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2009/03/31

綱渡り師とオースターとクレーと(前篇)

 小さなニュースを二つ。
 二口のガスコンロ。が、片方のスイッチが故障していて、一つのガスコンロしか使えなかった。
 それが、昨日(月曜日)、味噌汁の煮えるのを待つ間、何の気なしに壊れている(はずの)コンロのスイッチを押しおろしてみたら、なんと動く。動くだけじゃなく、ちゃんとガスに点火されるではないか。
 帰郷して間もない頃に不調になって、料理の献立も、味噌汁に限らず、煮物にしろ揚げ物にしろ、一つしか熱い(温かい)オカズを提供できなかったのが、これからは二品、出すことができる!

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→ 日の光を一杯に浴びて気持ち良さそうな姿は見ていて嬉しくなっちゃう。

 もう一つの小さなニュースは、富山で桜の開花宣言が出されたこと。
 残念ながら買物以外は外出できず、桜見物もできなかったが、気分的に軽くなったような気がする。

 桜の画像(写真)は載せられないが、代わりに我が家の庭の花の、日の光を一杯に浴びて気持ち良さそうな姿を見てもらう。

 さて、本題に入る。

 一昨日からポール・オースター著の『空腹の技法』(柴田元幸/畔柳和代訳 新潮社)を読み出している。
 本書を読んで、彼の小説を理解するには詩人としての彼への理解が不可欠に感じられ、詩的センスの欠片もない小生、ちょっと気落ちしている。

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← パウル・クレー『綱渡り師』 (画像は、「オールポスターズの綱渡り プリント - ポール・クレー」より)(この絵については本文参照)

 まあ、詩的センスが(も)ないこと自体は、自分にとって今更、何をかいわんや的事実なので、悲しい現実として受け止めているばかりだが、先月から読み続けているポール・オースター文学(小説)世界への自分の理解が行き届いたものにはなり得ないと思い知らされるとなると、どうにもならないこととはいえ、口惜しく思うばかりなのである。

 それはそれとして、本書を読んでいたら、綱渡り芸人の芸や人をパセティックに解く章に行き逢った。

 綱渡り芸は、テレビでならともかく、実際には見たことはない。
 高いところを上るというと、せいぜい、子供の頃、学校のジャングルジムや雲梯、鉄棒、平均台などの上を怖々登って歩いたり、スイスイ渡っていくのをひたすら感心しつつ眺めたことがあるばかりである。
 あるいは、何処かの崖や木に登ったはいいが、降りられなくて途方に暮れたりとか。
 
 ただ、そういったことだけじゃなく、綱渡り芸について、小説やアートということで、ちょっとメモしておきたいことがある。
 以下は9年ほど前に書いた、小生の旧稿からの転記:

 小生はパウル・クレーを纏まった形で見たのは1989年に新宿の伊勢丹美術館で没後50年記念ということで開催されたパウル・クレー展が初めてでした。単品では幾つかの展覧会に、例えば既に紹介した「パラレル・ビジョン」でも見る機会がありましたけど。ちなみにクレー展で見た作品の一つに「綱渡師」というリトグラフがあり、小生はその作品を着想の芽にして小説を書いたものでした。クレーには子供の世界に繋がるやわらかでしなやかな感覚がありますね。世界を初めて見る幼児の脅威に満ちていただろう感覚を生かしつつ、しかも狂気には陥らずに絶妙のバランスを保ちつつ天使の世界を描いた人だったと思います。

 こういったこともあるので、ポール・オースターが綱渡り芸人についてどのように書いているか、一方ならぬ関心を抱きつつ読み進めていった。

 ちなみに、上掲の転記文中に、「小生はその作品を着想の芽にして小説を書いたものでした」とある。
 その作品とは、『浮遊領域』(『化石の夢』所収)である。ほとんど「綱渡り」という題名に言及しているだけだが、イメージ的には、随分と摂取させてもらった気でいた。

 また、新宿伊勢丹美術館でのパウル・クレー展で、いろいろ感じるところがあった中、「綱渡師」なるリトグラフ作品のポスターを購入し、その後の二度の引越しや帰郷で蔵書も含め、堆積していた私物の大半を喪失するか廃棄処分した中、サバイバルし、我が部屋の壁面に貼っている。

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→ ヴォルフガング・ケルステン/著『クレー《大はしゃぎ》 芸術家としての実存の寓意』(池田 祐子/訳 三元社) 「第二次世界大戦勃発後スイスに亡命したクレーは、自分の芸術の目的について自問した。そして彼は綱渡り師という象徴を拠り所とし、この作品を制作する。歴史に対峙し狼狽しつつも、自らの芸術家としての展開を想起する過程にその答えは存在した」といった内容だとか。


 せっかくなので、部分的にでも本書から関連する項の転記を試みる。

                                   (後篇へ)

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