ラーメンの思い出からお袋の味のこと
帰郷してからは朝昼晩と、三食の食事の準備や片付けは小生の役割と決まっている。
36年ほど、富山を離れて暮らしていたが、何年か前までは盆や正月の帰省の折には、お袋の作ってくれた料理を食べることが出来た。
後片付けもお袋がしてくれていた。
家の内外の雑事は全て父や母が協力してやってきた。
← 家の周りの小花(コメント欄を参照のこと)。
それが、数年前、帰省してみたら、お袋は料理は作れる体ではなくなってしまっていた。
それどころか、お茶さえ、出してもらうのを待つしかない。
父母の二人暮らしなので、父が家の外の用事を果たしつつ、料理(や掃除)などをする。
父にしても老いているので、作るといっても、簡単なもの。ご飯に味噌汁…、そう、本当に具のほとんど入らない味噌汁と一品か二品、あとは父の好きな刺身。
買物だって、億劫なので父は余計なものは、知り合いの車で外出した折でない限り、買わないし買い置きしない。
そこへ帰省するわけだから、料理や買物などは暗黙の内に小生の役目となるわけである。
最後に母の料理を食べたのは、いつのことだったか。
別にその辺りのことを書いたわけではないのだが、関連しないでもない拙稿があったので、ブログに載せておく。
「ラーメンの思い出」ラーメン。日本人の多くはラーメン好きだし、ラーメンについての逸話の一つや二つは持っているだろう。
小生にしても、薀蓄を傾けるというのは無理だとしても、幾つかの思い出やラーメンへの格別な思い入れの念がある。その思い入れの念の一端を紹介したい。ガキの頃は、当然の如く家でお袋の作る食事を毎日、食べる。そのことのありがたさを、悲しいことにまるで気付くことなく、たまには店屋物を食べたいと願ったものだ。
そう、毎日、食卓に並ぶのは、家の庭で取れるなすびや玉葱やニンジンやジャガイモの類い。肉類はめったになくて、野菜以外というと、ニワトリ小屋で取ってきた卵くらいのものだった。
あとは、毎日のように軽トラックに魚を積んで回ってくる魚屋のあんちゃんから義理(小生は、お袋は仕方なく買っていたように思っていた。後になって考えると小生が魚など食べたくないものだから、勝手にそう見なしていただけなのだった)で買う魚が食卓に並ぶだけ。味噌汁も似たり寄ったりの具が入っている。
もう、お袋の作る食事は単調というか退屈で、食欲をそそらないのだった。
ほんのたまにお袋が田舎の法事に出かけたりすると、父が食事の用意をするはずなのだが、そこは阿吽の呼吸で、出前を取る。父にしても作るのが面倒なのだ。
但し、父の名誉のために言っておくと、父は、例えばおでんとか、特定の品目については腕に自信があったし、腕によりをかけて作ってくれたものだ(今は老いてしまって、全く作らない)。
ただ、食事全般となると父は厭なのだった。で、近所のラーメン屋さんに出前を取る。
そこは不味いので有名らしいのだが(下記注)、近所にはラーメン屋さんはそこしかないし、そこは田舎のこと、近所の誼で思い出したように注文するという事情もある。情ないことに小生には、その不味いはずの鶏がらスープのラーメンが大好きだったのだ。
めったに出前を食べられないということもあったのだろう。とにかく小生の遺伝子にラーメンの味はその店の味として染み込んでしまったのかもしれない。高校を卒業するまで、実際に食べたのは、ほんの数回だったかもしれない。出前というと、寿司のこともあったのだし。そもそも出前も外食もめったにないことだったし。
幾度か学校の帰りに立ち寄ったこともあった気がする。もう、年老いた主人が、自らラーメンを盆に載せて運んでくれたことを思い出す。
田舎を離れて早、三十年になるが、数年前の帰省の時、お袋も親父もいないので、つい、フラッとその店に入った。そこの店の主は代替わりしている。新しい主人は、小生が、あの三十数体のお地蔵さんの納まる小屋の前のガキだと分かっているのだろうか。さて、帰省の折、ふと思い立ってその懐かしいラーメン店にぶらっと立ち寄り、注文して出てきたラーメン。
スープの色合いや雰囲気が全く、あの当時のままだった。しかも、少しは外食で、方々のラーメンを食べてきた小生だが、やっぱり、その不味いはずのラーメンは小生にはうまかった。
うまいのは、懐かしさのせいなのか、本当は世評と違って本当においしいのか、小生には判断が付かない。とにかく、うまかったのだ。そしてうまいのは、年老いたお袋が体に鞭を打つようにして作ってくれる食事。もう、幾度、この先、食べられるか知れない。御飯と味噌汁と、ほんの一品か二品だけの、ガキの頃より遥かに簡素な食卓の風景。
もう、後がないのだ。
そうだ、うまいのは、時の移り変わりの残酷さを思い知ったからなのかもしれない。
あの先代の主人の作ったラーメンは二度と食べることができない。似たような味のラーメンは健在だけれど。ちょうどそのように、あとほんの何年かが経ったなら、お袋の作った味噌汁の一杯も食べれなくなるのだ。しかも、似たような味の味噌汁さえ、きっと食べることが叶わない。
食べることが、ただ、それだけのことが、こんなにも切ないとは、あのガキの頃の小生には想像も付かなかった。
そう、母の作ったものを食べられること、ただそれだけがありがたきことだし、今は母の作ったものは、何を食べても美味いと感じるのだ。
(02/07/19作)
→ 先日、雪吊り外しの話題を扱った。外した松は、その日の夜、風雨の襲来に遭う。それでも、気持ち良さそうだった。
(註):本文で不味いと評判のラーメン屋と書いているが、小生の勘違いのようだった。
何年か前、出前を取った際、父が出前では店先ほどには美味くないと言ったのを、小生が脈絡を忘れ、ただ「あの店のは不味い」と父が言っていたという点だけが脳裡にインプットされていたらしいのである。
あるいは知り合いの誰かが嫌いだと言ったのも影響していたのかもしれない。
そう、評判はどうであれ、小生はあの店のラーメンは好きだった。出前で普段とは違うものを食べられることが楽しみだったことを抜きにしても、美味かったのである。
さて、昨年帰郷し、今年になってやっと出前で、あるいはかの店でラーメンを食べる機会を持てるようになっている。
美味しい!
懐かしさも含め、とにかく美味しい!
(本稿アップに際し注記)
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コメント
こんばんわ。不順な天気がつづきますね。
房状の白い花は、名前を聞かれたら「えっ、これが…」といわれる花です。
その名は、アセビ。「馬酔花(あしび)」という短歌雑誌の名として、弥一さんにも親しい名だと思います。
投稿: かぐら川 | 2009/03/27 23:07
かぐら川さん
いつもながら、教えてくれて、ありがとう。
実は、とっても情けない話があります。
このアセビの画像(写真)を撮る直前、テレビでアセビの木(花)がちょっと紹介されていました。
おや、この花、我が家に咲いている! と気づき、庭に咲く可憐だけどやや地味なこの花(木)を撮ったのです。
夜になってこの日記を書いた際、名前を書こうとしたのですが、その際、せっかくだからネットで名称そのほかを確認しておこうと、調べました。
そこまではよかったのですが、愚かな我輩のこと、どこでどう勘違いしたのか、「アセビ」じゃなく「アケビ」という名称で検索。
当然ながら、浮上してきた木(花)の画像が、まるで変。テレビと(我が家の庭の木)と違う!
ココでもう一歩、冷静になれば良かったのですが、夜中のこととて、もう記憶を辿りなおす元気はなくなっていて、名称不明とさえ付記する気になれず、我が家の小花でチョン。
アセビ(馬酔木):
http://www.hana300.com/asebi0.html
情けないより自分が悲しくなります!
今日(金曜日)の天気みたいに陰鬱です。
投稿: やいっち | 2009/03/28 02:15