水シャワーの季節です
今日は父母が共に仲良く、同じリハビリ施設へ行ったので、家では一人。
炊事の後、ゴミを片付け、洗濯、そして庭へ。
先週一週間、ずっと草むしりをやったので、とりあえずは一段落と思っていた…のだが、やはり、やらざるをえないと思われてきた。
← 作業場は庭。作業半ば。
その作業は、全くのニコヨン仕事で、体が心底から疲れてしまった。
いや、実際には我が家の庭での作業なので、賃金など発生するわけもなく、ニコヨン以下かもしれない。
自己満足だけの作業。
その内容は、機会があったら書くとして、もう、とにかく何もする気力がない。
実際に作業を始めたのは、朝の九時過ぎだった。
昼前には作業を終えて、一人ぼっちだし、出前でも取るかと思っていた。
とんでもなかった。
気が付けば昼前になり、昼が過ぎ、午後の二時頃、とうとう半ばまで休みなくやったところで中断。
体が悲鳴を上げている。
晴れていたが、そんなに気温が高いわけじゃなかった。
でも、体中、汗ビッショリ。
額から汗が流れて目に入って痛くなる、なんて思いを久しぶりにした。
家に入って、来ていた衣類を全て脱ぎ捨て、洗う。
幸い、朝の九時過ぎに洗濯して干しておいた父母らの衣類やタオルケットなどは乾いていた。
(そう、父母が不在の間に、ベッドに敷くものなどを洗うのである。)
それらを取り込んで、洗濯し脱水した自分の衣類を物干し竿に。
→ 作業中、イモリ(あるいはヤモリか)を見たが、ポケットからデジカメを取り出すのに手間取っている間に姿を消してしまった。その代わり、今年初めて天道虫を見た。
風呂に入りたいが、水シャワーを浴びる元気が出ない。
顔や首筋を水に浸したタオルで拭いて、火照った体を少し、癒す。
そうした作業を終えて、やっと食事。
もう、出前を取る気もなくなっていて、買い置きしてあったカップ麺と食べ残しの鶏肉の竜田揚げで遅い食事。
父母らとの食事の際は、変なものを出すわけにはいかないが、一人だと、ホントに有り合わせの物で済ます。
部屋数だけはあるので、だだっ広い家。
がらんどうという言葉がぴったりする。
東京では一人暮らしだったので、一人には慣れているけれど、一人には広すぎる家での一人ぼっちというのは、乙なもの、なんてもんじゃない。
でも、感傷に浸る気分さえなくて、ロッキングチェアーで休もうと思った。
そこへ電話。
親戚筋の方が、風呂のシャワーの調子を見てあげるというのだ。
断る理由などない。
我が家の風呂のシャワーは、水の出が極端に悪い。
← 夕食の準備の前、夕方の散歩。庭先にタンポポ。綿毛が気持ち良さそう。タンポポの綿毛に乗って夢も舞う……なんて句を捻ろうと思ったけど、やめた。
男性のオシッコより、ちょっと勢いがあるかどうかってほど。
なので、夏はいいとして、冬など、熱いシャワーを浴びたくても、チョロチョロと出るだけのシャワーなので、体が冷える。
母は勿論だけど、父にも到底、冬どころか今の時期でも入浴(シャワー)は勧められない。
…というか、入ろうとしたら制止するだろう。
いろいろ見てくれて、どうやら風呂場の水道管かどこかが古すぎて寂びて、中が狭くなっている可能性があるという。
それでもバルブを調整してくれて、勢いよく、とまではいかないけれど、シャワーらしくはなった。
これからの時期、小生は水シャワーを使う。
灯油を節約するためでもあるが、外での作業を終えたあとにシャワーを浴びるので、火照った体には冷水で十分なのだ。
十分どころか、気持ちいい。
ただ、今まではシャワーの水の出が悪かったので、浴びていてもイライラするばかりだったが、これからの暑い時期には、気持ちよく浴びれることと思う。
というわけで、ロッキングチェアーでの一眠りという目論みは消えてしまった。
シャワーを見てくれた方が帰られた頃には、もう四時近くになっていて、父母が施設から帰ってくる時間。
→ 庭のシャクナゲの新芽。去年はこんなに元気だったっけ?
必ずしもリハビリ施設へ喜んでいっているわけではない父(母も)。
ただ、家では入れない風呂に入るのが楽しみ。
少しずつでも体を動かしてもらいたいし。
帰ってきた父母が茶の間で一服し、体を休めるため寝室に向かったのが四時半過ぎだったか。
やっと一服できる、と思ったら、回覧板を回すという雑事が生じ、さらに、神社の初穂料の納金という用事も加わり、自分の部屋で落着いたのは五時をとうに回っていた。
疲れすぎていて、ロッキングチェアーに体を埋め、目を閉じても眠れない。
かといっても、本を開いても内容が理解できない。
体が言葉(活字)を受け付けない。
音楽さえ流す気になれなかった。
体の節々が痛む。
休み無しの五時間弱の肉体労働が鈍った体に堪えている。
草むしり作業で足腰は少しは鍛えられているが、力を使う作業は今年に入って、あまりやっていないから、体が悲鳴を上げているのだ。
← 今年も梅は実を実らせ始めている。去年は不作だったけど、今年はどうだろう。
とにかく、ロッキングチェアーで体を休め、夕方の六時頃、痛む体を引きずるようにして、庭へ。
午前から午後に掛けての作業が夢じゃないかと思われてきたのだ。
が、庭先には悪戦苦闘の跡が歴然としている。
しかも、作業は半ばなのだ。
しばし、庭など散歩し、動植物や夕景を撮影したりして、茶の間へ。
炊事の始まり、夜の始まりである。
(09/04/28 作)
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 夜の底に沈んだ気分(2025.01.15)
- 初めて自分でレジ打ち(2025.01.14)
- 観る気力が湧かない(2025.01.13)
- 家の中の移動も脅威(2025.01.10)
- ひたすら好奇心(2025.01.09)
「駄洒落・戯文・駄文」カテゴリの記事
- 柳 宗悦著『民藝四十年』に学ぶこと多し(2024.11.11)
- 生け垣の補修はしたものの(2024.10.01)
- 「昼行燈2」を夜になって書いた(2023.09.16)
- 新しいスマホで野鳥を撮る(2023.09.14)
- 光は闇を深くする(2023.09.10)
「富山散歩」カテゴリの記事
- 重慶の前に錦州爆撃があった!(2024.12.22)
- ぬるま湯の茹でカエル(2024.12.19)
- 黒blackと炎flameはみな同じ語源を持つ(2024.12.17)
- 竹にまつわるエトセトラ(2024.12.12)
- 水鳥たちはいずこへ?(2024.10.22)
「写真日記」カテゴリの記事
- 夜の底に沈んだ気分(2025.01.15)
- 初めて自分でレジ打ち(2025.01.14)
- 家の中の移動も脅威(2025.01.10)
- ひたすら好奇心(2025.01.09)
- パソコンだからこそのYouTube三昧(2025.01.07)
コメント