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2009/05/31

何を聞き取るかは、自分次第

マリヴォー著『贋の侍女・愛の勝利』を切っ掛けに思い出話」をアップしました。

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← 台所脇の内庭から表の庭へ続くツツジの道。今は通るのは小生だけ。せめて自分だけでも毎日、眺めてやらないと!

 マリヴォー著の戯曲(喜劇)『贋の侍女・愛の勝利』の感想文を綴ろうとしたのだが、小生には荷が重かったようで、妙な思い出話(ですらない!)になってしまった。

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2009/05/30

簀の子の下はヘドロでした

 朝、父母をデイサービスへ送り出したあと、庭掃除に洗濯に、父母の部屋やトイレ周りの掃除、午後からは石油ファンヒーターを仕舞うなど、家の中の片付けで一汗掻いたあと、シャワーを浴びた。

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→ 午前、父母をデイサービスに送り出した後、庭掃除しようとしたら、キウイの周辺に異変が。クマ蜂だろうか。黒い大きな蜂が、キウイの雌雄の花に集(たか)っている。(調べてみたら、「ずんぐりとした体型で、重そうに飛ぶハチ。体は黒色で、胸部には黄色い毛が密生する。人家周辺でもよく見られ、いろいろな花を訪れて、花粉や蜜を集める」とか、ホバリングする姿、体の大きさ(見たのは2センチほどだった)などからして、どうやら、やはりクマ蜂のようです。「昆虫エクスプローラ」参照。(09/05/30 追記)) 

 過日、水シャワーと書いたが、水道水はまだ冷たく、大人しく未だ、温水のシャワーを浴びている。
 すると、風呂場の簀の子(すのこ)の下が冠水している。

 水が流れていかないのだ。

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2009/05/29

ビューティフル・マインドに寄り添う…

 読書感想文にもなっていないけれど、「「ビューティフル・マインド」なのだろうか?」をアップしました。

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← 我が家には薔薇は一本しかない。そんな裏庭の薔薇(?)が昨日は蕾、今日は一気に開花。それにしても、竹垣の悲惨な状態。

 神経が甚振られるような日々が続く。
 家族とは難しいものだ。

 心が擦り切れて、鈍磨している…ような。

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→ 一本のツツジの木から、白やら淡いピンクやら赤っぽい花が咲いている。そんな多彩なツツジって初めて見た。それにしても、誰かのコメントにもあったけど、「花を上手に採ると花片の下から蜜を吸うことができ」るというが、小生はまだ試したことがない。

 こんな時は、自分など問題にならないほどに心の格闘を生きた(今も生きている)人の人生に寄り添ってみるのがいい…かもしれない。
 上掲の本がそのような本だったのかどうか…。

 

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2009/05/28

マスクをめぐる疑問?

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← 過日、富山駅前を通りかかったら、売薬さんの像を発見。

以下は数日前に某SNSで書いた日記…というか、呟き:

マスクを巡る疑問たって、別にインフルエンザ防止の効果があるかどうかじゃなく……。

小生、マスクは通常の衣類と一緒に洗濯します。
漂白剤も使うし、綺麗になる! と信じて。

一個のマスクは最低でも一ヶ月は使う(耳に掛ける紐が切れるまで)!

これじゃ、衛生のためには意味がないのか?!
それとも、やはり、一回、外出で使ったら、使い捨てるのが常識なのか?


 というわけで、別にマスクが売り切れ続出で困る、どうなっとんるじゃ、といった社会性を帯びた疑問ではない。
(以下、駄文です。)

 マスクといっても、いろいろある。
 好奇心で「マスク - Wikipedia」を覗いてみたら、マスクも結構、奥が深い。
 まあ、人間の体に関係するグッズだから、考えてみたらさもありなん、である。

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2009/05/27

日除け作戦も最終段階?

 目隠しを兼ねた日除け作戦が続いている。
 過日、鉢植えしたツル性植物達については、日当たり良好な場所を提供したので、今はスクスク育ってくれることを待つばかりである。
 無事、成人(?)となった暁には、我が裏庭にて日除けの役目を果たしてもらう。
 いつ頃に適当な大きさに育つのか。やはり、梅雨明けなのか。

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→ 園芸ショップ。華やか…なのは当たり前だが、目移りする。

 既に書いたように、今まで買った物は、裏庭に植え替える予定のもの。
 裏庭は我が部屋の西側、つまり主に西日の当たる方角に置いていくつもり。

 しかし、我が部屋は南にも向いている。車の通りに接している。真夏になると、日中の陽光が夕方まで我が部屋の南側の壁、そして窓を炙り続けるわけである。
 舗装された道路からの照り返しもある。
 また、我が部屋と道路を挟んだ向かい側が、一昨年(?)までは砂利混じりの更地だったのが、マンションそして駐車場と化し、一層、暑苦しさを増した。

 そこで、南面にて働いてもらうツル性植物が必要だった。いろいろアドバイスも貰っている。

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2009/05/26

まだまだ日除け作戦は続く

 南と西に面する小生が居住する部屋の夏に向けての日除け(及び表通りからの目隠し)作戦は、着々と(?)進んでいる。

 まず、「ツル植物をスダレ代わりに育てます」にては、幾つかのツル性の植物を買ってきて、鉢に植え替え、我が部屋の隣りにある裏庭に置いた。

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← 一旦は裏庭に置いてあった鉢植えのツル植物達を納屋の前の畑へ移動。細い緑の道の先に、我が部屋に面する裏庭がある。

 翌日の日記(「「ツル植物をスダレ代わりに」余談」)には、最初の日記に戴いたコメントなどを書いて、ちょっと反省と勉強。

 三日目の日記(「「ツル植物をスダレ代わりに」余談付記」)では、表の庭の日の当たらない木を裏庭の適当な場所に移動させ、当面の日除け(目隠し)としてどのような塩梅なのか、確かめようとしている。

 この作業はまだまだ続く。

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2009/05/25

宮沢賢治、地図の裏に未発表詩

 今更の記事なのだが、「宮沢賢治、地図の裏に未発表詩」ということなので、好きな賢治の詩のことでもあり、メモしておきたい。

 そのニュース記事については、末尾に示す。

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→ 「発見された宮沢賢治の未発表詩

(末尾に示したニュース記事を一読して感じるのは)微妙な表現で、うっかり読み流すと、賢治の詩が新たに発見されたかのようだが、実際は、「宮沢賢治(1896~1933年)の未発表の詩の草稿が、岩手県花巻市にある生家の蔵から見つかっていたことが8日わかった」ということのようだ。

 どうやら、「3月に筑摩書房から刊行された「新校本 宮沢賢治全集」別巻に収録されている」ことで、一般にも発見が知られたというのが真相のようだ(「宮沢賢治の詩の草稿を発見 ◁ 森羅情報サービス」参照)。

 しかし、まずは肝腎の詩を示しておかないと。
 

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2009/05/24

たまにはキウイにも脚光を

 我が家の庭には一番(ひとつが)い(?)のキウイがある。
 キウイ(フルーツ)についてだけじゃないが、庭のことも畑のことも無知な小生、昨年二月末に帰郷して以来、植木や花たちの育て方では失敗を繰り返している。

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→ 今朝、刈り込んだ木のことが話題に出た。母が言うには、「キウイ」なのだとか。初めて知った…はずはない。切るように父に言われた時、「キウイ」だと云われていたはずなのだ…が。
 二本、立っているのが画像からも分かると思う。
 それもそのはず、「オス」と「メス」の番(つが)いになっていて、枝が伸びてきてオスとメスの木の枝が絡み合って実が成るのだとか。
「キウイ」の実は年の瀬には成るが、捥いですぐに食べられない。リンゴの実一個と一緒に箱に入れ、一週間ほど熟す(柔らかくなる)のを待たないといけないのだとも、母が。
 これまでは、庭木の世話を母がやっていたのだ。
 「キウイの木の寿命は25年位」だという。我が家のキウイの余命はどれほどあるのだろう。
(「弥一は柴刈りに」(2008/03/10)より)

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2009/05/23

キウイとナス…二つの小さな発見

久世光彦『時を呼ぶ声』から三好達治「土」へ」をアップしました。

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← 「ツル植物をスダレ代わりに育てます」なる日記を書いたのが、二日前。この日記などに寄せてもらったコメントの中に、庭のナスの花が咲きました、とあった。翌朝、そういえば、ナスも花が咲くんだっけと思いつつ、買ってきたばかりの鉢植えのナスを見てみたら、あれれ、うちのも咲いている!

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→ 四日前の日記「庭の植物たちの息吹」で、冒頭にキウイの写真を掲げている。その際、「木に実ったキウイフルーツだろうか? 実はまだ、とっても小さい」などと書いているが、とんでもない勘違いだった。実と思ったのは、実は花の芽だった。小生のコメントを嘲笑うかのように、この日記を書いた翌日、庭掃除しようとして、キウイに花が咲いていることに気づいた。近づいてみると、<実>ならぬ芽が開花していたのだった!

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2009/05/22

「ツル植物をスダレ代わりに」余談付記

 昨日の日記で、「白木蓮を買うかどうかは別にして、そうだ、表の庭から背丈が2メートルほどの木を、この裏庭に植え替えたらどうか、なんて思った」などと書いている。

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← 表の庭の木を移し変える前の裏庭(昨日の日記の冒頭の写真の一部を拡大した)。表通りに面する竹垣は透かすか。

 何かの木の苗を植え、育てようという考えは以前からチラッとだが抱いていた。

 そうはいっても、いざ実行するとなると話は別で、プランとは呼べない、単なる思い付きに留まっていた。

 が、これだけあれこれ悪足掻きしているのである。
 その中のアイデアとして、白木蓮かどうかは別にして、表の庭の隅に意味もなく植えられている木々を一部、他の場所に植え替えるってのは、即座に実行可能ではないか。

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2009/05/21

「ツル植物をスダレ代わりに」余談

小寺菊子作「念仏の家」(四・五)」をアップしました。


 昨日の日記に関連して、いろいろコメントや意見を貰った。
 ツル性植物にはいろんな種類があるし、夏の日差し避けにも、人それぞれの工夫があるものと感心させられた。

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→ 今日は、昨日、鉢植えしたツル性植物達を、朽ちかけた盆栽台(や旧い櫓(やぐら)炬燵の木枠)などの上に載せた。

 戴いた意見の一部は、「ツル植物をスダレ代わりに育てます」のコメント欄に載っている。

 朝顔、ゴーヤ…。

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2009/05/20

ツル植物をスダレ代わりに育てます

 今年も間もなく夏がやってくる。
 気が早い?
 その前に梅雨の時期だって一ヶ月あるじゃないかって?
 そう、確かにその通りなのだが、小生、今から夏が気がかりでならない。

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← サンパラソル、ウレキテスサマーブーケ、ブルーベリー、ローズジャイアント、ナスの5種類の苗を購入。ブルーベリーやナスはともかく、他は初耳の植物。


 夏の何がって、暑さである。
 エアコンは茶の間や父母の寝室にしかなく、小生の居住する部屋にはない。

 暑いだけなら窓を開けるなり、扇風機を使うなりして乗り切ればいい。

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2009/05/19

庭の植物たちの息吹

父、子を叱る! 麻雀用語篇」をアップしました。

 さて、以下、我が家の庭の草木が蕾や実などを芽吹かせている様子です。

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→ 木に実ったキウイフルーツだろうか? 実はまだ、とっても小さい。

 太陽の光が燦燦と降り注ぐ。その中、緑は濃くなり、幹や茎は伸びあるいは太り、花は思い思いの装いを凝らす。
 見て愛でているほうは、ただ陽光をタップリ浴びて、植物は気持ちよさそうなどと思っているだけだが、しかし、よく見ると、日差しは情容赦なく木や花に突き刺さっている。逃げもせず、よくも植物は耐えているものと思ったりする。

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2009/05/18

緑滴る山々と合鴨と

 久しぶりに雨の一日となった。
 ここしばらく雨が降らなかったというわけではないが、ほぼ終日の雨となると、いつのことだったか。
 雨だけじゃなく風も吹いていて、雲の動きも早い。
 戦国の世なれば風雲急を告げるといったところか。

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← 自転車での買物の帰り、近所の水田脇を通りかかったら、足元にカモが二羽!
 
 こんな天気だし、日曜日とあって、息抜きに座敷や茶の間から表を眺めてみても、人影はいつも以上に疎らである。
 車さえ、普段より見かけることは少ない。
 人気のない町が一層、沈んでいるように見えたりする。
 こんな日は、じっくり読書や音楽と洒落込みたいが、風雨の音はともかく、気分的に静か過ぎる感じがあって、反って落着かない。

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2009/05/17

久しぶりの辻邦生著『海峡の霧』

 辻邦生著の『海峡の霧』(新潮社刊)を久しぶりに読んだ。
 調べてみたら、8年と半年ほど前
 
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→ 昨日(15日)、蕾が生っていることに気づき、今日の朝、今のうちに撮っておこうと思ったら、一晩で<花>開いていてびっくり。清楚で気品ある風情…。

 ネットでのささやかな(執筆)活動を始めて2年めの年だが、それより、小生が辻邦生の、特に随筆に魅了されて7年目を迎えていたというべきか。
 94年の3月に首切りに遭って、ハローワークに通いつつ、図書館とプール、読書と毎日原稿用紙10枚の創作といった日課を淡々とこなしていた時期に、辻邦生の随筆集に出合ったのだった。

 何に惹かれたかは、初めて『海峡の霧』を読んだ時に簡単なエッセイ(感想文)を書いているので、それに譲る

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2009/05/16

最古のビーナス像発見のニュースに関連して

3万5千年前のビーナス像…クロマニョン人のペンダントか」( YOMIURI ONLINE(読売新聞))といったニュースを昨日の新聞その他で目にした。

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→ 画像は、5月14日付読売新聞朝刊より。

 古代史や考古学などに関連した話題には目がないので、メモしておきたい。

 やや偏屈なところもある小生、そもそも、こういった像を命名するのに、すぐビーナス像とするのは、如何なものか、なんてことも考えなくもない…、ことも末尾で呟いておく。

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2009/05/15

「小寺菊子作「念仏の家」(一・二・三)」アップ

小寺菊子作「念仏の家」(一・二・三)」をアップした。

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← 所用で自転車を駆って走っていたら、こんな公園ができつつあった。ジェットコースター? 滑り台?

『近代女性作家精選集 035 復刻 深夜の歌』(尾形 明子監修 小寺 菊子著  ゆまに書房)所載の「念仏の家」を2回に分けて掲載するもので、今回はその前篇というわけである。

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→ 一年ぶりに屋根裏部屋に入った。我が家は築五十年を疾うに超えている。この部屋は茶の間の真上なので、地震があったら、落ちてくるやも ? ! なので、屋根裏部屋を徐々に空っぽにしていくつもり。画像は、作り付けの書棚。高校入試のため、特注のベッドと一緒に設置。並ぶは、(一部を除いて)中学から高校にかけての頃に読み漁った本の数々。40年も昔の手垢が残っている?

 自伝的色彩の濃い作品。小寺菊子の世界を紹介する意味もあり、せっせと転記した。
 青空文庫には彼女の作品はまだ一作も載っていないという。

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← 今日(14日)のシュロ。前日の雨で葉っぱは、蘇ったような艶だった。
 
 旧字旧かなで、転記にも苦労した(恥ずかしながら、読めない字があった!)。
 明治末から大正、そして昭和の前半にかけて活躍した作家の作品の雰囲気は感じてもらえると思う。

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2009/05/14

「小寺(尾島)菊子のこと(追記)」をアップ

小寺(尾島)菊子のこと(追記)」をアップした。

小寺菊子のこと」に続くメモである。

 富山ゆかりの作家なので、多少、こだわってみる。

 先ごろ、『近代女性作家精選集 035 復刻 深夜の歌』(尾形 明子監修 小寺 菊子著  ゆまに書房)を読んだこともあり、もう少し、彼女の周辺を巡ってみたかった。
 論より証拠というわけではないが、後日、小寺菊子の作品を一つ、転記して示してみたい
 画家なら絵画などの作品、音楽家なら楽曲を示すのが、親しむ一番の道だろうし

 小寺作品は、青空文庫には未だ一つも掲載されていないらしい。
 残念である。

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2009/05/13

「ティム・ワイナー著『CIA秘録 下』の周辺」アップ

 ティム・ワイナー著の『CIA秘録 上』(藤田博司・山田侑平・佐藤信行・訳 文藝春秋)に続き(感想は、「『CIA秘録 上』の周辺」にて)、『CIA秘録 下』も読んだ:
ティム・ワイナー著『CIA秘録 下』の周辺

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→ 初めて気がついたのだが、今日(火曜日)、ふと見上げたら、棕櫚の木に変なものが。この黄色っぽいものって何だろう? [お馴染み、かぐら川さんよりコメントの形で情報を戴きました。コメント欄をご覧ください。 (09/05/14 追記)]

 事実は小説より奇なり、なんて古臭い言い草を持ち出す気はないが、まさにそういった類いの本。
 ハリウッド映画などで随分と美化された、スパイや諜報組織の活躍ぶりを見せてもらったりするが、現実はおぞましいほどに愚劣だったり悲惨だったりする。

 諜報機関がなければならないのだとしても、一旦、組織が誕生すると、組織が一人歩きしてしまう。
 特に権力の集中する機関、わけても諜報(秘密)収拾や他国(に限らない、自国や自国民)への工作が仕事の組織となると、一層、巨大な体躯でもあり、誰にも御しえなくなってしまうもののようだ。

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← 行きつけのスーパーの棚の上に鎮座するゴリラ君。どうにも気になって、今日、とうとう撮影してしまった。彼、買物するお客さんたちを見守っている? それとも、万引きを見張ってる? ……あれ? もしかして…、女の子? 

 印象的なのは、冷戦構造が厳然たるものだった時代の、強烈な使命感(だからこその暴走も日常茶飯事!)と、構造が崩れて以降の右往左往ぶり。とうとう瓦解の一途を辿っていく。って、今もCIAって、あるんだっけ?

 日本にも諜報機関があるのだろうけど、アメリカでさえこうだったら、日本は……、もう、想像したくない!

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2009/05/12

三木たかしさん死去から昭和歌謡のことなど

「「津軽海峡・冬景色」「時の流れに身をまかせ」など多くのヒット曲を生んだ作曲家の三木たかし(みき・たかし、本名渡辺匡〈わたなべ・ただし〉)さんが11日朝、岡山市内の病院で死去した。64歳だった」:
asahi.com(朝日新聞社):「津軽海峡・冬景色」 作曲家・三木たかしさん死去

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→ 月曜日、所用があって街中に出かけた帰り、川縁で佇む雄姿に遭遇。沈思黙考している? 魚影を狙っている? …まあ、身投げを考えてないことは確か。飛び込んでも、なかなか沈まないだろうし。…鳥が溺れたら、浮かばれない ? !

「作曲家の船村徹さんに師事し、67年に「恋はハートで」(泉アキ)で作曲家デビュー。77年には「思秋期」(岩崎宏美)や「津軽海峡・冬景色」(石川さゆり)で日本レコード大賞中山晋平賞を受賞した。その後も故テレサ・テンさんの「つぐない」「愛人」「別れの予感」や「夜桜お七」(坂本冬美)、「ふり向くな君は美しい」「アンパンマンのマーチ」など日本歌謡史を飾る多彩なヒット曲を送り出した」という方。
 
 64歳とは、あまりに若い。

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2009/05/11

「ストイキツァ著『影の歴史』の影に戯れる」へ

ストイキツァ著『影の歴史』の影に戯れる」をアップした。

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← 「シャネルの香水 「エゴイスト (プラチナム)」のための広告、1994年」 本書の挿画で一番、気に入ったのが、このCM画像(動画の一場面)。といって、本書が化粧品や香水についての本、というわけではない。


 意志を完全になくしてしまった後に残るところのものは、まだ意志に満たされているすべての人々にとっては、いうまでもなく無である。しかし、これを逆にまして考えれば、すでに意志を否定し、意志を転換しおえている人々にとっては、これほどにも現実的に見えるこのわれわれの世界が、そのあらゆる太陽や銀河を含めて、無なのである。
(アルトゥール・ショーペンハウアー 『意志と表象としての世界』(西尾幹二訳 中央公論新社)より) 

 こんな世界観についての哲学の本でもない。
 上掲書を読んで、自らの存在感の稀薄さと、無や影の豊饒さ、リアルさを思っただけである。
 だからこそ、美を描かんとする執念が駆り立てられるのかもしれない。

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2009/05/10

母の日…匙は投げないけれど

 母の病気も、今は治療はほとんどしなくて、養生と経過観察がメイン。
 適度に指定された日に検査や診断のため、病院に行く。
 でも、持参した、日頃、記録を取っている、血糖値や血圧のデータ表を見てもらったり、病院で血液検査した結果(数値)を見て意見を呉れたり、このところ、内容的には変わらない薬を量を按分して出してもらうだけ。

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→ 今年は梅の実の生り具合がいい。昨年とは大違い。梅干を作る知識も経験もないので、今年は梅酒に挑戦しようと思っている。庭の梅の木に生る梅の実で、梅干は無論のこと、十数年前までは梅酒を作ってくれていて、東京に送付してくれた。風邪の折に呑むと、効果覿面だったっけ。

 よく言われるように、待ち時間が長く(大概、二時間、受診する科目が複数なら、三時間もあり)受診はせいぜい、5分。
 先生としても、見放しているわけではないだろうけど、手の施しようがないみたい。

 匙を投げた?

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2009/05/09

町の神社は熊野神社として創建

 過日、わが町でも地元の神社の祭礼があった。
 例年、催されているものである。
 昨年の二月末までは東京(など)に在住していたので、五月の連休中は郷里にいないことが多かったj。
 90年代初めのころから、我が家での田植えの作業を手伝うという名目で、五月の連休時にも帰省するようにしていた。

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← 子供神輿の一行を遠望。

 四十歳に近づいたから、里心がついた…のかもしれないが、七十歳になろうという父母二人で守っている田圃を、小生も手伝わないと、という思いがあったのは事実だ。
 それでも、帰省の渋滞を避ける意味もあり、連休の前半だったり後半だったりして、祭礼の日に田舎に在宅できたことはあまりなかったように思う。

 あるいは、郷里の家に居ても、御神輿を担ぐワッショイという声を他所に、何処かへ散歩に行ったり、読書したり、居眠りしていたりと、あまり強くは関心は持っていなかった。

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2009/05/08

「古井由吉『杳子・妻隠』の周辺」をアップ

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→ 連休中には我が町でも祭礼があった。御神輿も。

古井由吉『杳子・妻隠』の周辺」をアップしました。

 ようやく、古井由吉の小説を読むことが出来た。
 濃密な描写…敢えて言うなら、肌と肌が密着して倦むことがないといったような文体。

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← 同じ日、お祭り見物を兼ね、散歩。近所の公園にて撮影。

 さて、世人はいざしらず、小生の連休は、ひたすら土木工事(?)だった。
 まあ、形として残る仕事をした、という意味では意義があったか。

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2009/05/07

富山のツツジも素敵です

 昨日、「ツツジを巡る随想の数々」ということで、東京在住時代に書いたツツジをめぐるエッセイの数々を抜粋集の形で示した。
 東京の路上での仕事ということで、特に四月から五月に掛けては、ツツジが印象深く、小生の中では東京(の道路)は、ツツジのイメージが強い。
 そんなことを、我が家の自宅のツツジを見ながら思い起こしていたのだった。

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→ 裏庭にひっそりと咲くツツジ。純白の花が緑滴る葉っぱを背に際立つ。

 少なくとも昨年に関して、我が家の庭もだが、郷里である富山の町中についても、ツツジをよく見たという記憶はあまりないのだ。

 今年、庭のツツジが活きがいいのは、昨年から小まめに雑草刈りをやっているし、土壌改良のため、納屋にあった園芸用の肥料を多少なりとも撒いたからなのかな、なんて勝手に思っている。
 昨年は、梅の木に生る梅の実も数が少なかったし、粒が小さかったが、今年は明らかに数が多いし大きい。
 少しは努力の甲斐があったと思っていいのか?

 …但し、他家の庭のツツジの勢いや豪奢さには全く敵わない!

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2009/05/06

ツツジを巡る随想の数々

 我が家の庭もいろんな花々が咲いてくれる。そんな中にツツジがある。
 分からないのだが、今年は庭のツツジがやけに見事なのである。
 昨年だって、ちゃんと咲いていたのに、自分の記憶があやふやなのか、ツツジの咲き誇る光景に恵まれたという印象があまりない。
 帰郷して一年余りとなる。

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 東京では最後の12年余りをタクシードライバーとして主に都内の路上を走り回った。休憩時もほとんど車内で過ごしたようなものだし、週に60時間ほどは車内にいた。つまり、公園の脇も含め、路上にいたわけである。
 路上での街中ウオッチングは、それはそれで楽しくもあったが、季節の花を、木々の葉の変幻を愛でるのもまた楽しかった。
 季節ごとに楽しみの花はいろいろあったが、春というと、呆気なく散っていく桜よりも、ツツジのほうがずっと印象に強い。
 毎年、一ヶ月余りもグリーンベルトならぬ濃紫のツツジの帯が我が目を癒してくれた。
 疲れがちな目に直接に効く花の形をしたブルーベリーでもあった。
 夜でもヘッドライトに浮かび上がる赤紫の花々は、妖しくもあるけど、闇に沈んで黒く見える葉っぱを背景に生命の横溢感を覚えさせる。

 実際、東京在住最後の数年だけでも、ツツジを巡る随想は幾つも書いた。
 その幾つかを抜粋してみる。

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2009/05/05

我が家の庭の仲間たち(続)

我が家の庭の仲間たち」の続篇(?)ということで、我が家の庭などで見かけた動物達(人間を除く)を紹介する。
 

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→ 4月28日だったか、今年初めて見かけた天道虫。…というか、帰郷して初めて見たような気がする。(いろいろご指摘を戴いているかぐら川さんに、ココノホシテントウではないか、と教えていただきました。)(ナミテントウだという教授を戴きました。(09/07/22 追記))

 言うまでもないだろうが、別に我が家で飼っているわけではない。
 なので、種類名はあっても、個々の名前はない。

 植物は、日記で随時、紹介しているが、動物はあまりその機会がないので、ここで特集というわけである。
 庭の仲間達には、他にも、アリやチョウや(多分)モグラやハチなどなどといる。ミミズは畑に限らず多数。
 カやガ、ゴキブリもいるが、紹介したくない。

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2009/05/04

「『CIA秘録 上』の周辺」へ……門前の小僧の勢いは続く

『CIA秘録 上』の周辺をアップしました。

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→ 表通り側に面する、元は花壇だった場所に植えたパンジー。二日の夕方近くに撮影。あの劣悪な環境下で、どうしてこんなに丈夫なのかと驚くほどの生命力だ。冬を乗り切り、今も咲き誇っている。この花を見ていると、美しさや可憐さよりも、日光に耐え、耐えるどころか滋養に変えてしまう植物の凄みを感じる。

門前の小僧習わぬ何とやら(前篇)」や「門前の小僧習わぬ何とやら(後篇)」にていろいろ書いてきた。
 我が家の庭への入口の狭き門を、片側の角を抉り取ることで、車のバックでの入庫(庭)が容易になることを期待しての、突貫工事だった。

 実は、今日(三日)、向かい側(反対側)も角を削り取ることに決め、とりあえず、角にある生垣を2本、撤去・移動させた。
 連休中に大よそのことを片づけてしまおうと思い立ったのだ。

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2009/05/03

門前の小僧習わぬ何とやら(後篇)

 ということで、初日の作業はここまで。
 朝の九時過ぎから初め、目途がついたなと思えるまでに五時間ほど経過していた。

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← 三日目も終わり、ホッとして夕餉の準備の前、自宅の庭を散歩。こんな花も咲いていた。

 休み無しで作業したので、都合、五時間ほどか。
 当然ながら、洗濯・買物・掃除などの通常の家事もやる。

 二日目は、いよいよコンクリート塀の破壊作業である。

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2009/05/02

門前の小僧習わぬ何とやら(前篇)

脱輪騒動から花束を届けるまでのエトセトラ(前篇)」や「脱輪騒動から花束を届けるまでのエトセトラ(後篇)」なる日記を読んだことがあるかもしれない。

 我が家の門前で、バックで家の庭に入ろうとして、車が来たもので、ちょっと慌ててしまい、側溝に左前のタイヤがものの見事に嵌まってしまって、身動きがとれなくなったという騒ぎである。

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→ ここにツツジなどがあった。撤去する必要がなかった。2本、撤去したうちの1本は元に戻した。
 
 念のために書いておくと、門前たって、別に家の庭に入るのに立派な門があるというわけではない。
 まあ、庭への入口なので、門と表現しているだけである(見栄?)。

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2009/05/01

「レーダーマンからエミー・ネーターへ」

レーダーマンからエミー・ネーターへ」をアップしました。
 日々、よしなしごとを書いていたら、アップする機会を逃してばかり。

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← 先日来の庭での日中の野外仕事を終え、汗や泥で汚れた衣服を着替えて外に出てみたら、青い空に白く一直線の筋が。飛行機雲。出来つつある。その筋の脇には月影が既に垣間見えている。

 こんな凄い女性数学者(物理学者)がいたなんて!

 今日から、読書感想文(日記)も、「ネットで、あるいはリアルでの美と快と楽めぐりのエッセイやレポート」を収める「壺中水明庵」の仲間入り。
 読書も勉強のためじゃなく楽しんで。読楽 ? !

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