ショパンの調べについ…
今日9月23日は、何の日か。
いろいろあるが、小生にとっては、「国見(弥一)」の日、である。
なんたって、小生の「国見」は9月23日、つまり、923に由来しているのだ(「弥一」は、8月1日、つまり、81に由来している)。
このことは、「国見弥一という名前について」にて、余談と雑談を含めて、縷々、説明してあるので、興味の湧いた方は、覗いてみてほしい(覗いても、何の役にも立たないこと、請け合いだが)。
← 小林麻美 「雨音はショパンの調べ/Lolita go Home」(EP)
さて、今日は何をテーマに書こうかと迷っていたら(何のアイデアも浮かばないでいたら)、ふと、夕べというか今朝未明、仕事先へ向かう車中、ラジオから流れてきたピアノの曲に聴き入っていたことを思い出した。
バイト先への僅か数分のドライブで、好きなラジオ深夜便も、1曲か2曲、聴けるかどうか、である。
それでも、楽しみなのである。
思えば、タクシードライバー時代、空車の際に限るが、ずっとラジオのお世話になっていた。
夜半からは、民放は若い人しか相手にしないような番組ばかりになり、専ら、NHKラジオ、特にラジオ深夜便に周波数を合わせたままだったものである。
今も、僅か数分とはいえ、同じ選局というわけである。
今朝未明に聴いたのは、ショパン作曲のワルツ第6番「 ”小犬のワルツ” 」(ピーター・ケイティン:ピアノ演奏)と、途中までだが、ルビンシテイン作曲の「天使の夢」 (ハンス・カン:ピアノ演奏)だった。
「ロマンチックコンサート」という番組の、「クラシックへの誘い:ピアノ名曲の調べ」というコーナーだったようだ。
叶うなら全部、聴き通したかった。
(余談だが、ルービンシュタインの演奏も凄いが、彼の自伝(『ルービンシュタイン自伝―神に愛されたピアニスト』)も、なかなか読み応えがあって、30年ほど前に読んだのに、未だに印象に鮮やかである。)
演奏家や曲次第だが、ピアノ曲を聴くのは好きである。
学生時代、自分が曲がりなりにも、ピアノ教室に通って、「エリーゼのために」を辛うじて演奏できるまで、精進した思い出があるから、でもあろうか(今では、全く弾けない。譜面も全く読めない!)。
こんな自分だからか、ピアノに絡む思い出談や創作もあったりする。
例えば、「ピアノの音」なんて作品がある。
ほんの少し、お遊び程度に実話も交えているが、大部分は創作である。
以下、話の本筋に関係ない部分を抜粋して示す:
(前略)耳には窓から少しだけ姿の見える彼女の指の織り成す音の連なりがあるだけだった。目を閉じると、赤黒いような沈黙の闇の空間に真珠の粒が煌いては消えていった。それとも水晶の欠片にも似た光の粒子が優雅に戯れていた。はるかに高い空から真綿のような雪の花弁が舞い降りてくる。決して地上の世界に落ちきることなく、闇の海に蕩けていく。音の純粋結晶がオレの神経を優しく逆撫でする。
オレは痺れてしまっていた。
彼女を知った頃は、腕の先しか見えなかった腕が、夏が近付いた頃にはすっかり覗けて見えた。小さな窓の薄闇に白く蠢く腕。肉体の踊り。自転車を近くの郵便ポストと電信柱の間に収めて、オレは名の知れない樹木の生い茂る空き地に身を潜めて、息も殺して彼女の面影を何処までも追った。
「ピアノの音は悪魔の囁き」といった仰仰しい題名の短編もある。
やはり、話の本筋に関係の薄い部分を抜粋してみる:
(前略)ピアノの音は、まるで透明な闇の宇宙に煌く真珠の粒だった。
数知れない真珠の粒が連なり、あるいは輪を描き、あるいは一瞬の閃光となった。
ピアノは玲瓏な音の玉となって闇に浮んでは消えていく。天空のビーズ玉。
分厚い壁を軽々と透かして来る不思議な素粒子。
不可視の微細な水晶の粒たち。
闇の川の瀬音。
眠れる美女の白い肌を転がる氷の欠けら。溶けて流れ伝う水。細く空いた唇から垂れる愛液。胸に滲む汗。額に張り付く髪。
ピアニッシモの旋律。
ピアノはオレの琴線を掻き鳴らしている。
鼓膜を貫いて、オレの脳髄を直に愛撫している。
オレの孤独な宇宙を真珠の玉で満たそうとしている。
「雨音はショパンの」なんて、誰かのヒット曲に、もろ影響されたような題名の創作もある。
「雨音はショパンの」などは、小生の作品より、戴いた批評文のほうが遥かに傑作で読み応えがある!
今夜は富山では、朝方にかけて雨になりそうである。
なんだか、「雨音はショパンの」という話の土台があった頃のことを思い出しそうである。
そういえば、終わったのは、九月だったっけ。
こんな雑文を書いたのも、未明にショパンのピアノ曲を聴いたから、なのだろうか。
(09/09/22 作)
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コメント
ピアノの音は癒されますよね。
クラシックなどを小さな音量で流して本を読むのが好きです。
「雨音はショパンの調べ」名曲ですよね。
小林麻美に心を、というか魂を奪われていた男子の数は計り知れず…^^。
今でも窓越しに雨の降るのをボンヤリ見ているとこの曲が頭をよぎることがあります。
ただ、サビの部分でバックコーラスのお姉さんが張り切り過ぎてます。
小林麻美の声を聴きたいのに~っ!
そうそう、ピアノの話題でしたね。
やはり昭和の曲ですが、
私は「また逢う日まで」のピアノの演奏がとても気に入ってます。
特に間奏部分、それも2番の歌の始まる前の3秒間のピアノ演奏が好きです。
あの3秒間のピアノテクは子供心に衝撃でした。
学校のピアノでこの部分だけをマネして弾いていて
まわりをアッと驚かせたことがあります。
演奏のテクニックで、ではなく、指がツッて(T▽T)
聞く機会があれば聞いてみてくださいネ~。
またまた琥珀の話題で恐縮ですが^^:
琥珀に触ると指先の汗が吸われてピアノタッチがよくなるという理由でショパンは演奏する前に琥珀に触っていたそうです。
ポーランドは琥珀の産地でもありますよネ。
私が琥珀に触るチャンスなどほとんど、いや滅多に、いや絶対ないとは思いますが、
万が一、億に一でもそんなチャンスが巡ってきたら思いっきり汗をかいた指で触ってショパンの逸話の真偽の程を確かめてみたいと思います(^_^)
投稿: ひらりんこ | 2009/10/10 17:42
ひらりんこさん
小生はこの日記を大抵はCDを流しながら書いてます。
ジャズだったり、ハープだったり、ブルースだったり、歌謡曲(これは寝る前のほうが多いか)とか。
昨夜の「カネッティ『眩暈』に眩暈!」は、ポリーニの演奏するバルトークのピアノコンチェルト(アバド指揮)を聴きながら、でした。
ところで、情けないことに、言われるまで、「また逢う日まで」のピアノの演奏を特に意識したことはなかったような。
あくまで間奏曲という感じ。
なるほど、聴く人が聴けば、違うんですね。
ネットで聴きなおしてみます。
ショパンと琥珀の逸話、びっくりです。
有名な話なのか、ひらりんこさんならではの注目点なのか。
でも、ピアノのタッチは微妙でしょうから、ピアニストたちそれぞれに神経を凄く使っているのでしょうね。
ひらりんこさんが琥珀に触れる機会がまずないなんて、そんなことを言わずに、強く願って、自ら確かめて、その感触や感想など、聞かせてください。
投稿: やいっち | 2009/10/12 09:54
バルトーク、初めて聞いた名前です(>__o_o_<)
静寂の中でより、音楽がある方がかえって集中できたりしますよネ。
今、聞いてたのはハープ・アルパートの「RISE」
http://www.youtube.com/watch?v=ennMD1fPtXA
チャック・マンジョーネの「Feels So Good」
http://www.youtube.com/watch?v=-W7gvk9lmBQ&feature=related
ヨーヨーマの「Libertango」
http://www.youtube.com/watch?v=7brx7AB2MaI
集中できると言いながら、CMで使われていた曲だと、つい手を止めてそのCMの映像を頭に浮かべたりしてしまいます。
チェロの音色は人間の声に似ているそうですね。
歌のある曲ばかり聴いていた私もフュージョンブームが来た時には、
ジャズ喫茶とか行ったりして、初めてウィンナコーヒーなるものの存在を知り、お金を払ってココアを飲んだのもジャズ喫茶でが初めてでしたネー。
行っていたジャズ喫茶はもうなくなりましたが、今のジャズ喫茶は壁一面を占領するのはレコードではなくCDなのでしょうかねー。
最近またレコード人気に火が点きつつあるそうで、ちょっと嬉しいデス。
ボヤ騒ぎで終わらなければいいなと思います。
ところで私はサントリーローヤルのCMの↓が好きでした。
言ってる意味はよくわかりませんが、眼的にちょっとおもしろくて。
http://www.youtube.com/watch?v=voZHTps4PSk
投稿: ひらりんこ | 2009/10/15 22:24
ひらりんこさんのことだから、もうバルトークのことは調べている…かな?
クラシック音楽の作曲家、ピアノ演奏家、民俗音楽研究家。
手元にあるテープは、三十年前に購入したもの。
ピアノの話題が出たので、引っ張り出してみた。
今は、借り出したCDで、モーツァルトの「フルートと管弦楽の為の作品集」(ガロア)。
やはり、心地いい。
一緒にマイルス・デイビスのCD。ファンキーって感じ。
そうそう、昔は音楽喫茶なんてのがあったし、喫茶店って普通に音楽(クラシックやジャズ)が流れていた。
タバコを燻らし(大学卒業と同時にタバコはやめた)、コーヒーを啜りながら、談笑したり、本を読んだり。
豊かな時間があったんだなーと思い返されます。
レコードもいいけど、レコードのジャケットも味わいがあって良かった。
帰郷の際に、百枚ほどのレコードを処分したけど、返す返す勿体無い!
プレーヤーは持ってないからって、捨てることはなかったなーって後悔している。
お気に入りの喫茶店が次々となくなって、気が付いたら、身の置き所がなくなったような。
今のカフェは嫌いです。
回転率を高めることばかり考えているようだし。
サントリーローヤルのCM。初めて見ました。
それとも、ずっと昔のもので、忘れてしまったのかな。
ウイスキーのCMは、結構、どれも凝ったものが多いですね。
グラスに透ける琥珀色の神秘をゆっくり味わう。
至福の時。
琥珀色って、やはり、素晴らしい。
投稿: やいっち | 2009/10/17 09:47
ええーっ、レコードひ、ひ、100枚、す、す、す、す、す、す(止めてください)捨てたんですかーーーっ!(/ロ゜)/
もったいなーーーい(ToT)/~~~
昔はジャケ買いするほどジャケットが凝っていたり、プリントされたレコードがあったり‘音’以外にもいろいろ楽しめました。
確かにレコードは重いし場所取るし、反ったりカビが生えたりして管理が大変ですがそれにしても惜しいです。
引っ張り出した、と言えば…話は変わりますが、
やいっちさんのいつかの日記にあったので私も引っ張り出してみたのが
Accidents Series〈1〉樋口可南子+篠山紀信「Water Fruit」
あるんですよー、ウチにも。
前評判のすごさと販売時の過熱ぶり、私も熱に浮かされ買ってしまいました(^_^;)
報道で、女性も買っているのを見たのであまり抵抗なく買えました。
18年振りに開いてみると…おおっ、つい今まで初版だと思っていたのが、
発売からたった1ヶ月ですでに4版目だったことがわかりました。
すごい売れ方だったんですね。
ハラハラとページをめくると、18年前は気づかなかったことが…。
ヌードはだいたい部屋か浴室の屋内なのですが、たった1枚、1枚だけ外で撮られたものがあるのですね。
樋口可南子が庭で布張りの椅子に座っている写真です。
布張りといってもデッキチェアとかでなく、いかにも館内から運び出してきたような椅子で、細身の彼女には不釣合いなくらいな大きさ。
樋口可南子も「えっ?これに座るの?」と思ったかもしれません。
この変な椅子に座らせたショットが絶対撮りたかったのでしょうか。
この椅子、今なら「樋口可南子が座った椅子!」とオークションに出されるか、
撮影スタッフや関係者が奪い合ってバラバラになるかでしょうが、
当時は撮影後、何事も無かったように館内に戻されたのでしょうネ。
そしてもう一つ、18年振りにわかったことが!(@_@)
出版社のハガキがはさまってまして、当時はたぶん、アンケートみたいなものだと思っていたのでしょうが、
「樋口可南子のポスターを3000名に」と書いてあります。
もし当たっていたらレアものになっていたかも~。
それにしても樋口可南子、いつまでもいい感じですよね~。
いい感じといえば、半年くらい前、TVに岡田奈々が出てましたがイメージそのままでビックリしました。
投稿: ひらりんこ | 2009/10/31 22:57
ひらりんこさん
レコード(ジャケット)は、今でも惜しいって思っています。
主に60年代の古き良きアメリカなどのロックやジャズ、演歌もあったし、貴重な盤がごっそり。
貰ってくれる人がいたら、無論、ただで差し上げたのですが、そんな相手も居らず…。
引越しに際しては、美術展の図録も二百冊以上を処分。
泣く泣く!
蔵書も大半のものを二束三文で処分。
本棚やら机にと、引越しの費用さえ捻出できたら、田舎に持ち帰ったはずなのですが、まあ、どうしようもなかったです。
「樋口可南子が庭で布張りの椅子に座っている写真」、気になったので、写真集を引っ張り出して改めて眺めてみました。
やはり、品がありますね。
アウトドアでの、余所行きの、品のある婦人のイメージと、内庭とはいえ、ありえないはずのオールヌードのショット。
その落差に、写真集のコンセプトが示されているのでしょう。
そういえば、その頃、宮沢りえさんの写真集も出て話題になったものでした。
りえママの企画(命令)だったのかどうか分からないけれど、りえさんは精神的なダメージを受け、長く傷を引きずっていたような。
いくら人気者だったとはいえ、バブルの時代の(りえさんには)酷い企画に思えました。
あああ、今、気づいた。
「樋口可南子」さんの写真集の葉書が残っていました!
今から投函しようかしら?
投稿: やいっち | 2009/11/01 13:53
な、な、な…図録、に、に、200冊をししし処分ーーーっ!!!
何とももったいない(T_T)/~~~
私は今どき珍しい‘印刷物至上主義’。
ネット上の画像やドキュメンタリー番組の映像、本物を見てさえも私の頭では記憶も感動もあっという間に薄れてしまいます。
何度見てもページをめくればそのたびにドキドキできる図録の写真は、
私にとっては本物を越えているかもしれません。
でも、図録って高いですよね~。
最近では紙質や印刷技術の向上でますます高価に…。
最近では図録を買うのを我慢して、駅などに置いてある1枚モノのリーフレットで我慢することもしばしば、クリアファイルに入れて眺めています。
樋口可南子の椅子のシーンの狙いは‘落差’にあったのですか、なるほど!
モヤモヤが消えてしっくり落ち着きましたm(__)m
私も「何でダンナが糸井重里なんだ」と思ったことがありますが、
今、TVに出られさえすれば番組を選ばない的な、タレント化した女優が多い中で、
今だに彼女がすごくいい感じで、映像への露出度も◎なのは、
ダンナのしつけと言うか、教育と言うか、操縦と言うか、
どれもイマイチ当てはまりませんが、とにかくダンナが糸井重里だからそうなんだ、
と思うようになりました。
えーっと、図録と樋口可南子で思い出しましたが、
彼女は阿修羅ファンクラブの会員だそうです。
http://www.kohfukuji.com/
宮沢りえブームもすごかったですよねぇ。
「Santa Fe」かぁ…えーっと…持ってます(^^ゞ
ブームの波に抗し切れず流されてしまいました。
撮影当時は17才、自分の意思や進む方向を自分でまだ決められないような年齢ですから、ママの言いなりだったんでしょうネ。
爆発的に売れたにもかかわらず、彼女の口から撮影秘話とか、ヒットの感想とか聞いたことないし、話題にさえして欲しくないという感じでしたからネ。
でも、年を重ねて母になった今、彼女にとってきっとお宝の一冊になっていると思います。
その後、菅野美穂の写真集もちょっと話題になりましたが、これは買うに至らず、結局持っているのはこの2冊だけです。
話は変わりますが、MLB史上、初の日本人MVPに輝いた松井。
石川県民は盛り上がりましたか?
号外とか出たのでしょうか?^^
投稿: ひらりんこ | 2009/11/07 21:06
ひらりんこさん
図録を処分したのは、今も惜しかったと思っています。
手元には、十冊ほど、かろうじて残っている。
その代わり(にはならないけど)、リーフレットというかチラシのほうは、死守(?)しました。
これは、無料ということもあり、ファイルで十冊分ほど手元にあります。
少しずつですが、今も美術チラシは増やしています。
二十年以上…多分、三十年前後の収集の歴史があるので、折々眺めてみるのも楽しいですね。
樋口可南子さんの旦那さんが糸井重里さんってのは、男として何だか悔しい気がします(嫉妬?)。
ちなみに、小生の東京在住時代、最後は大森界隈で居住していましたが、その前は港区の高輪。
その高輪に糸井重里さんの事務所があったりして、なんだか、オレが樋口可南子のダンナだぞーって見せつけられているみたいで、嫌だったなー。
樋口可南子さんが阿修羅ファンクラブの会員。
っていうか、阿修羅ファンクラブってのを初めて知りました。
うーむ、阿修羅を語り合って熱くなるってことなのだろうか?
宮沢りえさん、17歳(!)の頃の気が進まないヌード写真集、精神的に吹っ切れているのならいいのですが。
女性はやさしさだけじゃなく、逞しくないと生きていけないですね。
菅野美穂さんのヌード写真集、欲しかったのですが、その頃は不況直撃で、懐具合が悪く(お腹の調子が悪いって意味じゃなく!)、買うのは断念。
今も買っておけばって悔いてます。
彼女のヘアーヌードは綺麗でしたね(週刊誌で見ただけですが)。
今も彼女の活躍をテレビで見るたび、ヘアーヌードを思い出しますが、ちっともいやらしくなくて、むしろ爽やかで、イメージアップ。
ヤンキースの松井選手、MVP、改めておめでとう! です。
彼は我が富山の隣県の石川県の出身ですが、隣県なのに、ちょっと嫉妬する面も。
というのも、彼の母校である星陵高校に、春の選抜ではしばしば苦杯を舐めさせられているからです。
その富山県。
東京在住時代、富山のことを話題に出しても、富山って、金沢のほうだったよね、とか、福井や新潟の隣りとか、散々だったのを思い出します。
まあ、遠い昔は、新潟から富山、石川、福井などまでは、「越(こし)」のクニとして、巨大な勢力を誇示していたわけで(律令制度が始まる頃に越後、越中、越前などに分割された)、その中に富山もあったと思って自らを慰めてます。
まあ、そんなことは別にして、ヤンキースの松井選手の偉業は凄いです。
彼もやっとイチローに肩を並べたと、嬉しく思っています。
投稿: やいっち | 2009/11/08 09:51
リーフレットもすごい数持っているのですね!
今月初め、源氏物語の幻の続編と言われる写本が見つかりましたが、
中古文学の教授が古書店で見つけたそうです。
全く奇跡的に運命の人というべき人の目に止まったものです。
やいっちさんの蔵書もホントに価値のわかる人の元で大事にされていることを祈ります。
ふと思い出しましたが、南沙織のダンナが篠山紀信というのもΣ(゚□゚(゚□゚*)?!?!な気分です。
同じ越のクニ、そう言っていただけるとちょっと救われます。
以前、TVで、日本に観光に来た外国人に「あなたの知っている日本人は?」と聞いた時、
イチローや北野たけし、小澤征爾などと同じくらい名前が挙がっていたのが
毛沢東とブルース・リーだったのを見て大笑いしてましたが、
同じアジアじゃないか、と中笑いくらいにしておくべきでした。
富山で思い浮かぶのはホタルイカと埋没林、こきりこ節。
今後は間違えないようにホタルイカのやいっちさん、と覚えることにします。
埋没林やこきりこ節のやいっちさんでは地味過ぎますからね^^。
小学校の音楽の教科書に『こきりこ節』が載ってて授業で歌ってましたが、
ずいぶん後になって「長崎で(というか、たぶん全国で)どうして北陸の民謡を学習したのだろうか」と
思うようになりました。
謎は謎のまま月日は流れ、つい最近、TVで『こきりこ節』が日本最古の民謡だと知り謎が解けました。
先生はこの部分を教えるべきだったんですよネ!
埋没林はすごく関心があるのですが、
「希少かつ有名な文化財であっても、観光の対象としては疑問符が付く例は多い。
魚津埋没林はその典型である。
日本に75件しか存在しない特別天然記念物の一つではあるが、見学者に特別な感興を与える要素には乏しい」
との評価を見たことがあります。
埋没林の展示を実際に見たことのないの人間からすると必見に値するすごいモノというイメージなんですが、
展示の仕方がそそらないというか、イマイチなんでしょうかネ。もったいないです。
「林」といっても樹根で、数も少ないので、鬱蒼とした古代の‘森’をイメージしにくいのかもしれません。
乾燥埋没林の方に2000年前にいたであろう動植物のレプリカでも置いてあれば
私なんかキャーキャーv(`∇´)vなんですがネ。
ところで強風で倒れたやいっち家の杉の木はどうなったのでしょう?^^
投稿: ひらりんこ | 2009/11/12 21:56
ひらりんこさん
南沙織のダンナが篠山紀信ってのも、結婚の当初は、ちょっと辛いものがありました(当人たちにすれば、余計なお世話でしょうが。
その篠山紀信さんが今、話題の主になってますね。
とうとうスキャンダルに走ったのか、それとも、素晴らしい作品が出来上がったのか、俗っぽい関心を抱いています(できれば、撮影シーンのほうを覗き見したい)。
他の地の埋没林は見たことがないし、知りませんが、魚津の埋没林を見た記憶は今も鮮明です。
小学校の遠足で見ただけなのですが、遠足でのどんな思い出より、感興を覚えましたし、今も当時の感覚が蘇るようです。
実際、思い出そのものを書いたわけではないのですが、「蜃気楼の欠けら」と題した短編を書いたほど、埋没林は蜃気楼の思い出共々、印象深いのです:
http://atky.cocolog-nifty.com/houjo/2007/04/post_e98e.html
そのほか、埋没林や蜃気楼については、下記の拙稿があります:
http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2005/03/post_7.html
http://atky.cocolog-nifty.com/manyo/2008/05/post_9c1a.html
例の台風の強風で倒れた杉の木の末路。
枝葉は何とか伐採して、既に燃えるゴミの日に出しましたが、幹はそのまま、同じ場所に残されたままです。
幹は大き過ぎて、処分に困っているところです。
投稿: やいっち | 2009/11/13 21:09