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2009/04/10

小寺菊子のこと

 数日前、夕食前のひと時、テレビを見ていたら、郷土(富山)の文学(作家)特集があった。
 名前くらいは知っている作家として、岩倉政治翁久允(おきな きゅういん)らが上がっていて、そういえばまだ小生は郷土の文学作品もあまり読んでいないなと感じていた。

 そんな中、再評価の必要な女流作家(死語?)として、小寺菊子の名が挙がっていた。
 情けないことに、富山県人でありながら、小生には全く初耳、未知の作家である。

Kenchomae13

← 「舟橋図」 「舟橋の地名は当時浮世絵にも描かれ全国的に有名だった神通川の舟橋に由来する。これは神通川の洪水対策用で52艘の舟を太綱でつなぎ、その上に木の板を3枚ずつ並べて人を通らせた」 (画像は、「県庁前駅」より)

 当然ながら、作品の一つどころか断片でさえも読んだことがない。
 可能な限り近い将来、何か読んでみたい。

 せっかくなので、今後のために、ネットで調べられることくらいはメモしておくことにした。

 後でも参照するが、「56歳からブログに挑戦(LOVE越中) 越中文学「河原の対面」(小寺菊子)!」によると(下記、転記文中、「旧姓居島」とあるのは、「旧姓尾島」ではないかと思われる。コメントでご指摘いただき、感謝しております):

明治十二年、富山町旅籠町(現富山市)生まれ、旧姓居島、本名キク。17歳で上京し、タイピストや記者として働く。県人作家、三島霜川の紹介で徳田秋声に師事。少女雑誌「少女界」「少女の友」や「女子文壇」に作品を発表した。

 以下の詳細は、「56歳からブログに挑戦(LOVE越中) 越中文学「河原の対面」(小寺菊子)!」にて。

私立PDD図書館」によると:

1883. 8. 7(明治16)-1956.11.26(昭和31)
◇小説家。旧姓は尾島。富山県富山町生れ。東京府教員養成所卒業。

 検索の筆頭に浮上したわけではないが、近年、再評価の動きが始まっているらしい情報ということで、新聞の記事を示しておく:
小寺菊子の業績に光 富山市出身、少女小説の旗手  富山新聞

 富大人文学部の金子幸代教授(比較文学、日本近代文学)は、富山市出身の女性作家、小寺菊子(一八七九―一九五六)の全作品約四百編を集め、菊子の業績評価に乗り出した。「大正の三閨秀(けいしゅう)」の一人といわれた菊子は、今日ほとんど顧みられることはないが、作品には少女時代を過ごした富山の風土や宗教観などが色濃く反映されており、金子教授は少女小説の旗手としての業績をあらためて検証していく考えだ。
(中略)
 金子教授は、一九一四(大正三)年に発表された『綾子』に焦点を当て、仏教に根差した生活習慣や風景などを表現している点で、「富山を現実味たっぷりに描いている」と評価する。また、少女小説の中に現実的な悩みや貧困を交えた作風は、少女小説出身で後に文学界に認められた吉屋信子(一八九六―一九七三)とは異なる新たな少女小説の道を切り開いた作家としている。
(後略)

56歳からブログに挑戦(LOVE越中) 越中文学「河原の対面」(小寺菊子)!」なるブログの記事が、「かつての神通川にかかっていた浮き橋「船橋」の常夜灯」と、小寺菊子が大正四年に発表した自伝的小説「河原の対面」とを絡めて、菊子や菊子文学、そして彼女の人となりをしみじみ紹介してくれている。
 以下、一部、転記させてもらうが、全文を是非、読んでもらいたいものだ:

小説「河原の対面」は小寺の自伝的作品だ。小寺が少女のとき、父が何らかの犯罪にかかわっている。一家は崩壊し、小寺はいとこを頼って上京した。苦労しながらさまざまな作品を書くが、父が亡くなると一家が上京したため、家族の生活まで小寺の肩にのしかかった。

故郷に複雑な思いを抱き続けた小寺だが、知人の岡本かの子は、粘り強さや思索の深さがいかにも北陸的と評した。小寺の随想集「美しき人生」に序文を寄せ、「北陸的郷土のローカルカラーを確実に保持しながら、一方都会的な趣味を愛し---」と紹介している。心の傷と分かちがたく結び付いた風土の記憶を糧に、人間を深く見つめ、作家としてたくましく成長したのではないか。


 ここにも、富山大人文学部の金子教授の評価が載っている。

 ネット検索を繰り返していたら、小寺菊子に絡む興味深いエピソードが見つかった:
今朝出た丸山の家も程遠くない
 が、最後まで読んでいったら、「平成16年度特別展・文京ゆかりの文学者たち(文京ふるさと歴史館発行)」からの情報ということで、訂正文が載っていた:

「明治43年の崖崩れの際、その家に住んでいたのは小寺菊子ではなく森田草平であるということが、草平や漱石の著書から再確認されました。お詫びしてここに訂正いたします。なお、小寺菊子は同じ時、愛宕山下(港区)で、住んでいた家が崖崩れで倒壊するという経験をしています」

Kikuko

→ 小寺菊子の作品は、「近代女性作家精選集 第1期 第5巻 『百日紅の蔭』大正4年」 ([監修]尾形明子 /[著]小寺菊子 /[解説]ゆまに書房編集部 )などにて。 (画像は、「Amazon.co.jp: 通販 - ファッション、家電から食品まで」より)

 最後に、宮本百合子の「婦人作家」という評論に小寺菊子への言及がある。
 興味深い一文なので、(前後の脈絡が欠けて、理解が行き届かないかもしれないが、関心のある人は、当該の一文に当たってほしい)一節だけ転記して示す。

「自然主義の「露骨なる描写」の方法は、小市民としての作家が経済政治面からしめ出されつづけてきた日本の社会的環境では、フランスでのように、社会小説として、その露骨さへ発展させてゆくことができなかった。藤村の「破戒」から「家」への移りは、この現実を語っている。「家」はそこをしめつけている封建的な、家長的な圧力に耐えかねて、「家」を否定した当時の若い世代が、個人の内部へ向けるしかなかった自己剔抉となって「私小説」の源としての役割をおびた」とした上で(やや文意が読み取りづらいが):

 婦人作家の境遇は、まだまだ男に隷属を強いられる女としての抗議にみちていた。したがって彼女たちにとっては初期の自然主義作家の肉慾描写をまねようとするよりも、むしろ、そのように醜いものとして描写されている肉慾の対象とされていなければならない女性の受動的立場と、それを肯定している習俗への人間的抗議が、より強く感じられたのは自然であった。小寺菊子は自然主義的な手法で婦人科医とその患者との間におこる肉感的ないきさつを描いたりもしたが、この作家でも、「肉塊」としての女は描けなかった。この現象は、案外に深く文学そのものの人間性につながる意味をもっているものではなかろうか。婦人の芸術的能力が客観性をもたず弱いから、男の作家の描くような女が描けず男がかけないという解釈だけでは、不充分なものがある。資本主義の社会体制は婦人を人間的にあらせることが不可能な条件の上に保たれている。資本主義社会内に対して、新しい歴史の力が闘いをいどみはじめた第一歩である自然主義の時代、特に日本のように、近代化がおくれて女の抑圧されている社会で、少くともものを書く婦人が、封建的な小市民道徳に抗議する男自身、女に対してもっている封建性への抗議をとびこさなかったのは一必然であった。

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コメント

 検索の名人・やいっちさんに私の落書きが見つからなかったのは幸いでした(笑)。「尾島菊子」で検索すれば、どこかで駄弁を弄しているかぐら川がいることでしょう。やいっちさんご紹介のように菊子を徳田秋声に紹介したのは、作家としてまだ名が文壇にあった頃の“我が”三島霜川でした。尾島姓は、富山の方ならご存知のように水橋地区に多く見られる姓です。彼女も幼少期を水橋の父英慶の実家で育っています。一家離散のなかで作家への強い憧れをもって上京した菊子は、私がどこかに書いたように、「青鞜」にも関わったようですが、ここのところはきちんとフォローしていません。
 実は、菊子と青鞜のことを書いた時、正直なところ、ともに富山出身で姓の似ている尾島菊子と尾竹一枝をごっちゃにしていたような気がします。もちろん尾竹一枝(尾竹紅吉)は平塚らいちょうのなにですからバリバリの青鞜ですが、菊子のほうは、どういう関係だったのかよくわかりません。・・・というようなわけで、菊子も私のおっかけの対象です。新情報があれば、教えてください。

投稿: かぐら川 | 2009/04/11 00:04

〔追記〕
「56歳からブログに・・・」の小寺菊子紹介文中の「旧姓居島」は、「旧姓尾島」の入力ミスによる誤字ですね。なお、そこに紹介されている本文は、syuuheiさんの文章ではなく、K新聞の記事です。

投稿: かぐら川 | 2009/04/11 00:26

かぐら川さん

>検索の名人・やいっちさんに私の落書きが見つからなかったのは幸いでした(笑)。

実は、早々と見つけていました。
ただ、本文にもあるように、訂正文があとで見つかったので、本文には痕跡(見えない!)があるだけとなってます。

いずれにしても、青鞜に関わっていたようです。

というか、案の定、小寺菊子もかぐら川さんの関心の守備範囲に入っていることを確認して、改めて敬服した次第です。

小寺(尾島)菊子については、ネットでざっくりしたところをメモしてみただけ。
何もかも、これからです。
調べる(同時に彼女の作品を読む)楽しみができました。

小生にとって富山は地元でありながら、高校卒業と同時に郷里を離れたこともあって(一番は不勉強だけど)、富山のことは知らないことばかり。
訪ねた場所も観光地を含め、ほとんどなし。
皆さんにとっては常識に属することでも、小生は知らない。

その意味では、とにかく、富山のことを一から学ぶ楽しみが小生にはあるということです。

投稿: やいっち | 2009/04/11 10:06

 やいっちさん、“富山のことを一から学ぶ楽しみ”、ずっと共有させていただければ幸いです。
 なお、参考までに、お知らせしておきます。
 「56歳からブログに・・・」に紹介されている新聞連載記事は、現在、北日本新聞社から『越中文学館』としてまとめられています。

投稿: かぐら川 | 2009/04/11 14:50

かぐら川さん

これ、ですね:
北日本新聞社編集局『越中文学館』(北日本新聞社)
http://tiaokumura.exblog.jp/9675672/

富山(郷土)のこと、ゆっくり、じっくり、楽しみつつ、探訪したいものです。
どうぞ、気長に付き合ってくださるよう、お願いします。

投稿: やいっち | 2009/04/12 00:45

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