富山のツツジも素敵です
昨日、「ツツジを巡る随想の数々」ということで、東京在住時代に書いたツツジをめぐるエッセイの数々を抜粋集の形で示した。
東京の路上での仕事ということで、特に四月から五月に掛けては、ツツジが印象深く、小生の中では東京(の道路)は、ツツジのイメージが強い。
そんなことを、我が家の自宅のツツジを見ながら思い起こしていたのだった。
→ 裏庭にひっそりと咲くツツジ。純白の花が緑滴る葉っぱを背に際立つ。
少なくとも昨年に関して、我が家の庭もだが、郷里である富山の町中についても、ツツジをよく見たという記憶はあまりないのだ。
今年、庭のツツジが活きがいいのは、昨年から小まめに雑草刈りをやっているし、土壌改良のため、納屋にあった園芸用の肥料を多少なりとも撒いたからなのかな、なんて勝手に思っている。
昨年は、梅の木に生る梅の実も数が少なかったし、粒が小さかったが、今年は明らかに数が多いし大きい。
少しは努力の甲斐があったと思っていいのか?
…但し、他家の庭のツツジの勢いや豪奢さには全く敵わない!
さて、自宅の庭はともかく、富山の市街地については、ツツジのあまり見かけない町という印象は、幾分は見方を変えないといけないかもしれない。
富山(に限らないようだが)は、このところずっといい天気が続いていて、幾分、薄い雲が掛かることはあっても、雨は全くといっていいほど降らなかった。
何日か前の夜中に、あるいは降ったかもしれない。
というのも、朝方、庭の車の屋根などが濡れていたのだ。
といっても、あるいは夜露が朝になっても渇かなかっただけなのかもしれない。
← 同じく、裏庭に咲いているツツジ。家人は誰も見ないし、場所が悪いので、表からも見ることはできない。赤紫の花々を見るのは小生だけかもしれない。
その雨が、今日になって降ってくれた。
まさに降ってくれたと、感謝の気持ちを籠め、表現したくなる。
先月末から、連休に入ってから、自宅の駐車場を兼ねた庭への入口(門)を広げる工事をやってきた。
コンクリート壁の角をハンマーで削って、車がバックで入りやすく、あるいは頭から庭に入っても、バックで出やすいように、ちょっとした工事をやったわけである。
それは一応の完了を見たのだが、問題は、削った後の、コンクリート片を積みあげての<壁>である。コンクリートで築山の土が崩れないように守られていたのを、削り取ってしまったわけだから、築山がその露呈した壁面から徐々に崩れ去っていく懸念が多分にある。
無論、そのためにコンクリート片を積みあげて石垣(モドキ)にしたわけだが、人が蹴ったら、あっさり崩れる代物である。
まあ、人が蹴る怖れはないとしても、透き間などに埋め込んだ土や砂利や龍の髭などの草が、雨などで溶け出し流れ去る怖れは大いにあるわけである。
→ 図書館へ向かう途上、いきなり目にしたツツジロード。目に、心に栄養が沁みるようだ。
バケツや如雨露や散水用のホースなどで水をやり、天候がいい間に、草や小さな木が根付いてくれるよう、それなりのケアはしている。
しかし、一週間にも満たない間に根付くとは到底、思えない。
雨が降って、どのような状態に変化するのか、確かめたかったわけである。
庭の入口の角を削ったりしたことで、生垣などの植え替えも何本か、やった。
そうした木々や草なども、新たな場所で根付くかどうか、心配でもあった。
水は日々、やっているが、一週間以上の天気続きで、土壌そのものが渇ききっている。
その意味で、雨が降って応急のコンクリート片の壁の崩壊も心配だったが、移し変えた木々の生気のほうも、心配だったのだ。
だから、待望の雨だった。
← 自転車を駆りながら、慌てて撮影した。舗道の眺めはこうだとして、車道からはどういう光景なのか、気になる。
といっても、大雨というほどではなく、シトシトより幾分、強めの雨。
これでは、雨に溶け出して流れる土砂の様子を確かめるほどではない。
庭や畑の土壌が、午後からの数時間の雨で、しっとりした、とは言える。
木々や草などの緑も濃くなったし、幹も雨に濡れて黒っぽくなった。
その雨も、五時前には上がった。
今だと、外出することにした。
予約していた本が来ているというし、返却する本もある。
また降りださないとも限らないので、自転車を駆って市街地の図書館へ。
その途上、住宅街の庭などの植え込みにあるツツジが目に付く。
やはり、自分が気になるからだろう。
が、やがて、市街地の中心部に入った途端、おお! という感動が。
なんと、東京で今の時期に車を走らせていると、何処に行っても愛でることができた、そのツツジロード状態が富山でもあった。
→ 日射にも排気ガスにも強いとされるツツジだけど、雨の中のツツジも風情がある。久しぶりの雨に、生き返った心地なのではなかろうか。
尤も、自転車で市街地のほんの一部を走っただけなので、富山市の中心部全体で、そうしたツツジロード的な光景を楽しむことが出来るのかは、分からない。
でも、昨日、ツツジを巡る雑文を綴ったし、家の庭でもツツジが昨年とは比べ物にならないほどにツツジが咲いているだけに、富山の街中でもツツジベルトが続いていることに嬉しく思ったのだ。
…富山のツツジも、東京に負けず劣らず素敵だ!
(09/05/06 作)
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コメント
この時季、自転車のサドルに跨って巷を徘徊していると、一斉に咲いたツツジの鮮やかな色がしばしば眼に飛び込んできて、なんとなく愉しいですね。
花の期間が長いのがまたいい。
ところで、子どもの頃に、ツツジの花の蜜を吸ったりしませんでした?
実に甘くて美味しかった記憶があります。
投稿: 石清水ゲイリー | 2009/05/07 08:44
石清水ゲイリーさん
御意!
ツツジって、人間に便利に使われることもあるけど、品があって目にいい。
赤紫のツツジもいいけど、純白のツツジも気品溢れていて、街中を散策すると、遠くからも目立ちます。
それにそう、花の咲く期間の長いのもいいです。
焦らなくてもいいから、気忙しくない。
ツツジの話題が出てから、ボチボチ出かけても、そこここで愛でることができる。
それにしても、「子どもの頃に、ツツジの花の蜜を吸ったりしませんでした?」には、参った。
そんな風流なこと、したことない。
密やかな愉しみですね。
試してみるかな。
投稿: やいっち | 2009/05/07 11:50