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2009/02/24

東京タワー…沸騰都市東京のシンボル(前篇)

NHKスペシャル|沸騰都市(全8回)」を観た。

「グローバリズムによって国境の意味が薄れ、新たに世界の主役を担うのは、国ではなく「都市」の時代が到来。世界を主導してきた超大国のアメリカの力が揺らぎ、急成長する新興国が主役交代の鍵を握る中、世界の地殻変動の舞台となっているのが、様々なエネルギーせめぎ合いぐつぐつと煮えたぎる「沸騰都市」である」といったコンセプトの番組。

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→ 「東京タワー」 撮影は小生の手になる。小生が卑しいせいか、ゴールドのタワーに見える ? ! 東京は、「沸騰都市」であり、「モンスター都市」であり、この写真のように、ゴールドに煌く都市でもある。地方の地盤沈下を他所に…、というより、地方や世界の多くの土地の生き血を吸って、真っ赤に煮え滾るかのようだ。まだまだ、限界に達していない。まだまだ、変わる。まだまだ、血と地と知と夢とに餓えている!

 といっても、小生が観たのはそのうちの何回かだけ。
 昨日は(録画で)このシリーズの最終回に当たる「NHKスペシャル|沸騰都市 最終回 TOKYOモンスター」に見入ったのである。
 まあ、テレビ番組を観てそれなりの感想や感懐を抱いても、それでスルーするのだが、今回は、特に番組のエンディングで、小生が東京在住時代に働いたり、通勤したりなどで長く強く馴染みの地域の航空映像が流されたので、ちょっとメモしたくなったのである。

 エンディングで流れていた地域というのは、東京在住時代の最後の12年余り(95年秋から07年晩秋)、タクシー稼業で走り回った地域であり、その前に、小生がサラリーマンだった13年(81年四月から94年三月まで)、自宅からか会社のある海岸へ通勤に買物にと車やバイクや歩きで日々通った地域でもある。

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← 小生が30年近く住み暮らし遊び働いた地域。 (画像は、「NHKスペシャル|沸騰都市(全8回)」より)

 サラリーマン時代のことは、以前、書いた。
 タクシードライバー時代、小生は、主に港区(の中でも特に麻布・三田・白金・六本木・青山など)を中心に営業していた。
 但し、タクシードライバーになりたての頃は、営業の中心をいろいろ変えた。
 まずは、タクシードライバーになりたての数箇月は、とにかく地元ということで、当時、住んでいた大田区大森をテリトリーにし、ついで、東京に引っ越した当初は住所が新宿の外れの西落合近辺だったので、新宿駅周辺を中心に営業し、ついで、六本木や青山・渋谷中心、ついで、会社が港区の海岸にあったこともあり(当時の住居が港区高輪だったし)港区の白金・三田・麻布・六本木・青山を中心に営業していた。
 といっても、あくまで拠点をそういった地域にしていただけで、忙しい時は、行った先々でお客さまに乗っていただくわけで、自分の得意なエリアには、回送にでもしないと、なかなか戻れなかったものだが。

 ただ、最後の数年は、不況もあるし、個人タクシー免許取得を意識していたこともあり、昼間は港区の三田界隈オンリー、夜はまさに地元の大森界隈にベッタリ張り付いて営業していた。
 要するに長距離を狙わなくなったこと、夜の酔客を敬遠するようになった、つまり、トラブルを極力、回避するよう努めていたのである。

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→ 東京在住最後の12年余りはタクシードライバーとして、この車の波の一滴だった。写真の中心の東京タワーへ向かう赤い帯が本稿の話題の三田通り(一部、桜田通りと重なる)。 (画像は、「NHKスペシャル|沸騰都市(全8回)」より)

 いずれにしても、昼間に限っては、長距離のお客さんも皆無に近いわけで、最初の一年か二年を覗いて、影響の拠点は、港区三田界隈だったわけである。
 不況で流しではお客さんに遭遇できない時は、田町駅に陣取る。駅の構内のロータリーで空車の列の最後尾に付いて、ひたすら順番待ちだった。
 思い返してみると、六年ほどは田町駅を中心に、三田・白金・麻布・広尾周辺しか走っていなかったような。
 ほとんど、短距離のお客さんだし、流しではお客さんに出会えず、大概、お客さんをどこかで下ろしたら、さっさと田町駅などに戻る。
 
 細かなことは書かないが、田町駅からは一方通行の道、右折禁止の交差点などが多く、目的とするビルへ最短の時間(距離)で行くにもノウハウが必要だった。
 昼や夕方の混雑する時間帯で、道の選択にミスすると、時間のロスが大きい。
 なので、田町駅から駅前の入り組んだ住宅街・商店街・ビジネス街を抜けて目的地へ行くどんなルートも知り尽くしておかないといけない。
 時間帯によっても、ルートは微妙に、あるいは時に全然、違ってくる。
 
 田町界隈にはメインの道路が幾つもあるが、その中でも三田通りは交通渋滞の激しい道路だった。
 それこそ、昭和の終わり頃から三田通り(桜田通り)の拡幅工事が行なわれてきたが、どうしても立ち退きに応じない家が数軒(最後には一軒)あって、工事が終わったほんの数年前まで、あれほど交通量も多いのに、片側一車線だし、その片側だって、往々にして工事で片側通行になったりする。
 また、慶応大学三田キャンパス前の三叉路(T字路)は、交通渋滞の最たる箇所だった。
 T字路を右左折しようにも、三田通りが混雑しているので、一回の信号待ちでは曲がれないこともしばしば。
 
 そんな道でも、うまく渋滞を交わしながら、最短の時間で(つまり、信号待ちは一回のみで)目的地に向かわないといけない。
 どうするか。
 まあ、あれこれ苦労するわけである。

                                   (続く)

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