猫と扇風機の思い出
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もう二十年近く以前のこと、東京は高輪にあるマンションに住んでいたことがある。
部屋は、八階建ての八階で、頭の上は炎天下のコンクリートということで、夏場はひたすら暑い。熱気が私の部屋までまともに伝わってくるのだろうか、エアコンなど効いているのか分からないほどだ。
→ 真夜中の散歩…? ( by なずな)
ただ、部屋が八階と高いところにあることで助かることがある。
八階という高い場所にあるため、ベランダ側の窓を開け、廊下側(玄関側)のドアを少し開けておくと、風が小気味いいように吹き抜けていく。
だから、夏場でも夕方を過ぎると、クーラーを使ったためしがない。
最上階でもあるし、玄関のドアにはチェーンはしてあるし、ベランダのドアを開放しておいても、不審者が忍び込む怖れもないだろう…。
そんなある日、ベランダに何か生き物の気配を感じた。まさか、こんな八階のベランダに動物が? 我が部屋のベランダは洗濯機も置けないほどに狭いのだ。しかも両隣りのベランダからも、それぞれに分離している。
気のせい? しかし、間違いなく、居る!
動物…、そいつは猫なのだった。
隣室とは分離しているベランダの懸隔を飛び越えて、我がベランダヘやってきていると思うしかない。
しばらく観察していると、その猫の主が分かった。左側の部屋の居住者だ。その部屋は、私の部屋より広めのワンルームで、そこには恐らくは水商売風の女が住んでいる。
洗濯物を干す彼女に遭遇することがあったのだ。というか、ベランダのドアを思い切りよく開けるので、その気配で私が気付く。
で、つい、どんな女かと伺ってみようとするわけだ。
しかしながら、一度として彼女の顔を見ることはできなかった。一年以上は、彼女が居住していたはずなのに。男が時折やってくることも知っているのに。
その女の飼い猫が我がベランダに遊びにやってくるのだ。
しかし、何故、隣りの猫がわざわざやってくるんだろうか。ただの、いかにも猫らしい気まぐれ?
最初はそのように思ってもみた。しかし、どうやらそうじゃない。その猫は、どうやら私が不在の折に私の部屋に入っているらしいのである。何処から?
無論、ベランダのドアから以外にありえない。
私が不在の時にベランダのドアが開いているのか?
実はそうなのである。一応は閉めているのだが、シッカリは閉めない。というか、帰った時に部屋が蒸すのが厭で、掌が通る程度には開けて外出することも(しばしば)あったのだ。
無論、夏場の話である。
それで、猫君は、隣りのベランダから我がベランダに渡り、さらにドアをこじ開けて我が部屋に入り、さらには…。
そう、私の推測だが、この猫君は我が部屋の玄関のドアが、風を通すためもあり、往々にして開いていることを知っているのだ。ドアは、下に突っかい棒を挟んでいるので、半開きの状態なのである。
それゆえ、我輩が部屋に居る時でも、勝手知ったる我が家というわけで、ベランダの窓をこじあけ、こっそり入り込み、開いている玄関から廊下に出ていたらしいのだ。
つまり、猫君は自由を欲していたのだ!
しかし、どうも猫君の挙動からすると、それだけでもないようだった。
猫君は、飼い主である女の主人の帰りを首を長くして待っていたのじゃなかろうかと、私もようやく気付いてきたのである。
そうはいっても、いくら鈍感な私でも、他人の家の猫に勝手に部屋を通路代わりに使われるのは釈然としなかった。
それに夜半になって、ふと目覚めた時、真っ暗な部屋の中に不意に獣(けもの)の気配を感じるのは、少々気味が悪い。
それがたとえ、いつもの猫だと分かっていても。
トランクス一丁の格好で、部屋を通り抜ける風だけを、それだけでは耐え切れないときも、エアコンではなく扇風機の風を頼りに暑さを凌いでいた私だが、ついにある日、決心をした。
ベランダのドアは、せめて不在のときは締め切ろう、と。
そうすると、今度はわざわざ開けるのが面倒になる。吹き抜ける風という楽しみもなくなってしまう。
そういう決心を固めた頃には、気が付くと残暑の時季も過ぎ去っていた。暑さもシャワーを浴びて、裸のまま扇風機の風を浴びていれば、もう、それで十分な頃になっていたのだ。
時折、ベランダの窓をコリコリする音が聞こえる。猫だ。
でも、私は、もう、開けてやらない。
何故か。下手に開けると、私の部屋に入る。入ったはいいけど、さて、入ったままなのか、それとも出て行ったのか私には分からないのだ。
で、寝てしまう。ベランダ側の窓を締め切ってしまって。
すると、真夜中になって猫の鳴き声がする。
猫が開けろとばかりに、ベランダの窓ガラスをカリカリやっているのだ。
仕方なく起きてドアを開けてやるのだが、いい加減、そんな手間が面倒になる。
それくらいなら、最初からベランダ側の窓は在宅している間だけでも締め切っておくに越したことはない!
ここまで書いて、私が猫嫌いだと思っている人もいるかもしれない。それが自分でもよく分からない。私が田舎に居た頃、隣りの家には三毛猫がいたのだが、その猫に小生はガキの頃、思いを寄せていた。
でも、その猫は私を見ると必ず威嚇するような怖い顔をしてフーと唸る。
ああ、こんなに好きなのに、猫君は私のこと嫌いなんだ、と、悲しい思いをしていたことを思い出す。
それでも、やっぱり猫が好きなのだ。
ただ、その隣りからの猫に限っては、次第に何だか不気味に思われてきた。私のことなど眼中になく、女の御主人を待って勝手に部屋に侵入し、通過していく猫。せめて私に挨拶の一つもあっていいじゃないか、なんて、思ったり。
いつしか秋の気配も濃厚になっていた。ベランダのドアを開ける習慣もすっかり廃れた。扇風機も、ちょっと邪魔に感じられてきた。
けれど、ベランダの窓の外まで猫が相変わらずやってきているのだけは、知っていた。
でも、もう、開けてやらない。猫の、こんな時だけ示す、懇願するような顔。今まではすぐに開けてくれたのに、何故、急に開けてくれなくなったの、心変わりでもしたのという、あどけなさそうな表情。
そんなものには、もう、惑わせられないぞ!
それに、その頃には、私は猫のことなど構っていられないほど、仕事のことで悩んでいた。そのストレスが猫にぶつかっていた。といって、何かをするわけじゃない。そう、窓を開けてやらないという、ささやかな意地悪をしてしまったのだ。
それから何ヶ月か経って、久しぶりにベランダの窓を開けた。
(実は精神的に落ち込んでいて、篭りきり状態になっており、窓どころかカーテンさえ締め切った生活を送るようになっていた!)
隣りの住人も引っ越していったことを知っている。
さすがに、もう、猫に悩まされることもないだろうと思ったのだ。
開けて、びっくりだった。なんと、ベランダの床には猫の糞が一杯だった!
私もストレス一杯だったけど、猫君も辛かったのだなと、少々の感傷を抱いたものだった。
(「猫と扇風機の思い出」より)
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