永田耕衣の禅味俳諧へ
今日8月25日は、俳人の永田耕衣の命日である(1900年生。1997年死去)。
といっても、小生は永田耕衣(ながたこうい)のことは名前を仄聞していること以外、何も知らない。
← 自伝的評論集『耕衣自伝-わが俳句人生』(沖積舎)
本ブログは、実際には季語随筆を謳って始めたようなもの。
04年の9月初めから始めて、最初の2、3年は、それらしいことを書き連ねてきたが、次第に季語を巡る連想を働かす想像の翼も感性の刃も息があがってしまい、逆にこの2、3年は、思い出したように季語随筆を綴るだけ。
たまにはらしいことを綴っておく。
「永田耕衣 - Wikipedia」によると、「日本の俳人、評論家」とあって、詳しく履歴(経歴)などを記載してあるが、特に何をしたという記述がない。
いや、いろんな活動は活発に行なっているし、句作もほぼ晩年まで続けている。
ただ、世に、永田耕衣というと、こういう人と、紹介できる、特筆すべき項が素人の小生には分からない。
永田耕衣とは、一体、どういう人物なのか。
ネット検索の上位に、「松岡正剛の千夜千冊『耕衣自伝』永田耕衣」が来た。
俳人や俳句の関係者(関心を抱く人)ではなく、松岡正剛の書評が上位に来るというのはどういうことなのだろう。
「武者小路実篤に心酔」し、「「新しき村」入村を志すが、手の障害では農作業は無理だと断念、村外会員とな」ったという。
これがよかったと松岡は言う。
「小野蕪子や原石鼎に師事して投句をするようになったから」と松岡は言うのだ。
相前後して永田の父が死去。
三十代前半にして、下記のような句を捻る:
人ごみに蝶の生まるる彼岸かな
竹の葉のさしちがひ居る涅槃かな
日がさして今おろかなる寝釈迦かな
フラスコに指がうつりて涅槃なり
松岡正剛によると、「耕衣に仏教俳諧性とでもいうものが芽生えた」という。
事情があり、同郷でありながらホトトギス系の雑誌(同人)から疎外され、 「「ホトトギス」の党派的根性を嫌い、野人的思想を成熟させる要因」となったという。
逆に、俳誌「蓑虫」を創刊し主宰する。
あるいは、柳宗悦に共感し、「白泥会」をつくったりもしている。
やがて、「戦時中に石田波郷の「鶴」の同人となり、西東三鬼と交わり、やがて「琴座」を主宰し」、次のような句を世に示す:
行く牛の月に消え入る力かな
ひとの田のしづかに水を落としけり
物として我を夕焼染めにけり
この「琴座」(「リラザ」と命名)を主宰したのは、永田が49歳の頃で、一番、永田の特色が現れた頃のようだ。
その後も、母の死、病臥、妻の死、阪神大震災により自宅の「田荷軒」が全壊、左上腕骨の骨折など、いろいろあるが、句業はどうなのか。
仏教俳諧性が若い頃より句作にも現れていたが、年を経るに従い、一層、禅への傾倒がますます深まったようでもある。
それが彼の句の世界を深めることになったのかどうか、今ひとつ、分からない。
恐らくは、1992年に刊行された、自伝的評論集『耕衣自伝-わが俳句人生』(沖積舎)辺りを一読してみないと、憶測すらできないのだろう。
[ 忙しくて、本稿を最後まで書ききることができない。半端な形だが、とりあえずアップする。かなり独自な世界を切り拓かれているのを感じるが、小生の力不足で最後まで追いきれないことが残念である。ただ、小生の個人的感想を言えば、永田耕衣はあまりに早く宗教性に傾いてしまったと思えてならない。詠み手が俳句に宗教性(禅味)を感じるのは、作品の性格によっては、ありえて構わないと思うが、句に初めから宗教的世界への傾きを言葉で露骨に示すのは、小生の好みではない。 (09/08/24 記)]
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