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2009/10/31

「之を楽しむ者に如かず」!

 世に音楽が嫌いだという人は少ないのではなかろうか。
 音楽ということで、どんなイメージや人や曲を思い浮かべるか、同床異夢ではあろうが。

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← 東京在住時代の家の近くの小道。写真を載せたら、ネット仲間の方が絵にしてくれた。

 小生にしたって好きか嫌いかと言えば、好きである。
 というか、断然、好きである。

 しかしながら、人との比較において、我輩が段違いに好きかと問われると、返答に窮する。
 音楽が好きということに嘘偽りがあるわけではない。


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2009/10/30

臭いものに蓋!

 政権が変わると政治や国会がこうも変わるものかと驚かされる。
 必ずしも民主党の支持者ではないのだが、多少のギクシャクはあっても、来年までは(一年くらいは)応援しようか、などと思ってしまう。

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→ 二三日、見ない間にツワブキの花が一気に盛りに。日陰の細道の片隅にひっそり。薄暗い中、真っ黄色の花が鮮やかに浮かび上がってくる。

 過去の柵(しがらみ)を断ち切るという課題と、新しい方向性を打ち出すという責務と、つまりは、アクセルとブレーキを同時に踏み込まなければならないという難題を背負っての船出。

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2009/10/29

幻の「青いバラ」発売から「駄洒落の英語」へ!

 駄洒落の英語といっても、生粋の日本人である小生、英語で駄洒落しようというのではない。
 英語を日本語に翻訳しようというのだ、が、但し、駄洒落風にということだ。
 事例を挙げて説明するのがいいだろう。有名なところだと、この「マッチ、ハウ マッチ?」(このヴァリエーションで、「このハマチ、ハウ、マッチ」もある)とか、「あの兵士、髭をソルジャー」ってのがある。

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← 昨日も掲げたこの雫(水滴)の画像を再掲した理由は、本文を読めば分かる。(分かっても、何の得にもならないが!)

 この手の翻訳は、英語にも日本語にも通暁する必要があり、至難の業ともいえる芸当ではないかと思える。が、世間的評価は低い。
 が、そんな冷たい風に負けるわけには行かない。

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2009/10/28

ポストに悩む日々?

 過日より、手の甲(特に左手の甲の指の根元付近)に妙な擦り傷が出来てきて、それが一向に直らない。
 最初は、草むしりや庭木の剪定で虫か何かにかぶれたのだろうと思っていた。
 以前(春先)にも、そんなかぶれたような症状があったし。

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→ ゴーヤはすっかり涸れ果てているから、あとはいつ、根っ子から引っこ抜くかだけ、考えている。ヘチマのほうは、まだまだ元気。葉っぱも青々としているし、花だってこんなに立派。

 でも、その時は、薬を塗らなくとも一週間ほどで直ったのだが、今回は一ヶ月も経つのに、<かぶれ>の状態のまま。その<かぶれ>が擦り傷のようになり、しかも、逆に日々傷が少しずつ深くなるし、しかも生々しい。

 一昨日だったか、はたと気が付いた。
 新聞配達のせいだ!

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2009/10/27

ピアノ曲は我がマドレーヌ?

 今日は何故かよく夢を見た。
 というか、眼が覚めた瞬間、夢の中の物語の途中であることが何回かあった(あるいは、いつもとは違って、目覚めた瞬間、夢の断片を覚えていた、というべきか)。

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← 『中村紘子:リサイタル』(ソニーレコード) (画像は、「Amazon.co.jp: 通販」より)

 生活の都合とはいえ、日々、細切れの睡眠(仮眠)を数回取る。
 こんな睡眠の仕方では多分、体に悪いのだろうが(きっと心にも)、一日数時間というまとまった睡眠時間帯を確保できないという事情がある以上、余儀ないことである。
 

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2009/10/26

解剖図の歴史を垣間見る(上)

 ベンジャミン・A.リフキン/マイケル・J.アッカーマン/ジュディス・フォルケンバーグ著 『人体解剖図―人体の謎を探る500年史』(松井 貴子【訳】 二見書房 (2007/11 出版)) を読んだ。
 …というより、ルネサンス以降、ヨーロッパで制作された様々な解剖図を眺めた、といったほうが当たっているかもしれない。

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← 「Rock painting, ca. 6000 B.C.E.」 (画像は、「Dream Anatomy Gallery Aboriginal Rock Painting」より) バスキアよりファンキー、でも何処かユーモラスな雰囲気も漂っている。

 今年の春だったか、親族の者がバランス感覚の揺らぎを覚え、痰(咳)が止まらないという症状もあったので、MRI撮影に望んだ。
 小生はその診断の立会い人として傍にいた。

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2009/10/25

肝心の畑は荒れ放題

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← 我が家の庭も秋の真っ盛り。いろんな木に木の実が生っている。「現生人類のルーツを遺伝子で」や「地球上で最も大きな生体:アスペン」などに載せた木の実などの画像も見てね。このほか、ヘチマのでっかい実も生っているし、ミカンも結構な収穫が期待できそう(味は怪しいが)。

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2009/10/24

地球上で最も大きな生体:アスペン

 スペンサ-・ウェルズ著の『旅する遺伝子』(上原 直子【訳】 英治出版 (2008/10/27 出版))を読んでの感想文と呼べない雑文は既に書いたが、その中で、本書のテーマとは直接の関わりはないのだが、「地球上で最も大きな生体」なる話題が載っていた。

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地球上で最も大きな生体」って?
 象でも恐竜でもクジラでもない!
 それは動物ではなく、植物。

 となると、縄文杉とか、あるいは知っている人は、カリフォルニアのセコイアオスギの名を挙げる、だろう。
 確かに個々の生体(樹木)ということであれば、それも間違いではないのかもしれない(小生は未だ、調べつくしていない)。

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2009/10/23

現生人類のルーツを遺伝子で

 スペンサ-・ウェルズ著の『旅する遺伝子』(上原 直子【訳】 英治出版 (2008/10/27 出版))を読んだ。
 副題は、「ジェノグラフィック・プロジェクトで人類の足跡をたどる」とある。
 著者のスペンサ-・ウェルズは、「ナショナルジオグラフィック協会の協会付き研究者であり、ジェノグラフィック・プロジェクトの指揮を執る」という方。

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← 庭木を見て回ると、木の実が随分と生っていることに気づく。つい先日まで蕾だったのが一気に開花していたり。秋本番だ。それにしても、今の所、オリオン座流星群の観察にまるで成功しない!

「「ジェノグラフィック・プロジェクト」とは」、「世界各地の数十万人から採取したDNAサンプルを分析し、いつ、どのように人類がアフリカから地球全体に広がっていったかを解明する国際研究プロジェクト」である。
 本書はその成果の(ほんの)一端ではあるが、「現代に生きる5人のDNAから明かされたのは、5万年をかけた人類の驚くべき移動の秘密」(歴史)を語ってくれている。

 小生、この手の本に目がない!

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2009/10/22

お手手つないで…

 母のお見舞いに行く。
 今度の入院は長くて、懸念していた通り、とうとう自分では起き上がれなくなってしまっている母を目にする。
 本人は起き上がろうとするし、自分でトイレに行こうとする。
 しかし、介護の方や家族のものが手伝わないと、どうしようもない。
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→ 今日は支払いのため病院へ、おカネの遣り繰りのため銀行(や郵便局)へ、買物のため幾つかの店へ、期限の来た本の返却のため市立図書館へなど、やたらと外出が多かった。その折、ある川で白い鳥を目撃。シラサギ? この川縁では天気のいい日は日向ぼっこする水鳥の姿をよく見かける。やけにのんびりしているように見受けられるが、水鳥って、カラスやハトと喧嘩したりしないのだろうか。

 不肖なる息子の小生だが、ベッドの(上部の)リモコンを使っての起き上がり機能を使った上で、母の手を取り抱き起こす。
 ほんのしばらくは、ベッドを背に、手すりに掴まりながら、上体を起こして食事したり、会話もどきをしたりする。

 …というわけで、母の手を取る機会が折々あるようになった。
 つなぎ合う手の感触…。

 ふと、昔、手をつなぐことに絡む雑文を書いたことがあったなと思い出した。
 全く、話の流れに繋がりはないのだが、ちょっと懐かしくて、読み返してみた。
 今の自分とのあまりの違い!
 
 ほんの数年前、こんな駄文を書くことが出来た…今の自分には到底、こんな語調の文章は書けない…、そんないろんな思いが交錯しての、読み返し…。
 本稿を読んでもらっても、多分、そんな複雑な胸中など誰とも共有はできないだろうが、敢えて旧稿を転記して示す。

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2009/10/21

読むには読んだが

 ブルース・シューム著の『「標準模型」の宇宙』(森 弘之訳 日経BP社)を読んだ。
 副題は、「現代物理の金字塔を楽しむ」とある。

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← の花? 庭木の剪定をしていて、庭の奥でひっそりと育っている萩の木の花が一頃に比べ、随分と目鼻立ちがハッキリしてきたことに気づいた。秋を感じさせる。庭の木の剪定といっても、自己流・我流。脚立に登って、高く伸びている枝葉を片っ端から切り落とす。近所などの庭の木の手入れを参考にしたいけれど、脚立の足元が危なかったりして、形を整える余裕などない。このまま、脚立から落っこちて気絶したら、誰にも気付かれずに一週間は、放置されるかも ? !(この植物は、「ホトトギス(杜鵑)」ではないかとの指摘を戴きました!)

 読了するのにまる二週間を要した。
 しかも、内容をほとんど理解することは叶わなかった。
 とてもじゃないが、「現代物理の金字塔を楽しむ」なんて余裕などない!

 それでもこの手の本には目がなくて、身の程知らずにも手を出してしまう。

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2009/10/20

今年は千鳥ヶ淵戦没者墓苑創建50周年

 今年は、東京・千代田区の「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」創建50周年に当たる(「千鳥ケ淵戦没者墓苑 - Wikipedia」参照)。

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→ 花らしい花は何も植え育てていない我が家の庭。わずかに紫露草やヘチマの花などが咲いているばかり。そんな中、庭の片隅にこんな可憐な花が咲いているのを発見。悲痛な一報があっただけに、花の命の清冽さを強く感じてしまう。

 そうした区切りの年だからなのか、あるいは例年のことなのか、皇太子さまが今日(19日)、千鳥ヶ淵戦没者墓苑で開かれた秋季慰霊祭に出席されたという:
皇太子さま、千鳥ヶ淵墓園の慰霊祭に出席 社会 YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 政権交替が成り、民主党(など)が与党となっている。

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2009/10/19

ガリバー観音崎上陸300年 ? !

 今日10月19日(1745年没)は、『ガリバー旅行記』などで有名なジョナサン・スウィフトの命日だという。
 そういえば、何年か前、ジョナサン・スウィフトの命日に絡んで雑文を成したことがあったはずと調べてみたら、ありました:
スウィフトや遠路はるばる風刺かね

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← 「ガリバー観音崎上陸300年」! (画像は、「梅本 大将 2009年はガリバーが観音崎に上陸してから300年になります」より)

 読み返してみたら、あれこれ余談に次ぐ余談で、なかなか肝心の話題に至らないが、さて、当該の一文で興味深い事実に行き当たった。
 なんと、今年(2009年)は「ガリバー上陸300年」の年に当たるという。
(小説でガリバーが上陸したとされるのは、「わたしたちは、日本の南東部にあるザモスキという小さな港町に上陸した。町は、長い腕のようなかっこうで北にのびている細い湾の西の岸にあり湾の北西部にあたる所には、首都のエドがあった」(ガリバー旅行記 第3篇11章)といった文章などから、観音崎(推定)だとされている(「川崎」という説もある)。観音崎へは、80年代前半、オートバイの我がツーリング先だった。何度か彼の地で一服したものだ。このガリバーの上陸話を知っていたら旅の感懐も違っていた?)

 実際、旧ブログでも紹介した、「ガリバー上陸300年」によると、つい先日、「10月11日(日)天気に恵まれた横須賀の「ソレイユの丘」でガリバー上陸300年祭」を行」ったのだとか。

 新しい情報を持ち合わせているわけではないので、旧稿(「スウィフトや遠路はるばる風刺かね」)の中から話題の部分を転記して再掲しておく。

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2009/10/18

木原光知子さんの命日にちなんで

 今日10月18日は元水泳選手の木原光知子さんの命日だという。
 木原光知子(1948年4月5日 - 2007年10月18日)さんについては、「木原光知子 - Wikipedia」などで見ていただくとして、小生としては木原光知子さんに絡む(というのもおこがましいのだが)個人的な思い出の記を紹介しておく。

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→ 九月の上旬、病院のエントランスで見かけた「ヘデラ カナリエンシス(Hedera canariensis)」だが、生憎、お花屋さんにその苗の在庫がなく、代わりに入手したのは、似て非なるものだが、「ヘデラ(アイビー)」の苗。我が家の庭が、雑草で占領されつつあるので、どうせ緑の野になるなら、もう少し見栄えのする植物を、ということで、とりあえず畑(ここも、雑草の天下)に植えてみた。が、さすがに畑は、今後、何か野菜を植えるかもしれない、ということで、表の車どおりに面する花壇に植え替え。今まで、ゴーヤやヘチマ、朝顔が育ってきたところの並びの位置。が、植物の説明を読むと、直射日光はダメで、「薄日が当たるくらいの明るい日陰が最適です」とある。明日にも再度、植え替えしないといけない。さて、何処で育てるか、それが問題だ。

 詳しくは、拙ブログ記事「泳げたぞ!」を読んでいただくとして、ここには関連する件(くだり)だけ、転記して示したい。
 同氏の元気だった頃を偲びつつ、そしてやや自堕落でもあった頃の自分を思い出しつつ。

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2009/10/17

藁にも縋る思い?

 過日、紹介したエリアス・カネッティ著の『眩暈(めまい)』(池内紀訳 法政大学出版局)の読後感が今も鮮烈である。

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← 未明の仕事の途中、渡る橋の上から撮影。富山湾に注ぎ込むこれは川というより運河。小樽運河には敵わないけど、なかなかロマンチックな光景。もう少し、工夫したら観光(デート)スポットも夢じゃない気がするのだが。

 小説として(あれが小説と呼べるならばだが)名作だとか、まして感動を呼ぶ作品とは到底、思えないのだが、文学の枠(文学とはこういうものだといったような思い込み、偏見)を過激な描写と手法で粉砕してしまうような作品であることは否めない。

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2009/10/16

フリードリヒのロマンという悲劇

 小笠原洋子著『フリードリヒへの旅』(角川学芸出版)を読んだ。
 読んだし、楽しませてもらった。

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→ 今朝の「秋明菊 (しゅうめいぎく)」。

 同時に、ちょっと羨望というか嫉妬めいた気持ちを抱きつつ、本書を手にしていた。

 出版社による内容紹介によると、「風景を素材とした内省的で静謐な崇高の美を謳うドイツ・ロマン主義の画家フリードリヒ。その作品を訪ね歩き、モチーフとなった現場に立ち、重なり合う共感をベースとして、画家の足跡と芸術性を描き出す美術評論」といった本なのだが、特に、「その作品を訪ね歩き、モチーフとなった現場に立ち、重なり合う共感をベースとして、画家の足跡と芸術性を描き出す」といった部分に惹かれたし、羨ましくも思ったのである。

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← ゴーヤは、涸れるのみ。ヘチマは、まだ元気。

 本書については、新聞の書評欄で刊行を知った。
 読みたいと思った。
 でも、富山の図書館では、仮に入荷しても先のことだし、そもそも入荷してくれるかどうかも、怪しいものだと思っていた(すみません)。

 が、ある日、図書館へ返却に行った際、新入荷本のコーナーを習慣として眺めた際、あるではないか! というわけだった。
 嬉しかった。


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2009/10/15

「富山市美術展 2009」を観て来た(下)

 会場内をせかせかと見て回った…というより歩き回ったもので、書(書道)や工芸、写真などのコーナーは、今回は立ち入ることもしなかった。
 書(書道)や工芸(造形)作品は苦手という意識も働いて、ついつい敷居が高く感じられるようでもある。

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→ 今日の「秋明菊 (しゅうめいぎく)」。十日ほど前、庭木の剪定をしていて、発見したもの。いつのまにか花の数が増えていた。

 さて、絵の鑑賞で下手な感想など書かない。
 以下、旧稿からモノローグを少々、転記して示す。
 特に意味はない…のだが。

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2009/10/14

今日は本居長世の忌日

 芸術の秋でもあるし、今日は音楽関係の話題を。

 今日10月14日は、童謡の『十五夜お月さん』『七つの子』などで有名な作曲家・本居長世(もとおりながよ 1885年(明治18年)4月4日 - 1945年(昭和20年)10月14日)の忌日だという。
 他にも、『青い眼の人形』 『赤い靴』 『めえめえ児山羊』 『汽車ポッポ』などがある。

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← 仕事も終わって帰路に付く。東の空を望む。

 本居長世については、「本居長世 - Wikipedia」もいいが、例えば、「銀の櫂 本居長世」がいい。
 名前からも察せられるように、「国学者として著名な本居宣長の6代目の子孫に当たる」。

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2009/10/13

「富山市美術展 2009」を観て来た

 富山県民会館美術館にて開催されていた(会期は、10月6日(火)~12日(月))、「第5回 富山市美術展 2009」を鑑賞に行って来た。

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← 古田恵子「Cocoon 混沌の分解」市展大賞

 ネット(のみ)での交流の(少し)ある方の作品が出品されている、しかも、その作品は市展大賞を受賞されているということで、チラッとでも実物を見ておきたかったのだ(例によって、敬愛の念を籠め、勝手ながら敬称は略させていただく)。


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→ 展覧会の帰り、買物を済ませ、川縁を通る。寒波も去って、少し走ると汗ばむ。水鳥たちも日向ぼっこしていた。

 倒壊した杉の木の片付けやらお見舞い、家事、アルバイトなど慌しい中を縫っての、束の間の静謐の時…。
 のはずだったが、会場が広いこともあり、多数の作品を一通りは見ておきたいという欲求も湧くもので、日常以上に駆け足の、慌しい鑑賞となった。


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2009/10/12

カネッティ『眩暈』に眩暈!

 エリアス・カネッティ著の『眩暈(めまい)』(池内紀訳 法政大学出版局)を読んだ。
 二週間以上を費やして。
 読んだ、なんて言えるのかどうか…。
 目を通しただけ、というのも違う。
 とにかく読了して、今は、偏屈さと狂気とで一杯の脳髄の中を這い回っただけ、という感があるばかりである。

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→ 自宅の庭先から西の空を撮ってみた。画像を拡大すると、一番星が見える…はず。

 ノーベル賞作家カネッティの長編小説と世上は紹介されるが、当然ながら本書を書いた当時は、無名の書き手に過ぎなかった。
 実際、1905年生れの彼が本書を書き始めたのは、1929年に学位(ウィーン大学で化学)を取得した頃であり、書き上げたのは26歳の頃と言われている。
 発表当時は、ほとんど、無視。あるいは罵倒の対象だった。

 そりゃそうだ、こんな本が公表された当時に理解などされるはずがない。
 およそ、理解が出来るのかどうか自体、小生には分からない。


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2009/10/11

杉の木が倒れた

 台風18号が本州・中部を縦断していった日の夜、我が家に隣家から電話があった(らしい。受けたのは父である)。
 杉の木の枝が何とか。父の話は、要領を得ない。

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← 倒れた杉の木の惨状。

 雨が降っているし、別に大事とも思わず、翌日、対処しようと、そのままにしていた。
 翌朝、バイトへ行こうと、真夜中の二時過ぎに家を出た際、チラッと様子を窺いに。

 すると、この始末である! 杉の木が倒れている!
 枝葉の問題じゃない!

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2009/10/10

バイクとて風が友とは限らない!(後篇)

 雨の日、まして風が吹いているとなると、普段以上に気を使う。
 雨がしっかり降っているときは、新聞を一部一部、ポリエチレン(ビニール)の袋に詰める。
 これなら、少々の雨なら、濡れても平気。

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→ 今朝(9日)の「クレオメ(西洋風蝶草)」。台風の風になぎ倒されて、花々は千切られ、見るも無惨な光景。我が家の庭の多くの草花が哀れな末路を辿ってしまった。…それでも別の、何かしらの草花が咲いてくれることだろう。
 ところで、台風の風で我が家にとんでもない<事件>が発生していた。
 もう少しで大惨事になるところだった。
 樹高が十メートル以上もある、樹齢数十年の杉の木が倒れたのだ。
 杉の木は防風林の役目を担ってきた。つまり、すぐ脇には我が家の台所、細い道路を挟んでは隣家の居間。事故の一歩手前だったのだ。
 その詳細は、画像も含め翌日、報告したい。

 とはいっても、雨で困ることもある。

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2009/10/09

バイクとて風が友とは限らない!(前篇)

 富山は台風の直撃は受けなかったものの、それでも今朝未明から風雨の洗礼を受け続けた。
 昨日、夕方、予報通りに雨が降り出し、やがて本降りに。
 やれやれやはり翌朝は雨の中で仕事なのか。

 まあ、雨の中の作業は少しは馴れてきた…。
 未だ雨対策は万全とは言えないものの、それなりに工夫もしている。
 新聞が雨に濡らされないよう、営業所で貸与されるビニール(ゴム引き)のカバーだけでは心許ないので、たまたま母の入院でケアシーツを買う機会があったので、そのビニールのシーツを適当に折り曲げて、新聞を覆うように(貸与されたゴム引きシートで覆いきれない部分を補うように)、新聞の束の上に被せる。

 ほとんど気休めだが、それでも大分、違う。

 しかし、台風の進路からは外れると思えたものの、風雨の襲来を避けるわけにはいかないだろうと見込まれたし、実際、猛烈な風(雨)に見舞われての仕事となった。

 小生、バイクを駆っていて、何が怖いって、雨より何より風が怖い。

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2009/10/08

子猫が死んじゃった!

 既に旧聞に属するのだろうが、ブラジルのリオデジャネイロが、2016年夏季オリンピック開催地に決定したことは、心底、嬉しい。
 前にもこのブログで書いたけど、米国・シカゴ、東京、スペイン・マドリードなどに比べ、圧倒的にブラジル国民のモチベーションが違う。開催の意義が違う。
 日本は、東京に限らず、今世紀後半までは開催地に立候補しないほうがいいのではなかろうか。

 閑話休題。

 エイヴリー ギルバート著の『匂いの人類学―鼻は知っている』(勅使河原 まゆみ訳 ランダムハウス講談社 (2009/07/23 出版))を読んだ。
 図書館で新入荷本の棚を物色していて発見、即、手に取った。

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→ この子猫ちゃんが昨日、死んでしまった。一緒に生まれた子猫同士で喧嘩して咬まれ、傷つき、病院へ。が、治療の甲斐もなく、死んでしまったのだ。この写真は、昨年の晩秋に飼い主宅で撮ったもの。時折、お宅をお邪魔して、じゃれあうのを楽しみにしていたのに…。合掌!

 嗅覚障害を持つ小生には、「匂い」を扱う本となると、単なる好奇心で読み流せるものではない(嗅覚の鈍さの故に死に損なったことも!)。
 今、ずっと文学系の本(大作)を読んでいるので、自分の中のバランス感覚で、少しでも自然科学系の書籍を(上記と矛盾するようだが)息抜きで読みたいという思惑もあった。


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2009/10/07

愚人薄明

 最近、携わっている仕事の性格上、夜明け前から夜明けに至る時の流れ、光景の移り変わりを日々、目にしている。
 実際には仕事のため家を出るのは、丑三つ時を少々過ぎた頃で、バイクを仕事のエリアへと走らせ始めるのは、三時十分前から三時過ぎである。

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← 仕事が順調に終わったなら、薄明のもと、家路に着く。

 現場のエリアで活動を始めるのは、早くても三時過ぎということになる。
 未明前の一番暗い時間帯の住宅街や工場などをバイクで駆けずり回っているわけだ。
 天候にも依るが、家を出て真っ先に気づかされるのは、星の多寡であり、月の出方、月の月齢(満ち欠け)の様子、そして、何より足元の確かさだ。

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2009/10/06

ネット復帰の弁(下)

 そのはずだったのだが、再起動して、いざ表示された画面の真ん中に現れる、パスワードを入力してくださいという段階で、文字の入力が全くできない。
 キーボードのキーを叩いても、ブーブーというブザーのような音が空しく鳴るばかりで、パスワード入力の小窓には一切、文字が入力されない。
 エンターやスペースキーだけには反応するが、肝心の文字部分には無反応なのである。

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→ 庭には花を植えることができなかった。花の色の欠けた庭ほど寂しいものはない。深山の古寺ではないのだし。そんな中、白い、雪のような小花を咲かしてくれて、ありがとう!

 焦った。
 再起動を何度も繰り返した。電源を落としてみた。
 何をやってもダメ。

 生憎というべき(ではなかろうが)、金曜日は母のお見舞いのため、あれこれ備品を買物をしていったり、その他、雑用があって、PCに時間を費やすわけにはいかない。
 とうとう、金曜日は、PCを相手にするのは諦めた。

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2009/10/05

ネット復帰の弁(上)

 本日、ネット復帰。
 なんて大袈裟な表現だが、わずか三日、ネットから離れただけなのだが、気持ちとしては何日もの間、離れていたように思えてしまう。
 立派な…、立派過ぎるくらいのネット中毒?

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← 金曜日の朝、庭木の剪定をしていて、偶然、我が家の庭の片隅にこんな花の咲いていることに気づいた(「秋明菊 (しゅうめいぎく)」、別名「貴船菊(きぶねぎく)」だそうです。何人かの方が名称を教えてくれました。(09/10/06 追記))

 まあ、小生の場合、書くことが好きな人間で、ネットを離れても、手書きの日記にメモ書き程度ではあっても、日記は続けていた。
 手書きの日記は、今は随分と中味の薄い、ほとんど曜日と天気と日用品や食事などの材料の買物(支出の記録)、外出や来客、その日のメインの作業(草むしり、庭木の剪定、通院(お見舞い)、買出し、読書の記録、聴いたCDの内容、などなどに尽きる。

 つまり、若い頃のように感情の赴くままにあれこれ書き殴るようなことはなくなっているということだ。

続きを読む "ネット復帰の弁(上)"

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2009/10/02

一緒に泊まってかれよー

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→ 今朝未明、仕事が終わり、事務所からの帰途、とある橋の上から東の空を撮ってみた。日中は晴れ渡って九月中旬の陽気。そんな中、母は転院。治療の継続…というより、養生のための入院。病院を出て退院と思ったら、別の病院で、母は落胆していた。入院の手続きなども終わって病院(病室)を後にしようとすると、母は、小生ら家族のものに、「一緒に泊まってかれよー」と訴える。


続き(…じゃないが)を読む "「南桂子と谷川俊太郎展」の周辺"

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2009/10/01

今日は「酉(とり)」の日

今日は何の日~毎日が記念日~」によると、今日10月1日は、「法の日」であり、「印章(ハンコ)の日」であり、「コーヒーの日」であり、「ネクタイの日」である。
 …と、これで終わりかと思ったら、まだある。
 10月1日は、「メガネの日」であり、「デザインの日」であり、「展望の日」であり、「国際音楽の日」であり、「赤い羽根の日」である。

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← 今朝(30日)の「クレオメ(西洋風蝶草)」。

 …さすがにこれだけか…と思ったら、さにあらず、まだある。
 10月1日は、「国際高齢者の日」であり、「福祉用具の日」であり、「補助犬の日」であり、「浄化槽の日」であり、「都民の日」であり…と延々と続いて、さらには、「香水の日」であり、「食物せんいの日」であり、「乳がん健診の日」であり、「食文化の日」であり、「磁石の日」であり、「荒川線の日」でもあるのだとか。
 よくもこれだけ、今日の日にちなむ記念日が重なったものと感心する。

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