綱渡り師とオースターとクレーと(後篇その1)
[本稿は、「綱渡り師とオースターとクレーと」の後篇。が、長くなりすぎたので、後篇も2つに分割してアップする。]
今日は、「今日4月1日はエイプリルフールの日。「四月馬鹿」とか時に「万愚節」とも言う」…のだが、この話題に付いては、「万愚節(ばんぐせつ)」で大よそのことを書いたので、敢えて小生如きが一石を投ずる愚はやめておく。
それより、四月をフルに活かしたいものである。
さて、本題へ。
「綱渡り師とオースターとクレーと(後篇その1)」
← 前篇で、「小生はパウル・クレーを纏まった形で見たのは1989年に新宿の伊勢丹美術館で没後50年記念ということで開催されたパウル・クレー展が初めてでした」と書いた旧稿を載せている。この画像は、その時の展覧会会場で買った「綱渡師」のプリントをデジカメ撮影したもの。今も我が部屋の壁面に健在。
ポール・オースターは、71年にフィリップ・プティという大道芸人を初めて見た。その時は一輪車や投げ物、手品などの芸を披露していた。
「舗道にはチョークで輪が描かれ、その内側に見物人を一人も入らせぬよう、説得力あるパントマイムで徹底させながら、獰猛なまでの烈しさと鋭い知性をこめてパフォーマンスを行なった。それは目の離しようがない芸だった」。「ほかの大道芸人と違って、彼は人に向かって演じなかった」などといった前段が縷々記された上で:
次にフィリップ・プティを見たのは、数週間後だった。深夜、午前一時か二時ころ、ノートルダムにほど近いセーヌの川辺を歩いているときだった。突如、通りの向こうで、闇に紛れて足早に動く数人の若者の姿が目に入った。彼らの手にはロープ、鋼索、工具、重そうな手提げカバンがあった。例によって好奇心をかき立てられた私は、通りをはさんで彼らと平行に進み、やがて、彼らのなかのモンパルナスの曲芸師がいるのを見つけた。そのとたん私は、まもなく何かが起こることを知った。だが、いったい何が起こるのか、想像もつかなかった。 翌日、『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』の一面に、求めていた答えが載っていた。一人の青年がノートルダム寺院の塔から塔に綱を渡して、三時間のあいだその上で歩いたり、投げ物芸をしたり、踊ったりして、下に集まった人々を驚愕させたというのだ。青年がいかにして綱を取りつけ、当局の目を逃れたのか、誰にもわからなかった。彼は地面に降り立ったとたん、逮捕された。治安妨害、そのほか種々の軽犯罪に問われたのだ。その記事を通して、はじめて彼の名前を知った。フィリップ・プティ。それがあの曲芸師と同一人物であることを、私はみじんも疑わなかった。 この風変わりな事件は、私の胸に深い印象を残した。以後何年にもわたって、私はそのことを考えつづけた。ノートルダムの前を通るたび、新聞に載った写真が思い浮かんだ。大聖堂の巨大な塔と塔のあいだに、ほとんど見えない綱が張られ、その中央に、まるで魔法によって宙づりになっているかのように、この上なく小さな人間の姿がある。空を背にした、一点の命だ。記憶に残ったこのイメージを、目の前にある現実の大聖堂につけ足さずにはいられなかった。遠い昔、神の栄光を讃えるべくパリに建てられたこの記念物が、何か別のものに変貌させられたように思えた。だが、いったい何に? 私にはうまく言えなかった。おそらく、もっと何か人間的なものに。まるで、石たちがいまや一人の人間の痕跡を帯びているかのように。だが、実際はそこに痕跡など残っていない。それは私が頭のなかで作った、記憶にのみ存在する痕跡だった。とはいえ、反駁しようのない証拠がそこにはあった――あれを境に、パリに対する私の見方はすっかり変わってしまったのだ。もはや以前のようにパリを見ることはできなかった。 地面からあれほど遠く離れた綱の上を歩くことは、もちろん驚くべき離れ業だ。綱渡りをしている人を見るとき、我々のなかには、ほとんど手で触れられるほどの強い興奮が引き起こされる。事実、綱渡りに必要な勇気と技術がもしあったら、自分もやってみたいと思わない人は稀だろう。にもかかわらず、綱渡りという芸術は、これまで一度も真剣に受け止められてこなかった。たいていはサーカスの一環として行われるため、取るに足らぬものという烙印を自動的に押されてしまうのだ。サーカスはつまるところ子供向けの娯楽だし、子供が芸術の何を知っていよう? 我々大人は、もっと大事なことをいろいろ考えねばならない。音楽の芸術について考えねばならないし、絵画や彫刻の芸術もあるし、詩の芸術に散文の芸術、演劇に舞踏に料理の芸術、それに生の芸術だってある。だが、綱渡りの芸術? その言葉自体、お笑い種(ぐさ)に思える。たとえ人々が綱渡りに多少の思いを馳せたとしても、何かマイナーなスポーツのようなものとして片付けてしまうのが関の山だ。 それに自己顕示欲という問題もある。(この節、以下略)綱渡りの場合、危険は芸にもともと内在している。ある男が地上五センチの綱の上を歩いているときと、同じ男が地上六十メートルの綱を渡っているときとでは私たちの反応は異なる。だが、危険なだけではない。スタントマンの場合は、身の毛もよだつ危険を一つひとつ目立たせるよう計算されたパフォーマンスを見せる。恐怖と、失敗をひそかに望むほとんどサディスティックな期待とに観客たちが胸を高鳴らせる仕組みになっているのだ。一方、すぐれた綱渡り師は、観客たちにさまざまな危険を忘れさせるよう努める。綱の上で自分が行なう行為の楽しさによって、死にまつわる思いを頭から去らせようとするのだ。幅がせいぜい二センチかそこらの舞台という、この上ない制限を受けている綱渡り師の仕事は、無限の自由の感覚を創りだすことだ。彼は曲芸師であり、ダンサーであり、軽業師であり、ほかの男たちが地上で演じるに甘んじていることを空中で演じる。そうした欲求は、突拍子もないと同時に、きわめて自然なものである。それが人の心を動かすのは、つまるところ、その芸がまったく何の役にも立たないからだ。我々みんなの心の底にひそむ、美に憧れる衝動を、これほどはっきりと浮かび上がらせる芸術はほかにないように思う。綱の上で歩く男を見るとき、我々の一部も彼とともに空中にあるのだ。ほかの芸術の演技とは違って、綱渡りの体験は見る者にじかに伝わってくる。何ものにも媒介されず、簡潔で、説明はまったく不要。それ自体が芸術なのだ。それはひとつの生命を、この上なくむき出しに描きだす。ここに何か美しさがあるとすれば、それは、我々が自分たちの裡に感じる美ゆえだ。
ノートルダムでのスペクタクルで、私の心を動かした要素がもうひとつある。(以下、この節は略す) つまるところ、唯一の具体的な結果は、パリの留置場での短期滞在だったのだ。
では、なぜやったのか? ただひとつ、自分にできることによって世界を驚嘆させようという理由以外にはないと思う。(以下、略)
→ フィギュアスケートの世界選手権女子シングルで銅メダルを獲得した安藤美姫。安定感のある大人の美姫。これはエキシビションでの演技(テレビ画像)。
その後、オースターはフィリップの屋外での綱渡り芸を見る機会を得て、驚嘆の念を新たにする:
はじめから終わりまで、彼が落ちるかもしれないなんて考えもしなかった。危険、死の恐れ、事故、そうしたものはあの演技には少しも入っていなかった。フィリップは自分の生命の全責任を引き受けたのだ。その決意は何ものにも揺るがされはしないだろう、そう私は思った。綱渡りは、死の芸術ではなく、生の芸術なのだ。極限まで生き抜かれた、生の芸術なのだ。すなわち、死から身を隠すことなく、死とまっすぐ対峙する生。ロープに足を載せるたび、フィリップはその生を自分のものとし、その爽快な直接性と、その悦びとを存分に味わって生きるのだ。
彼が百歳まで生きんことを。
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