« 久しぶりの辻邦生著『海峡の霧』 | トップページ | 庭の植物たちの息吹 »

2009/05/18

緑滴る山々と合鴨と

 久しぶりに雨の一日となった。
 ここしばらく雨が降らなかったというわけではないが、ほぼ終日の雨となると、いつのことだったか。
 雨だけじゃなく風も吹いていて、雲の動きも早い。
 戦国の世なれば風雲急を告げるといったところか。

2009_0517071003tonai0026

← 自転車での買物の帰り、近所の水田脇を通りかかったら、足元にカモが二羽!
 
 こんな天気だし、日曜日とあって、息抜きに座敷や茶の間から表を眺めてみても、人影はいつも以上に疎らである。
 車さえ、普段より見かけることは少ない。
 人気のない町が一層、沈んでいるように見えたりする。
 こんな日は、じっくり読書や音楽と洒落込みたいが、風雨の音はともかく、気分的に静か過ぎる感じがあって、反って落着かない。

 庭に出て作業をするわけにもいかず、縁側やトイレの小窓などから庭の様子を眺めたり、せっかく昨日、咲き誇った花の具合を確かめてみたり、妙に気忙しくもある。

2009_0517071003tonai0028

→ 番(つがい)なのか、二羽が仲良く水面を泳いで行く。

 雨だと外出もしない。
 今日は雨(しかも風)という予報が出ていたので、所用は昨日のうちに済ませておいたので、出掛ける必要はないのだが、言いかえると外出する口実もないというわけである。
 雨なのだから、どっしり腰を落着けて、家の中の雑事を果たせばいい、とは分かっているが、やる気になれない。
 一昨日、屋根裏部屋の片付けをやったが、その続きをとも考えなくもなかったが、やはりその気になれない。
 要するに、何も手につかないのである。

 今日は一日、雨か…と、空を眺めつつ、思っていた。
 予報では、明日の午前くらいまでは雨が残るはずだったし、車はあるけど、車を出すほどの用事もない。
  
 それが、午後の四時前だったろうか、読書していて、ふと、雨音がしないことに気づいた。
 おや、雨が上がった? まさか、そんなはずは…と、小窓を開けてみたら、晴れとは言えないとしても、雨は上がっている!

2009_0517071003tonai0035

← 餌を啄ばむカモたち。一羽は必ず小生を警戒している。

 となると、なんだか、うずうずしてくる。
 買物へ出掛ける理由はなくもない。
 昨日、日本で初めての国内感染が確認され、それが兵庫(神戸)だけじゃなく、大阪にも広まっているという報道が昨夜からある。
 茶の間での話題で、大阪で感染が確認されたなら、富山と大阪や京都など関西との経済的・文化的交流の深さからして、北陸への、つまりは我が富山への影響も間もない…となると、マスクが必要だ、なんてあった。

 家には老いた父母がいる。ある年代以上の感染者の数(割合)は少ないというものの、一人は糖尿病の持病などを持っているし、一人は肺炎で治療を受けたばかりである。
 かく云う小生にしたって、鼻呼吸ができず、どんな汚れた空気も口で吸い、肺にダイレクトに取り込んでしまう弱みを持っている。
 自分用のマスクは持っているし、親も日頃、就寝時などに使ってはいるが、新型インフルエンザ対策となると、数的に間に合うはずもない。

2009_0517071003tonai0037

→ やがて二羽は泳ぎ去っていった。カモたち、風雨が激しい間は、何処で雨宿りしているのか。それに、近所には猫たちも何匹もいるはず。大丈夫なの?

 うがい薬やら、消毒液などを買うべきかとも思ったが、とにかくマスクの在庫がなくなるのが早いだろうと予想されるので、今のうちに多少なりとも買っておこうと思った。

 雨が止んでいたので、近所の方も表に出てきて、庭や表の掃除などをされている。
 我が家も昨日(も)せっせと庭掃除をやったのだが、風雨のゆえに、一気に落葉などで汚れてしまっている。
 でも、濡れた地面を竹箒で掃くのも、地面を傷つけるだけだろうし、小生はとにかく、自転車を駆りドラッグストアーへ。

 その帰り、ふと遠回りしてみたくなった。雨は上がったとはいえ、雲はまだ分厚いし、雲の流れも速い。
 風景を撮るには相応しくないが、この数日、家のことに忙しく、自転車での散策もやっていない。
 
 完成間近の公園の光景を眺めたりして、我が町でほとんど唯一、残っている田圃の脇を通りかかったら、驚いた。

2009_0517071003tonai0039

← 風雲、穏やかならざるも、視界良好。

 合鴨が水田に!
 合鴨農法
 まさか、大規模な田圃というわけでもないのに、合鴨農法をやっているとは ? !

 あるいは、たまたま貴重な田圃…つまりは水田…つまりは湿地(湿原)ということで、マガモが飛来してきたのか。

 いずれにしても、一昨日だったか耕運機で田植えをしたばかりの田圃にカモが二羽、居るのは間違いない。
 それも、自転車で通りかかった、その小生の足元に二羽のカモたちがいるのだ。

 番(つがい)のカモなのだろうか。
 雨だけじゃなく、風も収まっていて、水が張られて角度によっては鏡のように見える水面をカモが餌を啄ばみつつ泳いでいる。カモたちが移動するたびに、水面に波紋が広がるのが見ていて楽しい。
 
2009_0517071003tonai0041

→ 小生の立ち位置からこの方角を眺めると、ちょうどこの山々の彼方に東京がある…はず。
 
 小生がデジカメなど取り出すものだから、警戒しているのか、一羽は小生に対して真横を見せている。必ず小生に対し、カモの眼が真っ直ぐに向いているわけである。
 もう一羽は、餌をせっせと啄ばむ。水の中に嘴を突っこみ、カエルなのかミミズなのか分からないが、探しているようである。
 昔と違って、農薬も撒布しないか、最小限に止めているはずである。
 住宅街のど真ん中に残る、貴重な田圃なのだ。
 その奥隣りには今はマンションが建っているが、その敷地は以前は我が家の田圃だった…のだが、十数年、あるいは二十年以上も昔、手放してしまった。
 大八車で我が家との間を往復したり、田圃で遊んだり、そんな足あとがマンションの駐車場の下に残っている…はずもない!

 多分、小生を見張っているのがオスで、食べるのに夢中なのがメスなのだろう。餌をたっぷり取って、栄養を蓄え、子供を産み育てる大事に備えているのだろう。

 その内、小生があまりに長く眺めているからなのか、それとも、餌があまり見つからないからなのか、カモたちは鞍替えしていった。

2009_0517071003tonai0045

← 水墨画のような空模様。

 それを切っ掛けに小生も場所を変えることにした。
 ドラッグストアーへ行く道すがら、ふと脇を見ると、住宅街の合間に立山連峰など北アルプスの峰峰が輪郭も鮮やかに浮かんでいたのだ。
 雨や風で大気中の埃が吹き払われたのか、驚くほどに峻厳な嶺の刻みが鮮やかだし、一方、ちょっと目線を変えると、緑滴る山々も見えている。

 せっかくだから、撮りに行こうと、カモたちのいる田圃を離れ、家に買物袋を置いて、自転車で数分ほどの空き地へ向かった。
 工場か何かを誘致しようというのか、それとも、既に買い手は決まっているが、建設工事には至らないのか、結構、だだっ広い原っぱなのである。
 それこそ、昭和の三十年代だったら、子供の恰好の遊び場だったろうが、生憎、コンクリートの塀や鉄条網、鉄柵などで囲われていて、何人も立ち入ることを許さない。

2009_0517071003tonai0046

→ 緑滴り始めている山々。

 そんな空き地の一角、塀際に陣取り、北アルプスの山々を遠望してみた。
 こういうやたらと広い更地に立つと、それこそ昭和の終わりごろ、80年代の後半から、そろそろ90年代に入ろうかという頃、お台場のススキの原で散策したことを思い出してしまう。
 鉄条網で仕切られた一角もあるが、公園として一定の整備をされている場所も多く、天気のいい休日など、バイクで駆けつけては、公園のベンチに腰掛け、読書したり居眠りしたり、空の雲を眺めたりして、日がな一日過ごしたのだった。

 が、富山の今の更地は、人が立ち入るなんて、論外の状態になっている。
 当面、使わないのなら、野球場か何かとして開放してくれたらいいのに。
 あるいは、何かのイベント会場にするとか。

2009_0517071003tonai0049

← 縁側の廊下から直下の内庭そして玄関先を眺める。餅つきの臼が、今は寂しく雨を受けている。

 さて、自宅の玄関前に置き去りの買物袋が気になるし、家で何があるか分からないので、外で長居はできない。
 早々に帰宅し、雑用を片づける。
 ようやく一段落付き、マイルス・デイビスのCDやらバッハのテープを聴きながら、読書しようと思ったら、雨音。しかも、風の強く吹く木立の音も。
 縁側に立ってみたら、風雨で松や杉や棕櫚やカエデ、キウイなどが激しく揺れている。

 束の間の晴れ間だったのだ!

                                     (09/05/17 作)

|

« 久しぶりの辻邦生著『海峡の霧』 | トップページ | 庭の植物たちの息吹 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

思い出話」カテゴリの記事

自転車散歩」カテゴリの記事

富山散歩」カテゴリの記事

写真日記」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 緑滴る山々と合鴨と:

« 久しぶりの辻邦生著『海峡の霧』 | トップページ | 庭の植物たちの息吹 »