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2009/09/20

今日は鈴鹿サーキットが完成した日

今日は何の日~毎日が記念日~」によると、1962年の今日(9月20日)、鈴鹿サーキットが完成したのだという。
 鈴鹿サーキットという名を目に、あるいは耳にすると懐かしい記憶が蘇ってくる。

 二十歳前後から三十代の半ば頃まではオートバイに夢中で、通学や通勤に毎日のようにバイクを駆っていた。
 土日などの休みの際には、時に朝早く起きて、オートバイに跨り、郊外へと向かう。
 読書が趣味なので、バッグにはお気に入りの本を忍ばせて。
 何処か眺めのいい、休憩するに相応しい場所を見つけると、バイクを止め、木陰などに腰掛けて、読書を楽しみ、読み疲れたら風景を愛で、あるいは風光明媚の残像を追いつつ、目を閉じ、居眠り…。

 読書とバイクを両立させる、苦肉の策のツーリングだった。

 温暖な時期になって陽光に恵まれたら、上半身裸になって、日光浴も楽しむ。
 若かったこともあり、体が日に焼けて黒くないと、ひ弱に見えるようだし、とにかく、天気がいいのに、家の中に居るなんて我慢がならなかったのだ。
 雨でもツーリング欲は鎮まらない。何処かの木立か、作業小屋の庇の下で雨宿りする…ただそれだけが、到着地ですることだった。
 要は、ただひたすら淡々と走れたら、それでよかったのだ。
 ランナーズハイの感覚を追い求めていた…というと、気どりすぎか。

 ツーリングだけじゃ飽き足らず、バイクブームの真っ最中から余熱が燻っていた時期でもあり、テレビでもバイクのF1レースが放映されることも珍しくなかった。
 読書のメニューにも、オートバイ(ツーリング)関係の本の割合が多くなっていたりする。
 サーキットで実際にレースを観たい、そんな欲求が高まるのも自然な成り行きだった。
 仙台の菅生サーキットを皮切りに、筑波サーキット、富士スピードウエー、やがて、東京からはかなり遠い、三重県は鈴鹿サーキットへ。
 さすがに、鈴鹿へは日帰では、無理なので、夏の八時間耐久レースの日程に合わせて、有給を取って、向かうことが多かった。

 以下は、そんなバイク熱が昂まっていた頃の思い出話である。
 バイク熱の昂進の時期と入れ替わるように、小生は創作熱の高まりを迎えるのだ。

花火といえば鈴鹿かな

前略

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→ 今井美樹『IvoryIII』(EMIミュージック・ジャパン) 映画『漂流教室』の主題歌「野性の風」所収。

 小生は鈴鹿サーキットへ、覚えているだけで4回、行っている。必ずオートバイを駆ってのハードな日程のなかでだ。一回を除けば、残りの3回は、夏の鈴鹿 八時間耐久レース観戦のために頑張ったのだ。若い頃は、仙台の菅生、筑波、富士スピードウエー、鈴鹿と愛車を駆ってサーキット巡りをしたものだ。エディー・ローソン、フレディ・スペンサー、ケニー・ロバーツ、ランディ・マモラ、平忠彦…、全て懐かしい名前である。
 最後に鈴鹿に行ったのは、90年だった。平忠彦がエディ・ローソンとの黄金ペアを組み、平にとっての悲願の優勝を勝ち取った年だったのだ。確か、資生堂がスポンサーで、資生堂テック21カラーのユニフォームやオートバイが恰好良かった。彼はハンサムな男でもあった。テレビのコマーシャルにもレーサーが出た時代だった。すぐにバブルが弾け、次はサッカー全盛の時代が幕開けするのだけれど:
 http://barry.hp.infoseek.co.jp/wgp90taira.htm

 このイラストには、平忠彦が「日本のロードレース界では草分け的存在でしょうか」などと書いてあるが、とんでもない話で、その前には、1977年日本人で初のワールドチャンピオンを獲得した片山敬済という英雄がいたのだ。
 平忠彦もだが、片山敬済もテレビ朝日「ニュースステーション」に出演したことがあるが、例によって久米宏がオートバイのことなどまるで分かっていないことを曝け出し(それ自体は、構わない。別に興味を持つ必要などないのだ。でも)、あまりに頓珍漢な質問の連発に返答に窮していたのが印象的だった。

 関係ないが、何かの雑誌で片山敬済のヌード写真を見たことがある。
 鍛え上げられた、しかしマッチョに偏することのない、必要十分な筋肉だけの男の体。小生が男のヌードを見て、美しいと思ったのは、後にも先にもそれが唯一のことだった。

 オートバイ熱、サーキット(ロードレース熱)に浮かされていた頃は、小生は既にサラリーマンで、夏休みといっても、時間的に限られているし、場合によってはその足で郷里へ向うことだってあるわけで、現地・鈴鹿での宿泊は、せいぜい一泊で、前日にホテルや旅館を予約したのは一度あるだけだ。大概は、現地へ向い、どうにかなるさ、の精神だった。

 87年だったか、夜に現地に着き、泊まる宛てなどなくて、オールナイトの映画館に<泊まった>。その時に見るともなしに見た映画が、「漂流教室」だった。今井美樹が主題歌である「野性の風」を唄っていたが、幾度も幾度も、目を閉じて眠りたくても聞こえてくるので、今井美樹もその歌も、脳髄に深く刻み込まれている。
 だから、その歌が好きなのかどうか、未だに分からない。
(但し、彼女の歌う表情や声、多くの歌も好きである。何度となく図書館でCDを借りたものだし、今後もそんな機会が稀でなくあるはずである。 (09/09/19 付記))

 ただ、聞くとその夏の熱かったこと、鈴鹿の観客の凄かったこと、真昼間に東京から鈴鹿まで高速道路を突っ走り、夜の町をうろついたこと、鈴鹿サーキットの観客席や通路を歩き回ったこと、炎天下、ジッとレースを眺めていたこと、そんなシーンが今井美樹の歌にダブってしまうのである。
 無論、映画館で「漂流教室」を見たのは、87年一度きりのはずだが、徹夜で映画に攻め立てられたようで、鈴鹿というと「漂流教室」であり、今井美樹の唄う「野生の風」なのである。

 長い長い炎天下の観戦が終わりに近づき、厳しかった真夏の日差しもようやく和らぎ始め、気が付くと夕日の沈む頃になり、ついで夕刻ともなるとオートバイのヘッドライトが灯されて(そう、八耐の印象的なのは、レースが終盤に近づくと、宵闇が迫り、オートバイのヘッドライトが点灯される、その刻限なのである)、暗闇の中、ヒーローたちが栄光のゴール目指して、ひたすら走る。闇の中、その英雄となった生き残りの蛍たちがサーキットを駆け抜けていくのだ)。ある意味で、レースの後に打ち上げられる花火よりも、真っ黒なロードの上の幾筋かの長く尾を引いて走り抜けていく閃光が美しかった。

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← 大林宣彦監督作品【漂流教室】映画パンフレット

 いよいよ最後に勝者と敗者が決まるのだけれど、ラストまで走れなかったライダーやピットの人々もコース運営に携わる人々など全ての人が、我々にはヒーローだったのだ。
 疲れきったヒーローたち。炎天下で声援した観客。そのみんなが昼間の火照りを宵闇の鈴鹿を吹き抜けていく風に心地よく頬を髪を嬲られる。それこそ、夕刻の野生の風が心底、爽やかだったのだ。
 そして、ラストの花火。その花火を横目で、後ろ目で名残惜しげに眺めながら、サーキットを後にする。
 そう、小生にとって、花火というと八耐のラストシーンで見た鈴鹿の夜の花火 に尽きるのである。

                              (03/07/28 作)

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