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2009/03/25

国見弥一という名前について

 WBCで日本が優勝し2大会連覇を果たしたこの佳き日、久々にペンネームである国見弥一という名前を使う機会に恵まれた。

 奇特にも小生の拙著を所望する方が現れたのである。
 今年、二人目。
 まあ、拙著がどんな内容のものか、知らないからこそ出来した椿事であろう。

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→ 国見弥一著『フェイド・アウト』(文芸社)

 せっかくなので、自己紹介を兼ねて、ほぼ5年前に書いた「国見弥一という名前について」という雑文に脚光を浴びさせてみる。
 戯作調であり自虐的でもあって、ほとんど駄文というか、まさに雑文と呼ぶしかない代物である(しかも未完!)。
 めったに読まれる文章ではないようだが、こういう機会でないと自分でも読み返さない。

 多少、錆びついているというか、黴が生えているようで、根腐れの気味さえ窺えるようなのだが、まあ、日光浴というか日干ししてみようというわけである。
 

国見弥一という名前について」(04/03/27 記)

 国見弥一という名前の由来について、簡単に説明などを行っておきたい。というのは、どうしてそんな名前なのですか、と聞かれることがたまにあるのだが、いちいち説明して回るのも面倒なので、やはりHPできちんと講釈しておくのが筋だろうと思われるのである。

 が、しかし、その前に、まず、名前の読み方について一言、断っておきたい。この名前を呼称するのに、とんでもない誤読をされる方がいたりする。この「国見弥一」という姓名を、「国見弥」と「」に分け、姓を「くにみや」と読み、名を「はじめ」と読んで、小生を「くにみやはじめ」と呼ぶ人がいる。

 そこまでなら許せるのだが(いや、間違いは間違いなのだ!)、なかには、姓と名を「国見弥」と「」に分けて、姓を「こっけいや」と読み、名を「はじめ」と読み、小生を「こっけいやはじめ」とか、ひどいのになると、「はじめちゃん」、などと呼ぶ人もいるのだ。

 失礼極まる話である。名前くらいは、ちゃんと読んで欲しい。
 ちゃんと読んで欲しいって、「ちゃん!」と読んで欲しいという意味ではない。それでは、大五郎になってしまう。そうではなく、きちんと呼んで欲しいということである。

 よって、ここに正式に本人によって注釈を入れておく。姓は「国見」名は「弥一」であり、それぞれに「くにみ」「やいち」と読む。つまり、「国見弥一」は「くにみやいち」と読むのだ。
 小生が、あちこちの掲示板に名前を書き入れる際、敢えて「弥一」としているのも、「国見」と「弥一」とに分かれるということを人様に徹底させるという深謀遠慮があってのことなのである。

 さて、では、国見弥一という名前の由来である。
 これは、小生の親によって付けられた名前ではない。小生自身が我が身に冠した栄えある名前である。つまり、小生自身が我が身の、じゃない、我が名の生みの親なのである。自身が我が身の生みの親だったら、大変である。近親相姦の極致を行くことになる。尤も、近い将来はありえる話だというから(もしかしたら既に現実の話になっている?!)、怖い世の中になったものである。

 ということでやっと本題に入れる。
 小生と馴染みになっていただいておられる方は、既に多少は御存知かもしれない。小生の名前は、数字の「92381」に由来する。この数字を単純且つ素直に「クニミヤイチ」と置き換えているだけのことである。

 問題は、ここからであって、この「クニミヤイチ」を漢字に変換するに当って、まず、これらの数字を何処で区切るかが問題になった。つまり、「923」と「81」か、「9238」と「」のどちらにするかで、多少、迷ったのである。
 が、迷った時は、初心というかこれらの数字が使われる契機に戻れ、ということで、やはり「923」「81」とするのがいいと思ったわけである。

 これらの数字をできるだけ素直に漢字に変えようと、あれこれ試行錯誤したのだった。今から思えば、何も数字を漢字に置き換える必要があるのか、敢えて数字のままでもよかったのでは、という可能性も考えられたのだったが、漢字への思い入れなどがあり、また、数字の列挙では、到底、名前とは思ってもらえないだろうと、漢字を当て嵌めることに決めたのだ。

 では、「923」「81」のそれぞれにどんな漢字を宛がったらいいのか。
 そうだ、その前に、「9238」と「」とに区切る可能性を探った時には、漢字の候補として、姓は「くにみや」なので、「国宮」とか「邦宮」などを、名は、「」なので、「イチ」では、あまりなので、「はじめ」と読むことにし、「」あるいは「」などを考えたものだった。勿論、没に終わったのだが。
 さて、では、「923」「81」のそれぞれにどんな漢字を宛がったらいいのか。「923」には、それなりの候補が列挙された。というのも、「くにみ」とも読めるが、「くにさ」とも読める。更に、若干、余分な要素が加わるが、「くにさき」でも構わないのではとも思った。

 ということで、「邦美」「国見」「邦実」「国東」などが候補として並んだのである。このうち、「国東」は、由緒もあり、棄て難い名前(地名)ではあったし、「9231」ならば、「国東」でもありだったが、早々と消去させてもらった。

 残る候補でどれがいいか(実は、後年、「くつみ」という読みの可能性があることに気付いた。確か日航機で事件を起こした人物の姓の読みが「くつみ」か「くづみ」だったような気がする。が、名前を決定する段階では、悲しいかな思い浮かばず、従って選択肢になるはずもなかった)。正直なところ、決め手になる判断の根拠は何もなかった。せいぜい言えるのは、好悪の感覚であって、なんとなく、「国見」がよかろうということで、国見と相成ったわけである。

 名のほうであるが、「81」なので、「はい」「やい」「やいち」「やっち」といった読み方も模索していたという秘話をここに披露しておく。が、やはり、「やいち」と読むのが素直であることに異論は少なかろうと思う。「やいち」と読むとして、漢字はどうするか。これは、あまり悩まなかった。結構、すんなり、「弥一」に決めることが出来た。
 このような経緯があって、「くにみやいち」であり、「国見弥一」なのである。この決定に際して、姓名判断とか字数の類いは一切、参考にしなかった。

 ん? 何か忘れてはしませんかって。
 何? そもそも「92381」という数字に拘る理由は何かって?

 そんな! それを言いたくないから、思いっきり、回り道してきたのに。でも、ここまで読んでくれた方へのお礼とお詫びの意味を込めて、簡単に触れておきたい。
                                        (以下、略

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← 我が家の庭の小花。24日、撮影。

参考:
「KY」現象のこと少々
『フェイド・アウト』から十年
ようこそ! 国見弥一の部屋へ

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