日記と創作の間に宙吊り
今年に入ってからだろうか、時折、日記の延長としての、創作未満の雑文を綴るようになってきた。
日記というには、やや難がある。
事実に基づいた記録ではないし、また、事実云々に関わらないその日の思いを心に浮かぶ徒然に気まぐれに書いたというものではない。
が、日記に綴る事実ということを心のある種の琴線にまで、心の髄をまで抉って描き示すことであるというのなら、その日の心の叫びとしての日記であると言えそうな気がする。
一方、外から見て傍証や裏書きの取れる、そんな客観的な事実からは離れていることも否みようがない。
では、創作?
否。虚構しようという何らかの自覚的な意識があるわけでもない。
やはり、広い意味での日記と思うしかない。
帰郷して心が一層、渇いてしまったような気がする。
何が原因とかは関係なく、茫漠とした、いい知れぬ境を彷徨っている、惑っている。
もう、通常の日記では綴りようがない。それゆえの現象なのだろうか。
創作する気力も減退して久しい。
今、日記と創作の間に宙吊りになっている。
仮に創作しようと思い立っても、日記という滑走路から離陸しきれず、どこぞの河原か川にでも突っこんでしまったというような。
例えば、正月に書いた「初夢」は、訳の分からない言葉を羅列しているようだが、その実、ほぼ毎朝の心境を赤裸々に描こうと試みた(けれど、結局は挫折に終わった)虚構崩れの小文である。
これまた正月(…正確に言えば大晦日の延長で、気が付いたら年が明けていたに過ぎないのだが)に書いた「雪の轍(わだち)」も、中味は、ある雪の日に買物に行き、用を済ませて帰ったというだけの、何の変哲もない<日記>である。
実際にこんなことがあったとかどうとかとは無縁の世界。
にもかかわらず、ある意味、通常の日記以上に日記と呼ぶべき一文なのだ。
今日の午前にアップした「お地蔵さんは黙っている」も、ある日の幻想、三十三体居並ぶお地蔵さんのお堂を前にしての、脳裏に渦巻く瞑想・妄想で、頭の中に事実かどうか確認されていない話の断片が渦巻いている、その心の中のごった煮の現象を描いている、とでも言うべき代物。
この傾向は、あるいは昨年十一月末に書いた「信号待ち」辺りから目立ち始めた現象のような気がする。
ふむ。なんだか支離滅裂だ。
もしかして今の自分がそうなのだと言いたいだけなのかもしれない。
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