「香西と久世と無言坂」から6年!
今日3月2日は 演出家・脚本家(『時間ですよ』などで知られる)で小説家の久世光彦(くぜ てるひこ、1935年4月19日 - 2006年3月2日)さんの命日である。
← 日曜日、草むしりに没頭。少しは綺麗になった畑に水仙を3株、追加し6株にした。比較的見晴らしのいい場所。人も花も観られて華になる ? !
といっても、今、気づいた(思い出した)ので、この日にあわせて何かを読むといった準備もしていない。
彼が脚本を書いたドラマ『時間ですよ』は、結構、見ていた。
だけど、彼の名前は見聞きしていても、ドラマの制作などに関わっているという意識は当時は余りなかった。
むしろ、彼が小説を書くようになって、へえー、小説家に転身したんだ、くらいの認識。
彼が富山にゆかりのある人物だと気づいたのも、ほんの数年前、小説を読む機会を持ってからようやくだった(だが、実は…)。
たとえば、「土屋輝雄・久世光彦・高島野十郎…」(2006/03/06)なんて表題の小文がある。
そこでは、下記のように書いている:
久世光彦氏に付いては、特に作家としての久世氏については全く未知で無知なので、小説を借りるか随筆を借りるかで迷った。借り出した『怖い絵』は「ビアズリーの〈サロメ〉、乱歩の〈陰獣〉の挿し絵を画いた竹中英太郎、ベックリンの〈死の島〉、生涯〈蝋燭〉を描きつづけた高島野十郎―。テレビ界の鬼才が、数々の絵との出逢いと、〈ヰタ・セクスアリス〉を綾糸のように織りなした妖かしの世界」ということで、絵の好きな小生だから、入りやすいかもという魂胆もあっての選択。
迷ったのは同氏の『一九三四年冬―乱歩』(新潮社刊。新潮文庫所収)と『怖い絵』のどちらにするか。
「昭和九年冬、江戸川乱歩はスランプに陥り、麻布の「張ホテル」に身を隠した。時に乱歩四十歳。滞在中の探偵小説マニアの人妻や、謎めいた美貌の中国人青年に心乱されながらも、乱歩はこの世のものとは思えぬエロティシズムにあふれた短編「梔子姫」を書き始めた―。乱歩以上に乱歩らしく濃密で妖しい作中作を織り込み、昭和初期の時代の匂いをリアルに描いた」というんだもの、乱歩好きな小生、惑うし迷っちゃうよね。
この文脈からして察せられるように乱歩には短編「梔子姫」はない!
実は密かに、『触れもせで―向田邦子との二十年』(講談社)を探していたけれど、見つからなかった。ま、楽しみは寝て待つか。
それにしても、 「柔肌の熱き血潮に触れもみで 淋しからずや道を説く君」と女に言われる男は根性なしなのだろうか。男は(やせ)我慢が命か。
要するに3年前は同氏については、ドラマの脚本家であり、向田邦子さんとのコンビは有名だ、くらいのことしか知らなかったわけである。
やっと、富山にゆかりのある人物と認識したかどうか。
いずれにしろ、迷った挙句、小説『怖い絵』を借りた。
→ 畑の際から夕刻の空を撮る。もう、六時を回っているのに、まだ暮れきっていない。
その際、下記のような雑文を綴っている:
「久世光彦著『怖い絵』の周辺」(2006/03/14)
この日記を読んで気づいたのだが、小生、久世氏については、一等最初に「久世光彦氏が死去」(2006/03/02!)という訃報記事を書いていたのだ。
このとき初めて、「富山出身ではないが(?)富山高校卒ということで、小生にとっては先輩ということになる」と気づいたわけだ。
あまりに遅い。全くのすれ違いだ。
虎は死して皮を残すというが、久世氏は死して訃報記事を小生に読ませる機会を与えてくれたわけである。
そして、いい作家を知ることができたのだ。
ご丁寧にも、「久世光彦著『怖い絵』の周辺(続)」(2006/03/16)なども書いている。
その冒頭には、早くも「すっかり彼の文章のファンになってしまった」と書く始末。
波長が合ったようである。
ただ、自分に書評を書くような能などないことを十分自覚していて、あくまで周辺をウロウロしているだけ。
絵が好きで、上掲の小説『怖い絵』に何枚かの絵が挿入されていて、このことも、彼をお気に入りにさせる要因でもあったようだ。
好きになりだすと、縁も深まるようで、小生の好きな演歌歌手・香西かおりさんとの縁につながるというラッキーに恵まれた。
その辺りのことを書いた拙稿が、「無言坂…早く昔になればいい」である。
で、ここでまたまた小生の愚かしさに気づかされる。
この「無言坂…早く昔になればいい」なる小文の中で引用しているのだが、小生は、「香西と久世と無言坂」(03/08/14)というまさに、ど真ん中を書いている拙稿が「久世光彦氏が死去」(2006/03/02!)なる記事を書く3年も前に書いていたのだ。
彼の周辺は大よそのことは調べていた!
最後には、「とにかく小生の好きな歌手・香西かおりの「無言坂」の歌詞が久世光彦の手になるものであり、しかも、氏が富山に居住していた若い頃の風景にちなむのだということを知っただけでも、なんだか嬉しい。これからはこの曲を新たな気分で聴くことになるに違いない」とさえ、書いている。
そう、この小文を踏まえた上で、新たな知見を付記しつつ、ブログ記事「香西と久世と無言坂」(03/08/14)を作ったわけである。
→ 台所の勝手口を出た内庭から夕方の空を撮る。月影清かだったけど、上手く撮れない!
悲しいことに、「無言坂 - Wikipedia」によると、「歌詞の「無言坂」は、久世が幼少の頃過ごした富山県富山市五艘の坂をモチーフにしたものといわれている」と知ったにも関わらず、いまだ、当該の坂を散策していないこと。
この記事を書いた頃は東京在住だったというエクスキューズがあったが、小生は今は富山市在住。
機会はないとは言えない!
(09/03/02未明作)
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コメント
そうですね。きょう、というか、きのうというか、3月2日、桃の節句の前日は久世さんの命日です。
久世さんのプロダクション「カノックス」にいたA君――ある時、偶然知り合った人ですが――は、師の命日をどうして過したのでしょうか。
「無言坂」の“一つの”モデルは、たしかに富山市五艘地区の坂ですが、どうもいくつかのイメージの混成のような気がしています。
投稿: かぐら川 | 2009/03/03 01:28
かぐら川さん
久世さんを身近に知る人には一層、命日は感懐深いものがあるでしょうね。
小生も(やや)同郷のよしみがありますし、同窓(先輩)でもあるし、それ以上に小説など作品を読んで好きになったので、殊更、日記で採り上げておきたくなったのです。
小説は、何らかのモデル(人物や地名、場所)はあったとしても、当然ながら脚色は少なからずされているものと思います。
語り手自身も含め。
そのうち、読み直してみたいと思っています。
投稿: やいっち | 2009/03/03 14:04