ダンサー画像のないサンバ画像集!
「私的第29回浅草サンバカーニバル(後篇)」をアップしました。
前篇と併せて一読願えればと思います。
← 今日の「クレオメ(西洋風蝶草)」。木立も揺れるような風があり、草花もややぶれた画像になってしまった。髭(ひげ)のような細い線の先に緑色の鞘(さや)のようなものが出来ている。
画像、豊富。
但し、山車(アレゴリア)の写真だけです!
今年はダンサー陣の撮影は一度もなし!
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「私的第29回浅草サンバカーニバル(後篇)」をアップしました。
前篇と併せて一読願えればと思います。
← 今日の「クレオメ(西洋風蝶草)」。木立も揺れるような風があり、草花もややぶれた画像になってしまった。髭(ひげ)のような細い線の先に緑色の鞘(さや)のようなものが出来ている。
画像、豊富。
但し、山車(アレゴリア)の写真だけです!
今年はダンサー陣の撮影は一度もなし!
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→ 今日(28日)の「クレオメ(西洋風蝶草)」。やや元気がない。朝も昼も夕方も咲いているのを確かめているが、夜も咲いているのだろうか?
眠れない日々が続いている。
睡眠導入剤代わりに読書など。
活字を目にすると、眠くなる学生時代からの習性は今も生きている…はず!
← 昨日も載せた謎の白い小花。風が吹いて揺れていたが、そこそこの画像を撮ることができた。
ある本を読んでいて、ミケランジェロについての興味深いエピソードを知った。
といっても、ミケランジェロや彫刻などに詳しい人には、常識に類することだろう。
学校での授業などで、これから彫刻刀を揮う大理石の中に、刻まれるべき形を見たという話を一度は耳にしたことがあるだろう。
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→ 昨日、幸運にも撮影することができたトンボ。さすがに間もなく小生の気配(影)に気づいたのか、飛び立ってしまった。が、すぐ隣りの作業道具(稲架)小屋の竹竿束の上に止まった。小生がまたもやこっそり近付いていったら、やはり今度も、小生に撮影を許す。相当に疲弊しているのだろう。それでも、そのうち、飛び立っていったけれど、せっかくの休息の場と時を邪魔してしまったのかな…。
← このところ、毎日のように撮っている「クレオメ(西洋風蝶草)」だが、昨日、そのすぐ脇に白い小花が咲いていることに気づいた。あまりに小さくて、葉っぱに隠れて気が付かなかったのだ。で、君の名は? 画像がやや精細の度を欠いていて、分かりづらいかな。
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8月26日は、アメリカの哲学者で心理学者のウィリアム・ジェームズ(William James)の命日である。
→ 今日は期日前投票のため、市役所へ。さらに図書館へ寄り、返却と借り出し。CDは、加藤登紀子に代わって研ナオコを選んだ。その帰り、スーパーへ向かう途上、天気もよかったので、富山城のお堀の脇を通った。なんだか、絵葉書みたいな写真になってしまった。こうしてフラフラできるのも、自転車の気軽さの御陰だ。
彼に付いては、ブログでは、「上村一夫…劇画なる世界に焦がれ戯画に生き」の中で、書いた日が1月11日、つまり彼の誕生日ということで、若干、採り上げたことがあるだけ。
← 今朝、朝食後、水遣りのため表に出たら茶の間の直下の日陰にトンボの姿を見た。チャンスとばかりに近付いたが、なかなか逃げない。気づかない? 秋の気配の漂う風にお疲れなのかな? 御陰で直近で撮影することが出来た。
学生時代を中心に、サラリーマンになってからも含め、彼の主著『宗教的経験の諸相 上・下』(桝田啓三郎訳、岩波文庫刊)を3度も読んだにしては、扱う頻度(も内容も)少ない(し薄い)。
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→ 今日の「クレオメ(西洋風蝶草)」。
ニール・シュービン(著)の『ヒトのなかの魚、魚のなかのヒト』 (垂水 雄二(訳) 早川書房)を読んだ。
副題は、「最新科学が明らかにする人体進化35億年の旅」。
← 今日の朝顔。いよいよ花が満開、見頃!
小生はこの手の本が大好き。
図書館で物色していて、背の題名を見て手に取り、しっかりした内容の本だし、パラパラ捲ってみて、読んで面白そうと直感し、即、借りた。
→ アルバイトを終え、営業エリアから事務所へ戻る道すがら、朝の光景を撮ってみた。何故か早く終わって、まだ五時半過ぎ。
直感に外れはなかった。
忙しい最中で、大部の本でもないのに、読了するのに一週間以上を要してしまったが、その分、楽しめたとも感じている。
何しろ、題名がいい。
「ヒトのなかの魚、魚のなかのヒト」だって!
魚座(「うおざ」と読むべし。「ぎょうざ」じゃない!)の小生には、恰好の本 ? !
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今日8月25日は、俳人の永田耕衣の命日である(1900年生。1997年死去)。
といっても、小生は永田耕衣(ながたこうい)のことは名前を仄聞していること以外、何も知らない。
← 自伝的評論集『耕衣自伝-わが俳句人生』(沖積舎)
本ブログは、実際には季語随筆を謳って始めたようなもの。
04年の9月初めから始めて、最初の2、3年は、それらしいことを書き連ねてきたが、次第に季語を巡る連想を働かす想像の翼も感性の刃も息があがってしまい、逆にこの2、3年は、思い出したように季語随筆を綴るだけ。
たまにはらしいことを綴っておく。
「永田耕衣 - Wikipedia」によると、「日本の俳人、評論家」とあって、詳しく履歴(経歴)などを記載してあるが、特に何をしたという記述がない。
いや、いろんな活動は活発に行なっているし、句作もほぼ晩年まで続けている。
ただ、世に、永田耕衣というと、こういう人と、紹介できる、特筆すべき項が素人の小生には分からない。
永田耕衣とは、一体、どういう人物なのか。
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つい先日、「弥一 キジに遭遇す」といった小さな事件があった。
未明から早朝にかけてのアルバイトの最中、とある郊外の町中でいきなりキジと出くわした、という他愛もない日記である。
→ 一昨日、朝顔の花が三つ揃って咲いてくれた。育つ勢いでは、ゴーヤやヘチマに圧倒されているけれど、出窓の軒下で健気に咲く朝顔の花の可憐さに癒される。…東京では、今日23日の夕方、我がサンバチーム・リベルダージ(G.R.E.S.LIBERDADE)が、志村銀座商店街でパレードをしている…いや、つい先ほど、終了した頃だと思いつつ…。
富山だし、キジの一羽くらいに遭遇することも、あっておかしくはないが、あまり突然に、しかも、目の前に出てきて、そのキジがまた慌てふためき狼狽している光景が滑稽なような、でも哀れなような不思議な気持ちになり、一つの体験にまでなりそうなものだった。
実は、その日、さらに奇妙な偶然があった。
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週に二度、母がデイサービスでお世話になっている。
過日、その業者の方がもらされたちょっとした一言が気に掛かっている。
朝食も終わり、あとはデイサービスの車を待つだけになっていた。
← 今日(土曜日)は、わが町のお祭りの日。前日に撮った写真。準備万端(23日の地蔵盆祭りは、どうやらここではなく、今年から違う場所(新しい公園の一角)に変更されたみたい。確かにそちらのほうが広いし、新しい大きな公園ということで場所的にも分かりやすいのかもしれない。でも、お地蔵さん(観音様)たちとは縁がない祭りとなったのでは。数十年の昔から、今の地蔵堂(観音堂)で小さな祭りが続けられてきたことを思うと、ちょっと淋しい(09/08/24 追記))(なんと、今日24日、月曜日にこの観音堂(地蔵尊)でお祭りがあった。夏休みとはいえ、月曜日に祭りとは、意外で驚いた。小生は、草臥れて寝込んでいた(09/08/24夜 追記の追記))。
二度のデイサービスの日は、たまたま、燃えるゴミを出す日に当たっている。
なので、車を待つ間に、庭の植物に水をやったり、ゴミを出したりする。
過日のことである。
そこへ、サービスの車がやってきて、業者の方が出迎えに玄関にやってきた。
ゴミを脇に置いて、いつものように母を送り出す介添えをする。
その時、業者の方が脇のゴミ袋を見遣りつつ一言、「あら、家のこともされるんですね」と漏らされた。
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小生は、未明から早朝に掛けて、バイクを使ってのバイトに日々、勤しんでいる。
未明というより、ほとんど丑三つ時に近い頃に家を出て、バイト先へ。
← 先日、教えてもらって、ようやく名前がそれと知れた「クレオメ(西洋風蝶草)」の今日お昼の姿。容赦のない日光にちょっと草臥れ気味。というのも、今日の富山は最高気温が35.6度。炎天下に健気に咲いているだけでも尊敬したくなる。
仕事を始めるのは二時半頃。
まずは事務所で下準備。
その上で、バイクをスタートさせるのが3時前。
天候にさえ恵まれ、ミスがなかったら、5時半過ぎには作業は終了する。
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今朝、嫌な夢、というか妙な夢で眼が覚めた。
→ 朝の五時頃、そろそろ夜明けという刻限。アルバイトの真っ最中。ちょっと気になる深い森を水田越しに眺める。携帯で撮ったので、画像が粗く雰囲気が伝わりにくいが、妙に惹かれる光景なのである。画面には見えないだろうが、森の影の右上に下弦の月影が。
今朝といっても、小生の場合、バイトのため、未明の2時過ぎに外出し、仕事を終えて帰宅するのが6時過ぎ。
それから、父母らが起き出してくる8時頃まで、仮眠の時間である。
できるなら、目覚まし時計のアラームで起きるのではなく、多少はまとまった時間、眠りたいが、現下の事情にあっては、細切れな仮眠を二度、三度と取るのがせいぜいなのだ。
それが、目覚ましが鳴る前に目覚めたのだけど、こんな妙な夢で目覚めるなんて、皮肉だ。
[以下、夢の記述]
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3年前の今日、小生は二十歳から(約3年のブランクはあるが)29年ほど乗り続けてきたオートバイ(バイク)と別れた日である。
その間、ずっとオートバイを所有し、ほぼ毎日、乗っていた。
3年前の今日、最後に所有していた600ccのスクーターを売り払い、バイクには乗らなくなった。
← 紫露草 (むらさきつゆくさ)が、また、庭先で咲き出していた。大概の花は、とっくに咲き、萎れ、涸れているというのに。
そのバイクと何の因果か分からないが、今月からまた仕事(バイト)上の都合(生活苦!)とはいえ、また縁を持つことになった。
縁りを戻したわけである。
といって、別にバイクを買ったわけじゃなく、会社のバイクを使って仕事をしているだけなのだが。
自分にとっては、オートバイ(バイク)との別れは辛いものがあったが、小生の周りには誰一人、ライダーは居らず、気持ちを通じ合えることもなかった。
一人、好きなピザなどを自棄食いして、別れの宴を張ったものだ。
ついでながら書いておくと、今日8月19日は、本当に公式に「バイクの日」でもある。
別にこの日を期してバイクを降りたわけではないのだが、駄洒落好きな小生らしい、偶然と言えるのかもしれない。
以下、せっかくなので(?)、3年前のオートバイとの別れを綴った一文を転記しておく。
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個人的な関心もあって、アルマン・マリー・ルロワ著『ヒトの変異 人体の遺伝的多様性について MUTANTS』(監修上野直人 訳者築地誠子 みすず書房)を読んでいたら、カストラートという呼称に遭遇した。
← このところの忙しさや長梅雨の影響もあって、畑の雑草取りを怠ったら、ほんの二週間で、畑はこの惨状。しつこいが、これは畑である!
カストラートという音楽史上の存在については、小生には、多分、初耳の言葉だが、オペラなどクラシック音楽ファンにはあるいは馴染みの、常識に属する言葉なのかもしれない。
→ 今朝も早朝のアルバイトをやってきたし、午前中は洗濯、そして家事に追われ、昼過ぎから雑草刈り。二時間弱やったけど、やっと4分の1も毟れたかどうか。バイオ燃料じゃないが、こうして刈り取った雑草を二束三文でいいから引き取ってもらってバイオ燃料の原料にしてもらえないものか ? !
本書は、「その昔、重い奇形をもつ人々は「怪物」とみなされた。いま、奇形は遺伝子の働きを知るうえで、貴重な手がかりとなっている。その間には体づくりの謎をめぐる、数百年にわたる混乱と探究の歴史があった」といった本。
小生には単なる好奇心ではすまない内容の本。
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→ 出窓の磨りガラス越しに表のヘチマの様子を撮ってみた。大きな葉っぱ! でも、となりの出窓ではない窓に面して育っているゴーヤのほうは、葉っぱがもっと密集している。幾重にも折り重なっている。なので、我が部屋は、快晴の真昼間でも、真暗。エアコン代わりにもなるかと思ったが、確かにそうだとしても、昼間も照明が必要なほどに生い茂るとは。
つい先日の日記で愚痴めいたことを書いてしまった。
まあ、日記なのだから、たまには愚痴も書き連ねてみたっていいだろうし。
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怒涛の繁忙期も過ぎて、ほんの少し、ホッとできる瞬間もできた…と思ったのは、甘かった。昨日はアメリカシロヒトリの駆除(薬剤が足りず、半端に終わっている)、今日は町内会の雑事と、メインはお墓参り。
← 我が家のお墓。周りのお墓は、みんなとっても、綺麗。貫禄? みすぼらしい。石が相当に弱っていて、下手に磨いたり、苔を落とすこともできない。父の祖父の代、本家から土地(ほとんどが田圃)を分けてもらって分家。今年の墓参りは、小生一人。
母は無理として、父はあるいは墓参りに行く気持ちはあったようだが、天候が思わしくなく、傘を差して現地へ赴くのも憚られ、小生ひとり、墓地へ。
一帯の田圃の原の一角に誰(決まった寺)に管理されることのない墓地としてある。
墓地の脇には今も小川が流れている。
ガキの頃、小川に向かって一家で「おしょらい」などをやったものである。
その小川も、護岸されて久しい(下に掲げる写真を参照のこと)。
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今月になってからの繁忙で、読書どころではないが、先月末、最近のヒットと言える本を読んだ。
それは、アドリアン・J.デズモンド著の『ダーウィンが信じた道―進化論に隠されたメッセージ』(矢野 真千子 野下 祥子【訳】 日本放送出版協会 (2009/06/30 出版))という本。
とても、感想文など書く力も余裕もないが、秀逸といっていい本。
→ 昨日の日記には、ゴーヤなどが見事すぎるくらいに育ってくれて、右側の窓が完璧以上に緑の葉っぱで蔽われている様子を見てもらった。この写真は、右側の出窓の様子も収めてみたもの。さすがにゴーヤもここまでは手が届かないが、その分、ヘチマが張り切ってくれている。葉っぱが大きくて、ネット(網)が重く、垂れ下がっていたので、今日、アメリカシロヒトリ駆除のための薬剤を噴霧器で撒布したついでに、ネットをシュロ縄で窓の桟の上の横板に打ち付けてある釘に引っ掛けてみた。なんだか、緑の涎掛けみたい? いやいや、緑の花綵(はなづな)だ!
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今日もこの一週間と似たり寄ったりの生活ぶり。
ただ、午後、アルバイトのための勉強(練習)を夕方五時まで、ではなく、三時で切り上げた。
母の自宅でのケアのため、ケアマネさんらが来訪され、父が相談。
彼らは午後早めに来る予定になっていたようだが、中途からだけでも、自分も立ち会うため、間に合うかどうか分からないが、とにかく、三時半過ぎには帰宅。
庭に関係者の車が二台、止まっている。
自分の車は止められず、門前の道路に置くはめに。
(来訪の予定は聞いていたので、午前中、父母の寝所を中心に、玄関やトイレ回り、廊下などを掃除。)
近所の家の方が造園工事していて、その関係者の車が我が物顔に車を数台、止めて、通行不能な状態にしているので(しかも、近所には全く挨拶なし!)、その車の列の先に一時、駐車させておくことにした。
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今日も慌しい一日…なんて、書くと、昨日と同じ日記に見える?
でも、実際、同じようなもの。
今朝(?)は、3時半に出かけ、バイトを終え、帰宅したのが八時半を回っていた。
八時には父母が茶の間に出てくるので、小生がいないと心配するだろうと、バイト先から電話。
思ったよりは遅くならなかったけれど、それでも、八時四十分過ぎに帰宅したら、小生が帰郷してからはほとんど台所に立ったことのない父が(母が倒れてからの数年は、父がなんとか簡単な炊事をやっていた)、流し台で味噌汁を作っていた。
父の足元は危うい。家の中をやっとのことで歩いている状態。
家の中で杖を突いてもらいたいほど。
見ていてヒヤヒヤする。
たまには散歩してほしいけど、週に一度のデイサービスでの歩行訓練が唯一の運動になっている。
母の身の回りの世話をして、疲れきっている面もあるので、父には何も言えない。
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今日も慌しい一日。
朝、2時頃、起きて、茶の間の片付けなどして、軽く食事を取り、アルバイトへ。
帰宅は7時前。
汗ビッショリの体だけど、疲れているし、汗で濡れた服のまま、数十分、仮眠。
8時に起き、朝食の準備(父母らの薬の準備)。
一緒に食事。片付け、父母の衣類の洗濯などなど。
ぼやぼやしていたら、10時。
ソファに横になり、仮眠。
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覚えること、やることが多くて、目が回りそう。
切羽詰った状態にあることを感じる。
他人には容易にできることでも、自分にはとっても困難だったりする。
頑張ることは大切だけど、頑張りすぎちゃ、いけない…、なんて、話を、偶然だけど、今日の電話で先方の方がされていた。
それは自分への言葉だったのだろうけど、小生へのアドバイスにも聞こえた。
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マイク=モーウッド、ペニー=ヴァン=オオステルチィ著『ホモ・フロレシエンシス〈上〉―1万2000年前に消えた人類』『ホモ・フロレシエンシス〈下〉』(馬場悠男監訳、仲村明子翻訳 NHKブックス)を読んだ。
→ つい先日、街中(駅前)で見つけたポスター。「トリエンナーレトヤマ」という、富山(富山県立近代美術館)で催されている、世界屈指のポスター展のポスター。
NHKブックスの上下巻を併せても400頁ほどの本。
分冊は、出版社のシリーズの都合なのだろうけど、読者としては、一冊の本のほうが読みやすい。
「世界中を驚かせたホモ・フロレシエンシスの発見」。身長が一メートルほどの人類の発見ということで、「それは新たな人類なのか、単なる小頭症の現生人類なのか」と論争を呼んだ。
← 「トリエンナーレトヤマ」 (画像は、「富山県立近代美術館 第9回世界ポスタートリエンナーレトヤマ2009」より。入賞作品などは、ここで)
最初は際物かもと、やや警戒しつつ読み始めたのだが、結構、手堅い。
但し、論議の余地もある(らしい)。
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今日8月5日は、「タクシーの日」である。
1912(大正元)年のこの日、「東京・数寄屋橋のタクシー自動車株式会社が日本で初めてのタクシーの営業を開始した」とか。
8月5日の8・5は、ハコと読める。
タクシーを(形から)ハコと俗称することもあるから、こじつけだが、「タクシーの日」というより、「ハコの日」と呼んだりも。
← 「タクシーは手を挙げて拾ってね」参照。
小生は、一昨年の暮れまで、12年と3ヶ月(内定からだと、12年と9ヶ月)、タクシードライバーとして東京で影響していた。
帰郷する直前、個人タクシー免許試験にも合格して、個人タクシーとして営業するはずだったが、家庭の事情もあって、急遽、帰郷したため、断念。
名残りの看板(免許を申請する場合に必要なものの一つ)だけ、持ち帰った。
特注した白いプラスチックの細長い板には、「個人 ○▲タクシー営業所」と黒い活字で銘打ってある。
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『テンペスト(The Tempest)』に引き続き、小田島 雄志訳にてシェイクスピア著『リチャード三世(King Richard III)』(白水Uブックス)を読んだ。
→ 過日、夜中に録画しておいた、NHKの番組「与謝蕪村 響き合う絵と詩|日曜美術館」を見た。「鳶鴉図」や「『己が身の』自画賛」をじっくり鑑賞できたし、「夜色楼台図」に三好達治の有名な詩を被せたり、なかなか味わい深い番組だった。感想めいたことを書きたかったが、機会を逸してしまった。シェイクスピアといい、与謝蕪村といい、世界は広く深いなー。
「リチャード三世 (シェイクスピア) - Wikipedia」によると、「『リチャード三世』は、イギリスの劇作家ウィリアム・シェイクスピア作の史劇。正式なタイトルは『リチャード三世の悲劇』」で、「リチャード三世は狡猾、残忍、豪胆な詭弁家であり、「彼の野望の犠牲となり親を失った子、夫を亡くした妻、子供に先立たれた親の嘆きから、不幸の底にある者でさえ他人の不幸がわからない密やかなエゴイズムが劇中に映し出されていく」というもの。
今以て人気のある作品で、日本でもしばしば演目として採り上げられる。
ドラマに仕立てやすいし、解釈や演じ方に演出家や役者の裁量の余地が大きいのだろう。
ドラマとしても面白くなりやすいだろうし、何と言っても主人公が極めて個性的だ(ある意味、この作品は、小生には、主人公に尽きるとも思える)。
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← 過日、図書館へ行った帰り、通りかかった川に水鳥たちが。橋の欄干に凭れながら、ぼんやり眺める。迷っていることがあって、一歩を踏み出せないで居た。川縁や水面に遊ぶ鳥たちが羨ましく思えて…。
フィリップ・ド・ラ コタルディエール/ジャン=ポール ドキス著の『ジュール・ヴェルヌの世紀―科学・冒険・“驚異の旅” 』(私市 保彦【監訳】 東洋書林 (2009-03-31出版))を読んだ。
→ その日の夕方の空。これでは冬の北陸特有の鉛色の空は、夏(前)もか、なんて言われそう。富山は今日も雨か曇り。今も(夜の八時過ぎ)雨音が聞こえる。数日前までは迷っていたことも、やると決めたしもう始めたので、今の胸中は、この空ほどには雲ってはいない。それにしても、梅雨明けはいつになるのか。…と言いつつ、雨のせいで気温がやや低く、助かっていて、夏の暑さの到来は怖くもある。一方、花壇のヒマワリは、断固、直射日光を待ちわびている!
とにかく、図版(貴重な写真)が多く、読んで眺めて楽しい本だった。
「先駆的文学の実践者であることは勿論、氾濫する新知識の航海者にして来るべき未来の幻視者でありつづけた作家と、彼が生きた爛熟の時代とを三百余点の図版と共に探る」というのも、伊達じゃない。
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過日の雑文でシェイクスピアのテンペストからの有名な一節を掲げたこともあって、久しぶりにシェイクスピア作品を読んでみた。
無論、縁もあって、読んだのは、「テンペスト(The Tempest)」である。
← 今日は富山市は花火大会の日。今は雨が止んでいて、花火の音が遠くから、木霊して来る。昨年は、見物に行く元気があったのだが…。そう、富山市の花火大会には格別な意義があるのだ。
学生時代、英語の授業で一年間、シェイクスピア作品をじっくり読んだ。
原文で本格的な作品を、しかも、戯曲を読むのは初めてで、最初は戸惑いもあったが、一年が終わる頃には、シェイクスピア作品を原文で読む楽しみに痺れていた。
一年間の講義を堪能したと言って過言ではない。
あと一年、違う作品での講義を受ける、そんな機会があったら、哲学科から英文科に転籍したかもしれない。
戯曲としての楽しみもあるが、シェイクスピアの言葉遊びの自在さにひたすら感服した。
→ 北陸・富山は、相変わらず梅雨空が続く。ほんの一時、晴れ間もあるけど、すぐに曇り、そして雨。これは一昨日の夕方、夕景を撮りに行ったら、月影も雲間に垣間見えたので、撮影にトライ。チラッと写っている。
小田島 雄志訳『テンペスト』が面白くて、返却した際に、次は同じく同氏訳で『リチャード三世』に手を出した。
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今日は村山古郷(むらやま・こきょう)という俳人の命日(1909年6月19日 - 1986年8月1日)である。
といっても、小生は彼に付いて、何も知らない。
← 村山 古郷 (著) 『昭和俳壇史』(角川書店) (画像は、「Amazon.co.jp: 通販」より)
これでも、季語随筆のサイトとして、このブログを立ち上げたもの。
少しは俳句に関係する話題を採り上げたい。
「村山古郷 - Wikipedia」によると、以下のようにあるだけ。あとは著書が掲げられるだけで、俳人なのに、句が一つも載せられていない:
京都府生まれ。本名・正三。國學院大学国文科卒。中学教師を務めていたが、1941年、日本郵船に入社。内田百閒に師事し、鴨立庵第二十世庵主。俳誌『嵯峨野』を主宰、俳人協会理事を務めた。1978年、『明治俳壇史』で芸術選奨文部大臣賞受賞。
ネットでは、彼に付いての情報はあまり見つからない。
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