菊竹清訓…ヒトは海に還る?
フランク・シェッツィング著『知られざる宇宙 海の中のタイムトラベル』(鹿沼博史/訳、大月書店)を読んでいたら、菊竹清訓(きくたけ きよのり、1928年4月1日 - )氏(以下、敬称を略させていただきます)のことが称揚されていた。
→ 『海の宇宙ステーション シーオービター(Sea Orbiter)』(Illustration: Jacques Rougerie) (画像は、「Gemini - Research news from NTNU and SINTEF」より) 「海の宇宙ステーション:シーオービター」参照。
菊竹清訓については(も)、小生は知らない。
「菊竹清訓 - Wikipedia」を参照願いたい。
江戸東京博物館や日本万国博覧会のエキスポタワーや沖縄国際海洋博覧会のアクアポリスなどの建築家として知られている。
あるいは、南太平洋戦没者慰霊碑など戦没者慰霊碑でも有名かもしれない。
より専門的な知見をお持ちの方には、「1960年代後期から70年代にかけ、独自のデザイン論である『代謝建築論 か・かた・かたち』を掲げ、黒川紀章らとともに建築と都市の新陳代謝、循環更新システムによる建築の創造を図ろうとするメタボリズムを提唱する」といったことなど常識なのだろうか。
メタボリズムなど、誤解して、メタボ!ってことは、医学の分野でも活躍されているのか、メタボを提唱するなんて、時代に逆行しているのか、などと思ったりするやも知れない。
かの江戸東京博物館などの建築家だということで、一部の人を除き、大家と見なされているわりには、必ずしも評価は高くないように思える(実際は、どうか分からない。誤解の可能性も小さくはない)。
「菊竹清訓 愚か者か、カリスマか」といった評価が一般的なのか(← 断言は避ける)。
小生などは建築のことはイロハのイも知らないのだが、江戸東京博物館なる建物の外観も、実際に内外を歩き回っても、何処がいいのか、さっぱり分からなかった。
というより、なんだ、あれはー、であった。
フランク・シェッツィングの(上掲書に見られる)評価に意外の感を抱いたのは、小生だけではないようだ。といっても、小生よりずっと建築について(も)造詣が深いようだが:
「海に浮かぶか博物館 - あまでうす日記」
← 「江戸東京博物館」 (画像は、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
菊竹清訓は都市のユートピアの専門家だ。国際的に有名だが仕事ぶりには賛否の議論があるこの建築家は、メタボリストを名乗り自らの建築を誕生と成長という生命のサイクルに沿って構想する建築家たちのグループに属している。菊竹は、二〇〇万人まで住めるという海上都市の設計図を練り上げている。ハスがあの幻想的な小パーティーを楽しんだのと同じ年、彼は沖縄国際海洋博覧会にさいして海上にこの都市の原型をこしらえた。この <アクアポリス> は当時、独立した都市機能をもつ海洋構造物のリハーサルだと言われた。のちにこの島は、それに比べたらどんな海上石油掘削基地もヒルトンホテルに見えるくらいの、お世辞にも見ものとはいえないスクラップの山になったあげく、中国に曳航されて解体された。アクアポリス以来、この海上都市の父――菊竹はうやうやしくこう呼ばれている――はたえず、より深くより大規模なものを考えてきた。これらの構想はまったく日の目を見ていないが、そのなかには、高さ数百メートルのコンクリートの柱に支えられた大都市や、海面から二〇メートル上にある巨大なプラットフォームがある。また、海上に大きな箱を浮かべ、それを深海の海底山脈に係留するという構想もある。菊竹はたんに海に夢中になっているだけではない。彼が設計した江戸東京博物館はプラグマティストとしての作品だ――海岸からそう遠くないところにあるこの博物館は、高波が押し寄せたときには海面に浮かぶ箱舟のようになるつくりになっている。
窮屈な島国の典型的な申し子として、この空想家がさらに夢見ているのはリニア都市だ。これは東京と南日本の島・九州とを結ぶ一〇〇〇キロの細長い巨大都市で、海上に浮かぶ居住単位と空港とからなり、それらがもともとある島々に鋼鉄索でつなぎとめられる。都市は一区画ずつ、ひもを通した真珠のように一列に並んでいるので、人間や貨物は超電導磁気浮上鉄道がジェット機のようなスピードで端から端まで運ぶことになる。このリニア都市は一見したところ、水深二〇メートルに牧歌的な小都市をつくるよりはるかに空想的に見える。しかしじつはより現実的なのだ。ピチャピチャと音を立てて空想家たちの頭をよぎる海中での生活に対して、まじめに取り上げるべきもうひとつの選択肢が存在する。
すなわち、海上での生活だ。
菊竹はこうふりかえる――「一九五八年に、私が最初でしたが、浮体構造物の設計図を発表しました。日本では沿岸地帯にさまざまな工場や企業が数多く立地し、それが景観をそこね、しかも環境に有害な影響を与えていました。私はそのことに何か奇異な感じを抱いていたのです。当時私は、人間が陸上でよりよい環境を享受できるよう、工場や機械類を海上に移してしまうというのが、いいアイディアではないかと考えていました。私のもともとの着想はそういうものだったのです。しかしこの問題に取り組んでいくにつれて、私の考えは変わりはじめました。海が環境としていかに美しく完全なものであるかということに気づいたのです。そして私は、人間が海上で生活し、工場や商業施設は陸上に置いたままにするほうがよいのではないかと考えるようになりました。こうしたことが海上都市の私の最初の設計図の根拠になっているのです」 (p.558-60)
海。人間は陸地に付いては、かなりの地域を渉猟したといえるかもしれない。
一方、海に付いては、その表層は空からでも眺められるし、船旅でもすれば、かなりの範囲を眺められるし、観察もされてきた、という印象を持つ。
しかし、仮にそうなのだとしても、あくまで表層を眺めたに過ぎない。
沿岸部とか、船などで外洋に出れば、船の周辺は多少は分かっても、圧倒的大部分の海は未踏のままだということも知っておいていいのかもしれない。
まして水深数千メートル以上となると、まだまだ未知の生物が棲息しているという。
深海は真っ暗。ライトを照射しても限界がある。深海の生物は振動(音)や電磁波の動きの変化に敏感なので、深海探査艇が近付くと、恐らくはほとんどの生物が警戒して近付かないか、遠ざかってしまう(光の当たらない、死角部分から探査艇をしげしげと眺めているかもしれないが)。
人間は海から上がった生物たちの一種ではあるが、将来は(箱舟に乗って)海に戻る可能性もあるのだろうか。温暖化で地球環境(表層環境)が激変するのは、その前兆?
海に浮体構造物を浮かべて、その上で生活する!
→ 「アクアポリス」(模型)
江戸東京博物館も、「海岸からそう遠くないところにあるこの博物館は、高波が押し寄せたときには海面に浮かぶ箱舟のようになるつくりになっている」という前提で眺めたら、印象も建築物(構造物)としての評価もまるで違ってくる、のだろうか。
そうか、あれは、(高波でも来たなら)海上に浮かぶことになる(?)大きな箱…つまりは浮体構造物なのだ。
もしかして、現代(あるいは近い将来)版のノアの箱舟構想なのやもしれない。
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コメント
愛・地球博総合プロデューサーとしても有名だった菊竹清訓氏死去:
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2012010590132629.html
「昨年12月26日、東京都内の病院で心不全のために亡くなっ」ていたとか。
合掌!
投稿: やいっち | 2012/01/05 21:34