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2009/02/10

読書以前のつまらない話

 図書館で予約した本でちょっとしたトラブル(…まではいかないけど)があった。

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← サイモン・シン著『宇宙創成 上』 (青木 薫訳 新潮文庫) この本を借りようとした…のだが。

 予約したのは、サイモン・シン著の『宇宙創成 上』 (青木 薫訳 新潮文庫)である。

 予約した本が届いてます、という電話があったのは昨日(日曜日)。
 早速、今日(月曜日)、時間を作って図書館へ、いそいそと。
(予約した本は他に1冊、合計3冊なのだが、その本(第60回読売文学賞受賞の岡田温司氏の『フロイトのイタリア』平凡社)のことは、話の流れに関係ないので紹介は略す。)

 カウンターで、「予約した本が届いたと連絡を貰ったのですが…」と告げ、貸し出しカードを渡す。
 早速、テーブルに出してくれて、小生、その3冊を現認し、透明なビニール袋へ詰めた。
 そう、小生、目で予約した本だと確認している。

 …のだが、あれ? 変だな、とも感じていた。
 何処か見たことがある本だぞ…。

 もしや読んだことのある本…?

 本の題名も、表紙や装丁も、いつぞやつくづく眺めたような気がする…。

 まさか?

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→ サイモン・シン著の『宇宙創成  下』 (青木 薫訳 新潮文庫)

 だって、先週の読売朝刊(日曜版)の書評欄に載っていたので、早速、その翌日、予約したのではなかったか。
 書評欄に書評が載るのは新刊のはずだし、本が刊行されて多少は時間を要するのだとしても、せいぜい数ヶ月、出版より遅いくらいだろう。

 書評では、今月、出た本になっている(はずだったのだが…)。
 そんな本を、書店で購入することなど皆無な小生が読めるはずもない。
 
 ちょっと心配になって、透明なバッグに詰める際、本の奥付けを覗いてみたら、06年の刊行になっている。
 この時点で、いくらなんでも、変だぞ? じゃなく、変だ! と思わないとならないはずなのに、そこがそれ、小生のこと、図書館の人を絶対的に信頼しているし、変なのは小生の頭のほうだと、自分に言い聞かせ、深く考えることなく、そのまま帰宅。

 今、読みかけの本があるし、他に買物や用事もあるし、予約した本が手に入った以上は、長居は無用である。

 今日は曇天で、せいぜい時折薄日が差す天気。
 何処かの公園に立ち寄って持参のデジカメで撮影するという気にもならない。

 帰宅し、本をペラペラ捲ってみる。
 やっぱり、読んだ記憶がある。
 刊行の日付も06年で間違いない。

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← サイモン・シン著『ビッグバン宇宙論 上』(青木 薫訳  新潮社) 実際に貸してくれたのはこの本だった…。

 改めて、机の上にある、借りようと思った本をメモしたメモ用紙を探し出し、確かめてみる。
 あああ、やっぱり、題名が違うじゃん!

 図書館の人、間違えた本を貸し出したんだ。
 メモ用紙を見ながら予約したんだから、小生が題名を間違えて予約するはずがない。
 この前の明らかな図書館の司書さんのミスに引き続くトラブル!

 小生、がっかりと怒りの念とですぐに携帯で電話した。
 ああ、携帯での電話代が掛かる。
 家には固定電話があるんだけど、父が抱え込んで放さないので、小生は長距離であろうと、長電話であろうと、携帯電話を使うしかないのだ。
 出前を予約するのも携帯。
 

 小生、こう見えて(どう見えている?)気が小さいし、一応は馬齢も重ねている、自分に非がないと自信がある場合であっても、どうなんでしょうと、ご意見を伺うような語調。

「あの、予約した本と違う本を借りてきたようなんですが…」
 窓口の人と、若干の遣り取り。
 
 あれこれ電話の応対してくれた女性がこちらの話を丁寧に聞き、調べてくれて、ようやく分かったこと。
「あの、お貸しした本は、以前、出た本の改装版なんです。だから、予約した本と中味は同じなんです」云々。
(言葉遣いなどは幾分、違う。)

 小生、暫し、頭の中が混乱。
 改装版だって。

 まあ、以前、出た本が改装されて出るってことはありえる。
 でも、解せないのは、中味が基本的に変わっていないのなら、何故、今頃、書評が出るか。
 新聞の書評って、新刊本のはずじゃないの?

 脳裏を懸命に掻き削って、閃いた…というか、思い出した。
 新刊本の書評じゃなく、図書欄ではあるけど、誰かの最近、こんな本を読んで感激したという話なのだ。
 その欄で新しい本として紹介されていて、その際、その本が新しい題名だけ、示されていて、その方はその文庫本を初めて読まれて感激されたに過ぎないのだ。

 小生はというと、サイモン・シンというサイエンスライターのファン。
 彼の新刊本には飛びつく(といっても、貧乏なので本は買えない。借りるしかない)。


 電話で事情が分かったので、「分かりました。調べてみます」と大人しく引き下がる。


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→ サイモン・シン著『ビッグバン宇宙論 下』(青木 薫訳 新潮社)

 そもそも、小生が借りたかったのは、サイモン・シンの『宇宙創成』(新潮文庫)である。
 でも、図書館側が貸し出したのは、同じサイモン・シンだが、『ビッグバン宇宙論』なのである。
 同じ本だから、いいじゃないか、『宇宙創成』(新潮文庫)のほうは二月に出たばかりで、まだ所蔵となっていないし、少しでも早くと気を利かせて(←推測)用意してくれたのだろう(か)。

 その好意(善意)や融通の利かせ方は良しとする。

 だとしても、窓口で貸し出す際、一言、題名は違いますが、新刊の本は改装版で、この06年に出た『ビッグバン宇宙論』と同じですからって、断ってくれたら、混乱はしなかったのだ。
 あるいは、図書館側としては、そんなことは分かった上でこちらも借りていると思っていたのか、それとも、貸し出す際に、そういう事情を説明すべき(メモが付せられていたの)だったが、忘れてしまったのか

 
 小生、同じ本を二度、読むのは別に嫌いじゃない。
 サイモン・シンの本なら繰り返し読んでもいい。
 でも、それは時間的な余裕のある場合だし、本当に座右の書としたい本の場合に限る(オリヴァー・サックスの『タングステンおじさん』のように、刊行されてからの僅か数年で四回という本だってある)。

 今は、他に読みかけの本があるし(ポール・オースター/著の『幻影の書』)、他に予約している本や予約しようと思っている本もある。
 今は、二年余り前に読んだばかりの本を、いくら好きなサイモン・シンの本であろうと、読み返す暇などないのである。

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← ポール・オースター/著『幻影の書』(柴田元幸/訳 新潮社) 彼の本を読むのは初めてだが、ストーリー展開や語り口の上手さ、気の利いた会話に感嘆するばかり。

 まあ、冷静になって考えてみると、図書館の貸し出しの窓口の方も不親切だとは思うけれど、一番の混乱の原因は小生の記憶力の悪さ(と、新刊だけど改装版だという事実の調査不足)にあるのだと思うしかない。

『ビッグバン宇宙論』を読んだ際、結構、面白くて一気に読んだんだし(小生の場合、本は買ったものであろうと、借りたものであろうと、必ず手製のカバーを被せて読むので、本の装丁を眺めるのは、借りた時と、読み終え、紙のカバーをはずしたとき、そして返却の時に限られる。
 つまり、数日を費やして読んでいる最中は、本の表紙は全く、見ることがないのである。

 でも、そんなことは言い訳にならない。
 読み終えた後は、返却まで机の上に置いてあるんだし…。

 ホントにつまらない、読書そのものとは関係ない話なのだった。

                                      (09/02/09 作)


後日談…というより翌日談
 図書館から電話があった。予約した本を用意した担当者だという。
 本文で推測していたように(イタリック体の部分)、貸し出し希望は『宇宙創成』だが、実際に貸したのは『ビッグバン宇宙論』。両者は内容的に同じもの、といったメモ書きを予約した本に付しておいたのだが、窓口のものがメモを見落としたらしく(あるいは、読むのをサボったのか)、借り手(つまり小生)にその旨、説明しなかった。その結果、混乱を生じさせることになった。申し訳ない旨の話だった(02/10 記)。

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コメント

ポール・オースターは私も大好きな作家です。
『シティ・オヴ・グラス』(角川文庫)、『幽霊たち』(新潮文庫)、『鍵のかかった部屋』(白水Uブックス)のN.Y.三部作や、『リヴァイアサン』(新潮文庫)がお薦めです。
『幻影の書』、読んでみますね。

投稿: 滝野 | 2009/02/11 22:42

滝野さん

ポール・オースター、名前は知っていたのですが、読んだのはこの『幻影の書』が初めて。
訳も良くて、感服しました。
こういう作家の本を読むと、あまりに見事で逆に創作意欲が萎えたりしないですか?
あまりの才能の違い!
参ってしまいましたよ。
これから、追々、他の作品も読んでいきそうです。

投稿: やいっち | 2009/02/12 00:46

>こういう作家の本を読むと、あまりに見事で逆に創作意欲が萎えたりしないですか?

小説に限らず、映画、ドラマ、マンガで秀逸な作品に触れると、「これに勝てるか」と自問します。
それらは自分を鼓舞してくれるものであって、「創作意欲が萎え」るということはありません。
或る作家が「質量ともに俺を越えてみろ」と言っていて、越えられなくても並ぶくらいはやってみたい、と思っています。

投稿: 滝野 | 2009/02/12 22:39

滝野さん

>それらは自分を鼓舞してくれるものであって、「創作意欲が萎え」るということはありません。

そうですよね。

小生にしても、若い頃、ドストエフスキーやチェーホフやカフカなどを読んで凄いと思った。
だからといって、自分もという野心のような思いがくじけるわけじゃなかった。
身の程知らずだったのかもしれないけど、それだけ情熱があったってこと。

萎えないどころか、逆にパワーにしエネルギー源となるようじゃないと、創作なんてできませんね。

投稿: やいっち | 2009/02/13 03:23

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