京生活の最後頃、不況でバイクを諦め、帰郷して生活苦境でバイクに再会するという皮肉。

 さて、バイクでの仕事。当然ながら、アウトドアでの真夜中過ぎの仕事。
 富山という雨の日の多い土地柄で、雨の中は勿論、風に煽られ苦しめられてのバイク走行もしばしばである。
 乗っているのはスーパーカブだが、アクセル全開での走行なので、風雨の中で乗っている感覚としては、3年前まで乗ってきた大型オートバイやスクーターと同じで、まさに風雨が我が身を叩きつける、自然に真っ向から挑む、あるいは(気弱なときは)自然に苛められている、といったもので、こうした感覚はバイクの大小には関係がないのだと気付かされる。

 今回、ここに再掲するのは、虚構(小説)作品の中の一節。
 風雨の中、バイク走行している際に覚える痛烈な、時にセンチな感覚をほんの一端でも紹介したいのである。

                           (以上、09/11/26 記)

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2009/11/26

我がタクシードライバー時代の事件簿(6)

 以下の小文は、一昨年、某SNS日記にてメモ書きしたもの(「ピンクで始まりピンクで終った夜でした」にて、ブログに再掲済み)。
(いつも以上に)舌足らずな表現なのは、徹夜でのタクシー仕事から帰宅した直後に、眠れないままに書いたからのようだ。

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→ 昨日、所用があって、自転車を駆ってデイサービスのある病院へ。その帰り、冠雪し始めた立山連峰が目に清かだったので、自転車を走らせたまま撮影。目に映る印象通りの写真は撮れない。電線の多いこと!

 タクシーの車内での忘れ物は、お客さんから連絡があれば(あるいは届け先が分かれば)、帰庫する前に、忘れ物を届け、あとは通常通りの業務に戻るだけだが、そうでないと、会社に持って帰ることになる。
 所定の書面に事情などを書いて、事務所(員)に渡して、一応は役目は終わる。

 ただ、忘れ物に(ついても)煩い会社だったから、所長から、忘れ物があっちゃ、いかんなー、とお小言を頂戴する。

 さて、今回は、日中、トイレ休憩からタクシーに戻る途中、路上に凄く立派な財布、しかも、分厚い財布を拾ってしまった<事件>の顛末である。
 財布を拾うってのは、なんとなく、嫌なものだ。

                               (以上、09/11/25 記)

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2009/11/25

3キロ、痩せたら、標準体重になる!

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← 我が家の内庭。座敷の縁側付近からの撮影。築山には駆れ落ちた松葉などが密集している。前日(22日)までの寒波も去って、昨日今日と比較的穏やかな陽気に恵まれている。だからこその昨日の自転車での外出なのだった。

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2009/11/24

我がタクシードライバー時代の事件簿(5…後篇)

 事故があった祝田橋交差点は、桜田門にある警視庁から徒歩でも数分の場所。
 しかし、管轄は丸の内警察署ということで、事故の処理も丸の内警察署だった。
 生まれて初めて警視庁の館内に入れるかも、なんて期待は呆気なく萎んでしまった。

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← 久々に仕事や買物以外で外出。といっても、図書館へ本やCDの返却に行っただけ。時間がなくて、借りるCDも、モーツァルトにバッハにショパンのもの。聴いたことのない作曲家や演奏家のCDを物色したいが、そんな余裕もない。路肩の落葉を撮ろうとしたら、小生の影が。

 さて、本稿は、「我がタクシードライバー時代の事件簿(5) 小生、事故の当事者となるの巻」の続篇(後篇)である。
 事故は、事故そのものも大変だが、後始末もなかなか面倒。
 小生は事故に巻き込まれた立場、つまりは被害者なのだが、それでも、誰にもぶつけようのない不満や愚痴もある。
 事故の始末での売り上げの減少など、すでに不況下にあったタクシー稼業にあっては、涙するしかない痛みなのだった。


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2009/11/23

我がタクシードライバー時代の事件簿(5…前篇)

 バイクも含めて、小生は事故の経験はあまりない。
 しかし、皆無、というわけではない。
 ライダー歴は35年となったし、車の免許も今年で28年。

 タクシードライバーとしての営業中の事故も、接触程度の小さなものが何度か、経験している。
 今日は、その中でも警察を呼ぶことになった、悪質な(相手方が!)ケースについてのメモを再掲する。
 細部を弱冠、編集したが(バイクでの事故など、本題に関係ない部分を略した)、原則として、メモ書きした当時のままの文章である。

 衝突でボンネットなどがへこんでいる様子や、警察官達の現場検証の様子を写した写真があったのだが、画像は呼称してしまった古いパソコンの中(ハードディスク)で、掲げることができないのが残念である。


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2009/11/22

雲に覆われた真夜中の明るさ

 月影について、満月について、今まであれこれと綴ってきた。
 今月に限っても、「月影のワルツ?」では、(ほぼ)満月の真夜中の月影の清冽なまでの明るさ、物の影の輪郭の鮮やかさをメモったし、「「ムーンシャイン」は妖しい言葉」では、「ムーンライト」とはまるで違う意味を持つ、「ムーンシャイン」について語り、「「月影に寄せて」の頃のこと」では、改めて「月影」という言葉の意味を探ってみた。

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← 南天の真っ赤な実。背後には熟したミカン。いずれも水も滴るいい果実!

 今日もまた、月についての話題である。
 …と書きながらも、実はもしかして勘違いしているのかもしれない、月に因する話ではないかも、という一抹の不安もある。

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2009/11/21

夢のない夢を見る

おかゆの作り方から始めます」にて、場合によっては最後の入院になるかも、との懸念もあった(主治医にそう警告されていた)入院生活を終え、母は自宅療養へ、などと書いた。
 その自宅療養、まだ、三日目なのだが、小生はヘトヘト。

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→ リクライニング機能のある車椅子を用意。

 朝は八時前に母にインシュリンの注射。
 その前に、朝食の準備。温めれば出せる(食べれる)ようにしておく。
 インシュリンを打つには、ベッドに寝ている母のベッドの上半身を電動機能を使って起こしておく。

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2009/11/20

我がタクシードライバー時代の事件簿(4)

タクシーと忘れ物(お彼岸篇)

 ある年のお彼岸の日に、とんでもない忘れ物があった。
 その日は、祭日で、天気は晴れていたのだが、通常は営業的には暇なはず。
 が、お彼岸は、お墓参りの方が多く、日中に限っては忙しい。

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← 「月はどっちに出ている」(監督:崔洋一 出演者:岸谷五朗/ルビー・モレノ/絵沢萠子)

 昼過ぎだったか、とある駅でお乗せした年輩の方と若い方との二人連れのお婦人方を、基本料金で行ける場所にあるお寺へ。

 二人をそのお寺で下す。無論、忘れ物はございませんか、と声を掛けた。
 そして、小生は次の営業へと車を走らせた。

 すると、すぐに別のお客さんが乗ってくれた。
 嬉しい。
 お客さんが連続するなど、近頃ないことなので、嬉しい。どうやら、そのお客さんもお墓参りの方のようだ。

 が、その喜びは束の間のものだった。お客さんの一言で、一気に暗転したのである。
「あの、忘れ物、ありますよ」だって。

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2009/11/19

おかゆの作り方から始めます

 最後の入院になるかも、などと医者に言われつつの母の入院だったが、治療のための病院(入院)から、療養のための病院に転院し、今日、二ヶ月余りぶりに退院となった。

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→ 『新装版 図説 宮沢賢治』(上田 哲 /関山 房兵/大矢 邦宣 /池野 正樹編 河出書房新社) 図書館の新刊コーナーでこの本を見つける。宮沢賢治とあっては、手にとるしかない。新装版というが、前に読んだ(眺めた)気がするが、忙しくてまともに本を読めない今、せめて宮沢賢治の世界の一端にでも触れたい。今朝未明のアルバイトは、氷雨といったような冷たい雨の降る中での辛い作業だった。風も吹いて、一層、バイクの運転が難しくなったりする。ふと、今頃の岩手はもっと寒さが厳しいだろう、なんて思ったり。そういえば、学生時代は仙台で過ごしたが、十月末の木枯しの酷いほどの冷たさは、今も記憶に鮮明である。岩手はそれ以上の寒さのはずなのだ。「雨ニモマケズ」を思い出す。賢治の場合、「雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ…」などと続くのだが、小生はただただ、「雨ニモマケズ風ニモマケズ」を繰り返すのみだった。

 快方に向かっての退院ではなかった。
 基本的に病院ではもう現状を維持する以上の治療の手だてはない、だから、療養(医療)病院で、あるいは介護施設(病院)で長く入院を続けるか、それとも、敢えて退院し自宅での療養に専念するか、のどちらかしか選択肢はなかった。

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2009/11/18

我がタクシードライバー時代の事件簿(3)

営業の初日、白バイに捕まる」の巻

 小生がタクシードライバーの免許を取得したのは、1995年8月。
 真夏の真っ盛り、七月頃から二種免許取得のため、大田区から足立区の自動車学校までせっせと通った。
 大田区(城南方面)に住んでいるものにとっては、足立区は東京の外れに感じてしまう(逆もまた真かもしれない)。

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← ドラマ 『東京タクシー』 (画像は、「ドラマ 『東京タクシー』 第14回釜山国際映画祭への特別招待が決定しました! [株式会社ミュージック・オン・ティーヴィ] - ニュースリリース:サービス業 - Qlep熊本」より)


 馴染みのない地域だったことや、タクシー稼業でやっていけるか心配だったこともあり、心細く、何となく島流しというか、一人だけとんでもない次元に吸い込まれていくような感覚を抱いていた。
 仲間が誰も居らず、相談相手もなく、書くこと(読むこと)を優先しての、それなりに考え抜き選び抜いた職業だった。
 タクシーに乗ってしまえば、あとは(実車中はともかく)自分だけの天下、自分ひとりの世界に居ることができる…。

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2009/11/17

我がタクシードライバー時代の事件簿(2)

 昨日、書いた小文は、酩酊を通り越して昏睡状態に陥っていた乗客の話だった。
 今日、紹介する出来事も、ある意味、酔漢に関係する。
 但し、乗客が酔っ払っているのではなく、乗り込もうとする(潜在的には客ではあるが)二十代半ばから三十前後の男が酔っ払っていたのである。

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→ 「タクシードライバー スペシャル・エディション」(マーティン・スコセッシ監督 ロバート・デ・ニーロ主演) 小生は、このロバート・デ・ニーロが男優としては好き。めったに一人では映画館に足を運ばない小生だが、彼の映画だけは数少ない例外。 (画像は、「タクシードライバー スペシャル・エディション-ロバート・デ・ニーロ - TSUTAYA オンラインショッピング - DVD」より)

 1998年5月2日に、ロックバンド「X JAPAN」のメンバーだった「HIDE」さんが、自殺(あるいは事故死)した事件があった。
 ワイドショーか何かで聞きかじったのかどうか今では定かではないが、記憶に間違いがなければ、彼の住所は南麻布にあったのではなかったか。

X JAPAN」のファンでもなんでもない小生が、この事件が印象深いかというと、やはり、この事件の直前、南麻布でちょっとしたトラブルがあったからである。

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2009/11/16

我がタクシードライバー時代の事件簿(1)

 タクシー客で何が困る、迷惑かというと、酔漢、特に車中で吐き気を催す人。
 後部座席で客が「おえっ!」なんてやっていると、気が気でない。
 無論、そんな時は、備えてあるビニールの袋を渡すし、客が要望すれば(時には、しなくても)、車を一旦、止めて、道端での始末と相成ることもある。

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← 「タクシードライバーの推理日誌スペシャル「東京~宮崎日向灘、殺人画の乗客!!慰安旅行で巻き込まれる謎の連続殺人!?再会した女に秘密あり」」の一場面 (画像は、「どうせ誰も見てませんからっ☆★ 「タクシードライバーの推理日誌スペシャル」(土ワイ)」より)


 が、中には、いきなり、一気にゲボッとやっちゃう客も居たりして、ただただ迷惑なのである。
 車の中で店を広げられてしまった場合、お客さんが降りた後、車を会社か何処かの公園へ回送し、車の清掃である。匂いは一時間じゃ、消えない。ビニールマットやシーツなどの清掃にも手間取る。マットの下の床もちゃんと洗わないといけない。
 洗うといっても、要は用意してある古い手拭い(雑巾)などで、せっせと拭い去るしかない。

 建前としては(会社の推奨として)、迷惑料として、二時間の営業ロスということで、数千円を戴くことになっているが、大概の客は酔っていることを理由に(しかし、実際には吐いた段階で意識がはっきりしているのだが)、あとは野となれ山となれで、運賃だけ払って、さっさと立ち去っていく。
 案外と足どりはしっかりしていたりする!

 特に新人時代、そうした酔漢の客を乗せる仕儀に相成ったものだが、そんな中、忘れられない客がいる。
 今回は、その話をメモしておく。


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2009/11/15

我がタクシードライバー時代の事件簿(序)

 昨日だったか、(録画で)女性のタクシードライバー(演じるのは、余貴美子さん)が主人公のドラマを観た。
 録画は見終わった後、消し去ったので、題名は定かではない。
 確か、「女タクシードライバーの事件日誌」で、小生は初めて見るのだが、再放送モノだったと思う(どうやら、「殺意の交差点 1時33分から空白の乗車記録…忘れ物の傘が招く白昼殺人」らしい)。

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→ タクシードライバーの制服姿の余貴美子さん (画像は、「テレビドラマ「女タクシードライバーの事件日誌④」 - 「おやじぃ」の日々つぶやき」より)

 小生は、時間に追われる、且つ、介護やお見舞いなどを中心の生活を送っているので、テレビを時間通りに見ることは叶わない。
 なので、録画しておいて、空いた時間に、場合によっては途切れ途切れの形で見ることが多い。


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2009/11/14

ブリから「ひいわし」の話へ

 秋も深まってきて、少々気が早いが冬の到来もそう遠くはない。
 冬…雪掻き(雪下ろし)、といった連想はこの際、脳裏から消し去っておいて、富山の冬というとブリ! という話題に移ろうか。
 小生、なんたって、ブリの照り焼きが好きである。

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← 近所のある施設の壁面に飾ってあった絵。誰もいなかったので、こっそり鑑賞、ちゃっかり撮影。

 が、ブリの話もさることながら、ふと、過日、家人が話題にしていた、「ひいわし」のことが脳裏に浮かんだ(かなり、安直な連想だが)。
 それなりに食い気もある小生、「ひいわし」についての雑文も当然ながら(!)、認(したた)めている。

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2009/11/13

草むしりのあとは落葉掃除の日々

 いよいよ来週辺り、母が退院してくる。
 それは、母にとっても目出度いこと。

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→ ツバキ(?)が開花。栄養が足りないのか、花の数も少ないし、綺麗な花にはなってくれない…。

 ただ、今度のやや長い入院で、リハビリもやっていたけれど、寝たきり状態に近くなってしまった。

 自宅での療養(介護)生活。
 ヘルパーさんらの手を借りるとしても、小生の引き受けることも多そう。

 頑張るしかないね。


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2009/11/12

「卑弥呼の居館跡」発見 ? !

奈良・纒向遺跡 卑弥呼の大型居館か 3世紀前半の建物跡出土」(産経新聞)といったニュースが、新聞やテレビなど、マスコミを賑わせた。
 これまで中小の建物跡は見つかっていて、今回、「大型建物跡1棟」(2棟というサイトもある…)が新たに発見されたのである。
 下記するが、この大型建物跡1棟の齎す情報が貴重であり、意味深いという。

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← 我が家の紅葉も大分、色づいてきた。我輩も一緒に色気づいちゃおうか。

 やはり、邪馬台国の話題となると、世間の注目度も高いようで、一般のニュース(例の逃亡生活を続けていた、死体遺棄の容疑者の逮捕や事業仕分けが始まった、など)の間にも割り込んでくる。
 小生も、こういった話題には目がない。

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2009/11/11

寝場所が確保できました!

 帰郷して一年と半年余り、ようやく我が塒(ねぐら)を確保した。

 …と言って、別に今までホームレスだったわけではない。

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→ 朝の八時頃、食事(の準備)前、庭に出て軽く体操。と、空に真っ白な筋が。そう、ジェット機の織り成す筋雲。その傍には半月にならんとする月影が。こんな穏やかな空を見上げていると、今夜にも雨になるなんて、信じられない。

 昨年の二月末に帰郷したが、我輩を迎える態勢は全くなし。
 さすが部屋はあるものの、前の居住者のため、三十数年前に内装を替えたままの部屋。

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2009/11/10

枯れ葉掃除の日々

 霜月ともなると朝の日課が始まる。
 落葉掃除である。

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← 昨年の初冬、富山市内某川縁にて。

 風が強く吹いたわけではなくても、枯葉が一枚、また一枚と散っては舞い落ちる。
 夜など、ヒラヒラ舞い落ちる落ち葉が街灯や月の光などをチラチラ反射させて、妙に幻想的な光景が垣間見られたりする。
 見ている分には風情もなきにしもあらずだが、掃除する身になると、ただただ厄介である。

 不精な小生だし、日々、お見舞いなど所用が重なって、自宅の庭の落葉は、掃き寄せるだけである。
 雑草と同じで、庭の隅っこに纏めておけば、土壌の肥やしにでもなってくれるかと、淡い期待を抱いてのことである。
 あるいは、掃くのさえ、省くこともある。

 しかし、表の通りに面する場所に散っているとなると、世間体もあるし、放っておくわけにはいかない。
 我が家の杉や梅の木や泰山木などなどの枯葉が路上に散らばっていると、誰がどう見ても、我が家の木々からの<お土産>である。
 普段、緑や花々で目を楽しませているから、落葉くらいいいだろう、ってわけにはいかない。
 まして、他人様の庭先や玄関に舞い込んでいるとなると、特に風の強かった日の翌朝などは、せっせせっせと落ち葉掃きである。
 他人の家と接する道路に沿って掃除していっても、一時間ではすまない。
 大よそ、掃き終えたという頃には、秋の日の朝であっても、汗だくとなる。

 いい運動とは言えるかもしれない。

 そんなこんなや、一昨日だったか車中でラジオから「枯れ葉よ~♪」なんてシャンソンが流れてきたこともあり、ふと、昔書いた落葉に絡む小文のことを思い出してしまった。
 せっかくなので(?)、ちょっと再掲してみる。

                           (以上 09/11/09 記)

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2009/11/09

「月影に寄せて」の頃のこと

月影のワルツ?」で、「月影」という言葉について、「月影には、「月の光」という意味あるが、「月」自体を指すこともある」と説明している。
 どうも、あまりにサラッとした安直な説明だったなと気になっていた。
 以前なら、「広辞苑」などの辞書(事典)を繙(ひもと)くのが当たり前だったのに、今は、ネット検索という機能に頼りっ放しで、怠慢にもそのまま流してしまった。

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→ 「水鳥の戯れしごと我もけふ」参照。

 例えば、数年前に書いた「月影に寄せて」(03/11/25)
では、冒頭に以下のように記している:

「広辞苑」で「月影」を調べると、以下のようである:

(1)月のひかり。「月影さやかな夜」
(2)月の形。月の姿。
(3)月の光に映し出された物の姿。
(4)薄墨で竹などの模様をすり出した紙。


 小生は、「月影のワルツ?」で、以下のように書いている:
 ただ、丑三つ時に足元の明るさ、地上世界の木々などのの影、もっと直下を見ると、角度によっては自分の影さえもはっきり地上に刻まれているかのような、そんな光と影の世界、思いがけない影絵の世界を垣間見て、月影とは、月が地上世界に影を齎すから、闇の世界にあってモノたちにシルエットを与えるから、そんな<魔力>を有しているから、だからこその「月影」なのだろうと直感してしまった。

 なんのことはない、「月影」には、「月の光に映し出された物の姿」という意味があると、ちゃんと「広辞苑」に書いてあるじゃないか!
 それをさも、尤もらしく語っていたなんて、情けないったらありゃしない!

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← 「水鳥の戯れしごと我もけふ」参照。

 わずか数年の間に、辞書(事典)を引く労をさえ厭うような自分になっていたのか。
 まあ、弁解すれば、ほんの数年前とはいえ、ISDNで、ネット検索なんて、時間が掛かって、やっていられなかった。
 ADSLの時代でも、検索にはためらいがあった。
 それが、「光」の時代になって、辞書などに頼るより、ネット検索のほうが遥かに早いし、場合によっては今日的な情報が得られることもある。
 もう、ネット検索という武器は手放せない(無論、様々な弊害や難点のあることは承知しているが、今は問わないでおく)。

(…まあ、下に掲げる「月影に寄せて」を書いた頃は、恋していたから、真率さも際立つのかもしれない。こんな懐旧談じみたことを書くのも、昨日が敬愛する方の誕生日だったから、なのか。)

 さて、ほんの数年前の小生だと、「月影」をテーマ(話の端緒)にしても、どのような文章を綴るか、反省の意味も籠め、転記しておく(一部、略す)。

                           (以上、09/11/08 記)

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2009/11/08

たばこ税増税は医療費の抑制につながる ? !

 民主党政権となり、たばこ税の増税がいよいよ本格検討の段階に入ったようだ。
 場合によっては、ひと箱600円という案も浮上している(独り歩きしている)。

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→ 某所に立ち寄ったら、そのロビーの壁面にこの絵などが飾られていた。事務手続きを待つ間、しばし鑑賞。

 ひと箱600円というと、今の倍の値段である:
政府税調、たばこ税増税本格検討…価格2倍も - 速報:@niftyニュース

 この増税の狙いは、想定を超える税収不足など財源不足もあって、現実味を増す赤字国債の過剰な増発を少しでも避けたいということもあるようだし、健康が目的だという建前も語られている。

 当然、賛否の分かれるところでもある。

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2009/11/07

「ムーンシャイン」は妖しい言葉

 小生、丑三つ時過ぎから夜明け前までという、真夜中に活動するという仕事柄、月影にも、月を巡る話題にも敏感である。

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← 今日は、実りの秋を髣髴とさせる我が家の庭木たちを紹介。

 今日、マーク・ロナン著の『シンメトリーとモンスター―数学の美を求めて』(宮本 雅彦 宮本 恭子【訳】 岩波書店 (2008/03/19 出版))なる本を読み始めたところ、そのプロローグの部分で、「ムーンシャイン」という言葉に出合った。

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2009/11/06

石蕗 (つわぶき)の花のごとくに我もまた

 過日(11月2日)、津島 佑子【著】の『快楽の本棚―言葉から自由になるための読書案内』(中央公論新社 (2003/01/25 出版))を読了した。
 図書館で借りる本を物色していたら、「芸術の秋」特集コーナーがあって、二十冊ほどの本が並べられていた。
 その中から二冊を選んだうちの一冊である。

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→ 昨日、「月影のワルツ?」なる記事で、(ほぼ)満月のもとでの、ややセンチな感懐など書き連ねてみた。が、肝心の当夜の満月の撮影は出来なかった。これは翌日(四日)の夜のやはりほぼ満月の画像。目には輪郭も鮮やかだったのだが、小生には、ちゃんとした撮影は手に余るようである。

 多分だが、小説家である津島佑子の肝心の作品のほうは、一つも読んでいないはず。
 まあ、彼女の世界への糸口になれば、という思いもあって手に取った。

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← 先日の寒波を乗り切った「石蕗 (つわぶき)」の花。寒波など何処吹く風と、裏の細道でひっそり咲いていた。…ところで、近々の母の退院が決まった。それは嬉しいことだが、自宅療養もいろいろ大変そうである。

(この拙稿を書き上げてから思い出したのだが、学生時代、女性作家の作品を読み漁った時期があって、その際、津島佑子の作品も読んでいた! (09/11/05 追記))


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2009/11/05

月影のワルツ?

 昨夜…というべきか今朝未明といったほうがいいのか、丑三つ時を少し回った頃、仕事のため台所にある勝手口から外に出た。
 出た瞬間、気付いたのはこの時間にしてはただならぬ明るさである。

 空には星がいっぱい見える。

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→ 悲しいかな、今朝未明の月影を撮ることは叶わなかった。これは、昨日の夜の月影。この雲が一掃されて、晴れ渡った空になった。ただ、寒波がきつかった。

 が、星明りでこんなに明るいわけがない。

 きっと、月のせいだ!

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2009/11/04

梅酒ができたかも…「天使の分け前」のこと

 この春、製造に取り掛かった梅酒が(多分!)完成に近付いた模様。
 初めての梅酒作りだし、ノウハウも細かな注意点も分からない。

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← 今年九月中旬のある日、出来上がりつつある自家製の梅酒を撮影。梅の実の状態の悪さが目立つ。初めての梅酒作りでもあり、どんな出来なのか知れないし、人には飲ませられない。

 そもそも、我が家の梅の木は疲弊しきっている。
 というのも、庭木の手入れをする人間がこの数年、不在に等しかったからだ。
 母は体が不調だったし、父も母の世話で手一杯。庭や畑の草むしりも侭(まま)ならない状態だったのだ。
 そこへ昨年の二月末、小生が帰郷と相成ったわけである。
 当然、草茫々の庭や畑に呆然とし、雑草に圧倒される日々。
 畑だって、思い出したように花(の苗や種)を植えたりするだけ。庭木の手入れは後回しだった。

 梅の木も植えられて五十年余りで、まだまだ寿命があるはずだが、少なくともこの数年、顧みることがなかったので、苔生し、葉っぱも疎らなら、花は尚のこと、悲惨。
 当然、梅の実も近隣の家の梅の木とは比較にならないほどの寂しい収穫。実だって貧弱なもの。
 それでも、昨年は梅の実を捨てる一方で勿体無いやら悔しいやらといった思いをしたので、今年はとにかく出来はともかく梅酒に挑戦してみることにしたのだ。

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→ 一昨日の夜、寒波の襲来を盛んに報じられていた日、玄関の戸を開けると、眩いばかりの満月間近の月影。…いつかは月影を上手く撮影したいと思う。

 その出来は…?
 初めてのことなので、どんな出来なのか(あるいは毒性があるやもしれず)他人には飲ませられない(勿体無いからでは、という声も?)!
 せっかくなので、梅酒ではないが、数年前、養命酒を呑んだことがあって、ちょっと雑文など書いたので、それをブログに載せておく。

 その(雑文を書いた)年、養命酒を初めて飲んだ。
 以前、東京在住時代、秋になると田舎から送られてくる梅酒が部屋に常備されていて、ちょっと頭痛がしたり悪寒がした時は、梅酒を飲むのが習慣だったりした。

 が、80年代の後半のある年、知り合いに梅酒は驚くほどの砂糖を使って製造してるのよ、飲まないほうがいいわよ、などと言われ(素直な小生は)ビビッてしまって、爾来、梅酒は飲まないようになった。
 だから、養命酒にしてもその年が初めてだし、全くその年だけの短い出来事だったのだ。

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← ゴーヤもヘチマも撤去してスッキリした我が部屋の窓外の模様。ところが、予想外の植物が鎮座していた(左)。植えた記憶はないのだが…。右側は、ウレキテスサマーブーケ。開花の時期はとっくに終わっているが、今になってツル性植物らしさを発揮している。そのほか、一緒に植えたサンパラソル、ブルーベリー、ローズジャイアント、ナスなどはとっくに枯れ果ててしまい、撤去したが、この植物だけは今も頑張っている。なので、ツル性植物のためのネットは取り去るわけにいかない。

(以上、「09/11/03」作。尚、ようやく「解剖図の歴史を垣間見る(下)」をアップしました。)

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2009/11/03

自殺防止目的で青色LED照明を導入

 今日、NHKテレビ(夕方七時)で、JR(東日本?)が自殺防止目的で駅に青色LED照明を導入したというニュースを伝えていた。
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→ 「青色発光ダイオード(青色LED)」 (画像は、「発光ダイオード - Wikipedia」より)

 どうやらかねてより新聞などでは関連のニュースが報じられていたようである:
JR東日本が、自殺防止目的で山手線全駅に青色LED照明を導入 - スラッシュドット・ジャパン
自殺予防で中央線にも青色のLED照明設置、JR東日本|日経BP社 ケンプラッツ

青色の照明は心を落ち着かせる効果がある」!

 小生は、全く勘違いしていた。
 認識を間違っていた…のかもしれない(このことは後記する)。

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2009/11/02

枯れ枝に止まるカラス(後篇)

 余談だが、ヘルマン・ヘッセの『荒野の狼』は、特に三十代から四十代にかけての小生の座右の書で、その時期だけでも、高橋健二訳(新潮文庫)で少なくとも三度は読んでいる

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→ この画像だけで花(植物)の名前が分かるだろうか(小生は分からない)

 そんなこともあって、決してヘッセのいい読者ではないのだが(文庫本に入っている作品だけは主に大学生の頃に読んだが)、『荒野の狼』に関連する文書として日記の断片(詩)を読めたのは嬉しかった。

 この『荒野の狼』に関連する文書で、同じく日記の断片として以下の小文が載っている:

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2009/11/01

枯れ枝に止まるカラス(前篇)

 寝床に横たわって『ヘルマン・ヘッセエッセイ全集 3 省察 3 自作を語る・友らに宛てて』(ヘルマン・ヘッセ 著 日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会 編訳 臨川書店 版)を捲っていたら、今の小生の気分にピッタリといった詩に出合った。
 ヘッセの小説『荒野の狼』に関連する文書のようである。

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← ヘルマン・ヘッセ 著『ヘルマン・ヘッセエッセイ全集 3 省察 3 自作を語る・友らに宛てて』(日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会 編訳 臨川書店 版)

 この小説を書いている間、あるいは書いて公表しあれこれ反響を貰っていた頃の日記の断片。
 正当な(?)理解を得られることは稀で(少なくとも作家の気持ちにおいては)、さまざまな誤解に胸を痛めていたりする。

 そうじゃないんだ、そんな理解は全く見当違いだ! そう作家としては叫びたい心境。
 一定の評価を得ても、作家の心中は複雑でもある。

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