碧梧桐忌…寒明忌
ある記事で2月1日、つまり今日が「寒明忌」だとあった。
「かんあけき」と読むらしい。
寒明……寒が明けた日……忌日。
まるでピンと来ない。
← 東京在住の時、最後の8年に渡って使っていたマグカップ(と同型のもの)。父母らが上京した際(かの曙関が当時の新高輪プリンスで結婚した年に買った。そのホテルで食事しようとしたら、披露宴に多くの人たちが次々にやってくるのだった)、高輪・泉岳寺の門前にある小さな土産物店にて小生が買ったら、母(父?)も真似して買った。小生のものは、数年前、落として取っ手が剥がれてしまった。それでも、愛着があって、取っ手をアロンアルファでくっ付け、使い続けたのだ(「無精庵投句の細道駄句拾遺」参照)が、昨年の帰郷(引越し)の際に、他の家庭用品などと共に廃棄してきた。…でも、郷里には母(それとも父)が買っていた同じものが全く手付かずのまま安泰。普段は、父母らと同じような形の湯呑み(ぐい飲み)を使っているが、一人でのんびりする時は…一人暮らしの時の習性だろうか、このカップを使ってしまう。夜半、父母の咳(しわぶ)く声など寝所の襖越しに聞きながら、一人、このカップを手に静かな時を過ごす。
襖戸や父母のしわぶく冬の夜
だが、そのサイトの文面には「碧梧桐忌,寒明忌」とある。
1行下には、「俳人・河東碧梧桐の1937(昭和12)年の忌日」とも。
ということは、「寒明忌」とは、「碧梧桐忌」のことであり、つまりは、河東碧梧桐(かわひがし へきごどう)の忌日のようである。
冬のせいか、それとも、これが小生の通常の調子なのか、これだけのことに気付くのに、結構、手間取ってしまう。
河東碧梧桐には、「桜活けた花屑の中から一枝拾ふ」といった句がある(「四国いしぶみ物語 河東碧梧桐」より。他の句の数々は下記する)。
小生、河東碧梧桐の句集も彼についての評論(伝記)の類いも読んだことがない。
せっかくなので、ちょっとだけメモしてみる。
下手な紹介より、同氏の句や文章をまずはネットで読みたいという方は下記へ:
「河東碧梧桐 「三千里」」
さて、彼の営為の周辺を見てみる。
「河東碧梧桐 - Wikipedia」によると、「河東碧梧桐(かわひがし へきごとう、明治6年(1873年)2月26日 - 昭和12年(1937年)2月1日)は、日本の俳人・随筆家」とある。
忌日はともかく、誕生日が小生と同じだ(誕生年はさすがに違う。これで忌日の年が同じだったらミステリーだ)。
妙なもので、誕生日が同じというだけで親近感が湧いてしまう。
相手にすればいい迷惑だろうが、まあ、故人なので文句も付けようがないだろう。
→ 河東 碧梧桐 (著)『子規を語る』(岩波文庫) 「出版社/著者からの内容紹介」によると、「幼い日の出会いから,文学の,そして人生の先輩として敬愛しつづけた「のぼさん」の思い出を,豊富な書簡をまじえて多角的に語る.高浜虚子を始め新海非風,五百木飄亭ら同郷の若者たちとの交流が生き生きと浮かび上がる,明治の青春記.「付録」には,家庭での子規の姿を語る母と妹の聞き書き等を収録する.(解説=平出隆)」だとか。(画像や情報は、「Amazon.co.jp: 通販」より)
「愛媛県温泉郡千船町(現・松山市千舟町)にて松山藩士で藩校・明教館の教授であった河東坤(号・静渓)の五男として生まれ」、「明治22年(1889年)、帰郷した正岡子規に野球を教わったことがきっかけで、同級生の高浜虚子を誘い子規より俳句を学ぶ」とある。
以後、「明治35年(1902年)に子規が没すると、新聞『日本』俳句欄の選者を子規より受け継ぐ。明治38年(1905年)頃より従来の五七五調の形にとらわれない新傾向俳句に走り始め」…に始まり、「昭和8年(1933年)3月25日、還暦祝賀会の席上で俳壇からの引退を表明」するに至るまで紆余曲折の人生を送っている。
「碧梧桐と虚子は子規門下の双璧と謳われたが、守旧派として伝統的な五七五調を擁護する虚子と激しく対立し」、「新傾向俳句から更に進んだ定型や季題にとらわれず生活感情を自由に詠い込む自由律俳句誌『層雲』を主宰する荻原井泉水と行動を共にした」が、やがて「層雲を去」り、「碧梧桐はその年の3月、俳誌『海紅』を主宰。更にこれも中塚一碧楼に譲る」とある。
「子規は、碧梧桐と虚子のについて、「虚子は熱き事火の如し、碧梧桐は冷やかなる事氷の如し」と評した」というが、常に独自の境を求め突っ走ってしまう心性の方なのか。
自分が運動の輪の中心でいないと気がすまない?
この辺り、小生の勉強不足で消息(情報)が足りない。
いずれにしても、正岡子規はもとより、高浜虚子より影が薄いような気がするが小生の気のせいかもしれない。
実際、小生に限っては、夏目漱石や正岡子規、高浜虚子らの書籍は読んだことがあるが、河東碧梧桐の本は(多分)全く、読んだことがない(はず)。
「河東碧梧桐 - Wikipedia」や「近現代俳句まとめ - 河東碧梧桐」などに載っている「代表句」を詠んでみる:
蕎麦白き道すがらなり観音寺赤い椿白い椿と落ちにけり
春寒し水田の上の根なし雲
牡蠣殻や磯に久しき岩一つ
相撲乗せし便船のなど時化(しけ)となり
雪チラチラ岩手颪(おろし)にならで止む
ミモーザを活けて一日留守にしたベットの白く
曳かれる牛が辻でずっと見回した秋空だ
網から投げ出された太刀魚が躍つて砂を噛んだ
ひるの酒さめて戻る土筆のあれば土筆つむ
「日誌>2.1 河東碧梧桐忌 きのふはけふのものがたり」など参照。
自由律俳句かどうかは別にして、「定型や季題にとらわれず生活感情を自由に詠い込む」営為というのは、俳句の世界に多少なりとも足を踏み入れたものは、一度は誘惑に駆られる試みではなかろうか。
また、試みた人も少なからず居るのでは。
ただ、それが俳句と呼べるものなのかどうかは別問題なのかもしれない。
ただそれでも、それが詩ではなく、俳句でこそ詠み込まれるべき世界が描かれているというだけのことなのか。
寒明忌指折り数える春の音 (や)
参考:
「河東碧梧桐全集紹介頁」(前頭芋)
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