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2009/09/11

右に優しい森市長(富山市)

 夕方のテレビで気になるニュースがあった。
KNB NEWS|KNB WEB 後援取り消しで公開質問状

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→ 仕事も残すところあと僅か。ちょっと手を休め、空に見入る。晴れ渡った未明の空に雲が輪郭も鮮やかに。朝焼けにやがて消えゆく星が一つ。

 いかにも保守王国、右や保守に偏りがち(弱腰)の富山らしいニュース。
 このたびの衆院選で民主党が圧勝したが(自民党は、たまたま自分たちが負けただけだと強弁しているが)、その中で、富山は全国でも珍しい、民主党より自民党の議席が優っている県。

 今更、右だ左だもないが、富山はネット右翼や保守に極端に弱い(あるいは右翼に優しい)県であり市である現実をまたもや露呈した。

 まずは、ニュースの内容を示すべきだろう。

 こういったニュースは早晩、ネットからも消されていくだろうから、一部、転記しておく:
 

KNB NEWS|KNB WEB 後援取り消しで公開質問状

 今月8日、市民グループが主催した戦争と人権についての映画上映会の後援を富山市が開催直前に取り消したことを受けて、市民グループは、24日、説明が不十分だとして抗議するとともに、森市長に対して公開質問状を提出しました。

 24日は「戦争と女性の人権を考える集い」実行委員会のメンバーが富山市役所を訪れ、応対した松山市民生活相談課長に後援取り消しを抗議するとともに、公開質問状を提出しました。

 この上映会は今月8日、フォルツァ総曲輪で開かれ、だまされて従軍慰安婦にされたと訴える在日朝鮮人女性を描いたドキュメンタリー映画が上映されました。

 富山市は6月に上映会の後援を承認しましたが、開催3日前になって取り消しました。

 市は取り消しの理由について、「主なテーマが従軍慰安婦問題だと後から分かった。森市長に判断を仰ぎ、内容に偏りがあることから取り消した」などと説明しています。

 実行委員会では、取り消しまでの経過や理由が十分に説明されていないとして、来月10日までに文書での回答を求めています。

 松山課長は「抗議は受けるが、公開質問状には答えないことにしている」

 上映会実行委員会の堀江代表は、「従軍慰安婦に対する国際的な考え方を元に判断してもらいたい、また、市民の質問に答えられないのは理解できない」と話しています。

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← 仕事が終わって事務所を出、帰宅の途上、東の空を撮ってみた。雲の形の変幻を見るのがたまらなく好き。

 富山では、アートでも頑張っているし、富山市などは水の都を謳い文句にしようとしている。
 が、拙ブログかメルマガで紹介したことがあるはずだが、肝心の美術でも美術館当局の右や保守に弱腰な姿勢を露見させてしまった有名な事件がある。

富山県立近代美術館事件」(現代美術用語辞典|OCNアート artgene.(アートジェーン))である。

 この頁がそんなにあっさり消されることはないだろうが、一部、転記させてもらう:

1986年、富山県立近代美術館にて開催された「86富山の美術」展に端を発する事件。同展の出品作家大浦信行の版画連作「遠近を抱えて」をめぐる事件であることから「大浦コラージュ事件」とも呼ばれる。同展は平穏無事に終了したが、会期終了後しばらくして、県議会で美術館の大浦作品購入に対する不満の声が挙がった。この横槍は、大浦作品が昭和天皇の肖像をコラージュに用いていたことに起因し、美術館側は結局議会の圧力に屈したかたちで作品の公開を中止、さらに1993年には作品の売却(買い手は非公表)と展覧会カタログの消却にまで発展、この事態に憤慨した大浦とその支援者は「表現の自由」「鑑賞する権利」を主張して県と美術館を相手取り訴訟へと及んだ。

 詳しくは上掲の頁などを覗いてもらいたい。

 途中経過になるが、下記が詳しい:
ず・ぼん7●富山県立近代美術館・県立図書館問題 訴訟に至るまでの経緯 ポット出版

 小生はこの事件以来、「富山県立近代美術館」へ足を運ぶのをやめた。
 帰省の折には何度となく訪れたものだったが。

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→ 秋特有の高い雲というわけではないが、今朝は寒くて二十度を切ってしまった。虫の鳴き声の喧(かまびす)しいこと!

 保守的であることが即、悪だと決め付けるつもりはない。
 時代の潮流や流行などに左右されることなく、大切に守るべき事柄もあると思う。

 が、富山県の場合、隣近所の目を気にし、本音を出しづらい面もあるのだろうと実感する。
 中途半端に豊かな土壌もあって(但し、県の人口に比べ、自殺者の数は多い! 不況もあるが、極めて閉鎖的内向的な風土性が牢固としてある)、井の中の蛙状態、小さなお山の大将になっていて、今が良ければいい、変化は思いっきり尻を叩かれてから、まわりの様子を見て、恐る恐るがいいという県民性がマイナスに出ているように感じられる。

                                (09/09/10 作)

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コメント

いつも、ども。
>課長は「抗議は受けるが、公開質問状には答えないことにしている」
これってすごい役人根性ですよねぇ。「フォルツァ総曲輪」の件は右翼の人たちが駅前で市長支持??で大声張り上げていたので買い物帰りに見に行きました。その中で一番の親方みたいな人の目の前で1、2分立ち止まって黙って聞いておりました。もっともすぐ青年団みたいのに囲まれたので公安が飛んできて今度はそっちから「妨害みたいに立つな」とウダウダ言われてしまいましたよ。私の場合は右翼より人相が悪いので彼らに何かすると思われたのかも知れません。わらい。
箱ものばかり造り借金財政が得意ですからねぇ。流石にいつものようなオリックス漬け(市債引受先)ではまずいだろうと別スポンサーに乗り換えるのかも知れません。いっては何ですが市長の人相もだんだん悪くなってきてますねぇ。そのうち色んな事がばれてくるんじゃないですかねぇ。
「富山県立近代美術館」ですが僕はそこの偉いサンの身体押さえつけて頭かじりましたから。
http://d.hatena.ne.jp/namgen/20050623#1119518220
所詮地方役人に芸術なんか判りませんよ。
久しぶりなので長々書きました。

投稿: 南無 | 2009/09/13 11:09

南無さん

このところ無沙汰しててすみません。
相変わらず活躍しているようですね。
小生はますますしょぼくれているみたい。
徐々に回復してくものと期待しているのですが。

かの映画の後援を市が(市長が)やめたことは、右翼の連中を喜ばし、付け上がらせる結果になっただけだし、この手のやり方や傾向が強まっていきそうです。
連中が快哉の声をあげている集会に際会したとは、さすがに行動的な南無さんらしい。
知らない人が南無さんを見たら、外見(気迫)に圧倒されてしまうでしょう(勘違いもされちゃうかな)。

美術展の事件については、ただただガッカリ。
既成の枠組みから外れた、富山県人の常識から外れた作品には富山では日の目を見る可能性がないってことですね。
文化の厚みや広がりなんて、富山では夢の夢かな。
よほどの定見を持っていないと、頑張りようがないし。
昼間はネクタイやスーツ姿の紳士、夜は美術談義や芸術に身を入れ込むより、酒と薔薇(接待など)の生活が性に合っているのでしょう。
富山でも頑張っている方は少なからずいらっしゃるものと思うのですが、情報に疎くて、困ります。

投稿: やいっち | 2009/09/14 09:40

レスありがとうございます。
僕は今となれば政治的人間(大江的ーわらい)ではないのですよ。僕は仰るとおり自分が法律?みたいにずっと生きてきたので右も左も余り関心が無いのです。ですから、右翼と呼ばれる人間のほとんどはいつも自分の事務所に来ます。今回の人達は顔を知らなかったのでナシ(不適当用語。わらい。)をつけに行っただけです。公安もそこのところ知っておりますよ。こんな事については説明はしませんが。僕は文化や芸術の分野についていて異議があるだけなんです。そのジャンルに右も左もないだろうと思っています。まして政治の世界について言えばM野郎ははっきり言ってクズでしょう。詳しくはこんなところで書けませんが…。時には通り一遍で世は成り立っていないだろうし、少し卑劣な言い方にもなりますが、じゃーお前は(僕のことですよ)どうなんだよ、ってなりますが…。
異議は唱えよデス。僕も市にはいつも情報公開を迫っているので有名ですがそれ以外の人達は普通党派制を根拠にしているばかりで個人の利害を超えているだけが現状です。一般人は大概玉無し野郎でしかありません。
ま、言ってみれば残念ながらすべては表象でしか有りません。つまらん田舎ですよ。

投稿: 南無 | 2009/09/15 22:44

南無さん

アートに右も左もないですね。
ただ、旧態依然たる左右が(特に元気な右が)アートの展示や後援など、当局の方針に影響を与えている、情けない実態を憂えるだけ。

自分自身についていえば無党派層の一人に過ぎないし、政治的行動に出るガッツもない。
「大概玉無し野郎」の一人ってことかもしれません。

それはそれとして、野心ある創作家は何処かしらにいるもの。
そんな人材を見つけたい、出会いたいだけです。

投稿: やいっち | 2009/09/16 12:39

レスポンスありがとう御座います。
ははは。またかよ、長いといわれそうでスミマセンが…。
地方の土着性は固有の空間性をもっていて私たちはそこから逃れようもないことは事実です。ま、私が所詮田舎ですよ、という言葉と矛盾するように聞こえるようで申し訳ありませんが、創造されたものは時代性からも逃れることは出来ないということにもなります。つまり創造者の想像力はその時代の中にあるものであることも明白なことです。で、あればイマージュを構成するものはなにも地方の幻想(たとえば政治性みたいなもの)に妨げられていることになりません。たとえ土着という空間性の中に於いても人間の意識の外化されたもの、つまりここでは表現という言葉を選択するべきだと思いますが、時代性のもちうる時間性と共振しているはずだと思うからです。もっとも、いまのところ、富山の芸術家先生(と呼ばれている)や新聞社の文化欄担当者等にはお会いしたことはありますがつまらない方しかいませんでした。ただ、会う努力をすればあらゆるジャンルに於いて創造的営為をしている方は富山にも沢山いるんじゃないでしょうか。
それとですねあなたの言う右(右翼)が元気云々ですが、そんな連中放っておけばよろしいですよ。Mと出来レースやってるだけじゃないですか。創造者であるあなたが気にすることでもありませんがな。それと、あなたには立派な玉があるじゃないですか。そういう風に卑下することなんか一遍足りもありません。あ、これは喩として読みとって下さい。わらい。
また近々お会い致しましょう。

投稿: 南無 | 2009/09/18 12:50

南無さん

レス…というよりメッセージ、ありがとう。

右や左というのではなく、ただフラフラしてきた小生ですが、89年初頭に書くことを中心の生活、一切をそのために犠牲にすると決めたその頃から、自分なりに己の表現、己の言葉を模索してきたつもりです。

弱い人間なので、つい右顧左眄に近いふらつきをしちゃいますが、日記(ワープロ、やがてパソコンや手書きの日記)で内容はどうであれ、日に数枚の量を書くという実践は続けてきたつもりです。
成果は上がってないけど、特に活字で虚構世界を生む痺れる愉しみを瞬間的であれ、感じることもあったりします。
読まれないのを覚悟して書くってのも不毛というか無為ですが、慣れると、そんなこと、今更、どうでもよくなる。
この2年、帰郷して神経が磨耗させられる日々が続いていますが、(期待を籠めて!)徐々に回復していくものと思っています。
時代性がどうだとか、地域性がどうだとかは、時に思わなくもないのです(エッセイではこだわります)が、(小生の脳味噌では理解できないってこともあるけど)、いざ、創作という営為のモードに入ったら、そんなことは脳味噌からは綺麗にすっ飛んでしまうようです。

時に来訪してくれる南無さんら、少数の方々は別格として、真摯に創造に励む人に出会わないってのは、自分の側に原因があるのでしょう。
閉じた心では、ドアをノックされていても、気づかないか、無視してしまう結果になる(実際にそうだったのかもしれない)。

とにかく、少しずつ、恢復できたらいいなって、思うだけです。

投稿: やいっち | 2009/09/18 20:00

美術館なんかは、館長が変わると方針も一変するように思いますがどうでしょうか?世田谷美術館なんか今の館長になったら大型企画展ばかりやるようになった、今はオルセーです。しかし政治家で思うのは老害ですね、あの野中広務なんかは引退したんだから雑誌の取材受けなければよろしいのに、新潮で民主党圧勝したがあの小沢がいるからといつも言ってることをまた言ってる。もうボケてきたんじゃないかな。小沢さんだっていろんな経験して前とは変わっているということが見えない。サンデー毎日はなんと中曾根を対談のホストにすえている!鮫の脳みそ、森はキングメーカー気取って何勘違いしてるのか?もうお年寄りはお年寄りらしく田舎でのんびり暮らせばいい、自民党再生も若い人に任せればいい、アドバイス求められたらしてあげる、しゃしゃり出ない、敬老の日だから敢えて言います

投稿: oki | 2009/09/20 22:17

okiさん

>美術館なんかは、館長が変わると方針も一変するように思いますがどうでしょうか?

美術館の運営方針や企画の傾向などは(当然)変わることもあるでしょう。
でも、似たような役人とか、当局(M市長の姿勢や県の意向)に右顧左眄する館長であれば、結局は同じこと。
企画の斬新さとかはあっても、ちょっとでも思想的な傾向を感じると、忌避する(既に企画の段階で無視する)ってことも、可能性としてあるように思えます。
今の実状は、分からないけど、過去の反省がなされたという総括の話は聞いていないので、体質自体に変化はないものと看做しています。

政界の老害は確かにあるでしょうね。
自民党の長老気取りのM(隣県の政界のボスでもある)は、確かにその典型。
でも、昔の後藤田とか、現役時代の野中とかは、見識と決断力・実行力はあったような気がします。

若い人でも、二世・三世とか、毛並みだけで出てくるんじゃ、あの小泉二世のように、親の七光りや恰好の良さがだけが売り物の、看板倒れの連中に過ぎないことも多いはず。
とにかく、まず、マスコミなど、衆人の前で、徹底して議論をさせる。政治家ですから、論戦を行なわせる。
そうして、資質を見極めていくことが大事と思われます(有権者の目が肝心)。

自民党の総裁選が、今、行なわれているけれど、お三方とも、頓珍漢な連中に思えてならない。
民主と対向する、自民(というより自由党を名乗ったらいいと思うけど、抵抗感があるかな)の根幹の理念は何か、国家像をどう描くべきか、保守とは何か、世界の中で日本はどう生き残るべきか、その根幹をこそ、世に問うて欲しく思います。

投稿: やいっち | 2009/09/21 09:47

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