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2009/10/17

藁にも縋る思い?

 過日、紹介したエリアス・カネッティ著の『眩暈(めまい)』(池内紀訳 法政大学出版局)の読後感が今も鮮烈である。

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← 未明の仕事の途中、渡る橋の上から撮影。富山湾に注ぎ込むこれは川というより運河。小樽運河には敵わないけど、なかなかロマンチックな光景。もう少し、工夫したら観光(デート)スポットも夢じゃない気がするのだが。

 小説として(あれが小説と呼べるならばだが)名作だとか、まして感動を呼ぶ作品とは到底、思えないのだが、文学の枠(文学とはこういうものだといったような思い込み、偏見)を過激な描写と手法で粉砕してしまうような作品であることは否めない。

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→ 過日、台風の風で折れ倒れた杉の木。ようやく枝葉だけは適当な束にまとめ、紐で括るなどして、徐々に燃えるゴミの日に出しつつある。この束が30束以上。他に大きな枝、そして折れた幹が手付かずで残っている。

 昨年二月末に帰郷して(あるいは一昨年末に帰郷が急に決まって)から、やや確執のある我が家にあって、神経が引き裂かれるような…、それとも心のひたすら摩滅するような日々を送っている。
 物心付いた頃からの、もっと言うと生れ落ちた瞬間からの、断裂した心(と身)。

 その父母も、母は入院中、父は再度の検査が必要な状態。
 自分の状態は…、棚上げである!

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← さすがのゴーヤも今やこんな有様。まだ勢いのありそうな葉っぱはヘチマ。

(何事に付いても)多くを語る気にはなれない。
 一昨年末からの我がブログの(従来に増しての?)内容の低調ぶりにも、自分の身心の惨状が如実に現れている。

 …で、冒頭で触れたエリアス・カネッティ著の『眩暈(めまい)』だが、こんな状態の自分だからこそ、この小説の破格ぶりがある種のヒント(突破口)になるような気が…、一瞬、したのである。

 まあ、要するに、今の小生は藁にも縋る思いでいるということなのかもしれない。

                                (09/10/16 記)

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