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2009/04/26

雨の土曜日は

 そろそろ一ヶ月前のことになるが、「キャベツの花を咲かせよう ? !」という日記を書いて、赤っ恥を掻いたことがある。
 いや、今も恥ずかしい思いも状態も続いている。

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→ 今度こそ、正真正銘、キャベツ、そしてキャベツの花。クリックして拡大すると分かるけど、風に倒され、茎が大きく湾曲している!

 題名に堂々と(?)「キャベツ」と銘打っているが、実は、話題の花(野菜)は白菜なのだった。
 間違いはすぐに注釈の形で訂正を入れている。

 誤字・脱字の場合はともかく、内容上の間違いがあった場合は、それが単純な勘違いに基づくものであれ、小生は訂正してお詫びするのではなく、本文は書いた当時の侭に温存し、註の形で訂正すべき事項を示すことにしている。
 書いた当時の形を残しておきたいのと、自分の不明を公然化することで、自らへの戒めとしたいからである。

 が、キャベツじゃなく、白菜だと分かり、且つ、訂正の文言を付したのはいいとして、後日、夜中だったか、キャベツの花って、どんなの? という疑問が湧いた。
 いや、正確に言うと、「キャベツの花を咲かせよう ? !」という日記を書いた時点で、ネットでキャベツの花の画像は調べている。
 が、自前のキャベツの花の画像(写真)を持ち合わせていない。よって、自分のブログに載せることもできずにいたことに気づいたのだった。

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← キャベツの花。
 
 かといって、白菜の花は三月の半ば頃から立派に咲いていたが、キャベツのほうは、一向に花が咲かない。
 そのまま諦めかけていたら、四月の下旬になりかけた頃だったか、キャベツの巨大な葉っぱの渦を割って、茎がスクスクと伸びており、しかも、何やら芽のようなものも見えているではないか。
 と思ったら、数日もしないうちに、キャベツの花がパッと咲いた。
 白菜の開花に遅れること、四週間。

 ようやく遅咲きの花が咲いたのである(但し、苗を畑に植えたのが遅かったし、施肥していないので、遅咲きなのか、本来はもっと早くに咲くのか、真相は分からない)。

 どうだい、咲いただろう。
 これがキャベツの花だぞ!
 
 早速、常に持参しているデジカメでキャベツの花の雄姿を撮ったのは言うまでもない。
 キャベツの花については、大よそのことを「キャベツの花を咲かせよう ? !」にて書いている(白菜の花の画像を載せつつ!)。
 今更、ここに白菜の花について書くってのも、変なので(だって、今日はキャベツの花の画像を載せるつもりでいるので)、白菜の花の周辺をメモするのはやめておく。

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→ 今にも開花しそう! あっ、間違ってもキャベツの花と思わないように!

 別に恥の証拠を消し去ろうというわけではないが、昨日、白菜もキャベツも花だけじゃなく、根っ子から全部を引き抜いてしまった。
 先日、吹き荒れた風でキャベツも白菜も倒れてしまって、根っ子が半ば見えてしまっていたのである。
 土壌に滋養分を与えることもしなかったし、世話の類いもしなかったから、どちらも我が畑で生ることに辟易して、風の吹くままに気力を喪失して倒れ去り、もう起き上がる気力も湧かなかったのだろう。
 ゴメンね、こんな畑で、こんな植え主で。

 この上は、キャベツも白菜も、土の肥やしにする。
 昨日までの一週間あまり、草むしりした。
 その草だけど、通常は毟ったりしたら、土は畑に払い落とす。草だけ、根っ子と併せ引っこ抜いてしまえばいいわけで、土は畑の大切な土壌なのである。
 雑草だけならまだしも、土まで捨てるわけにはいかない。

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← 庭の木々の根っ子の周辺に泥もろとも引っこ抜いた雑草を敷いた。何かが病害が発生するとか、根ぐされしないか心配。

 昨年は、土いじりの素人であり初心者で、何も分からず、引っこ抜いた雑草を市の指定のゴミ袋に詰め込んで(一日ほど乾燥させて)ゴミとして捨てていた。
 頑張ってきた父も、畑や庭の雑草の始末までは、手に負えなくなっていて、悲惨なほどに畑も庭も雑草が密集して生えていたし、背丈も憎たらしいほど延びていた。

 片っ端から刈り取り、あるいは引っこ抜き、毟り取るばかりだった。
 溜まる一方の雑草の山を生かすなんて発想は思いつかなかった。
 そんな余裕がなかったのだ。

 しかし、今年は二年目である。
 はたと気づいた。

 草は腐る。
 腐って土に帰る。落葉などと一緒に腐葉土になるわけである。
 これをみすみす捨てるのは勿体無いと気づいた(← 一年も経過して気づくなんて、気づくのが遅すぎる)。

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→ 台所の軒先で雨滴の変幻を眺めていた。今日は一日、雨。明日も。

 今年は、雑草を畑や植木などの腐葉土として使うことにした。
 といって、来年まで待つほど気が長くないので、木々の根っ子に泥の付いた雑草をそのまま撒くことにした。
 なので、雑草を毟ったり引っこ抜いた際には、泥を丁寧に落とすことはせず、泥だらけのままに木の根っ子などの周囲にばら撒いたのである。

 畑もだが、庭も、雨が降るたびに土がドンドン流されていく。
 雑草を引っこ抜くことで土の滋養分が雑草の形で奪われ、雨で流される。

 庭の築山も、誤って余計な場所に除草剤を撒いたため、苔が腐ったり、二度と生い茂ったりしなくなって、土が剥き出しになり、雨が降ると、土があっさり流されていくのだ。
 木の根っ子が見るも無惨に剥き出しになっている。

 そう、木の根っ子が剥き出しで、築山が心なしか低くなっているように感じられたことが、泥の付いた雑草を捨てないで、築山などの木々の根っ子を覆うように撒こうと思い立った動機・切っ掛けなのである。

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← 落ちる瞬間の雨滴。単純、極まりない物質のはずなのに、水って見飽きない。何か不可思議を蔵しているように思えてならない。

 何事も腰の重い小生である。
 が、帰郷して一年余りを経過し、今までは漫然と畑や庭いじりをしていたが、遅ればせながら、庭仕事を初歩から勉強しようかと密かに思っているところである。

 それにしても、小生はガキの頃から土曜日は憂鬱だった。日曜日という空白の一日をどう乗り切ればいいのか、途方に暮れていた…らしい。
 それが、土曜日が雨だと鬱勃とした気分が薄れた。翌日の日曜日が雨の予報だったら、尚のこと。

 外出せず、終日、家に篭っていても、雨のせいにできたから、だろうか。

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