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2009/08/01

「新じやがいもころころ転び名は男爵」村山古郷の周辺

 今日は村山古郷(むらやま・こきょう)という俳人の命日(1909年6月19日 - 1986年8月1日)である。
 といっても、小生は彼に付いて、何も知らない。

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← 村山 古郷 (著) 『昭和俳壇史』(角川書店) (画像は、「Amazon.co.jp: 通販」より)

 これでも、季語随筆のサイトとして、このブログを立ち上げたもの。
 少しは俳句に関係する話題を採り上げたい。

村山古郷 - Wikipedia」によると、以下のようにあるだけ。あとは著書が掲げられるだけで、俳人なのに、句が一つも載せられていない:

京都府生まれ。本名・正三。國學院大学国文科卒。中学教師を務めていたが、1941年、日本郵船に入社。内田百閒に師事し、鴨立庵第二十世庵主。俳誌『嵯峨野』を主宰、俳人協会理事を務めた。1978年、『明治俳壇史』で芸術選奨文部大臣賞受賞。

(転記文中に、「鴨立庵」とある。西行が一時、住み、「心なき身にもあわれは知られけり鴨立澤の秋のタ暮れ」をこの庵で詠んだとも言われる、「鴨立庵」。「鴨立庵」で風情・外見を見てもらうとして、村山古郷は、その第二十世庵主だったわけだ。)

 ネットでは、彼に付いての情報はあまり見つからない。

 それでも、たとえば、「今日の歳時記0617」には、以下の句が載せてあるなど、決して忘れられた俳人ではないようだ:

新じゃがも 顔丸々と 見られけり    村山古郷

 新じゃがいもがよほど、お気に入りのようで、以下の句もある:
新じやがいもころころ転び名は男爵   村山古郷
新じやがいも顔まるまると煮られけり   村山古郷

日刊:この一句 バックナンバー 」には、次の句が載っている:

敗戦の矛を擲(うが)つや油蝉   村山古郷

「作者はこの句について次のように書いている。「八月十五日終戦の大詔が発せられ、私のいた浦賀基地では、徴用船の武装解除が始まった。油蝉の鳴きしきる炎天下、銃座撤去が毎日続いた」」など、いつもながら、坪内稔典氏の短評は簡潔だし分かりやすい。

 さらに探すと、「村山古郷 murayama kokyou」なる頁に遭遇。
 村山古郷の句が21も載せられていて、嬉しい。

 ここには、幾つか、転載させてもらう:

草青む家の貧しさ子は知らず

若草に牧夫も牛も染まりけり

日本海真向きにラムネ鳴らし飲む

芋嵐猫が髯張り歩きけり

おでん酒うしろ大雪となりゐたり

雪ふり出す鍋つつきゐてひとの家

 忘れられた俳人ではないとはいっても、彼に付いて語ったり、言及したりしているサイトは少ない。
 やはり、『明治俳壇史』や、『石田波郷伝』、『明治俳壇史』、『昭和俳壇史』(以上、いずれも、角川書店)といった著作の書き手としての重みが大きいのか。

 といっても、『季題別村山古郷全句集』(季書房, 1997)が、左記のように、十年余り前に出たばかりなのだ。
『波郷さんのベレー帽』(富士見書房)など、村山古郷が誰彼について語る著作は多いが、何とか村山古郷のことをもう少し知りたい。

 俳人だから、幾つかの句が詠まれればそれでいいようなものだが、あまりに情報が少なすぎる。
 
 それでも、さすがに、坪内稔典氏の「日刊:この一句 バックナンバー」は貴重な情報を与えてくれる。
 以下の句を載せた上で、「古郷はこの昭和16年の句について、「中学の教師を止め、日本郵船に入社した。内田百閒先生の推輓による。国文を修めながら、商社に入る。志と異なる人生の道であった」と書いている」などとある(もっと詳しい記述が見られる):

郵船ビルの階踏みのぼり新社員    村山古郷

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→ 村山 古郷 (著) 『明治俳壇史』(角川書店) (画像は、「Amazon.co.jp: 通販」より)

 と思って、「村山古郷」という人物名だけをキーワードにしつこく検索を繰り返したら、ビックリするようなサイトに遭遇した。

WelCome 季書房 HomePage」である。
「季 書 房」(ときしょぼう)といっても、「拙生傘寿を機に出版業務は廃止、好きな俳句の道をホームページを通じ青少年にひろめてまいりたいと思います」ということで、4年前に出版業からは足を洗ってしまわれたようだ。

 但し、志は今も、というわけであろう。

 そのホームページの中に、「季題別    村山古郷全句集」がある!
 つまり、『季題別村山古郷全句集』(季書房, 1997)のネット版を自ら立ち上げておられるというわけのようだ。

 その頁を開くと、「村山古郷」の横顔についても、ネット上で見いだしうる中では一番、詳しい。
 多少、「村山古郷 - Wikipedia」とダブる面もあるが、一部、転記させてもらう:

 大正十三年十三歳の頃から兄葵郷の手ほどきで句作を始め、大森桐明や、内藤吐天らの「中心」という俳句雑誌に投句していたというから、俳句的には早熟であったといえよう。
 そのあと伊東月草の「草上」に投句し、昭和六年二十三歳の三月、晩学の笈を負って上京し、志田素琴に師事し、月草主宰「草上」の編集に携わり、仕事をしながら苦学を続けた。昭和九年素琴の「東炎」同人となり編集を担当。昭和十四年國学院大学を卒業した。昭和十九年戦争激化により俳誌統合が行われ「東炎」は終刊となった。

 今日は、「村山古郷」について、あれこれ調べて、「WelCome 季書房 HomePage」(「季題別    村山古郷全句集」)に出会えただけで、幸いとする。

                                 (09/07/31 作)

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