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2009/09/21

闇の河とりどりの灯の夢に似て

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← 台所脇の裏道に雑草だろうか、青い小花の花を発見。風に吹かれて気持ちよさそう!(この小花については、コメント欄をご覧ください。)

 自然の明媚さとは裏腹に、母の今度の入院は、期待に反して(…と言いつつ、場合によっては、自宅に帰ることは、今度は難しいかもと、お医者さんには告げられてもいた)、長引きそう。

 母の気力が萎えている。自宅へ帰りたいと、本人が言わなくなっている。
 お医者さんに、直ったら、家に帰りたいでしょって問い掛けられても、こんな体じゃ、帰られんちゃと言い張っている…。
 真意は?

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→ 慌しい日々の中、水鳥たちの日向ぼっこエリアを通って、城址公園の目の前にある国際会議場へ。「剣岳30景と剣岳に咲く花々」展を見てきた。昨日と今日だけの二日間ということもあり、ゆっくり見ることはできなかったけれど、以前、ブログで紹介した作家らの実物作品を鑑賞できて、嬉しかった。「富山を描いた絵画の数々(3)」や「富山を描いた絵画の数々(4)」を参照。即売会でもあって、幾つかの作品は売約済となっていた。

 親戚筋の者たちも、交代で食事の世話(自分では食べるのが困難になってきている)など、手伝ってくれている。
 昨日、一定の治療が終わって、リハビリをやっても、場合によっては退院は難しく、自宅へ直行せず、まずは、リハビリ(療養)のための病院で様子を見るほうが賢明かもと告げられた。
 決断は、あくまで家族次第だけど…。

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← 上掲の水鳥たちを拡大してみた。風はあったけど、麗かな日差しを浴び、番(つがい?)の合鴨(?)たちも気持ち良さそうに泳いでいた。


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→ 途上、とある小学校の校庭を通りかかったら、野球の試合の真っ最中。校下(地区)同士の試合で、まさに野球大会だった。先日、「野球大会の思い出」なんて小文をアップしたばかりでもあり、遠景を撮影。ちゃんと野球のユニフォームを着用しての試合。40年以上も昔の我々の時代とは違う!

 自宅では、父と小生の二人きりの生活。
 今まで、母がいたからこそ、親戚筋の者も含め、来客がそれなりにあった。
 でも、我々だけでは、訪ね来る人もいない…。

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← 季節柄なのか、彼岸花を方々で見かけた。「別名の曼珠沙華(マンジュシャゲ)は梵語(ぼんご)からで,白くやわらかい、見た人を悪から離れさせる力がある天界の花とのこと」だとか。ちなみに、小生には、彼岸花のイメージを活かした、「闇に浮ぶ赤い花」や「彼岸花の頃」などの作品がある。創作欲を掻き立てる花なのだろう。

曼珠沙華一むら燃えて秋陽つよしそこすぎてゐるしづかなる徑    木下利玄

曼珠沙華燃え尽きるまで赤くあれ    (や)

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→ 未明の仕事の最中、とある橋の上から運河(ほとんど海辺)の光景を撮ってみた。

闇の河とりどりの灯(ひ)の夢に似て    (や)

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← たまに全くトラブルもなく仕事が終わると、気分も爽快。仕事のエリアを離れ、事務所へ帰る途上、朝日の上がり始める山並みを撮ってみた。シルエットが鮮やか! 一瞬だけ、日常を忘れさせてくれる。

                                  (09/09/20 作)

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コメント

“青い小花の花”は、ツユクサです。6月ぐらいからずっと咲いていますが季語は秋のようです。小学校の時、この花を使って染めものをした記憶があります。ところで、この花の学名は≪Commelina communis≫ですが、この属名「commelina」には次のような由来があります。
17・8世紀のオランダはアムステルダムの学者一家Commelin(オランダ語のつづりは、Commelijin)から三人の植物学者が出ました。医師で植物学者でもあったジャン(1629-1698)は、アムステルダム植物園の園長を務め、その跡をついだ甥のカスパルとで植物誌を編纂して残すなど大きな功績を挙げたのですが、カスパルの息子は若くして亡くなってしまいました。
そこでリンネが、二人のコンメリンの功績をたたえると同時に早世した若きコンメリンをしのんで、彼ら一家の名をある植物属の属名にしたというのです。
それが「ツユクサ属」です。なぜならツユクサは2枚の大きな花弁と1枚の目立たない花弁によって花ができており、コメリン(コンメリン)家の3人のようだからです。

*Jan Commelin  1629.04.23~ 1692.01.19 
*Caspar Commelin 1868.10.14~1731.12.25
(カスパルの生没年はサイトによって違いがあるのですが、上記はwikiによっています。)

Commelin一族について、多少とも知っているのは、ジャンの父(カスパルの祖父)であるIsaac Commelin(1598~1676/歴史家)のことを調べたことがあるからです。

投稿: かぐら川 | 2009/09/22 17:45

かぐら川さん

露草 (つゆくさ)(の花)なのですね:
http://www.hana300.com/tuyuku.html

何処か紫露草とも似たような風情を漂わせている。
名前も雰囲気も可憐で、素敵です。

2枚の花びら…。3枚の花びら…。
そういえば、撮影しようとした際、花が俯いているようで、きっともう一枚、花びらがあるんだろうと、カメラを下から覗かせるようにして、でも、どうしても3枚の花びらは撮れなかったことを思い出しました。

路傍の名もない花にも、ちゃんと名前があり、そこには興味深い逸話が秘められている。
この小花、雑草の中に埋もれるようにして咲いています。
普通なら、花が咲く前に、他の雑草共々、あっさり、毟り取っていたはず。
でも、今は、忙しくて、外のことが疎かになっていて、雑草が生え放題。
御陰でこうした可憐な花に出会えたわけです。

投稿: やいっち | 2009/09/23 09:41

やいっちさんへTB有り難うございました。私のブログはまだ使い方もよくわかっておらず、リンク集もまだこしらえていません。いずれ・・・・。

ところで、Casparさんの生年は、上に1868と誤記してしまいましたが、《1668》です。
CasparはJanの兄の子です。
なお、彼らのオランダ植物学の伝統は幕末のシーボルトに受け継がれていくのですが、コメリンについては、次のような指摘を見つけました。そう、「東インド会社」の存在です。モンテスキューやルソーの日本観に間接的に影響を与えたといわれるIsaac Commelinの歴史研究も貿易国家オランダの地位によるものです。
Commelin was a Dutch physician and botanist and held the chair of botany at the university at Amsterdam. He was instrumental in making the Amsterdam botanical garden one of the finest of its time. Because Holland was a trading center for its colonies around the world, new plant specimens were constantly being brought back to the gardens.

投稿: かぐら川 | 2009/09/23 20:39

かぐら川さん

小生のこの記事へのリンクがあったので、TBさせてもらいました。
この逸話そのものがドラマですね。
それにしても、三枚の花びらがあるように見えて、実は二枚の花びらという、この花。
自然の造形というのは、絶妙なものです。

投稿: やいっち | 2009/09/25 16:12

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