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2009/04/24

泰山木 鳴動して葉っぱ拾い

 我が家の庭には、松や杉、夾竹桃、アセビ、ミカン、ツツジ、梅、棕櫚、椿、柿、南天などなどの木々がある。
 紅葉する種もあるけど、常緑樹も。

 晴れた日などに、縁側に腰掛け、ぼんやり庭木を眺めるのは楽しい。
 でも、雨の日に眺める機会のほうが多い。
 何故だろう。

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← 一昨日(この日記を書いた21日)、その名を初めて知った我が家の泰山木。樹齢は半世紀ほど? 今日(23日)の姿も、貫禄だけは、タップリ。

 晴れた日は、冬の間は別として、春からは剪定や草むしり作業に追われるから(無論、家の中では洗濯や掃除)、ゆっくり庭を眺める気分にはなれない。

 縁側に腰掛けて庭を眺めようものなら、松の木の根っ子辺りに雑草が生えているのが目について、ああ、あの辺り、昨日、草むしりしたばかりなのに、もう生えてる、とか、ああ、気づかずに見過ごしているとか、まあ、邪念があれこれ入って、落着いてなど居られないようである。
 

 それが、雨が降ったりすると、少なくとも外での作業はない。
 あっても、原則、しない。
 家の中の掃除も、なんとなく陰気臭くてやる気にならない。
 父母がリハビリなどで出かけて、一人、留守番をしていると、普段は緊張が途切れることがないのが、ふと、プッツンしてしまう。
 父母のいない間の洗濯、というわけではないが、張り詰めているのだろう、普段の神経が、両親が不在だと、ダラーンとしてしまう。

 まして、雨だと、もう、今日は何もかも、やーめた、となってしまう。
 で、縁側などに腰掛け、窓越しにだけれど、内庭など眺める。
 雨だと、出掛ける気分にもならない。
 晴れていたって、買物以外の外出は侭ならないのだけど、外へ出たいという気分が鬱勃と沸き起こってくる。
 まだ、自分も若いんだなと思ったりする。

 さて、今日はというと、春の気まぐれな天気。
 薄日が差していて、午前十時には洗濯して干した衣類が、昼過ぎにはもう乾いていた。
 風が強く、洗濯物が飛ばされそうだったので、慌てて取り込む。

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→ 風の強く吹かない朝でも、見渡すと数枚の葉っぱが落ちている。冬でも!

 そう、薄日のはずが、強い日差しで、富山は28度以上を記録した。
 父母のいない間に野暮用を済ませようと、午後、ボチボチ、出かけようとしたら、俄かに曇りだし、雨さえ、ポツポツと落ちてきた。
 外出は取りやめ。

 ところが、外出を止めた途端、我輩をからかうかのように晴れだして、お前、外で働けよとでも命じているよう。
 午後の三時半になって、思い立って先週末から、雨の日以外は続けている草むしり作業をやることに。
 畑周辺の草むしりはほぼ終わったので、次は庭。
 日に一時間半ほどやるが、畑は都合、四回(四日)を要したのだった。
 庭のほうは、連続しても一週間では終わりそうにない。
 多分、庭の草むしりにメドがついたころには、畑はまた悲惨な状態になっていることだろう。
 
 風が強い日、あるいは強く吹いた日の翌日の草むしりは憂鬱である。
 庭や畑には、松や杉などの常緑樹・針葉樹の葉っぱが小さな枝付きで方々に落ちている。
 草むしり作業に平行して拾うしかない。
 そこへ、憎たらしいことに、泰山木の葉っぱまでが、これでもかというほど、落ちている。
 泰山木。大山木とも表記するらしい。

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← 天を突くような高さに見えるが、多分、樹高は6から7メートルほど。土壌の貧しさもあって、スクスクとは育たない。不幸中の幸い?

 実を言うと、泰山木という名称を今日の朝、テレビで泰山木が話題になっていて、初めて知った。
 へえー、そうか、あの木、泰山木(タイサンボク)と言うんだ!

 但し、朝は父母が居たので、恥を晒したくなくて、名前を初めて知ったなどとは口にしない。

 父、曰く、あの木があんなに大きくなると知っていたら、庭には植えなかったのに、と愚痴っている。
 小生の泰山木に対する愚痴は、大きさよりも、とにかく風が吹くと散る、でっかい葉っぱである。

 松や杉の葉っぱにも辟易しているのだが、泰山木の葉っぱも始末に負えない。
 松や杉の葉っぱは、竹箒で掃いて掻き集めることができるので、面倒ではあるが、庭掃除の一環に過ぎない。
 それに大概の落葉なら、場合によっては、どこかに穴でも掘って、埋めておけば、一年もすると立派な腐葉土になる(かも)!
 
 が、泰山木の葉っぱは、図体がでっかいくせに、箒ではうまく掃けない。丈夫そうで、ちょっとやそっとでは腐りそうにない。
 葉っぱの表面が滑りやすいし、葉っぱが上手い具合に、というか、箒で掃く寄せるには具合の悪いことに、妙に緩やかに湾曲している。

 なので、竹箒で掃いても、上滑りするばかりで、上手い具合にいかない。
 結局、手で一枚一枚、拾い集める。

 何かの小高い木の根っ子の付近や、丈の高い草むらの中や、庭石(代わりのブロック)の間や、側溝や、まあ、憎たらしいほどに方々に散っている。
 葉っぱが大きい分、風に乗って遠くへ広がりやすいのだろう。

 ところで、これは小生の観察力のなさなのか、泰山木には花が咲くという。

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→ 見ている分には、風情も風格もある木なのだが、何しろ、枯れてなら分かるが、枯れるどころか、いかにも厚いクチクラ層という感じの、ツヤツヤな表面の葉っぱだって何故か落ちてくる。どうにも、始末に負えないのだ。

 泰山木という名を知ったので、せっかくなのでネットで調べてみたら、「背丈がかなり高くならないと花が咲かない」などと書いてあるではないか。
 我が家の泰山木は、樹齢(というか、植えてから)数十年で、木の高さも十メートルほどあり、そろそろ花が咲いてもいいはずなのである。
 が、小生は一度も見たことがない。
 あるいは、高いところで咲いていて、小生の目には入らなかったのか。

花、葉、樹形などが大きくて立派なことから賞賛してこう名づけられた。また、花の形を大きな盃(さかずき)に 見立てて「大盃木」、それからしだいに「泰山木」になったとも」などとある。

 また、「大阪百樹 タイサンボク」によると:

タイサンボクは北アメリカ原産のモクレンで、日本へは130年ほど前に導入されました。裏側へ反りかえった葉は硬くて大きく、表面は黒緑色でツヤツヤ光り、裏面は鉄サビ色のフェルト状の毛で被われています。日本の気候にうまくマッチしたのか各地で大木になり、ちょうど梅雨時分に白い大きな花を咲かせ、和歌や俳句にもうたわれるなど人々にたいへん親しまれています。

 その上で、「大阪百樹 タイサンボク」には、以下の歌が紹介されている:

 

ゆふぐれの泰山木の白花はわれのなげきをおほふがごとし  斎藤茂吉

六月の青葉ぬらして降る雨のなかにも匂う大盞木の花  宮原あつ子

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← 縁側の目の前の内庭のツツジもいよいよ開花し始めた。暗めだった庭がパッと花が咲いたよう…って、花が咲いたんだから、当然か。

 そんな立派な木に咲く花なのだ、「開花時期は、 6/1頃 ~ 7/10頃。なんとなく梅雨空に似合う花」だというし、今年こそ、開花を見逃したくない!
 花の形が白い、大きな盃のようだというし、なんたって、「花言葉は、「前途洋々」「威厳」」なのだ!

集めても泰山木の硬き葉は腐葉土にならず手にあまるなり    (や)

                                   (09/04/21 作)

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