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2009/03/23

無為の谷底にて

 昨夜来の風雨がとうとう今日一日続いてしまった。
 日中、ちょっと凪めいた時間帯もあったのだが、雨も風も結局終日止まなかった。
 父は入院中なので、母と二人暮らし。

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→ 美達大和(ミタツヤマト)著『人を殺すとはどういうことか』(新潮社)

 土曜日までの暖かさが土曜日の夜からの風雨で吹き払われ、日中は石油ファンヒーターが疎ましいほどだったのが、また頼りがいのある存在に映る。
 特に母の部屋のストーブは、停止させるわけにいかない。
 安全のため、タイマーが付いているので、3時間で自動的に停止する。
 なので、日中もだが、特に夜も停止していないか注意を払っていないといけない。

 普段なら、父母の寝所とは一番、遠い部屋で寝起きするのだが、今は、廊下を挟んだ部屋で寝ている。

 夜の静けさの中、母が小生を呼びかけたりすると、その声が聞こえるように、すぐに駆けつけられるように、父が不在の今、自分の寝る部屋を替えているわけである。
 当然、石油ファンヒーターのタイマーが3時間のアラーム音(メロディ)を発すると聞こえてくる。
 真冬ほどに焦る必要もないが、年寄りには寒さは堪えるだろうし、早めに母の寝室に向かい、ストーブのスイッチを入れなおすわけである。

 が、昨夜は雨もだが、風も強かった。
 我が家は築五十年を何年も過ぎている。
 床も柱も傾いている(ように感じる)。実際、畳の部屋をうっかり歩くと、凸凹があるので健常な者でも与太ってしまう。
 細かなアンジュレーションに足元が覚束なくなるのである。

 そこへ強風である。家の内外のあちこちからギシギシという音が聞こえてくる。
 さらに昨夜は別の不安な要因が加わった。
 昨日の日記「早くも夏支度 ? !」で書いたが、これからの日差しの強さ対策として、日除けを、簾を我が部屋に設置したのだ。

 それはいいのだが、日が悪かった。その日の夜から風が吹き荒れる。
 なので、簾が風に煽られまくって、窓の桟や窓ガラスに当たって音がするし、音だけならまだしも、強風で簾が外れるのではという懸念におちおちゆっくり寝ていられない。

 簾の揺れることに起因する音やそもそも家の古さのゆえのギシギシ音が寝ている部屋にあっても、終夜、聞こえてくる。
 となると、母の部屋のストーブのアラーム音が掻き消される懸念が生じる。
 まあ、アラーム音は、スイッチをオンにして3時間という目安があるからいいのだが(その頃合にスイッチの入れなおしをすればいいわけである)、母が夜中にトイレで不始末をしたり、あるいは体調が悪くて小生を呼んでも、嵐に因る不穏な音に紛れてしまうやもしれない。
 母の部屋のストーブは点いているが、小生は真冬でもない今、暖房は敷布団の上の小さな電気ミニマットだけである。

 自分の部屋は可能な限り静かにしておくわけである。
 とにかく、寝ていても不安の種は尽きない。
 ちょっとした物音が胸騒ぎの種になる。

 日中もだが、夜も何かの音で目覚めると、母の様子を見に行き、何事もないことを確認すると、自室に戻り、寝なおす。
 すぐには眠れないし、図書館から借りてきた本を読み齧る。

 一昨日から、美達大和著の『人を殺すとはどういうことか』(新潮社)を読み出していて、人を殺すという体験を重ねた人の体験談や同じ刑務所の仲間との面談の話を読んでいる。
 新聞の書評で知って、読んでみたくなった。
 裁判員制度が始まって、いつ、自分がこうした重罪の人の裁判に立ち会うやもしれないし(でも、現況からすると、親の介護を理由に辞退する可能性が大である)、そもそもこういう話は関心が湧く。
 本書についての感想などは書かない。下記を参照願いたい:
人を殺すとはどういうことか 書評 本よみうり堂 YOMIURI ONLINE(読売新聞)

「著者は過去に二人を殺し、現在服役中の無期懲役囚で」、「本書は獄中にある彼本人から出版社に送られた手記をまとめたものだと」か。
「幼い頃から知能がずば抜けて高く、社会でも成功し、今も寸暇を惜しんで勉強に励むという著者は、「ひとごろし」というものへの私の勝手なイメージを悠然と覆す。豊富な語彙(ごい)と論理性を駆使し、随所に思想家や文学者の言葉を引用しながら、自らの殺人と、獄中で出会った殺人犯達の思考を丹念に解析する」とあるが、少なくとも著者は小生などよりはずっと秀才である。月に百冊の本を平気で読むし、雑誌も何十種類に目を通す。
 読むだけでなく、読みこなしている。頭に入っていると分かる。
 その意味で、平均より知能の劣る人が多いという犯罪者にあって、著者は例外的存在と思うべきだろう。

 彼は自らの信条で平気で当然の如く殺人の罪を犯したのである。
 刑務所で服役するまでは、被害者やその関係者への贖罪の意識はまるで湧かなかったというのだ。
 また、彼に拠ると、殺人で刑務所で服役する連中で改悛の情を持つものは稀だという。
 どんな場合でも悪いのは周囲であって、むしろ自分こそが被害者だという意識に凝り固まっているというのだ。
 そういう連中に殺される…。
 
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← 雪吊りを外し、身軽になったかのような松。風雨に翻弄されようと、自然がいい?

 すると、タイムリー(?)にも、下記の記事を今朝、目にすることに:
死刑の是非に議論殺到「死刑囚獄中ブログ」 ココログニュース:@nifty

「2007年11月に死刑が確定した小田島鉄男死刑囚(65)の獄中日記を掲載したブログのアクセス数が急増し、コメント欄で議論を呼んでいる」というもの。
 そのブログとは:
死刑囚獄中ブログ

 このブログの、例えば「死刑囚獄中ブログ 第203回 もっと別の道があった」という記事は、「嫌な夢の中から必死に逃げるような思いで目を覚まして、小便に起き、外を見ると明るくなっていた。布団に戻り,枕元に置いてあった本を読み始めて少し経った時、入口のドアが「ギシギシ」鳴り、上を向くと壁のフックに掛けてあった肌着が揺れ動くのが見え,地震だと分った。10秒位ゆっくりした横揺れが続いて終った」といった文で始まっている。

 この日記だと地震だが、小生の場合は風雨であり家のガタツキであり母の異変などなどで、そんな不安な、緊張に満ちた日々が延々と続く。
 この日記のコメント欄などずらずらと読むと興味深いだろう。

 それにしても、中には<人格者>もいるのだろうが、「“自首で無期”闇サイト殺人判決の是非 ココログニュース:@nifty」などに見られるような、こんな奴らに殺されるなんて、被害者(やその家族縁者)は浮かばれないし、怒りや憤懣の情のやり場がないだろう。

 死刑。無期。終身刑。
 どれをとっても、殺されたものの恨みや悲しみに引き合うはずもない。
 罪と罰。

 眠れぬ夜を、眠っていても物音に怯える夜を過ごす中、断続的に上掲書を読んで、とうとう、今朝、本書を読了してしまった。
 読み終えても、縺れてしまった糸が解けるはずもない。
 罪と罰とは男女のように雁字搦めだ。

 朝になると外は明るくなる。
 でも、風雨は一層、強まっている。
 家の中は薄暗い。
 先行きも真っ暗。
 せっかくの簾もバタバタになってしまった。
 何もかも元の木阿弥なのか…。
 
 そんな気分を吹き飛ばすように、布団を跳ね除け、起き上がり、着替えて、今日という一日を始めようとする。
 とにかくその日その日である。
 先のことは考えない。

 小窓を開けてトイレをしていたら、昨日、雪吊りを外した松が見えた。
 風雨に枝も葉も揺れている。
 でも、拘束着を脱いだようで、自由の風を満喫しているようにも感じる。
 風雪に耐えた松。
 翻弄されるがままの木。けれど、自然のもたらす恵みを享受するその裏返しでもある。

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→ このところ役者として活躍している薬師丸ひろ子だが、久しぶりにテレビ(NHK SONGS)で歌っているのを目にした。彼女の声が好き(写真はテレビ画像より)

 人が為したことで無為に終わることもあれば、そうでないこともある。
 自分が為すことだって、無為なばかりではないのだ…、そう思いたいものである。

 でも、あの松の枝葉や幹を見ていると、風に吹かれて揺れまくっているけれど、雪吊りなんて、最初から不要だったんだぜ、とでも言っているようにも見える。
 作為自体が無意味…。そこまでは思いたくない。
 人を殺すとは、己をも殺すことだと思いたいのだが、そう考えること自体、無為なのだろうか。
 意味と無意味の谷底深くで迷子になっている気分だ。


                                       (09/03/22 作)

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