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2009/05/25

宮沢賢治、地図の裏に未発表詩

 今更の記事なのだが、「宮沢賢治、地図の裏に未発表詩」ということなので、好きな賢治の詩のことでもあり、メモしておきたい。

 そのニュース記事については、末尾に示す。

View7906791

→ 「発見された宮沢賢治の未発表詩

(末尾に示したニュース記事を一読して感じるのは)微妙な表現で、うっかり読み流すと、賢治の詩が新たに発見されたかのようだが、実際は、「宮沢賢治(1896~1933年)の未発表の詩の草稿が、岩手県花巻市にある生家の蔵から見つかっていたことが8日わかった」ということのようだ。

 どうやら、「3月に筑摩書房から刊行された「新校本 宮沢賢治全集」別巻に収録されている」ことで、一般にも発見が知られたというのが真相のようだ(「宮沢賢治の詩の草稿を発見 ◁ 森羅情報サービス」参照)。

 しかし、まずは肝腎の詩を示しておかないと。
 

岩手県南部の猊鼻渓(げいびけい)らしき景勝地の近くを走っていた乗合自動車をモチーフ」にしたという、詩の雰囲気を味わうためにも、転記しておく。

 タイトルは付けられていないらしい:
 

停車場の向ふに河原があって
水がちよろちよろ流れてゐると
わたしもおもひきみも云ふ
ところがどうだあの水なのだ
上流でげい美の巨きな岩を
碑のやうにめぐったり
滝にかかって佐藤猊岩先生を
幾たびあったがせたりする水が
停車場の前にがたびしの自働車が三台も居て
運転手たちは日に照らされて
ものぐささうにしてゐるのだが
ところがどうだあの自働車が
ここから横沢へかけて
傾配つきの九十度近いカーブも切り
径一尺の赤い巨礫の道路も飛ぶ
そのすさまじい自働車なのだ

(佐藤猊岩先生の「岩」は、記事によっては、「山へんに品」と表記している。)

 人によっては、賢治の実弟の宮沢清六の作ではないかと考える人もいるらしい(「宮沢賢治,地図の裏に未発表詩 発見 - 幕の内弁当な日記」など参照)。
 尤も、「大正時代の初めに印刷された同県水沢地方の地図の裏に、賢治独特の文字で書かれていた」(「宮沢賢治の未発表詩の草稿発見 執筆から80年、貴重な1編 - 47NEWS(よんななニュース)」より)というから、賢治の未発表詩草稿に間違いないのだろう(実弟の清六の作をメモした…とは考えにくいし)。

「一関市にある猊鼻渓か厳美渓の風景を描いたものとみられ」「車窓から見て、たまたま持参していた地図の裏に書き留めたのだろう」というが(「地図の裏に書かれた宮沢賢治の詩の草稿 コンテナ・ガーデニング」参照)、当時としては未だ珍しい<自働車>での渓流に沿う山道のドライブに、目くるめくワクワク感が素直に表現されていると言うべきか。

 しかし、詩を詠んでみると、自働車が曲がりくねる山道を疾走する情景が描かれているのは間違いないとして、賢治自身が乗っているとは必ずしも言えないような気がする。
 脇から、あるいは離れた場所から疾駆する光景に感動して、渓流の流れの清冽さと相俟って表現した、とも考えられるのではなかろうか。

 あるいは、賢治は、あくまでこの詩を停車場に自働車が三台、止まっており、運転手らが屯(たむろ)している、その場に居て、脳裏にいつか見た車の走る様子を浮かべつつ、想像の中で、あの今は静かに眠るが如き車が、いざとなったら疾駆する、その激変ぶり、あるいは落差にこそ、詩想を掻き立てられたようにも思える。

 もっと言うと、賢治はあくまで河原をちょろちょろ流れる水をこそ描いている、そのせせらぎにも似た水が、気が付けば怒涛のような激流となる、その水(の流れ)の変化の不可思議や落差をこそ、描いているのではないかと思えるのである。
 それを、当時は目新しかった車の、静と動の対比という比喩で描いたのではなかろうか。

Bus11

← 大正時代の乗合自動車。賢治の乗った(見た)バスもこんな風だったろうか。(画像は、「横須賀自動車乗合バス(大正末期)」より)

asahi.com(朝日新聞社):宮沢賢治、地図の裏に未発表詩 三十数年ぶりの新作 - 文化」:

 今もファンの多い詩人・作家宮沢賢治(1896~1933)が書いた未発表詩の草稿が見つかった。賢治の作品はこれまでの研究・調査でほぼ出尽くしたとされており、新たな詩が発見されたのは三十数年ぶりという。

 昨年、岩手県花巻市にある賢治の生家の蔵を解体しようとした際に、はりの上に置かれていた書類の中から見つかった。5万分の1地図の裏面に鉛筆で書かれていた。筑摩書房から刊行中の賢治の全集の編纂(へんさん)委員が確認したところ、未発表の草稿と判明した。

 〈停車場の向ふに河原があって〉に始まる16行の詩で〈停車場の前にがたびしの自働車が三台も居て/運転手たちは日に照らされて/…ここから横沢へかけて/傾配つきの九十度近いカーブも切り/径一尺の赤い巨礫(きょれき)の道路も飛ぶ/そのすさまじい自働車なのだ〉といった明るい光景を描いている。

 全集編纂委員の杉浦静・大妻女子大教授は「生前に唯一出版された詩集『春と修羅』(24年)の刊行後に書かれたものと見られる。たまたま手元にあった地図の裏に書いたままになっていたのだろう。乗り合い自動車という現代的なものが川の流れと対比で描かれているのが面白く、賢治の詩の切り口としては珍しい」と話す。

 新発見された詩は、このほど刊行された「新校本 宮澤賢治全集」別巻(筑摩書房)に収録されている。

参考(にならない関連拙稿):
宮沢賢治から昇亭北寿へ飛びます!

                                    (09/05/24 作)

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コメント

 賢治の未定稿の詩にはタイトルのついてないものが多くあって、ふつう最初の一行をそのまま便宜上の呼び名にしています。そんなわけで、この詩も「〔停車場の向ふに河原があって〕」と、呼ばれています。
 この詩については、有名な賢治サイトでは加倉井さんの『賢治の事務所』では「緑いろの通信 3月9日号」で、浜垣さんのブログ『宮澤賢治の詩の世界』では「3月15日/「宮澤賢治全詩一覧」追補」で、おもしろい考証がされています。
 また“あったがせたりする”という不思議な語句については、やはり浜垣さんが「5月14日/あったがせたりする」で検討しておられます。
 うまくリンクが張れないのでサイト名だけの紹介になりましたが、よろしければ参照ください。

投稿: かぐら川 | 2009/05/25 00:58

かぐら川さん
早速の情報と教示、ありがとうございます。


加倉井さんの『賢治の事務所』では「緑いろの通信 3月9日号」:
http://www.bekkoame.ne.jp/~kakurai/kenji/news/news200903.htm#9

賢治は仕事柄、乗合バスに乗ったことがあるんですね。

「わたしもおもひきみも云ふ」の「きみ」が一つの可能性として指摘されているのも興味深いところです。
「停車場」も大船渡線の「陸中松川駅」ではないかとの説を提出されている。

浜垣さんのブログ『宮澤賢治の詩の世界』では「3月15日/「宮澤賢治全詩一覧」追補」で、おもしろい考証
http://www.ihatov.cc/blog/archives/2009/03/post_607.htm
薄衣辺りの記述も興味深かった。

“あったがせたりする”という不思議な語句については、やはり浜垣さんが「5月14日/あったがせたりする」で検討
http://www.ihatov.cc/blog/archives/2009/05/post_627.htm
古語(動詞)の「あつた・ぐ」なのかと考証されていますが、説としても解釈としても、ありなのかなと思えますが、さてどうなのでしょう。

投稿: やいっち | 2009/05/25 09:44

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