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2009/03/31

綱渡り師とオースターとクレーと(前篇)

 小さなニュースを二つ。
 二口のガスコンロ。が、片方のスイッチが故障していて、一つのガスコンロしか使えなかった。
 それが、昨日(月曜日)、味噌汁の煮えるのを待つ間、何の気なしに壊れている(はずの)コンロのスイッチを押しおろしてみたら、なんと動く。動くだけじゃなく、ちゃんとガスに点火されるではないか。
 帰郷して間もない頃に不調になって、料理の献立も、味噌汁に限らず、煮物にしろ揚げ物にしろ、一つしか熱い(温かい)オカズを提供できなかったのが、これからは二品、出すことができる!

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→ 日の光を一杯に浴びて気持ち良さそうな姿は見ていて嬉しくなっちゃう。

 もう一つの小さなニュースは、富山で桜の開花宣言が出されたこと。
 残念ながら買物以外は外出できず、桜見物もできなかったが、気分的に軽くなったような気がする。

 桜の画像(写真)は載せられないが、代わりに我が家の庭の花の、日の光を一杯に浴びて気持ち良さそうな姿を見てもらう。

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2009/03/30

地中の鉱石だったとき

 数日前の日記「風雲急を告げるも波穏やか?」に書いたように、昨日からポール・オースター著の『空腹の技法』(柴田元幸/畔柳和代訳 新潮社)を読み始めている。

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← メルロ = ポンティは、「植物界がこの世に生まれ出た日のように」というけれど…(本稿末尾を参照)

 内容の説明によると、「カフカ、ベケット、ジャベス、マラルメ、アメリカとフランスの現代詩…エッセイでも評論でも小説でもない、あたかも書きながら、新しいジャンルが生み出されていくかのような独特な文章で綴られた文学遍歴、書くこと読むことについての真摯な技法。そしてデビュー後、その半生をめぐるインタビュー4本が伝える小説家オースター誕生の軌跡」といった本で、なかなか刺激的。

 それはいいが、ちょっとショックなことも。

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2009/03/29

歌うネアンデルタール

 スティーヴン・ミズン著の『歌うネアンデルタール』(熊谷 淳子(訳) 早川書房)を読了した。
 副題が、「音楽と言語から見るヒトの進化」で、「人間はいつから、なんのために歌い始めたのか? 人類の進化と音楽の思いもよらぬ深い繋がりを解き明かす」といった本。
 人類の歴史(進化)を辿るのに、言語がキーになるのは素人なりに分からないでもない。

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→ スティーヴン・ミズン著『歌うネアンデルタール』(熊谷 淳子(訳) 早川書房)

 人類を特徴付ける大きな要素として直立歩行とか道具の使用とか体毛とかあれこれあっても、その中に言語を遡上に載せないわけにいかない。
 が、言語の誕生の歴史(進化)を辿ろうとすると、その起源や原点がどういう発声(吼え声とか鳴き声)だったのかがどうしても気になる。

 が、言語が人間を特徴付けるとしたら、その前に、もっと人間の根底を、それこそ感情のレベルから揺さぶる文化的要素として音楽を持ち出さないのは、考えてみたら不思議なことであろう。

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2009/03/28

キャベツの花を咲かせよう ? !

[この日記を書いて、不安になったので、今朝、改めて畑に行ってみた。案の定だった。キャベツの花じゃなくて、白菜の花だった:「白菜の花
 要するに、昨年の九月末に植えた白菜の苗が、育ったはいいけど、そのまま放置され、やがていつしか収穫の時期を過ぎ、薹が立って、花が咲き始めた白菜というわけである。
 セイヨウカラシナかセイヨウアブラナという話も。
 表題を変えようかとも考えたが、恥をさらす意味もあり、変えないことにした。(09/03/28記)]

 昨日は、春の甲子園に向けての我が富山県の代表校・富山商業が沖縄の興南に延長で勝って、39年ぶりの選抜での勝利を得たという朗報が富山を賑わした。
 富山にパッと花が咲いたということで、花の話題を今日は書きたい。

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← 遠目には菜の花畑に見える…。

キャベツの花を咲かせよう ? !

 先日来、畑に黄色い花が咲き出している。
 一見すると菜の花のよう。
 遠目には、菜の花畑に見えたりする。

 が、小生は菜の花の種など蒔いた覚えはない。

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2009/03/27

風雲急を告げるも波穏やか?

 日中の、父母との、掛け替えのない、けれど、時に辛気臭くもある、綺麗事も感傷もこれまでの自分の世界(の中の神経網)も見事なまでにズタズタに引き裂かれ、想像力の翼の骨がひしゃげてしまうばかりの中、そんな日常に釣り合って余りあるオースターの筋金入りの文体に、辛うじて創作の心の余命を保てているような気がする。

 そう、ポール・オースターのことである。

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→ 25日(水)の夕方近くの空。いかにも風雲急を告げるかのような空模様で、翌日は雨が雪になり、かと思うと晴れてみたり、春の気まぐれな空を思い知らされた。そんな中、病院と家とを往復したり、母のための訪問入浴を試したり、父の退院の見通しが付いたり、変化の少なからぬ日でもあった。

 二週間ほど前の日記「「トゥルー・ストーリーズ」へ!」で書いているが、小生は今、ポール・オースターがマイブーム。
 この日記を書いた時点で、四冊目のオースター本を手にしていた。

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「日記抄」へ

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[以下の一文は、ホントに日記なのか?]

日記抄

 その地獄では、同じ場面が繰り返された。ある男(自分?)の脛(すね)の肉が殺ぎ落とされる。血が噴出す。肉片が何処かへ行ってしまう。男は、取り戻そうと駆け出すのだが、炎熱に阻まれて追うことは侭ならない。
 が、気が付くと、男の眼前に肉片が転がっているので、男は慌てて肉片を拾い、脛にあてがって元の状態に戻す…のだが、またまた誰かの手により(それとも鋭い刃によって)殺がれてしまい、血が噴出し、男は肉片を追おうとする…。そんな繰り返しだった。

「日記抄」つづき

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2009/03/26

ラーメンの思い出からお袋の味のこと

 帰郷してからは朝昼晩と、三食の食事の準備や片付けは小生の役割と決まっている。
 36年ほど、富山を離れて暮らしていたが、何年か前までは盆や正月の帰省の折には、お袋の作ってくれた料理を食べることが出来た。

 後片付けもお袋がしてくれていた。
 家の内外の雑事は全て父や母が協力してやってきた。

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← 家の周りの小花(コメント欄を参照のこと)

 それが、数年前、帰省してみたら、お袋は料理は作れる体ではなくなってしまっていた。
 それどころか、お茶さえ、出してもらうのを待つしかない。

 父母の二人暮らしなので、父が家の外の用事を果たしつつ、料理(や掃除)などをする。
 父にしても老いているので、作るといっても、簡単なもの。ご飯に味噌汁…、そう、本当に具のほとんど入らない味噌汁と一品か二品、あとは父の好きな刺身。
 買物だって、億劫なので父は余計なものは、知り合いの車で外出した折でない限り、買わないし買い置きしない。

 そこへ帰省するわけだから、料理や買物などは暗黙の内に小生の役目となるわけである。
 最後に母の料理を食べたのは、いつのことだったか。
 
 別にその辺りのことを書いたわけではないのだが、関連しないでもない拙稿があったので、ブログに載せておく。

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2009/03/25

国見弥一という名前について

 WBCで日本が優勝し2大会連覇を果たしたこの佳き日、久々にペンネームである国見弥一という名前を使う機会に恵まれた。

 奇特にも小生の拙著を所望する方が現れたのである。
 今年、二人目。
 まあ、拙著がどんな内容のものか、知らないからこそ出来した椿事であろう。

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→ 国見弥一著『フェイド・アウト』(文芸社)

 せっかくなので、自己紹介を兼ねて、ほぼ5年前に書いた「国見弥一という名前について」という雑文に脚光を浴びさせてみる。
 戯作調であり自虐的でもあって、ほとんど駄文というか、まさに雑文と呼ぶしかない代物である(しかも未完!)。
 めったに読まれる文章ではないようだが、こういう機会でないと自分でも読み返さない。

 多少、錆びついているというか、黴が生えているようで、根腐れの気味さえ窺えるようなのだが、まあ、日光浴というか日干ししてみようというわけである。
 

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2009/03/24

「無花粉スギ」大量生産技術を確立だって

asahi.com(朝日新聞社):花粉症にさよなら? 「無花粉スギ」大量生産技術を確立」といったニュースが過日(2009年2月17日)、報道された。
 地味なニュースで 世の花粉症に悩む多くの方には非常な関心事のはずだが、全国的にどれほど話題になったか分からない。

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← 昨年、脚立や梯子の上に登り、杉の巨木の枝を数本、切り落とした。これは脚立の上から、伐採した杉の枝を眺め降ろした光景。

 けれど、花粉症に悩まされる人や杉(花粉)の発生地など関係者には耳寄りなニュースだろう。
 花粉症に悩まされる方は国内に二千万人はいると言われるだけに、朗報には間違いない。

 既に知っている人も多いだろうけど、我が家にも杉の巨木が数本あって、近所の手前、気兼ねしているだけに、スギ花粉の話題は関心事であり、メモだけでもしておきたい。

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2009/03/23

無為の谷底にて

 昨夜来の風雨がとうとう今日一日続いてしまった。
 日中、ちょっと凪めいた時間帯もあったのだが、雨も風も結局終日止まなかった。
 父は入院中なので、母と二人暮らし。

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→ 美達大和(ミタツヤマト)著『人を殺すとはどういうことか』(新潮社)

 土曜日までの暖かさが土曜日の夜からの風雨で吹き払われ、日中は石油ファンヒーターが疎ましいほどだったのが、また頼りがいのある存在に映る。
 特に母の部屋のストーブは、停止させるわけにいかない。
 安全のため、タイマーが付いているので、3時間で自動的に停止する。
 なので、日中もだが、特に夜も停止していないか注意を払っていないといけない。

 普段なら、父母の寝所とは一番、遠い部屋で寝起きするのだが、今は、廊下を挟んだ部屋で寝ている。

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2009/03/22

早くも夏支度 ? !

 気が早いというか、昨年夏の暑さに懲りたというべきか、今日、小生の居住する部屋の窓に日よけを取り付けた。
 そう、我が部屋には朝日は差し込まない代わり、西日がきつい。日中も容赦ない日差しに苦しめられる。

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← これってウグイス? 鳴き声は日々、聞こえるけど姿が見えなかった。やっと撮影に成功したと思っていい?

 一方、冬の寒さは、厚着と石油ファンヒーターで何とか乗り切ったが、暑さ対策は課題のままである。
 昨年の夏、エアコンを買おうかという話がなかったわけではないが、何しろ貧乏暮らしの我が家だし、自分さえ暑さを我慢すればいい、それより乏しいおカネは新しいテレビを買う足しにすればいいと思ったのだ。
 買って何年になるテレビなのか分からないが、画面が真っ暗で、カラーテレビのはずが、ほとんど白黒テレビの状態だった。
 小生などは新しいテレビが欲しいとは思わなかったし、画質へのこだわりはないのだが、父母、特に母の弱視を思うと、テレビをこの際、デジタル対応のものに変更しようと思ったのだ。
 
 それはまあいいとして、エアコンはお預けとなった。
 昨年も、夏は簾(すだれ)を窓の外に垂らして少しでも西日を和らげようと足掻いたものだった。

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2009/03/21

今年もインコの季節?

 今年もインコの季節、という表題にしようと思ったけれど、今ひとつ、見かけたのがインコなのかどうか覚束なくて、表題の最後に「?」を付すしかない。
 木曜日だったか、野暮用で近所のドラッグストアーへ自転車を駆って買物に行ったら、その道すがら、ある知り合いの家の塀の上や植え込みに十羽近くの鳥たちを見かけた。

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→ マスコットキャラクターの「利長くん」 「利長くん(としなが-)は、2009年9月13日に開町400年を迎える、富山県高岡市の開町400周年記念マスコットキャラクター。モデルは加賀藩2代目藩主前田利長」であり、「2009年2月から仮想国家「立山連邦王国」の初代大統領に就任している」! (画像は、テレビのニュース「立山連邦・建国1ヶ月会見」画像から)

 ヒヨドリよりは小さい。ツバメほどの大きさ。
 色合いは、羽も含め全体的に白っぽくて頭部は黒っぽい。
 昨年の二月だったかに見かけたインコたちと同じ群れだろうか。
 ただ、昨年はもっと水彩絵具の明るい水色といったふうで色鮮やかだった。

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2009/03/20

「雑草をめぐる雑想」再び

 富山は昨日、25度以上と早くも夏日を記録した。今日にしても、暑いくらい。父のお見舞いなどの用事があって、車で外出しようとしたが、昨日の黄砂で汚れきっているし、車中は熱気でムンムンする。
 車内の熱を逃がすためと、汚れを落とすため、洗車の真似事などして、三十分ほどしてようやく出発。
 冬の寒さも辛いが、いざ、五月どころか六月の陽気を体で実感すると、ああ、自分の体力では冬より夏が辛いのだと、つくづく感じさせられる。

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← 今週になって一気に咲いた。夕闇の迫る頃になってもその黄色の花は一層、際立つから不思議。昨年、帰郷早々、雑草と共にまだ花の咲いていなかった芽を無闇に毟って、今はほんのわずか咲く…。

 春の陽気となると、脳裡を巡るのは、雑草のこと。
 昨年もさんざん手こずったが、今年も悪戦苦闘の日々が待っている。

 …というより、既に始まっていて、二月に早々と庭や畑の周辺に除草剤を撒布した。さすがに撒布した辺りの雑草は生え具合が遅いようだし、僅かに生えている雑草も、青々ではなく、黄色っぽい。
 といっても、畑の内部や庭でも木々の立っている周辺は除草剤のお世話になるわけにいかない。

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2009/03/19

菊竹清訓…ヒトは海に還る?

 フランク・シェッツィング著『知られざる宇宙 海の中のタイムトラベル』(鹿沼博史/訳、大月書店)を読んでいたら、菊竹清訓(きくたけ きよのり、1928年4月1日 - )氏(以下、敬称を略させていただきます)のことが称揚されていた。

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→ 『海の宇宙ステーション シーオービター(Sea Orbiter)』(Illustration: Jacques Rougerie) (画像は、「Gemini - Research news from NTNU and SINTEF」より) 「海の宇宙ステーション:シーオービター」参照。

 菊竹清訓については(も)、小生は知らない。
菊竹清訓 - Wikipedia」を参照願いたい。
 江戸東京博物館や日本万国博覧会のエキスポタワーや沖縄国際海洋博覧会のアクアポリスなどの建築家として知られている。
 あるいは、南太平洋戦没者慰霊碑など戦没者慰霊碑でも有名かもしれない。
 
 より専門的な知見をお持ちの方には、「1960年代後期から70年代にかけ、独自のデザイン論である『代謝建築論 か・かた・かたち』を掲げ、黒川紀章らとともに建築と都市の新陳代謝、循環更新システムによる建築の創造を図ろうとするメタボリズムを提唱する」といったことなど常識なのだろうか。

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2009/03/18

『白鯨』と『復讐する海』と(後篇)

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← 部屋の中にいても聞こえてくる旅客機の轟音。神通川上空を遡上しつつある。窓を開け、機影を撮ってみる。まだ、一度しか乗ったことがない。翌日の今日(火曜日)は、春らしい陽気。父は入院中、母はリハビリ施設へ行って、夕方近くまで帰らないので、小生はしばし一人ぼっち。昼間、久しぶりに歩いて近所のラーメン屋さんへ。プロの作るラーメンはやはり美味しい。ささやかな贅沢?

 以下、フランク・シェッツィング著『知られざる宇宙 海の中のタイムトラベル』(鹿沼博史/訳、大月書店)から、関連する記事を抜粋する形で、その陰鬱なる話の概要を紹介する。

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2009/03/17

『白鯨』と『復讐する海』と(前篇)

(一年ほど前に読んだばかりなのになぜか)再読している最中の、フランク・シェッツィング著『知られざる宇宙 海の中のタイムトラベル』(鹿沼博史/訳、大月書店)の中に、ハーマン・メルヴィルの書いた大作『白鯨』に関連する話が載っている。

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→ ナサニエル・フィルブリック著『復讐する海 捕鯨船エセックス号の悲劇』(相原真理子訳 集英社)

 ハーマン・メルヴィルの『白鯨』では、悲運の老船長エイハブの捕鯨船に白鯨(モビー・ディック)が体当たりを食らわせ、乗組員もろとも海に沈めてしまった、というあたりで話が終っている。
 しかし、この小説にはモデルとなった悲劇的な事故があり、しかも、捕鯨船の沈没も悲劇だが、生き残った乗組員のその後の運命も一層、過酷且つ悲惨なものだった。

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2009/03/16

脱輪騒動から花束を届けるまでのエトセトラ(後篇)

 その家の、母と同じリハビリ施設に通っている方は、母と仲がいいし、施設へも同じ車で通っている。
 だからだろうか、毎年、春になるとチューリップの花束を贈ってくれる。
 昨年の二月末に小生は帰郷したのだが、それから間もない三月の十日頃だったか、チューリップの花束を貰ったことは覚えている。

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→ 大相撲春場所(初日)が始まった(画像は、テレビ画面より)。朝青龍も白鵬も磐石な内容。その直前のこのCMが話題になる朝青龍。ところで、小生、驚いた。今、我輩の中で夜中にファンタを呑みつつ、駄菓子やカップラーメンを食べるのがマイブーム。体に悪いと思うんだけど、ストレスに負けそうなの。脂肪でストレスに勝てるとは思えないのだが。

 小生が花瓶に生けて、最初は茶の間に、どうやら暖かい部屋だとすぐに咲き誇るけど、すぐに萎れてしまうらしいので、翌日からは玄関に飾ったのだ。

 つい先日、戴いたチューリップの花束については、既にブログでもその素晴らしい花束を花瓶に入れ、玄関に飾った状態を写真で紹介している。

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2009/03/15

脱輪騒動から花束を届けるまでのエトセトラ(前篇)

 多分、記憶している限りでは、初めて脱輪を経験した。
 それも自宅の門前で。
 門前といっても、別に門があるわけではない。
 まあ、梅の木などが車(など)の出入り口に立っているので、門の辺りと自称しているだけ。

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← リハビリ施設での仲間から母へのプレゼント(詳細は、本文にて)。

 そこは変則的なT字路が二つ重なっている(略図を下記する)。
 まず、最初のT字路でバックする、ついで、自宅の門で(そこもT字路モドキになっているので)バックしつつ、自宅の庭へ入っていくわけである。
 最初のT字路の際、よそ様の塀や道路に沿って走る水溝に注意しないといけない。
 ギリギリ塀際により過ぎると、水溝に車が嵌まってしまう。

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2009/03/14

母のことなど…今後の方針

 夕方から春の嵐。
 風雨が凄い。
 夕方、父のお見舞いに行くのを取りやめた。

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→ 昨日(木曜日)の朝の空。風雲、急を告げているかのよう。

 そんな風雨の中、夕方近く、母がデイケアセンターから帰ってきた。

 茶の間の椅子にどっと腰を落とした瞬間、母は、お父さん、何処、行ったがけ、と訊く。

 一瞬、戸惑う。

 父の入院のことは、何度も話題にしたし、母の目の前で父の入院の準備をしている。
 父も母に入院の話をしている…はずだ。

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2009/03/13

「トゥルー・ストーリーズ」へ!

 確か新聞の書評で採り上げられているのを見て借り出したポール・オースター著の『幻影の書』(柴田 元幸訳 新潮社)に魅了され一気読み。

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← 仲村トオル主演『偶然の音楽』(世田谷パブリックシアター 既に公演は終了している) 最近、仲村トオルが主演の土曜ワイド劇場『刑事殺し』を観たが、年輪を重ね、いい味を出していた。『あぶない刑事』の初々しさとは大違いだった。

 この本の返却と交換に図書館の書庫にあった『ムーン・パレス』(柴田 元幸訳 新潮社)を借り、やはり一気読み(実際には、家庭の雑事の合間を縫ってだが)。

 二冊目も期待が裏切られることなく、読む手を止められないまま、頁がドンドン進んで行く。
 二冊目を返却と同時に三冊目として、『偶然の音楽』(柴田 元幸訳 新潮社)を借りる。

 これまた、読ませる!

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2009/03/12

生きている限りコガネムシ

 このところ、金色付いている。
水入らずの団欒?」とか「ドキュメント 脱糞だ!」とか。
 一読すれば分かるように、金色といっても、まあ、こげ茶というか土の色を呈するあれというか、茶褐色のあの代物のこと(色合い)である。

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→ 富山出身の宝塚(歌劇団)星組の若手男役スターである麻尋しゅん(まひろ しゅん)さんが、「My dear New Orleans/ア ビヤント」東京宝塚劇場公演千秋楽(4月26日)で退団予定というニュースをやっていた。近年、主役を射止めてきただけに、惜しい! 一度は舞台で見たかったなー。画像は、テレビのニュース映像から。

 断っておくが、決して黄金のことじゃない。尾崎紅葉の『金色夜叉』とか三島由紀夫の『金閣寺』の「金」とか、谷崎潤一郎の作で、自身の全集に収めるのを拒んだ、が、三島によって失敗作と談じられつつも、三島が復活させた(と言われる)『金色の死』の「金色」でもない。

 ついでなので、蛇足と思いつつ、拙稿から同じ系統(?)の小文を紹介しておく。
金色の庵」である。

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← 気忙しい日々の合間をぬって、夕方近く、自転車を駆って数日ぶりに銭湯へ。ちょっとした息抜き。今日(水)は天気雪が降ったりした。

 気がつけば、もう5年も前に作ったことになる。
 決して気まぐれに創作したものではないのだが、今、読み返してみると、なんだか身につまされそうな話。
 人は土から生まれ土に帰るというが、人間に限らず生き物は、生きている限り黄金虫(こがねむし)なのだと、日々つくづくしみじみ痛感している。


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2009/03/11

東京が遠い!

 一昨年の秋の拙稿「トゥールーズ=ロートレック……世界は踊るよ!」(2007/11/15)の冒頭で、「今年の夏前、梅雨真っ盛りの頃、「誰も皆踊る姿にしびれます」と題した雑文を書いた」と書いている。

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トゥールーズ=ロートレック……世界は踊るよ!」を書いた頃は、あとほんの二週間ほどのち、突如、帰郷が決まるなんて、夢にも思っていなかった。
 個人タクシー免許の取得に向けて頑張っていた頃であり、月に一度、ベリーダンスのショー(ライブ)を観に行く楽しみを持ち始めた時期でもあった。

 ベリーダンサーの方でファンになった人がいたのである(というか、ダンサーの方に一目惚れしたのだが)。
 帰郷して一年が過ぎたが、未だに富山でベリーダンスやサンバに変わる楽しみを見出せないで居る。
 息抜きの時をまるで持てない。

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 読書や音楽、美術鑑賞もいいのだが、ライブでダンスを観たい!

 けれど、ああ、東京が遠い!

 自分が潰れてしまわないためにも、何か楽しみを見つけないと。
 あるいは、(片想いでいいから)誰か惚れる人に出会うとか。
 やはり、恋する相手が居ないとダメみたい。

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2009/03/10

「ドキュメント 脱糞だ!」へ

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→ 雑事を片づけてお見舞いに。その帰り、親水公園に立ち寄り、車中で遅い昼食を食べた。この環水公園へは、いつか、また、のんびり来たいもの。

 昨日、トイレでの粗相の話をした。
 書き上げてみて、そういえば、自分もクソッという思いを抱かされたことがあったと思い出した。旧稿だが、懐かしいのでブログにアップする。

 ただ、一つ、言えることがある。
 それは、副題(旧題)に「我が生涯最悪の日」とあるが、決してその日が最悪ではなかったということ。凡愚の小生だけど、人生、いろいろある!


ドキュメント 脱糞だ!」へ!
(旧タイトル:痔物語、あるいは、我が生涯最悪の日)

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2009/03/09

「水入らずの団欒?」のこと

 昨夜、「水入らずの団欒?」を書いた。

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 数日前の、「春の雪 静かなる家などに比べても、一層、愚痴っぽく、且つ家庭内事情に関わる話なので、基本的に日記であるにも関わらず、異例だが虚構(創作)の館(ブログ)たる「壺中方丈庵」にてアップした。
 写真日記などは歴然たる日記である。

 モノローグ風の小文「影遊び…断片3」や虚構作品(断片)の「雪の朝(断片)」共々読んでもらえたらと思う。

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2009/03/08

カプラン著『ゼロの博物誌』と「蜘蛛のいる風呂場」と

 ロバート・カプラン著の『ゼロの博物誌』(松浦俊輔 訳 河出書房新社)を読んだ。
 ゼロを巡る本というと、チャールズ・サイフェ著の『異端の数 ゼロ』(林 大訳、早川書房)以来かもしれない:
ロゴスって言葉? 光? 尺?『異端の数 ゼロ』をめぐって

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→ ロバート・カプラン著『ゼロの博物誌』(松浦俊輔 訳 河出書房新社)

 意外な、と書くと僭越だし著者に失礼かもしれないが、とにかく掘り出し物の本だった。

 ゼロ(零)を巡る本というと、「ロゴスって言葉? 光? 尺?『異端の数 ゼロ』をめぐって」でも言及しているが、一昔前はよく読まれた(今も?)吉田 洋一著の『零の発見―数学の生い立ち』(岩波新書)などもある。

 中学か高校の頃に読んだ。数学などそのセンスの欠片もないのだが、中学から高校の途中に懸けてまでは(高3の夏に理系から文系(哲学)に転向したあとも)好きな学問というと数学が筆頭だった(今も!)。
 小生の中の英雄(将来、なりたい仕事)というと、小学生の頃は漫画家だったが、中学二年になってほんの一時期だが、数学者になっていた。

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2009/03/07

春の雪 静かなる家(後半)

 とはいっても、小生、これでも長男である。

 何もかもが無視されるのは、やはり気に障る。
 父母が体力的に限界を感じて億劫になり、本来やるべきことを(言葉が悪いが)ええい、もういいわいと放置することも増えている。

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← 外に春の雪の降るように、家の中にも寒々としたものが舞っているような気がする。

 自分が悪者になって、こうしなきゃダメ、これはサボっちゃダメと、ちょっと口うるさく振舞うようになりつつある。
 特に父には、うざく思われても、仕方がない。
 頼り甲斐のない小生だが、できるだけのことはしないといけない。

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2009/03/06

春の雪 静かなる家(前半)

 今年は暖冬で、一番積もった時でも傘寿センチどころか二十センチもあったかどうか。
 先月末に雪が降り、これで雪も降り納めかと思ったら、今月になっても雪。
 といっても、チラホラ小雪の舞うだけで、夜中に外を眺めたら車や松などが薄っすら雪化粧していたが、それも、朝の日にあっさり溶けてしまった。

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← 映画『チーム・バチスタの栄光』をテレビ(録画)で観た。なかなか面白かった。「映画『チーム・バチスタの栄光』公式サイト」 相変わらず夜中はテレビで映画である。

「春の雪」と聞くと、人によっては数年前に封切りとなった映画(行定勲監督)を思い浮かべる人も居るだろうし、小説好きの方なら三島由紀夫の『豊饒の海(一)』を真っ先に連想するのかもしれない。
 三島由紀夫ワールドの嫌いな小生は、三島というと文庫本に入っている『仮面の告白』、『禁色』、『潮騒』、『金閣寺』などくらいは読んだが、多分、最後に読んだのは高校時代か大学生担った頃で、ほとんど関心の外だった。

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2009/03/05

「ボクの猫」へ

 この頃、妙な夢を見る。
 いい年をした私が、何故かあの頃のボクになっている。大人になってしまった今の私のような、幼かったあの頃のオレのような、宙ぶらりんな自分が、長いような、短いような旅をする。

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 夢の中のボクは子供なのか五十路となった大人なのか、自分でも分からない。
 きっと、私は何歳になってもボクなのだろう。

 旅…といっても、迷子になった<ボク>が彷徨っているだけなんだけど、夢の中のボクにとっては心の旅に違いない。

 その夢には何故か、必ず猫が登場する。
 それが一番、私には不思議だ。私には猫に絡む思い出などない。猫を飼ったこともない。
 なのに、どうして猫が現れるのか。


ボクの猫 続き

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2009/03/04

断片その2

 世界は揺れ動いている。
 世界中が連動している。
 世界が一つのコップの中にあると思えてならぬ。
 広い世界のどこかの出来事は対岸の火事と座視していればよかったのが、今じゃ、どんな遠くの国の出来事も波の大小はあっても、必ず何らかの波動がやってくる。

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 何処かの山奥の小さな湖に小石を投げ入れる。
 ポチャンと音がする。小さな波紋が生じ、やがて幾つもの丸い波紋が連なり、それが大きな輪へと広がっていくうちに波の山も谷も湖の緩やかに湾曲する面に吸収され消えていく。

 かつてはそうだった。けれど、今は、波の動きは誰かが見ており、誰かを直撃し、誰かを慄(おのの)かせ、その慄きは携帯の電波に乗って遥か彼方の誰かに伝わり、尾ひれが付き、事件となってしまう。

断片その2 続き

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2009/03/03

ヒヨドリから「富山と義経、そして平家伝説…」へ

[以下の拙稿は二月一日に書いたもの(本文の旧稿は除く)だが、アップしそびれていた。一ヶ月以上も経っちゃった。今日は母に続いて父も不調で、病院嫌い(医者嫌い)の父をようやく説得し、病院で受診。それはいいけど、小生、付き添いなどで風邪を引いたみたいで、頭が痛いし、体が憂い。夕方、寝込んでいたが、今からも寝る。誰にも世話になるわけにいかず、ただただ我慢である。(3月3日、アップに際し付記)]

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→ テレビCMの一場面。天才バカボン! 懐かしい。漫画が連載されていた同時代に好きで読んでたっけ。天才バカボンの居宅は、東京都新宿区中落合。小生が上京した最初の居住地が新宿区西落合。何か因縁でもあるのだろうか。まあ、我が人生は漫画チックではあるが!

ヒヨドリから「富山と義経、そして平家伝説…」へ

 この冬の寒い最中、家の庭や近所の畑や柿の木などにスズメやカラスなどと共にヒヨドリがよく飛来する。
 餌を啄ばみ、あるいは探し求めてキョロキョロする光景がほぼ毎日、見ることができる。
 ヒヨドリと書いたが、その名前を知ったのはつい最近のことである
 それまでは名前不詳の鳥だった。
 つい先日は、リクエスト(…小生の願望に応えてか)内庭で数メートルのところでの撮影にも成功した

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2009/03/02

「香西と久世と無言坂」から6年!

 今日3月2日は 演出家・脚本家(『時間ですよ』などで知られる)で小説家の久世光彦(くぜ てるひこ、1935年4月19日 - 2006年3月2日)さんの命日である。

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← 日曜日、草むしりに没頭。少しは綺麗になった畑に水仙を3株、追加し6株にした。比較的見晴らしのいい場所。人も花も観られて華になる ? !

 といっても、今、気づいた(思い出した)ので、この日にあわせて何かを読むといった準備もしていない。
 彼が脚本を書いたドラマ『時間ですよ』は、結構、見ていた。
 だけど、彼の名前は見聞きしていても、ドラマの制作などに関わっているという意識は当時は余りなかった。
 むしろ、彼が小説を書くようになって、へえー、小説家に転身したんだ、くらいの認識。
 彼が富山にゆかりのある人物だと気づいたのも、ほんの数年前、小説を読む機会を持ってからようやくだった(だが、実は…)。

 たとえば、「土屋輝雄・久世光彦・高島野十郎…」(2006/03/06)なんて表題の小文がある。

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2009/03/01

縄文サンバにカエルコールに(後篇)

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→ 「Make-a-Flake」(A snowflake maker by Barkley Interactive)なるお遊びソフトで作ったネット上の切り絵。模様(絵の形)に意味はない。思い通りにならなかったりするが、なかなか面白い。

 田川ミメイさんのサイト(「sleepwalking@田川ミメイWeblogMook」)で、「Make-a-Flake」(A snowflake maker by Barkley Interactive)なるソフトの存在を知った。

 使い方などは、「2005年01月11日 - sleepwalking@田川ミメイWeblogMook」へ!

 ネット(PC画面)上で切り絵をやって、その完成品も画像で確かめられるというもの。
 画面上の台紙を画面上のハサミで切るのだが、そのチョキチョキって音がいかにも紙を切るような感じを覚えさせ、形の意外性もあり、やっていくと嵌まりそう。

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← これも、「Make-a-Flake」(A snowflake maker by Barkley Interactive)なるお遊びソフトで作ったネット上の切り絵。マウスで画面上のハサミを動かすのだが、慣れないとなかなか思い通りには動いてくれない。でも、数個、作っただけでまだ気分は楽しげ…のようだが、なかなか難しさを思い知らされる。

 秋や冬の夜長にはこの遊びは、持って来いかもしれない。

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