母の日…匙は投げないけれど
母の病気も、今は治療はほとんどしなくて、養生と経過観察がメイン。
適度に指定された日に検査や診断のため、病院に行く。
でも、持参した、日頃、記録を取っている、血糖値や血圧のデータ表を見てもらったり、病院で血液検査した結果(数値)を見て意見を呉れたり、このところ、内容的には変わらない薬を量を按分して出してもらうだけ。
→ 今年は梅の実の生り具合がいい。昨年とは大違い。梅干を作る知識も経験もないので、今年は梅酒に挑戦しようと思っている。庭の梅の木に生る梅の実で、梅干は無論のこと、十数年前までは梅酒を作ってくれていて、東京に送付してくれた。風邪の折に呑むと、効果覿面だったっけ。
よく言われるように、待ち時間が長く(大概、二時間、受診する科目が複数なら、三時間もあり)受診はせいぜい、5分。
先生としても、見放しているわけではないだろうけど、手の施しようがないみたい。
匙を投げた?
数年前、余命数ヶ月と言われたのが、年齢のせいか、病状の進行が遅く、今も、淡々と昨日に変わらぬ日を送っている。
父母の寝室から茶の間(居間、そして食事の部屋を兼ねている)との間を、手すりなどを使いながら、なんとか日に三度か四度(午後のお茶の時間にも出てくることがある)、往復している。
トイレも、手すりなどを使い、なんとか(時に転倒などの失敗があるが)自分で頑張っている。
ポータブルトイレも考えないではないが、ギリギリまで様子を見る。
お医者さんも経過観察(と薬を出す、アドバイスを提供する)など以外は、特に処置をしない(やりようがない)ようである。
通院は、月に一度か二度だけど、診察を待つ時間だけでも母の体力を消耗させていると思えてならない。
近く、往診をお願いすることになるだろう。
父が母の傍にいて、細々した面倒は見てくれているし(その父も近く、要介護か要支援認定となる可能性がある。現在、調査中で結果通知待ち)。
小生が出来ることは、少ない。
買物や掃除、洗濯、炊事などの家事は当然として、他に何が出来るか分からない。
母のお喋りの相手ができればいいけど、小生は言語障害気味で、近年特に耳の遠くなった母とは、会話が成り立たない(発音の明瞭な人とは、声を大きく出せば、今も成り立つ。)
自分がやることといえば、日々、食事の世話や服用する薬の準備、寝室の片づけやシーツの小まめな交換(洗濯)。
庭には、自分が無粋で碌に世話をしないのに、今年も何種類かの花が咲いてくれている。
それらの花も、母の居る場所からは全て視角。
週に二度、リハビリ施設へ向かう際、庭を歩いて(あるいは車椅子を使って)通るわけだけど、迎えの車に乗り込むのに必死で、到底、周囲の庭の光景を眺めるどころではない。
車に乗り込むのが、母には大仕事なのだ。
← 昨日、今日と活けたのは、この純白のツツジと、赤紫のツツジ。
乗ってしまったら、余裕が出て、車窓から庭の草木を眺められるはず?
車に乗り込み、椅子に座ったという安堵で、もう、ホッとしただけじゃなくグッタリして目を閉じてしまう(茶の間にいても、食事の最中以外は、ずっと目を閉じている)。
せめてものことと、小生の信条とは反するのだが、庭の草木の花を折々、断ち切って、花瓶に差して、居間(茶の間)などに据える。
小生は、生け花が大嫌い。なぜ、生きている花をわざわざ断ち切るのか、不思議でならない。
せめて根っ子から抜き取って、土に植えた形でなら、まだ許容範囲のうちだが。
小生は、花は自然の中にあってこその花じゃないか、という、大方の方からすれば狭い料簡の持主なのである。
時折、せっかく咲いているんだから、母のために切って、見せてあげたらなんて、アドバイスを貰う。
分かってる、そんなことは!
分かっているけど、やりたくないのだ!
…なんて、意地を張っている場合でもない。
それほど、ポリシーのある人間でもないし、家の中に花を飾るために、信条(?)を折り曲げるなんて、容易いことだ。
でも、茶の間の出窓に活けたその花も、母が見るのは一瞬。食事やテレビのためもあるけど、回転する椅子ですぐに出窓に背を向ける。
ほんの暫しの間、母が花を見つめて何を思うかは、小生には分からない。
視力の弱った目では、どのように映っているかも、小生には見当がつかない。
気休め?
気休めだとして、小生の気休めなのか、母の気休めになっているのかさえ、定かではない。
匙を投げはしないけれど、途方に暮れることも多いのである。
→ 紅白に見立てて?
「梅」関連拙稿:
「梅の木の呻き?」
「梅は咲いたし飛行機雲は見たし」
「梅の木に見守られ…読書・音楽拾遺(後篇)」
「梅や殖やせや……花を!」
「「「小諸市北国街道ほんまち町屋館」…小諸というと藤村だけど(後篇)」アップ」
「端唄から龍馬、そしてレゲエへ 梅は咲いたか ♪」
「アメリカシロヒトリ!」
(09/05/09 作)
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