声はすれども姿は見えず
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今日は父母が共に仲良く、同じリハビリ施設へ行ったので、家では一人。
炊事の後、ゴミを片付け、洗濯、そして庭へ。
先週一週間、ずっと草むしりをやったので、とりあえずは一段落と思っていた…のだが、やはり、やらざるをえないと思われてきた。
← 作業場は庭。作業半ば。
その作業は、全くのニコヨン仕事で、体が心底から疲れてしまった。
いや、実際には我が家の庭での作業なので、賃金など発生するわけもなく、ニコヨン以下かもしれない。
自己満足だけの作業。
その内容は、機会があったら書くとして、もう、とにかく何もする気力がない。
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ショーン・B.キャロル著の『シマウマの縞 蝶の模様―エボデボ革命が解き明かす生物デザインの起源』(渡辺政隆/経塚淳子訳 光文社)を読んだ。
物理学関係の本が続いているので、今度は生物学関係の本に触手を伸ばした。
→ ショーン・B.キャロル著『シマウマの縞 蝶の模様―エボデボ革命が解き明かす生物デザインの起源』(渡辺政隆/経塚淳子訳 光文社)
科学関係の本を読む際(選ぶ際)には、書き手の素性を確かめる。際物などは読みたくない。
特に、「エボデボ革命」なんて、小生には耳慣れないキャッチフレーズ(コピー)が銘打たれていたりすると、尚更、慎重になる。
著者のショーン・B.キャロルは、「ハワード・ヒューズ医学研究所研究員およびウィスコンシン大学マディソン校教授。進化発生生物学(エボデボ)分野のスーパースター」というから、訳者も含め、申し分ない。
この経歴にもあるように、エボデボとは、進化発生生物学のことだ。
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過日、夕方だったか、テレビを見ていたら、丸根賛太郎についてのミニ特集があった。
生憎、家では炊事係りでもあるので、見ていたというより、特集番組を台所と茶の間(食事する部屋)とを往復しつつ、横目で、あるいは空耳で(?)齧り見ていたといったほうがいいかもしれない。
← 監督:丸根賛太郎『春秋一刀流』(日本/1939年/モノクロ/74分 16mm/スタンダード 撮影:谷本精史 出演:片岡千恵蔵、沢村国太郎、志村喬、轟夕起子) 丸根賛太郎の監督デビュー作品。鮮烈デビューとなったという。「春秋一刀流・鶴八鶴次郎 - 黌門客」が参考になる。(写真は、「7-dj.com CINEMA LAND」より)
映画についての話題だから、最初はフーンと聞き流していたが、富山という名称を耳にして、おやっと感じた。
その時点からでもじっくり見たかったが、そうもいかない。
幾つかの言葉・名称・単語だけ、インプットしておいた。
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そろそろ一ヶ月前のことになるが、「キャベツの花を咲かせよう ? !」という日記を書いて、赤っ恥を掻いたことがある。
いや、今も恥ずかしい思いも状態も続いている。
→ 今度こそ、正真正銘、キャベツ、そしてキャベツの花。クリックして拡大すると分かるけど、風に倒され、茎が大きく湾曲している!
題名に堂々と(?)「キャベツ」と銘打っているが、実は、話題の花(野菜)は白菜なのだった。
間違いはすぐに注釈の形で訂正を入れている。
誤字・脱字の場合はともかく、内容上の間違いがあった場合は、それが単純な勘違いに基づくものであれ、小生は訂正してお詫びするのではなく、本文は書いた当時の侭に温存し、註の形で訂正すべき事項を示すことにしている。
書いた当時の形を残しておきたいのと、自分の不明を公然化することで、自らへの戒めとしたいからである。
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「間もなく西牧 徹 展「月と雷雲1865」」を書きました。
← 昨日のうちにタイヤ交換しておいてよかった。今日は雨。恐らく、明日も。
先週末からの庭や畑の草むしり大作戦(?)、ようやく、初戦が終わった。
一週間で一通りはやった。二週間は持つだろうか。
→ せっかく植えたネギだけど、一切、収穫しないままに四月も終わりに近づいている。ネギの花、別名「葱坊主」(ねぎぼうず)ばかりが立派に咲いている。
そして昨日は、今頃になって冬用タイヤを夏用に交換。
腰が痛い!
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我が家の庭には、松や杉、夾竹桃、アセビ、ミカン、ツツジ、梅、棕櫚、椿、柿、南天などなどの木々がある。
紅葉する種もあるけど、常緑樹も。
晴れた日などに、縁側に腰掛け、ぼんやり庭木を眺めるのは楽しい。
でも、雨の日に眺める機会のほうが多い。
何故だろう。
← 一昨日(この日記を書いた21日)、その名を初めて知った我が家の泰山木。樹齢は半世紀ほど? 今日(23日)の姿も、貫禄だけは、タップリ。
晴れた日は、冬の間は別として、春からは剪定や草むしり作業に追われるから(無論、家の中では洗濯や掃除)、ゆっくり庭を眺める気分にはなれない。
縁側に腰掛けて庭を眺めようものなら、松の木の根っ子辺りに雑草が生えているのが目について、ああ、あの辺り、昨日、草むしりしたばかりなのに、もう生えてる、とか、ああ、気づかずに見過ごしているとか、まあ、邪念があれこれ入って、落着いてなど居られないようである。
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和歌山毒入りカレー事件の最高裁判決が出た昨日の天気は、不穏なものだった。
有能な方々が証拠はともかく、緻密な論証を尽くしての結論なのだろうし、穏当な判決と納得するしかないのだろう。
→ 外出の途中、ふと、脇を見たら、住宅街の合間に立山連峰が垣間見えた。雲が多いが、風があったからか、空気の透明度が高いらしく、稜線の陰影が際立っていた。
でも、小生のような知能朦朧な人間は、水も漏らさぬ論証には不感症なところがある。
頭上はるか高いところで、当人を置き去りに結論が出され処分が勝手に決められる感を抱いてしまう。
反論どころか、碌に自分の思いを述べる術(すべ)もない人間は、ただなすがままなのか。
生活苦もあって、小生が裁判員になる見込みは、まず、ないだろうけど、万が一ってこともある。
自分には、状況証拠だけで判断を下す勇気は湧きそうにない。
鉄壁の論理のように見えて(見せられて)、心証に傾き、その場の雰囲気に流されての挙手になりそうで怖い。
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和歌山毒物カレー事件で林被告の死刑が確定した。
状況証拠の積み重ねでの死刑判決。
近所のトラブルメーカーだったらしいけど、嫌われて浮いた存在になると、何かあったら、真っ先に色眼鏡で見られ、仕舞いには世間から弾き出される。
← タンポポの黄色い花。タンポポって、名前がいい。花言葉は「思わせぶり」。昨日、写真を載せたタンポポの種(綿毛)、もう、大半が吹き飛んでいた。
小生は判決文を読んだわけじゃないし、事件の真相を知るわけではないけれど、何か釈然としないものを感じる(無論、真犯人に対しては憤りしか覚えないけど)。
さて、嫌われ指弾されてしまうメカニズムは、イジメとも似ている。
一旦、イジメのターゲットにされたなら、待っているのはアリ地獄、出口なしの悲惨な状況。
犠牲者は死ぬまで苛まれ続ける。
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「あなたを縛るものは何ですか」をアップしました。
→ 日曜日、野暮用で外出したら、もう、鯉のぼりが泳いでた。連休まで、泳ぎ続けられるの?
ネット上で知った絵描きさんの絵の数々。
名前は分からないけど。
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またまた宇宙論関係の本に手を出した。
ブライアン・グリーン 著の『宇宙を織りなすもの 下』(青木 薫 訳 草思社)である。
(そう、お気づきのように、下巻である。予約しているのだが、上巻は順番待ちで、下巻のほうが先に来てしまった。まあ、上巻は下巻のための序論というつもりで、とにかく手にした本を読みたかったのだ。)
→ 家の近所の畑(数年前まで我が家の田圃だった)に咲いていたタンポポ。動植物の宇宙も際限のない広がりと繊細さや優しさに満ちている。
確か中学生になった頃には、宇宙の本に夢中になっていたはず。
(海底の神秘とか、生命の何とかとか、数の不思議とか、ガキ向けの科学の啓蒙本の類い。小説も、所謂、純文学の類いには関心が向かず、推理小説よりSF小説ばかりを選んで読んでいた。)
小学校の6年か中学生になりたての頃、アポロの快挙もあり、宇宙熱は高まっていて、月への関心を小生も抱くようになった。
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昨日の日記に書いたように、母に続いて父もベッドを使うことになった。昨日、発注したレンタルのベッドが、今日の午後、早速届き、寝室に設置された。
寝室では父母二人それぞれのベッドを利用することになるわけである。
尤も、父母共に寝たきりというわけではない。食事のために茶の間に出てくるし、トイレも自分でいける。
ただ、寝起きとかに体力を消耗するのを避けたいという考えでのベッドの導入なのだ。
← イチロー選手 張本勲選手の持つプロ野球記録更新! いよいよ世界記録への挑戦が始まる。
思えば、ほんの数年前まではみんなそれぞれ歩いていたし、みんなで近所の公園へ散歩に行ったこともある。
否、昨年だって、母は車椅子を使ってだが、家族で植物園内を散策したこともある。
今年、父母らに伴っての桜見物を考えないではなかったが、介添え役が自分ひとりでは心もとなくて、父の体調が思わしくなかったことを口実に、実現に踏み切れなかった。
桜の季節は終わった。
行かなかったことを後悔することになる…ような気もするし、来年こそは、とも思う。
ふと、みんなで公園を散歩した思い出を綴った小文があったなと探してみた。
僅か数年前の話である。
この数年の変化の大きさを思い知らされる。
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慌しく気忙しく日々が過ぎていく。
何をやっているのか、何もやっていないのか、つかみどころのない日々でもある。
それでも、少しずつ、動きらしきものがないわけではない。
母が介護認定を受けて数年だが、とうとう今度は父の介護認定へ向けて動き出した。
→ イチロー選手 おめでとう! 満塁ホームランで最多安打記録に並ぶなんて。新記録は、イチロー選手らしく、バントヒットで達成して欲しいな。「イチロー選手 通算3,085安打 張本勲さんのプロ野球記録に並ぶ」 (画像は、NHKテレビニュースより) 旧稿である「イチローおめでとう!」は、読まないほうがいいかも。
といっても、市役所の担当者による介護認定調査を過日、受けたばかりで、介護認定を受けられるのか(要介護)、それともその前段の要支援なのか、今の所、調査結果待ちである。
委員会か何かがあって、検討の上で決定となるようで、そんな方たちが多いこともあり、結果が出るのは五月の連休明けとなる見込みだとか。
そもそも、介護認定の調査自体、申請をしてから三週間以上を経過してやっと父の調査の順番が来たのである。
別に急がないといけないわけではないが…、うむ…、やはり急いでいると言うべきか。
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田近英一/著の『凍った地球 スノーボールアースと生命進化の物語』(新潮選書)を読んだ。
過日、NHKテレビで「スノーボールアース」説を特集していて、こういった分野にも興味はあっても疎い小生、へえスノーボールアース説なんてものがあり、既にある程度までは定説になっているんだと、軽いショックを受けたのだ。
← 田近英一/著の『凍った地球 スノーボールアースと生命進化の物語』(新潮選書)
著者の田近英一(たぢか・えいいち)は、「1963年、東京都生まれ。理学博士。東京大学准教授。専門は地球惑星システム科学」といった方。
その著者が語るように、「現在の地球は間氷期にあり、さらに氷期に向かっている。そう聞くと、少なからずの人が驚く。地球はかつて、数百万年もの間にわたってすべてが凍りついていたと聞くと、さらにびっくりする」(「凍った地球―スノーボールアースと生命進化の物語― - 選書・編集者のことば」より)わけで、小生はびっくしりしたなーもー、の一人というわけである。
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今日4月15日は、フランスの二人の作家の忌日である。
一人は、ジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre 1905年生まれ 1980年死去)であり、もう一人はジャン・ジュネ(Jean Genet 1910年生まれ 1986年死去)である。
→ J-P・サルトル著『嘔吐』(白井浩司訳 人文書院) (画像は、「raja-laut『嘔吐』 J-P・サルトル 人文書院」より)
二人の作家という表現に違和感を覚えられる方もいるかもしれない。
ジュネはともかく、サルトルは文学者・作家である以上に哲学者ではないか…。
けれど、小生にとっては、サルトルは評論家であり、それ以上に『嘔吐』の作家なのである。
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「廃墟のロベール」と別称される、ロマン主義的風景画の先駆者の一人となったユベール・ロベールを特集してみた:
「廃墟のロベール」
二週間ほど前に書いた小文。アップするタイミングを失していた。
← マイルス・デイビス(Miles Davis)「Kind of Blue [Extra tracks] [Original recording remastered] [Import] [from US]」(Miles Davis, Wynton Kelly, Paul Chambers, Jimmy Cobb, Cannonball Adderley 他)
随分と前に、シューベルトの「弦楽五重奏曲 ハ長調」と共に、予約していたマイルス・デイビス(Miles Davis)の「Kind of Blue」という題名のCDを今日、やっと借りることができた。
ご機嫌。
シューベルトはすぐに借りることができたけど、演奏が肌に合わなかったのか、何度となく繰り返して聴いたけれど、気がつくと、何か他の用事に気が奪われるばかり。
マイルスは、期待を決して裏切らない。
聴いているうちに、いつかしら学生時代やフリーター時代に通ったジャズ喫茶などが思い出されてくる。
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今日、いよいよ重い腰をあげて午後から草むしり作業をやった。
日曜日だし、快晴続き。
昨年も散々やったけど、今年も雑草との格闘の日々が始まったわけである。
同時に、草むしり作業で汗だくとなった体を水シャワーで頭から洗い流す、という日々も始まった。
→ 舗装された道路の狭苦しい繋ぎ目から生えてくる雑草。
風呂はあるのだが、灯油も残り少ないし、汗まみれの体は火照っているので、お湯など使わなくても、水で十分というわけである。
少々、やせ我慢の気味もある(実際には小生は痩せていないが)。
実際、天日の下での時に泥まみれの作業なので、衣服も泥や埃、汗で汚れてしまう。
となると、シャワータイムといいつつも、洗濯も同時にしないといけない。
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水落露石という名の俳人の、今日4月10日(このメモ書きがアップされる頃には昨日になってるだろうが)は命日である(1872年3月11日生まれで、1919年に47歳で亡くなられている)。
といっても、小生は名前さえ、今日初めて知った方。
→ 『露石句集』(装丁・君嶋真理子 解説・坪内稔典 ふらんす堂) 「2009.1.30刊行」というから、出たばかり!
俳人とある以上、まずは作品を鑑賞してみたい。
ネット検索しても、句の載っているサイトにはなかなか出合えない。
最初に見つかったのは、「4月「魚島(うおじま) とびきりの桜鯛をやりとり」 Food Library - くいだおれ大阪 食のライブラリー」なるブログで、「水落露石が魚島の鯛を詠んだ句」ということで、以下の句が載っている:
鯛料る春の灯や臺所 露石
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数日前、夕食前のひと時、テレビを見ていたら、郷土(富山)の文学(作家)特集があった。
名前くらいは知っている作家として、岩倉政治や翁久允(おきな きゅういん)らが上がっていて、そういえばまだ小生は郷土の文学作品もあまり読んでいないなと感じていた。
そんな中、再評価の必要な女流作家(死語?)として、小寺菊子の名が挙がっていた。
情けないことに、富山県人でありながら、小生には全く初耳、未知の作家である。
← 「舟橋図」 「舟橋の地名は当時浮世絵にも描かれ全国的に有名だった神通川の舟橋に由来する。これは神通川の洪水対策用で52艘の舟を太綱でつなぎ、その上に木の板を3枚ずつ並べて人を通らせた」 (画像は、「県庁前駅」より)
当然ながら、作品の一つどころか断片でさえも読んだことがない。
可能な限り近い将来、何か読んでみたい。
せっかくなので、今後のために、ネットで調べられることくらいはメモしておくことにした。
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「春になると…spring has come!」:
春になると大気に透明度が減ってくる。月影も朧になってくる。その原因は湿度であり、大気の動きが活発になることであり、湿度が高いこと風が吹くことに相関して大気中の埃や塵、花粉、微生物が舞い上がり、舞ったまま漂ってしまいやすいことにあるのだろう(素人考え)。
仮に昔の人が春先の大気の霞(かすみ)の原因の(大きな?)一端が花粉だということを知ったら、風雅なことだと思うのだろうか。月影に花粉の紗が掛かって艶冶(エンヤ)だと、しみじみ黄昏(たそが)れるのだろうか。
鼻水が垂れ目が痒くて苦沙弥が出て止まらなかったりして、風流を気取るところじゃないのだろうか。
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ジョン・D.バロー著の『無限の話』(松浦俊輔訳 青土社)という素敵な本に出会った。
著者のジョン・D.バローは、「ケンブリッジ大学教授。天文学者、数理物理学者」とのことだが、文学や哲学にも造詣の深い人。
← 沈思黙考してる? それとも、まさか、川に飛び込もうとか?
なので、同じ物理学や数学の話をしても、随所に古今東西の文献などからの引用や連想(話の広がり)があって、読んでいてつい柄にもなく瞑想(迷想)に誘われてしまう。
本書は、「無限の人数が泊まれるホテル。有限の時間で無限の計算ができるコンピュータ…。永遠に続く命。無限をめぐる論争で人生を失った人々…。宇宙論の第一人者が、物理学、数学、哲学、宗教など、あらゆる分野を経めぐり語りつくす、無限の知的興奮に満ちたサイエンス・エンタテインメント」といった本なのだが、まさに知的エンタテインメントの書なのである。
この中の、「ホテル無限大へようこそ」という章の扉で、懐かしいクイズに出合った。
懐かしいはやや大袈裟かもしれないが、初めてこのクイズを目にした時は戸惑ったものだ。
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昨日も、今日も外出が多かった。晴天に恵まれたこともあり、今のうちにと、外向きの用事を纏めてこなそうと思い立ったのである。
御陰で、花粉や埃塗れの空気を一杯、吸い込んだ。
帰ったら、口の中が変な味。
→ 4月5日、チンドンパレード見物の帰り、松川にて。
微風だったので、漂う埃は吹き飛ばされることなく、舞ったまま漂っている。
御陰で、天気晴朗なれども視界は悪し、霞んでいるようだった。
こういうのを花曇というのか(← 多分、間違っている)、それとも花霞?
いよいよ桜の季節である。
小生、結構、純朴で素直な性格のはずなのだが、世が桜に浮かれると、へそ曲がりというか天邪鬼というか、妙に逆らってみたくなる。
以下、旧稿だが、桜を巡る二つの拙稿を一部を削除の上、再掲する。
1.「ジョージ・ワシントンの桜の木の逸話」
2.「坂口安吾著『桜の森の満開の下』」
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昨日の「おわら風の盆」の話題に引き続き、やはり富山を代表するイベントの一つ、チンドン大パレードへ行ってきた。
実際には、チンドンコンクールが前夜祭も含め、一昨日から始まっていたのだが、家の事情もあって、今日の午後2時半から開催された、チンドン祭りに絡む最後のイベントであるチンドン大パレードだけ、見物してきたのである。
← パレードが来るよ!
とはいっても、日曜ということもあって、家の雑用があれこれある。
今年度、我が家が町内に幾つかある班のうちの一つの班長に(実際には父が班長なのだが、実務は小生がやる)。
(今月は、資源ゴミ置き場の当番にもなっている。)
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折々覗かせてもらい、勉強させてもらっている、かぐら川さんのブログ(「めぐり逢うことばたち」)で、我が富山(八尾)に関係する気になる記事があった:
「めぐり逢うことばたち 「越中八尾おわら踊り」と「金沢ひがしの茶屋」」
なるほど、と思わせる記事だったが、読んで納得しているだけじゃ、済まないような内容に感じられた。
→ 07年6月19日に、皇居のお堀脇(馬場先門近く)を通りかかった際、信号待ちの最中に撮った夕焼け。画像の真ん中やや左側に街灯のシルエット。その右側に立ち上る煙。そう、渋谷にある「シエスパ」という温泉の別館で午後の二時半頃、ガス爆発事故があった、その煙が夕方になっても上がっていたのを偶然、撮ったようだ。悲しくも3人の従業員たちがこの事故で亡くなったが、そう思うと、この写真の空の茜色が不穏な風に感じられる。
思えば、特に東京在住で富山を遠くから眺めていた頃、しばしば富山の話題を取り上げ、「おわら風の盆」を巡る話題(日記)に限っても、(東京在住最後の数年だけでも)十回近くになる(それらは、本稿の後半でリストアップしておく)。
さて、何が勉強になったか。
小生が主にネットで得た情報の集めぶりが如何に中途半端かを物語るようで、ちょっと気恥ずかしくもある。
でも、「風の盆」の背景や成り立ちをより深く理解する意味でも、ここにメモっておきたいのだ。
まず、4年前、小生は新聞情報などを基に、下記の小文を書いた:
「「おわら風の盆」余聞」
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今日、4月4日は「あんぱんの日」だという。
今日は、ほかに「トランスジェンダーの日」とか「沖縄県誕生の日」「交通反戦デー」「ピアノ調律の日」「ヨーヨーの日」「獅子の日」「おかまの日」と、いろいろある:
「4月4日 今日は何の日~毎日が記念日~」
← 「あんパン」 (画像は、「あんパン - Wikipedia」より)
それぞれに謂れがあるのだろうし、意義も多少は想像が付かなくもないが、「獅子の日」なんて、どういう意味のある日なのか、見当が付かない。
「「し(4)し(4)」の語呂合せ」という理屈は分かるのだが、ライオンを愛でる日なのだろうか。
それとも、日本にライオンが初めてやってきた日?
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古井由吉(ふるい よしきち)著の『ロベルト・ムージル』(岩波書店)を読み始めている。
理解しづらい。というより、読んでいて、まるで理解できない。
こんなとき、自分ってホントに頭が悪いんだなってつくづく感じてしまう。
→ 家の表通りに面する花壇(?)に咲くパンジー。一冬を乗り切り、相変わらず元気だ。夕日を浴びて、気持ち良さそう。夕焼け浴してるのかな? なんとかこの生命力に肖(あやかり)りたいものだ。
同氏の思考法に、あるいは彼の表現方法に馴染めないからだろうか。
…思えば、(意外なことに?)同氏の本は一冊も読んだことがなかった(はずである)。
少なくとも印象には何も残っていない。
代表作(の一つ)の「杳子」くらいは読んでみようと思いつつ、とうとう今日に至るも手にすることはなかった。
何か同氏の文学への偏見があるのだろうか。
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相変わらず、ポール・オースター著の『空腹の技法』(柴田元幸/畔柳和代訳 新潮社)からの転記である。自分(の創作活動のため)の覚書で、興味のない人には全く、どうでもいい作業だろう。
でも、小生にはとても刺激になった、励ましに近いものを受けたとさえ言える。
とは言っても、メモしたくなる箇所は随所にある。もう、本稿で打ち止めにしておく。
→ 今年度は、父が町内に幾つかあるうちの一つの班の班長になり、小生が父の代わりに町内の雑事を請け負う。今月は、資源ゴミの当番。4月1日の朝は(飲食用)缶類や不燃物の回収のため、スチールの資源小屋の開閉をした。立派な錠前が付いていて、未明に鍵を開け、お昼近くに鍵を締める。問題はゴミ回収当日の早朝に鍵を開けるか、前夜の夜半過ぎに開けるか、である。小生は丑三つ時頃に開けた。普段、その時間帯に就寝するので、どうせなら、床に就く前にと思ったのだ。…尤も、早朝に起きる自信がなかった、というのが正直なところかもしれない。
前稿「綱渡り師とオースターとクレーと(後篇その1)」にて引用した中で、小生の手によりイタリック表記 に変えている部分がある:
「では、なぜやったのか? ただひとつ、自分にできることによって世界を驚嘆させようという理由以外にはないと思う 」
この記述の含まれる節は転記を略したのだが、略した文中で、欠かせない件(くだり)がある。
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[本稿は、「綱渡り師とオースターとクレーと」の後篇。が、長くなりすぎたので、後篇も2つに分割してアップする。]
今日は、「今日4月1日はエイプリルフールの日。「四月馬鹿」とか時に「万愚節」とも言う」…のだが、この話題に付いては、「万愚節(ばんぐせつ)」で大よそのことを書いたので、敢えて小生如きが一石を投ずる愚はやめておく。
それより、四月をフルに活かしたいものである。
さて、本題へ。
「綱渡り師とオースターとクレーと(後篇その1)」
← 前篇で、「小生はパウル・クレーを纏まった形で見たのは1989年に新宿の伊勢丹美術館で没後50年記念ということで開催されたパウル・クレー展が初めてでした」と書いた旧稿を載せている。この画像は、その時の展覧会会場で買った「綱渡師」のプリントをデジカメ撮影したもの。今も我が部屋の壁面に健在。
ポール・オースターは、71年にフィリップ・プティという大道芸人を初めて見た。その時は一輪車や投げ物、手品などの芸を披露していた。
「舗道にはチョークで輪が描かれ、その内側に見物人を一人も入らせぬよう、説得力あるパントマイムで徹底させながら、獰猛なまでの烈しさと鋭い知性をこめてパフォーマンスを行なった。それは目の離しようがない芸だった」。「ほかの大道芸人と違って、彼は人に向かって演じなかった」などといった前段が縷々記された上で:
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