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2009/09/30

杉浦貴美子著『壁の本』が気になります

 確か読売新聞の書評欄でだったと思うが、杉浦 貴美子【著】『壁の本』(洋泉社 (2009/09/17 出版))なる本が刊行されたことを知った。

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→ 今日(29日)のゴーヤ。さすがに草臥れてしまっている。長いこと、活躍してくれてありがとう!

「ヒビ、錆び、剥がれ、シミ、痕跡…。ありふれた壁に潜んでいる、偶発的な美しさとドラマ。壁写真家、初の壁写真集。壁を見るのが楽しくなる壁コラムや壁鑑賞の手順、壁素材解説も収録」ということで、本の題名は、まさに内容そのまま、ストレートに付けられているようだ。

 壁への関心…というより、壁の変幻に惹きつけられてならない性癖(?)は、若い頃からのことなのだが、いつ頃からなのかは覚えていない。

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2009/09/29

アナトール・フランスの小説を初めて読んだ

 アナトール・フランス著『赤い百合』(杉本 秀太郎【訳】 (京都)臨川書店 (2001/06/30 出版))を読んだ。
「19世紀末のパリとフィレンツェを舞台に、浮華な社交界を逃れ、真実の愛と自由を求めた貴婦人の、官能的で、はかない恋愛模様。アナトール・フランスの絶妙な筆が描く、人間の感情の機微、流行の最先端をゆく、きらびやかな会話の数々…。杉本秀太郎による完全新訳」ということで、戦後初の訳かと思ったら、そうでもないようだ(以下、敬愛の念を籠め、敬称は略させてもらう)。

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← 昨日(27日)の「クレオメ(西洋風蝶草)」。今日は、父に連れ立って母の見舞いに。病床の母はしきりに父に、「早く退院させてよ!」と訴えかける。母の父に対する甘えであり、本音の吐露でもあるのだろう。けれど、一定の治療の効果はあったけれど、当面はリハビリのための入院が続きそう。車椅子での散歩が唯一の楽しみなのか。

 これまで、関東大震災直前に春陽堂刊行の石川淳の手になるもの、一九五〇年に白水社版『アナトオル・フランス長篇全集』所収のものがあり、それは小林正の手になるらしい。

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2009/09/28

朝青龍と白鵬の名勝負二番!

 

 大相撲秋場所千秋楽(27日・両国国技館)――朝青龍が14勝1敗同士による優勝決定戦で白鵬を破り、北の湖に並ぶ24度目の優勝を飾った。
 本割の相撲は、白鵬が鋭い出足で朝青龍を寄り切り、14勝1敗で星が並んだが、決定戦では朝青龍が、右四つから頭をつける絶好の体勢となって豪快なすくい投げで白鵬を退けた。
(「朝青龍 決定戦で白鵬を下しV - 注目ニュース:@niftyニュース」より)

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→ 優勝した朝青龍。4場所ぶり24度目の優勝を果たした! (画像は、NHKテレビの相撲中継より)

 やった!
 凄い!
 本割での白鵬の寄りきりも迫力があったが、さすが優勝決定戦での朝青龍の気合・気迫は凄まじいものがあった。
 北の湖(や千代富士)の引退以降、相撲観戦からは遠ざかってしまっていたが、朝青龍、そして白鵬らの登場で、改めて相撲の魅力を再認識させられた。

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2009/09/27

温室効果ガス25%削減に我輩も貢献 ? !

「首相は22日午前(日本時間22日深夜)、国連本部で開かれた国連気候変動首脳級会合の開会式で演説し、2020年までに温室効果ガスを1990年比で25%削減する新たな日本の中期目標を表明した」(「「温室ガス25%削減」首相、国連演説で表明 環境 YOMIURI ONLINE(読売新聞)」より)というニュースは、日本でもだが、むしろ海外で高い評価と関心を呼んだようだ。

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← 今日のヘチマの花。

 国内では賞賛の声もあるが、経済界を中心に、実現への道筋が見えないとか、厳しすぎる目標で、日本は経済的に国際的な競争力が削がれるとか、<独り歩き>を始めた国際公約に、あやぶんだり懸念を表明する向きも少なからず見受けられる。
 工場の海外移転とか、環境税など国民の負担が重くなるとか、懸念材料はいろいろ挙げられている。

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2009/09/26

曼珠沙華の赤は命の赤

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→ 自転車を駆って市街地へ。途中、彼岸花(曼珠沙華)の群生を見かけた。「彼岸花…闇に浮ぶ赤い花」参照。「彼岸花の頃」なんて、ミステリアスな短編を書いたこともある。曼珠沙華は、小生には、実に想像力を刺激する植物なのである。
 

 持て余す魂。漂白する魂。壁にこすり付けられ傷ついた心。心とは壁の傷。磨り減り光沢も塗装も剥げ落ちた壁の染みにこそ親近感を抱く魂。紫外線に琴線を打ち砕かれて目は街中を泳いでいる。何処にも焦点が合わないのだ。
(「佐伯祐三…ユトリロのパリを愛してパリに果つ」より)

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2009/09/25

久々のハープの音色

 読書も音楽に聴き入ることも侭ならない日々が続いている。
 それでも、週に一枚の割で、CDを借りてきて、束の間の時であれ、曲を流しておく。

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← 『花一輪~彩愛玲ハープの世界』(キングレコード)

 空疎で殺風景な部屋を満たすために…ではなく、多くは、こうしてブログ(日記)を綴る際に、流したままにしておく。
 ロッキングチェアーに腰を沈めて、ゆっくり聴き入りたいところだが、まあ、現状では、ながらの形で曲を楽しむのも、やむをえないだろう。

 今、借りて聴いているのは、図書館のCDコーナーを物色していて、たまたま目に飛び込んできた彩愛玲さんのCDである。
 かねてより、ハープの曲を聴きたくて、視聴覚コーナーを訪れるたび、物色するのだが、ハープのCDはなかなか見つからない。
 それが、その日、誰か知らない方のCDであれ、ラックに並ぶCDの背の列にハープという活字が躍っている(ように見えた)ではないか。

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2009/09/24

ゴーヤからヘチマへ政権交代!

 小泉八雲著の『神々の国の首都』(編者: 平川祐弘 講談社学術文庫)を読了した。
 小泉八雲は、高校時代からの好きな書き手。
 彼の著作集は、二度も揃えようとしたものだ(途中で息切れしたが)。

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→ あれほどに元気の良かったゴーヤも、最近は少し、疲れ気味。段々、涸れた葉っぱが目立ってきた。実の育ち方も遅々としている。今朝、ほぼ最後となるだろう、ゴーヤの実を収穫。親戚筋のものに強制的に(?)提供。一方、ヘチマの葉っぱは、元気そのもの。いよいよヘチマの天下か。

 出版社側の説明によると、「「人も物もみな、神秘をたたえた、小さな妖精の国」と日本を初めて訪れた八雲は、感嘆の声をあげた。出雲の松江という「神々の国の首都」での彼の見聞記は、人々の日常生活の中に分け入って、深くその心を汲みとろうという姿勢で貫かれ、みずみずしい感動と相まって、見事な文学作品にまで昇華されている。旧(ふる)い日本と新しい日本が交錯する明治20年代の風物や風習、人々の姿を鮮やかに描いた名著」といったもの。

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2009/09/23

ショパンの調べについ…

 今日9月23日は、何の日か
 いろいろあるが、小生にとっては、「国見(弥一)」の日、である。
 なんたって、小生の「国見」は9月23日、つまり、923に由来しているのだ(「弥一」は、8月1日、つまり、81に由来している)。
 このことは、「国見弥一という名前について」にて、余談と雑談を含めて、縷々、説明してあるので、興味の湧いた方は、覗いてみてほしい(覗いても、何の役にも立たないこと、請け合いだが)。

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←  小林麻美雨音はショパンの調べ/Lolita go Home」(EP)

 さて、今日は何をテーマに書こうかと迷っていたら(何のアイデアも浮かばないでいたら)、ふと、夕べというか今朝未明、仕事先へ向かう車中、ラジオから流れてきたピアノの曲に聴き入っていたことを思い出した。
 バイト先への僅か数分のドライブで、好きなラジオ深夜便も、1曲か2曲、聴けるかどうか、である。
 それでも、楽しみなのである。

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2009/09/22

始まりは水の話から

 ガストン・バシュラール/著『水と夢 物質的想像力試論』(及川馥/訳 叢書・ウニベルシタス 898  法政大学出版局)を昨日、読了した。

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→ ジョン・エヴァレット・ミレー 『オフィーリア』 (1851-52 テート・ギャラリー(ロンドン)蔵) (画像は、「ジョン・エヴァレット・ミレー - Wikipedia」より) 拙稿「ハムレットとスミレとオフィーリアと」参照。

 以前、読んだことがあるはずなのだが、印象が薄れている。
 昨年末、刊行されて間もない本書を図書館の新刊本コーナーで見つけ、慌てて手に取り、借り出したものだった。

 その前には、ずっと昔、三十年ほども過去のこと、学生時代か、卒業して間もないアルバイト生活時代だったか、『水と夢  副題 物質の想像力についての試論』(著者 ガストン・バシュラール  訳者 小浜俊郎、桜木泰行 国文社)版にて、読んだというより、眺めたかすかな記憶がある。
 読んでも、さっぱり理解が及ばなかった、情けない記憶だけは残っている。


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2009/09/21

闇の河とりどりの灯の夢に似て

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← 台所脇の裏道に雑草だろうか、青い小花の花を発見。風に吹かれて気持ちよさそう!(この小花については、コメント欄をご覧ください。)

 自然の明媚さとは裏腹に、母の今度の入院は、期待に反して(…と言いつつ、場合によっては、自宅に帰ることは、今度は難しいかもと、お医者さんには告げられてもいた)、長引きそう。

 母の気力が萎えている。自宅へ帰りたいと、本人が言わなくなっている。
 お医者さんに、直ったら、家に帰りたいでしょって問い掛けられても、こんな体じゃ、帰られんちゃと言い張っている…。
 真意は?

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2009/09/20

今日は鈴鹿サーキットが完成した日

今日は何の日~毎日が記念日~」によると、1962年の今日(9月20日)、鈴鹿サーキットが完成したのだという。
 鈴鹿サーキットという名を目に、あるいは耳にすると懐かしい記憶が蘇ってくる。

 二十歳前後から三十代の半ば頃まではオートバイに夢中で、通学や通勤に毎日のようにバイクを駆っていた。
 土日などの休みの際には、時に朝早く起きて、オートバイに跨り、郊外へと向かう。
 読書が趣味なので、バッグにはお気に入りの本を忍ばせて。
 何処か眺めのいい、休憩するに相応しい場所を見つけると、バイクを止め、木陰などに腰掛けて、読書を楽しみ、読み疲れたら風景を愛で、あるいは風光明媚の残像を追いつつ、目を閉じ、居眠り…。

 読書とバイクを両立させる、苦肉の策のツーリングだった。

 温暖な時期になって陽光に恵まれたら、上半身裸になって、日光浴も楽しむ。
 若かったこともあり、体が日に焼けて黒くないと、ひ弱に見えるようだし、とにかく、天気がいいのに、家の中に居るなんて我慢がならなかったのだ。
 雨でもツーリング欲は鎮まらない。何処かの木立か、作業小屋の庇の下で雨宿りする…ただそれだけが、到着地ですることだった。
 要は、ただひたすら淡々と走れたら、それでよかったのだ。
 ランナーズハイの感覚を追い求めていた…というと、気どりすぎか。

 ツーリングだけじゃ飽き足らず、バイクブームの真っ最中から余熱が燻っていた時期でもあり、テレビでもバイクのF1レースが放映されることも珍しくなかった。
 読書のメニューにも、オートバイ(ツーリング)関係の本の割合が多くなっていたりする。
 サーキットで実際にレースを観たい、そんな欲求が高まるのも自然な成り行きだった。
 仙台の菅生サーキットを皮切りに、筑波サーキット、富士スピードウエー、やがて、東京からはかなり遠い、三重県は鈴鹿サーキットへ。
 さすがに、鈴鹿へは日帰では、無理なので、夏の八時間耐久レースの日程に合わせて、有給を取って、向かうことが多かった。

 以下は、そんなバイク熱が昂まっていた頃の思い出話である。
 バイク熱の昂進の時期と入れ替わるように、小生は創作熱の高まりを迎えるのだ。

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2009/09/19

身も細る思いも甲斐がなく

 体重70キロ、ウエスト94センチが限界なのかな。
 バイクを使ってのバイトだけど、かなりの運動になっているはずなのに、体重計に登っても、メモリは70キロで頑固に留まっている。

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→ 今朝のヘチマの花!

 35歳まではウエストが78センチ、体重は60キロをキープしていたのに(身長は172センチ。ヒップとバストは秘密)。

 一時は、喰っちゃ寝の生活で(タクシードライバー時代は特に)、体重が82キロにまで行ってしまったが、今は、日々、慌しく、体も動かしている…つもりなのだが。

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2009/09/18

秋爽の感極まれり地球照

 折々覗かせてもらっているサイト(「ひとりごとの夕べ.句日記」)で、「秋爽(しゅうそう)」という言葉を知った。
 句日記とあるように、この言葉も季語である。

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← 我が家の庭も、ミカンやカキはもとより、いろんな樹木も果実が生っていて、賑やかである。

秋爽(しゅうそう)」とは、「季語集・秋」によると、「秋の澄んだ空気がもたらす心身ともの爽快感をいう」という意味の秋の季語であって、「爽気 さやか さやけし 爽か 爽涼」などの類語があるようだ。

 そのブログには、下記の句が掲げられている:

秋爽を破る音無き畔を行く

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2009/09/17

星影と月影とのジレンマ?

 未明…というより真夜中過ぎの時間帯に仕事をしている。
 旧い表現をすると、丑三つ時過ぎから夜明け前(五時半頃)までの、真暗な、一番闇の深い時から、やや光明の見え始める時間帯ということになろうか。
 闇が深ければ、それだけ光が恋しかったり頼もしく感じられたりする。

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→ 仕事を終え、事務所を後にして、帰宅の途に付くころ、ようやく朝日が登り始める。

 やや郊外の住宅街や工場の建ち並ぶ地域をバイクで駆け巡る。
 バイクのヘッドライトが闇を照らし、道を浮かび上がらせる。
 スーパーカブという、生活に密着したバイクが我が愛車である(事務所の所有だが)。

 エンジンをスタートさせても、ヘッドライトの照射する光は弱々しい。

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2009/09/16

野球大会の思い出

 米大リーグ、マリナーズのイチロー外野手が9年連続200本安打の新記録を達成したことは、小生のようなスポーツに縁が遠くなった人間にも、とても誇らしいし、凄いし、嬉しい!
 野球の門外漢には想像も付かない精進と苦悩と試行錯誤の果ての偉業、孤独な戦いの結果なのだろう。

 小生如きがイチロー論を綴っても、仕方がないので、ここでは、野球に絡む、小生にとって忘れられない苦い思い出を載せておく。
 作ったのは8年以上も前のことで、ネット活動を始めて二年にもならない頃に書いた懐かしい草稿でもある。

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← 今朝(15日)の「クレオメ(西洋風蝶草)」。余談だが、今日、昼前、蛇を見た。体長は二十センチほどの、ほんの子どもの蛇。我が家の門前、路上のど真ん中で、横たわったまま、動かない。死んでいる? 突っ突いても動かない。でも、息があるようでもある。道の真ん中では、車の通りもあるし、踏み潰されてしまう。可哀想なので、路肩に寄せた。何故、可哀想に感じたかというと、一昨日も、この蛇(恐らく、同じ蛇だと思われる)を、我が家の庭の片隅で見かけたからである。我が家の庭で蛇を見たのは、中学か高校以来だろうから、40年以上ぶりに家の周囲で蛇を見かけたことになる。何処から来たのだろうか。何故に姿を現したのだろうか。何処へ行こうというのだろうか。土のある庭を離れ、コンクリートの車道に出たのは、道を間違ってしまったからなのか。蛇は嫌いである。爬虫類は虫が好かない。それはそれとして、あの幼い蛇の行く末が気になってならないのである。

 こんな(?)小生だが、運動が嫌いだったわけじゃないし、草野球は熱心にやっていた。高校生になっても、昼休みには、天気さえよければ、必ず校庭に出てソフトボールで野球である。
 大体、似たようなメンバーが十数人、校庭に集まる。
 特に小生は運動部には所属していなかったので、体育の授業を除けば、運動というと、学校での昼食後のソフトボールでの野球が全てだったこともあり、下手糞なのを押して、参加していたものである。
(その他、卓球、ゴルフ、バイク、スキー、テニスなどをやった。サッカーも少々。)

 野球については、小生にも幾つか、思い出がある。
 大概が苦い思い出だってのが、情けないが、記憶に刻まれる体験というと、辛かったものが多いのだから、仕方がない。
 特に鮮烈なのは、社会人になって間もない頃、二十歳台半ば頃の、恋に絡む野球大会の思い出なのだが、それはまた後日、書いてみたい。
 小学生の多分、六年生の頃、町内での(というより、いろんな町の野球チーム同士の大会…だから、子供にとっても、町内の大人たちにとっても、結構、大きな関心事だった)野球大会の、悔しい思い出なのである。


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2009/09/15

『オブローモフ』にはまった頃のこと

 文学として断固、最高峰にあると感じさせたのが、例えばドストエフスキーの諸作品だったとすると、自分のある種の嗜好…希求する何かという、そのツボにドンピシャな小説というものはあるものだと感心させられたのが、イワン・ゴンチャロフ作の『オブローモフ』だった。

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→ 今朝(14日)の「クレオメ(西洋風蝶草)」。

 確か、学生時代のある頃、恐らくは教養課程を終え、学部生になったある時期だったとおもうのだが、この小説を読んで嵌まった。
 手にしたのは、米川正夫の訳で、岩波文庫だった。

 ネット検索して驚いたのだが、「イヴァン・ゴンチャロフ『オブローモフ』全3巻 - 読書その他の悪癖について」によると、こんなに面白い、無類の小説が、一昨年に復刊していたという。
 こんな<痛快な>小説が、一時たりとはいえ、絶版になり、書店の書棚から消えていたなんて、信じられない。

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2009/09/14

「水面」について

 昔、そう、若い頃、好きだった言葉の一つに「水面」がある。
 これは、「みなも」と読ませたい。決して「すいめん」ではない。
 読み方が正しいかどうかの事柄ではない、小生のただの我が侭である。

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← ゴーヤも凄いが、ヘチマが今、元気。窓は既に覆い尽くしていて、庇をも乗り越えつつある!

 水面という字面なのか、「みなも」という読み、あるいは語感なのか、それともそれらのいずれもを含めて好きだったのか。
 他にも例えば、「微睡」という言葉が好きだったりした。
「びすい」と読んでもいいのだろうが、小生は「まどろみ」と読ませたかった。
 実際、この「微睡」という言葉を使いたいばかりに、『微睡』と題した短編を書いたこともある。
 あるいは「細波(さざなみ)」とか、鏡面とか、「消尽」や「蕩尽」とか、妙にこだわってみたくなる言葉があった。

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2009/09/13

世の中ピンク色!

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→ 夕食前のひと時、茶の間からちょっと外の様子をうかがったら、なんだか世の中、ピンク色。淡い紫色。小生が昨日の日記で、「我が家の庭に咲く花は、今の時期だけなのか、それとも偶然なのか、ほとんどみんな淡い紫か、紫色気味である。ヤブランにしてもナスの花にしても、「クレオメ(西洋風蝶草)」にしても、夏萩(今や秋萩?)にしても、紫露草にしても」なんてことを書いたから、空の神様ったら、気を利かせてくれて、世の中を淡い紫色に染めてくれたのだろうか。

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2009/09/12

蜜に溺れて野性を忘れちゃいかん!

 昨日、9月11日は、かの9・11テロ事件の日である。これを契機に、当時のブッシュ大統領は、でっちあげの証拠をもとに、イラク戦争を仕掛けた。当時、ブッシュには折りよく小泉首相が登場し、ブッシュのとんでもない戦争を<支持>すると言明した。理解(容認)する、ではなく、支持、である。

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← 秋を感じさせるのは、何も風や虫の音や高くなったと感じさせる空とかだけじゃなく、庭などに咲く植物の様変わりであったりする。南天の実が未だ青っぽいながらも生っている。この淡い紫色の実も、秋の到来を告げているよう。父をデイサービスに送り出す、その車の来るのを待っていて、庭に生っているのに気づいた。それにしても、我が家の庭に咲く花は、今の時期だけなのか、それとも偶然なのか、ほとんどみんな淡い紫か、紫色気味である。ヤブランにしてもナスの花にしても、「クレオメ(西洋風蝶草)」にしても、夏萩(今や秋萩?)にしても、紫露草にしても。例外は、ゴーヤとヘチマの花だけか。

 当時の小泉首相の推し進めた構造改革の是非もだが、あの戦争を支持した日本の責任も徹底的に検証・反省しないでいいはずはない。
 でも、選挙を通じても、全く、話題に上らなかった。

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2009/09/11

右に優しい森市長(富山市)

 夕方のテレビで気になるニュースがあった。
KNB NEWS|KNB WEB 後援取り消しで公開質問状

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→ 仕事も残すところあと僅か。ちょっと手を休め、空に見入る。晴れ渡った未明の空に雲が輪郭も鮮やかに。朝焼けにやがて消えゆく星が一つ。

 いかにも保守王国、右や保守に偏りがち(弱腰)の富山らしいニュース。
 このたびの衆院選で民主党が圧勝したが(自民党は、たまたま自分たちが負けただけだと強弁しているが)、その中で、富山は全国でも珍しい、民主党より自民党の議席が優っている県。

 今更、右だ左だもないが、富山はネット右翼や保守に極端に弱い(あるいは右翼に優しい)県であり市である現実をまたもや露呈した。

 まずは、ニュースの内容を示すべきだろう。

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2009/09/10

ナスの花に始まり幻の蝶々に終わった一日でした

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← ナスの花が開花。我が家の畑に植えた3株のナスの苗は、水はともかく、肥料など何も与えなかったにも関わらず、なかなかの収穫を与えてくれた。でも、最近はあまり実がならない。さすがに疲れが出て来たみたい。「秋茄子は嫁に食わすな」という諺(?)があるが、生らないんじゃ、誰にしろ食べようがない。その代わり、開花という形で目に滋養を与えてくれた。淡い独特の紫の花は質素だけど、結構、目に清々しい。なお、小生はナスに絡む駄文も幾つか書いたが、今日はせっかくなので(?)「秋茄子と言えば」をブログにアップしておいた。ホント、全くの駄文。でも、その方の嗜好次第では読んで面白いかも ? !

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2009/09/09

ヘチマの花が咲きました

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→ 今日、車の通りに面した花壇(モドキ)のゴーヤやヘチマの様子を見に行って、ちょっと驚きの現象に遭遇。ヘチマの花が咲いていたのだ。ヘチマが咲いたって、何も驚くことはないのだが、ヘチマの花がまた、でっかい!

 ひょんなことで、ちょっと古い記事を読み返すことになった。
 記事といっても、ドキュメント日記。オートバイもの。

 懐かしいので、ブログにアップした:
帰京ドタバタツーリング


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2009/09/08

もどかしさも極まれり ? !

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← 未明の四時過ぎ頃、明け始めた空を目にして仕事の手を休め、ちょっと撮影。ほぼ満月の月影は、反対側の空にまだ輪郭も鮮やかに浮かんでいる。

 最近は往診の形でお医者さんにかかっている母が、今日は、往診に来るお医者さんの勧めもあり、大きな病院へ(架かりつけの先生がいる)診断を受けに行ってきた。

 やはり、担当の先生には、入院を勧められる。

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2009/09/07

心だけじゃない、ちょっと悲しい現実

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→ 今朝(6日)の「クレオメ(西洋風蝶草)」。以下、同じ花の写真が続く。雑草じゃなく、こんな花が庭にドンドン勝手に咲いてくれたらいいんだけど。

 今日から橋本 毅彦【著】『描かれた技術 科学のかたち―サイエンス・イコノロジーの世界』(東京大学出版会)をちびりちびりと読み始めた。

 読者の中で、記憶力のいい方なら、おやっ? と思われる方もいるだろう。
 

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2009/09/06

レンズの汚れは傷む心の現われか

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← アルバイト先からの帰宅の途上、東の空を撮ってみた。晴れるような、曇りがちの一日になりそうな。

 相変わらず、堀 秀道【著】の『宮沢賢治はなぜ石が好きになったのか』(どうぶつ社)を読んでいる。
 どうも、以前、この本を読んだことがあるなと思ったら、案の定、刊行されて間もない06年、既に(やはり図書館から借り出してだが)読んでいた

 著者の堀 秀道氏は、テレビ東京の番組「開運! なんでも鑑定団」をご覧になる方なら、鉱物の特集の際のゲスト(鑑定家)として馴染みになっているかもしれない。

 小生がこの手の本を見逃すはずがないのだ!
 自分の記憶力の悪さに、今更ながら愕然とする。
 って、もう最近は慣れっこだ。
 再読であっても、『宮沢賢治はなぜ石が好きになったのか』は楽しめるんだから、それでいいのだ?!
 

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2009/09/05

茶の間から物干し竿を眺める

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→ 我が富山では、午後の四時近くから豪雨、そして雷雨へ。ちょうどデイサービスからの父母の帰宅と重なり、職員の女性ら共々、傘を差し、慌しく動き回った。画面に映る物干し竿。もう何年、使っていることやら。竹竿に撒いてあったビニールのカバーは破れ落ち、竹も罅割れ、腐り始めている。買い換えたいが、先立つものがない。まあ、この竹竿に愛着があるってのも、頑固に使い続ける理由かもしれない…。 ん? 単にけちなだけ? …母の入院が決まった。お医者さんには最後の入院となることも覚悟したほうが、などと言われた。今は自宅で静養している母が、茶の間からこの風景を眺めるのも、あと数日なのか。治療がうまくいって、元気で戻ってくることを期待するのみ。

夕立や物干し竿も濡れている

 ニフティのブログ(ココログ)でのブログを始めて(2004/09/09)、もうすぐ5年になる。
 試験段階のブログ開始は、「2004/08/31」だったはずだから、既に5年。
 よくぞ続いたってのが感想だ。


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2009/09/04

年初早々の痛烈な批判コメント

 既にテレビをはじめマスコミでも大きく採り上げられているように、3件目の裁判員裁判で、初めて性犯罪を対象に行なわれている:
ニュース So-net 3件目の裁判員裁判、初めて性犯罪を対象に

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← 今日(3日)のゴーヤ、ヘチマ、朝顔たちの競演・共演・協演・饗宴!

「裁判では、女性2人に対する強盗強姦 ( ごうかん ) 事件などが審理される」わけで、性犯罪というのは、この上なく深くプライバシーの領域に関わっている。
 そういった微妙な機微に渡る問題を裁判員裁判で行なう是非も論議されているようである。

 こんな制度があると、親告罪であるレイプ犯罪などは、ただでさえ訴えること自体を躊躇う傾向を助長するのでは、という論議もある。

 小生は、あまりに人間的な事柄に踏み込む記事(日記)はあまり書いてこなかった。
 まして、レイプの問題となると、小生には、迂闊に手を出せる事柄ではない。

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2009/09/03

緑陰で時を忘れて読書…したい

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→ 久しぶりに市街地へ。せっかくなのでスーパーへ向かう途上、富山城脇を通ってみた。晴天にお城が映える。富山城は、お城の公園も含め、工事中。完了が待たれる。

09浅草サンバカーニバル画像情報」がかなり充実してきた。
 でも、まだまだ情報を求めています。

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2009/09/02

自民党の瓦解……東西冷戦構造の崩壊から20年

 先の総選挙で自由民主党が(歴史的な?)大敗を喫し、民主党が大勝した。
 自民党の一部の幹部は民主党に負けたのではなく、「政権交代」という正体不明の風に負けた、あるいは自滅したのだと強弁している。
 その主張の当否はともかく、民主党が衆議院において圧倒的多数を確保したという厳然たる事実は微動だにしない。

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← 以前、名前を教えてもらったはずなのだが…。

「風」の有無はともかく、小生は、自民党は負けるべくして負けたのであり、むしろ、壊滅的打撃を被るのが遅きに失していると理解している。

 自民党は、1955年に自由党と日本民主党の保守政党が合同して結成された政党である。
 戦前からの経緯(いきさつ)があるのも事実だが、やはり、「社会主義勢力の台頭を危惧する保守政治家」らの画策の結果、生まれたわけで、共産主義や社会主義の脅威をリアルに感じ取っていたからだろう。

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2009/09/01

庭隅の草と花とを愛でる日々

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→ 春先、畑に生い茂った雑草。その凄まじさに圧倒されつつも、草刈(草むしり)の日々を送った。そんなある日、ちょっと油断していた間に、畑の隅に色さえ、紫系なら紫蘇(しそ)と思えるような形の植物が数十センチくらいの高さにまで育ってしまっていた。同じような植物が、長さ十メートル近くに渡って列(群れ?)を成している。もう、自棄だと、とうとう今夏の終わりまで放置。その中の一本を引っこ抜き、表通り側のツル性植物(緑のカーテン)を植えた花壇の一角に試しに植えてみた。今や背丈は2メートルを越えた。正体、いまだ不明。実も生りそうにないし、やっぱり雑草なのか。

 このところ、ジェイン・オースティンの『高慢と偏見(上・下)』(ちくま文庫)を読んでいる。
 サマセット・モームは、世界の十大文学作品の一つにあげていて、前々から読みたいと思いつつも読めないでいた小説。

 実は、題名に敬遠の理由がある。

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