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2009/02/02

山本健吉の「柿本人麻呂」未満

 小生にはよくあることなのだが、図書館でCDを借りる際に、近くの文庫・新書コーナーでつい何かを借りてしまう。
 AVコーナーでCDを物色する。
 借りられるのは三種類である。
 一個のCDケースに2枚、3枚の組になっている場合があるから、三種類でも3枚とは限らない。

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→ 最近、立て続けに夜や夜中、近所に救急車がやってきた。事故か病気か分からないけど、ドキッとしてしまう。

 借りようと思ったCD(ケース)をカウンターに持っていく。
 すると、係りの方がケースの中身(CD)を用意してくれるわけである。
 カウンターで待っていればいいわけだが、その数分が勿体無い。
 つい、近くにある文庫・新書を集めた書架を物色してしまう。
 借りるつもりでないので、気軽に数々の本の背表紙の題名や筆者名を眺めるだけ…のはずなのだが、そんな時に限って、ああ、こんな本がある、あれ、この本、まだ読んでないぞ、などなど本が小生の気を惹くわけである。

 過日もそのようにして、山本健吉著の『柿本人麻呂』(講談社学術文庫)と古橋信孝著の『万葉歌の成立』(講談社学術文庫)の二冊を借りてしまった。
 借りてしまったって、まるで悪いことのように書いているが、実は読みかけの本があるし、予約中の本が三冊もあって、電話(連絡)待ちなのである。
 読んでいる最中に、予約していた本が届いたなんて連絡が来ると、図書館で借りた本で積読になりかねない。
 
 でも、やはり手に取ってしまった本は読みたいのである。
 幸いというべきか、読みかけの本は面白かったこともあり、一気に読了することができた。
 過日、「奇しくも二つの小説を」感想文らしきもので扱った、フリオ・リャマサーレス/著『狼たちの月』(木村栄一/訳 ヴィレッジブックス)と和田竜著の『のぼうの城』(小学館)である。

 なので、図書館から借り出してきた翌日には早速、一冊目に取り掛かることが出来た。
 それは、山本健吉著の『柿本人麻呂』(講談社学術文庫)のほう。

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← 2月1日の朝、近所の立ち木に野生化したインコだろうか、ヒヨドリほどの大きさの青っぽい鳥が止まっていた。春先になると集団になって我が家の庭先にも飛来する。その頃には羽の色も青色(と白かな)がハッキリして、もっと色鮮やかになっている。

 古橋信孝著の『万葉歌の成立』(講談社学術文庫)は、以前、同氏著の万葉集についての本を読んだことがあるので、久しぶりという感覚があり、今、読む余裕があるとは思えないのに、とりあえずは座右においておきたかったのである。
(幸い、返却期限までに読了することが出来た。「近代的感性を安易にあてはめる古典解釈を斥け、村落共同体に発生した神謡に歌の始源を探り、万葉集の表現構造を精緻に分析して、日本の古代世界像を構築する」といった本だが、今では沖縄などに古くから伝わる物語や歌を糸口に「万葉集」や「古事記」などの解釈に新展開を見せるのも定番となって久しいけれど、参考になるのは確かかもしれない。生憎、感想文を書く暇もなく返却の予定。)

 山本健吉については、同氏著の『俳句とは何か』(角川ソフィア文庫)を少なくとも三回は読んだことがあって、勝手に親しみを感じていたりする。
 といっても、同氏の主著というべき本を読んでいないのだから、怠慢の謗りを免れないのだが。
 小生が同氏から学んだ(…まあ、聞き知った)のは、俳句について、「俳句は滑稽なり。俳句は挨拶なり。俳句は即興なり」の三か条を大切なものとするという点だけ。
 といっても、実践できていない!

 その山本健吉と小生が芭蕉と並び詩文の神様と崇めている柿本人麻呂との組み合わせとあれば、山本健吉著の『柿本人麻呂』を借り出さないわけにいかないのである。

 今更だが、山本健吉について若干のことだけメモしておく。

山本健吉 - Wikipedia」 によると、「石橋忍月の三男として、長崎市に生まれ」、「折口信夫に師事」したとか。
「第三の新人」という用語を最初に用いた人物」として銘記しておいていいかもしれない。
『古典と現代文学』や『芭蕉』、『詩の自覚の歴史』などなど主著と呼ぶべき本だけでも何冊もある。

 山本健吉の名とは、その文章もだが、高校の教科書で出合っているはずだが、生憎、国語とは(も)極めて相性の悪かった小生、どんな文章だったか、まるで覚えていない。

 さて、山本健吉著の『柿本人麻呂』(講談社学術文庫)を読みつつ、改めて柿本人麻呂の凄みを感じている次第である。

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→ 最近、夜中にテレビを見るのが唯一の楽しみになっている。録画しておいて、父母が寝静まってからゆっくり。その中では、『疑惑』が秀逸だった(「テレビ朝日|疑惑」参照)。田村正和や沢口靖子、室井滋らが力演。沢口靖子は、でも、稀代の悪女を演じるにはちょっと??だったが。さすが松本清張原作のドラマは、中味が濃い。凡百のサスペンスドラマとはレベルが違う(「田村正和&沢口靖子、社会派で挑む新境地 松本清張ドラマ「疑惑」 (1-2ページ) - MSN産経ニュース」参照)。昔、野村芳太郎監督作品の映画「疑惑」を見たが、悪女ぶりというと、やはり桃井かおりに一日の長がある。なお、画像は、映画「アルマゲドン」の一場面。まあ、設定は面白いし、映像もCG技術の向上もあって綺麗だが、映画としてはどうだろう。脚本のせいなのかもしれないが、主役のブルース・ウィルスに依存しきった凡作としか思えなかった。そういえば、ジョニー・デップ主演の「パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち」も観た。やはり映像は際立っているけど、映画としては退屈で、途中で観るのをやめた。ただ、ジョニー・デップの演技はシリアスな中にコミカルな味をうまく出していて、ああ、この映画は彼で持っているんだと思った。でも、最後まで観る気にはなれなかった。

柿本人麻呂関連拙稿:
網代
白川静『初期万葉論』雑感
人丸忌…言の葉
稲岡耕二著『人麻呂の表現世界』
春望…英語でよむ万葉集
人麻呂と長明の「泡」つながり
古田武彦著『人麿の運命』の周辺
(「白川静…日本語は仮名しき漢字の迷宮か」にも書いたが、梅原猛の『水底の歌』(新潮文庫刊)が皮切りに、柿本人麻呂への関心が呼び覚まされ、吉村貞司「柿本人麻呂」や、古田武彦「人麻呂の運命」など、雑多な人麻呂関連の本を読んできたのである。原稿の所在が行方不明だが、「水底の歌」じゃないが、94年に「水底の墓標」という300枚ほどの小説を書いたことがある。)

                           (09/01/30作 02/02/02加筆)

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コメント

やいっちさんは近くに図書館があっていいですね。
羨ましいです。
私の住む町の図書館は蔵書が少なく、CDは置いてありません。
もっとも私は、本を読む際には鉛筆で線を引いて折り目をつけるものですから、図書館の本を読むには向いてないかもしれませんが。

投稿: 滝野 | 2009/02/03 23:14

滝野さん

もっと近くに町立の図書館があるのです。
自転車で数分。
でも、小さくて蔵書が少ないし、CDやビデオもない。

となると、CDも借りられる図書館ということで、市街地にある図書館へ出向くわけです。
自転車で十五分ほど。
近いのか遠いのか分からないけど(自転車で三十分ほどのところに県立の図書館があるが、坂を上り下りするのでちょっときつい)、とにかく重宝しています。

でも、理想は滝野さんと同じで買って読む、です。
大した数の本を読むわけじゃないんだし、かくありたいです。

投稿: やいっち | 2009/02/04 01:02

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